ヒトラーの時代-ドイツ国民はなぜ独裁者に熱狂したのか (中公新書)

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  • 中央公論新社
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レビュー : 20
  • Amazon.co.jp ・本 (267ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121025531

作品紹介・あらすじ

ナチス体制はなぜ短期間に実現したのか。国民がそれを支持し続けた理由は何か。ヒトラーの政治家デビューから人気絶頂期までを描く。

感想・レビュー・書評

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  • 池内紀の遺作である。ドイツ文学者として多くの訳本を書いていた時に常に「背後に1人の人物がいた」という。それがヒトラーだ。「だが、その男に歓呼して手を振り、熱狂的に迎え、いそいそと権力の座に押し上げた国民がいた。私がさまざまなことを学んだドイツの人々である」。だから池内紀は「自分の能力の有効期限」のうちにこの本を3年かけて書き上げたという。そして亡くなる3か月前に、この明晰な「あとがき」を書いた。新書ながらも淡々と事実を選び、文学者の視点で当時の社会状況が目に浮かぶように書いて完成させた。もともと不勉強な時代だったのでもあるが、私が学んだことはあまりにも膨大だ。その幾つかをメモする。以下は、私の覚書なので無視してくださっても結構です。(←)の中は、私の主観による感想である。ちなみに、池内紀は日本については一言の「ひ」も言及していない事を言い添えておく。

    ⚫︎1900年から1913年、画家志望のヒトラー青年がリンツとウィーンにいた間の詳しいことはほとんど知られていない。その間ヒトラー青年が交遊・庇護を受けた大半が、その名前からして明らかにユダヤ人だったからである。ウイーンにいた極貧の5年間をヒトラーは「最も悲惨な歳月」であり「世界観の基礎と政治の見方」を学んだと書いた。どうやらとりわけ憎悪の仕方を学んだようである。
    ⚫︎ヒトラーは、演説一本で突然注目された(←現代で言えば突然YouTuberになるようなものだろうか)。1920年党名をナチス(国民社会主義労働者党)に改称。2月24日、ヒトラーの演説日をナチ党大会記念日とした。ヒトラーが大衆に働きかける方法を自覚した日だったからである。
    1.簡潔に断定して細かい議論はしない。(←「もし妻が関与していたら辞任する」と言って細かい議論を拒否した一国の責任者がいる。この方は「責任は私にある」を49回も繰り返しているが、一回も責任を取ったことがない)
    2.単純化したロジックを用いて、相反する2つをあげ、二者選択を迫る。
    3.手を変え品を変えて繰り返す。
    ⚫︎派手なポスター、飛行機からパンフをまく、有力者に演説レコードを送りつけ、トーキー映画をつくる。宣伝用キャッチフレーズに特有の文体を使う。簡潔で、文学的レトリックを備え、党首のカリスマ性を掻き立てる。
    ⚫︎絶望に瀕していた中流市民層と理想主義的な若い世代を捉え、保守派にも花を持たせた。そして、最初権力層はヒトラーを過小評価していた。せいぜい「共産主義の防波堤」として「利用できる人物」だった。1930年、ナチス第二党に躍進。1932年第一党。(←この過程は、あまりにも維新の党、N国党の躍進と酷似しているし、自民党の選挙戦略とも酷似している)
    ⚫︎1932年1月ヒトラー首相の内閣は、最初はナチスは2人のみ。ユダヤ人を目の敵にして、過激なことをうたい、政治を祝祭のように儀式化して、事あるごとに派手なデモストレーションを打って出るナチスに対してドイツブルジョワ・知識人層は大方は「呆然たる思い」だったが、「仕方ない」とした。ずっと内閣は半年しか持たず、混乱を鎮めるための差し当たり汚れ役を期待していたからだ。ヒトラーは直ぐに「ドイツ国民保護のための大統領令」を発令。最初はそっと踏み出し、「良識ある」閣僚は誰1人異議を唱えなかった。同年2月27日国会議事堂炎上、翌日「大統領緊急令」(もちろん本質は簡単にわからないように糊塗はしていた)発令、ワイマール憲法で認められていた言論の自由、報道の自由、郵便及び電話の秘密、集会及び結社の自由、私有財産の不可侵性などが一時的に停止。(←「翌日」というのが凄い。そして当然「一時的」ではなかった)翌月、最初で最後の総選挙、ナチスは全議席647のうち288、社民党120、共産党81、中央党74、国家国民党52、その他1だった。直後、ヒトラーは共産党の国会議員無効を宣言、結果ナチスが単独過半数になった。(←ナチスはバカだと思っていた知識人は、その用意周到、手段を選ばないやり口に完全に遅れを取った。今でも某国首相をアホという知識人は多いが、組織としての自民党はいつも戦略的に勝利している。この時ドイツ国民が大統領令の危険性を自覚して選挙で勝たせなかったら、とは思う。しかし、安保法や共謀罪法が成立した後に、選挙でその政党を第1党に祭り上げたのは果たして何処の国の国民だろうか)
    ⚫︎ナチズムの15年間、最初の戦時体制に突入するまでは、普通の市民にとっては「明るい時代」だった。ワイマール末期に600万台まで数えた失業者は、100万台まで減少した(政権奪取後に車産業にテコ入れ、雇用十数万人を創出失業者を減らした)。ドイツ国民は、一党独裁という極端な形であれ、手の施しようのない分裂状態よりはマシ。少し我慢すれば、自分たちの利益は確保できると希望を見出していた。1934年「長いナイフの夜」事件でSA隊長以下77名を粛正、腐敗に対する断固とした態度を示した。タバコの肺ガン物質の発見の後がん撲滅キャンペーンの世界的な最初、ヒトラー自ら禁煙を説く、「健康国家」の提唱。(←現代の不倫への極端なパッシング等々似た所がある気がしている)
    ⚫︎当時未だ数十万人しか試聴していなかったラジオは、33年発売して普通価格の1/8、一気に数百万人になった。「ドイツ国民に告ぐ」と始めて、政局の折々に、荘重な音楽が流れヒトラーお得意の弁舌が流れる。ヨーロッパは英米と違い、「部族の太鼓」たる人間の内面への働きに慣れていなかった。ラジオ聞き入り恍惚としたのである。ユダヤ人を槍玉に上げる際に、インフレでマルクの価値が1兆円分の1に下落した国民に向けて、インフレ的に演説した。「最初のユダヤ人」を邪悪な敵として攻撃する。続いて国内のユダヤ人、占領地域のユダヤ人、最後には100万単位で絶滅させるべき「社会の害悪」として攻撃した。(←嫌韓は作られている。日本国民は気がついて欲しい。反対に嫌中は巧妙にトーンダウンした)
    ⚫︎33年ゲタシュポ(秘密警察)は200-300人、40年には1100人になった。共産党員を「半ナチ陰謀」をでっち上げ、逮捕・勾留・拷問を繰り返した。どれだけが逮捕・拷問されたかは不明だが、Mの姓だけでも45年までに3万4591人が検束され、辛うじて生き延びても強制収容所へ護送された大半が殺された。
    ⚫︎独裁制の完成は32-33年の2年以内で急速に巧妙に完全に行われた。(←まるで十数年このために準備した知識人かいたの如くだ。現代日本ならば30年かけてやってきて、あと少なくとも10年は必要な法律ばかり。世界初だったからか)
    ⚫︎ナチスの膨張時代、33年までの10年間、実は国家人民党、中央党、社会民主党の得票率に変化はない。ナチスは浮動票を攫ったのだ。ドイツ経済の破綻と社会不安、ヒトラーは仮想敵を名指しして、繰り返し、浮動票取り込んだ(←現代日本とよく似ている)。政権奪取後、1年で全ての党を解党に追い込んだ。小都市では、時流に敏感な小市民は小狡く小さな権力者にすり寄っていった。(←結局、社会の空気と絶妙な時代のタイミングがナチスを躍進させた。10年前の日本でも社会の空気と閉塞感は十二分にあっただろう)
    ⚫︎亡命ハンドブック『フィロ・アトラス』が38年12月に出た。(←このひとつひとつを追っていけば、映画が出来る)
    ⚫︎大不況の最中に首相になったヒトラーは翌日に「我々に四ケ年の猶予を与えよ、しかるのち批判し審判せよ」と大見得を切った。誰もがいつもの大ボラと思った。フォルクスワーゲン構想、自動車専用道路計画、その他で4年後失業者は1/6の100万人に減っていた。この最初の5年間を「平穏の時代」という。36年にオリンピックがあり、独裁制の国際批判を明るいイメージに修正させた。35年住民投票でザール地方がドイツに復帰、ヴェルサイユ条約破棄、再軍備、38年オーストリアを併合、チェコのズデーテン併合。(←この政局の節々で国民投票をやっている。だからナチスは民主的な政権だと自己主張していた。政局の節々で総選挙をやった某国と良く似ている)
    ⚫︎作家のケストナーは「雪の玉が小さいうちに踏み潰さなくてはならない。雪崩になってからでは、もう遅すぎる」と言った。

    • kuma0504さん
      刊行後にナチスの正式名称とか、小さな誤りが多くてネットで叩かれているようです。何しろ死亡2-3ヶ月前の完成ですから、私は気になりません。むし...
      刊行後にナチスの正式名称とか、小さな誤りが多くてネットで叩かれているようです。何しろ死亡2-3ヶ月前の完成ですから、私は気になりません。むしろ、この本の勲章かもしれない。叩いている輩に、しっかりと感想を聞いてみたいなぁと思います。
      2019/12/27
    • 薔薇★魑魅魍魎さん
      「小さな誤りが多くてネットで叩かれ」って、池内さん、あっちでペロッと舌を出して苦笑しているかも。
      池内紀はドイツ文学者としても超一流で、ち...
      「小さな誤りが多くてネットで叩かれ」って、池内さん、あっちでペロッと舌を出して苦笑しているかも。
      池内紀はドイツ文学者としても超一流で、ちょっと思いつくだけでも、池田浩士・岩淵達治・川村二郎・種村季弘・手塚富雄・中野孝次・西尾幹二・平井正など、ドイツ文学者には日本に文学のみならず思想的にも多大な影響を及ぼした方が沢山いらっしゃいますが、その中でも彼は最高峰といっても過言ではないと思います。
      フランツ・カフカにベルトルト・ブレヒトにギュンター・グラスにエーリヒ・ケストナーにエリアス・カネッティにE.T.A.ホフマンにカール・クラウスなど、私が特に好んでドイツ文学・思想を読んでいるわけでもないと思いますが、彼から受けたその恩恵は計り知れないものがあると思います。
      2019/12/27
    • kuma0504さん
      加藤周一がカール・クラウスを第一次世界大戦の文学の中では、最大級の評価をしていて、調べたら池内紀さんの翻訳しか出ていなかった。というか、つい...
      加藤周一がカール・クラウスを第一次世界大戦の文学の中では、最大級の評価をしていて、調べたら池内紀さんの翻訳しか出ていなかった。というか、つい最近再販するまで読みたかったのに読めなかった。それに、加藤周一がとうとう書けなかった森鴎外論に関しても、池内紀さんが最近詳細な註釈を付した『椋鳥通信』を加藤周一さんがもし読んでいたならば、必ず大きな影響を受けていただろうと推測します。ヨーロッパ文学には疎い私ですが、その指摘その通りなんだろうな、と思います。
      2019/12/28
  • 主人公の一人はもちろんヒトラー。
    〈浩瀚なヒトラー評伝の作者ジョン・トーランドは述べている。もしこの独裁者が政権四年目ごろに死んでいたら、ドイツ史上、もっとも偉大な人物の一人として後世に残ったであろう。〉

    そして「国民の皆さま」「よき市民たち」も主人公。
    〈その男に歓呼して手を振り、熱狂的に迎え、いそいそと権力の座に押し上げた国民がいた。私(池内氏)がさまざまなことを学んだドイツの人々である〉

    そして私にとってもう一人重要な主人公は著者の池内紀さん。
    『消えた国 追われた人々――東プロシアの旅』が面白くて記憶にあった人で、一か月前の8月31日に亡くなったと新聞で読んだのです。

    この『ヒトラーの時代』はその一か月前7月25日に発行されたので、どのような健康状態心理状況で書かれたのか気になりました。

    死因は虚血性心不全ということで、たぶん突然死?
    だから決して死を意識したものではないかも。
    ただお酒がお好きだったようなので、検査であれこれ引っかかっていた可能性はあります。
    〈「ドイツ文学者」を名のるかぎり、「ヒトラーの時代」を考え、自分なりの答えを出しておくのは課せられた義務ではないか。誰に課せられたというのでもない、自分が選んだ生き方の必然のなりゆきなのだ。
    そう思いながら、とりかかるのを先送りしてきた。気がつくと、自分の能力の有効期間が尽きかけている。もう猶予はできない〉あとがきより。

    が、この本を読んで検索したら、意外な事実にでくわしました。
    〈池内氏の『ヒトラーの時代』に対して、ネット上では「炎上」と言えるくらいに非難、罵詈雑言のオンパレードである。しかも、それは素人からのものではなく、ドイツ近現代史の専門家たちによるものである。確かにドイツ語の翻訳などについて細かいミスがあり、これらが編集段階で発見できなかったことは残念だ。〉
    (舛添要一の怒り「池内紀『ヒトラーの時代』に罵声を浴びせる研究者たちへ言いたいこと」
    『ヒトラーの正体』著者は『ヒトラーの時代』をこう読む)

    また私が最近楽しく読んだ『物語オーストリアの歴史』著者山之内克子教授は「SNSの時代に本を書くということ・・・新書「ヒトラーの時代」に思う」でこう述べます。
    〈(略)専門家でない人が軽く書いた本が、専門書を凌駕してスタンダードとして読まれる状況は危険だし、今回の批判をスタートしたドイツ史研究者が抱いた最大の危惧も、おそらくはこの点にあるのだと思う。
    しかし、SNSというツールを通してのディスカッションが危険なのは、アカウントさえ持っていれば、誰しもが、これらの専門家、研究者と同レベルで発言できるという点である。もう今回は気持ちが翳りながらもめちゃくちゃに気になって関連ツィートをほぼフォローしていたのだが、匿名のアカウントから、ほとんど暴言、人格否定とも言えるようなツィートも目立った。著者としては、専門家や真剣な読者から寄せられた指摘には真摯に向き合わなくてはならないと思うが、しかし、これら、ツィッターを発散手段にしているような人々の暴言にまで、書物の著者は耐えなければならないのだろうか。その点にはただ深い疑問しか感じない。(略)
    そもそも『物語オーストリアの歴史』を執筆しているときに、もうこれがおそらく自分にとって最後の本になるかもしれない、という感覚はあったのだが、また本を作ろう、という前向きな感情は、書きあがったいまも、現在のところ全く湧いてこない。〉

    池内さんは亡くなる直前の一か月間、この騒ぎをどのようにとらえていたのでしょう。

    それにしても「メディア」
    この本ではラジオの普及がヒトラー人気に重要な役割を果たしたとあります。

    〈マクルハーンによるとラジオは「熱いメディア」であって、本来的に魔術的な威力をそなえている。
    はるか遠くで発せられた声にもかかわらず、ラジオはひそひそと耳近くで話しかける。宗教上の神々が地上に降臨するとき、それはつねに目に見えない姿をとり、信託の声として現れ、人を誘いこむ〉

    〈もしヒトラーがラジオではなくテレビ時代に生まれ合わせていたら、せいぜいのところ、ミュンヘン一帯を地盤とする、やたら演説の好きな、チョビひげがトレードマークの一地方政治家に終わっていたかもしれないのだ〉

    そして今はSNSなのです。

  • 2019年のこの1冊(毎日新聞)に掲載されていたことをきっかけに読んだ1冊。
    ヒトラーが台頭した当時のドイツの歴史的背景についてや、ヒトラー率いるナチスがどのようにして独裁政権を勝ち取り維持してきたのか、詳細ではないにせよアウトラインを十分に理解できる1冊であると思う。

  • ナチス政権の樹立を描く。ドイツ文学者が生涯執筆を願っていた渾身の遺作。

    ワイマール憲法下、泡沫政党だったナチが政権を掴む過程、あくまで民主的な方法によりじつげんしていく。魅入られるようにヒトラーに声援を送る第一次世界大戦の敗戦国のドイツ国民。その謎に迫っていく。

    ヒトラーが4年で死んでいたら、全良な政治家として名を残したという旨、ある作家が言っている。アウトバーン、国民車フォルクスワーゲン、劇的な価格のラジオの開発など。

    最終章ではドイツの一般人について。ごく普通の人々がナチス政権を支持し戦争に突き進む姿を想像する。

    池内紀の遺作。誤りが多いというが推敲ほか遺された時間がすくなかったのだろうか。確かに複数の章で重複した記述が見受けられる。
    それでも筆者のメッセージは十分に伝わってくる。

  • 何が、というわけではないけれど、どこか、似ている、ような気がする。狂気の独裁者の人となりに興味はないけれど、なぜ狂気の人が国を動かす立場に上り詰めてしまったのかということを知りたかった。民主的な手続きで選ばれたのはなぜだったのか、結局のところその時代の空気だったということか。政治の混乱を力づくでやっつけてしまうリーダーを得ればせてしまう空気。

  • 単に泡沫政党だったナチスが一躍数年で政権を獲得し、田舎紳士のヒトラーが独裁者へ。不思議な運命であるが、メディアの把握、ペンの力、そして拷問と収容所にそのカギがあるとの著者の指摘は全くその通りだと思う。ヒトラーの時代がテレビではなく、ラジオの時代だったことがパニック、狂気を助長させたとの説明は皮肉っぽいが実に面白いと思う。テレビであれば、さえない田舎人に映っただろうという。ヒトラーの時代に重要な政局の展開のたびごとに国民投票が実施されたとは、全く知らなかった。全く民主的な運営の元に生まれ、運営をしていたナチス政権。今、世界で、そして日本でも同じことが行われている。ナチスが権力を揮ったことが決して今後も有り得ないことではない、今の日本の動きを見ていてそう痛感せざるを得ない内容だった。ナチスは民主勢力の支持はほとんど得ておらず、その他大勢の浮動票を集めただけだったとは、喜べない過去の教訓だと思う。

  • 表向き合法的に、非常に素早く、ナチスの時代になってしまったのか。
    日本で、世界で、再び三度起こりうる恐ろしさを知らせていただいた。

  • 池内紀氏の遺作にして誤りの多さで話題になった。今は正誤表が2ページにわたって掲載されているが、カバーし切れてもいないようだ。息子の池内恵氏が父親はネットを使わず(Wikiで確認するようなこともなく)編集者の介入を拒む頑固な人だったと書いていたが、池内紀氏の仕事のうち、ドイツ文学の功績より、新書のヒトラー本が多く読まれることを考えると非常に残念な成り行きだ。
    しかし後書きでカフカを翻訳しては家族や恋人がアウシュヴィッツで死亡したことを思ったと言いドイツ文学者として常に気にかかっていたヒトラーについて書かずにいられなかったという。「気がつくと、自分の能力の有効期間が尽きかけている。もう猶予はできない」とまで書いてある。
    随所に池内氏の思い入れは感じる。「拷問された者は二度とふたたびこの世にはなじめない。屈辱の消えることはない」ジャン・アメリー「罪と罰の彼岸」の紹介に先日見た演劇「死と乙女」を思い出した。もっとも印象に残ったのは、リルケも書いたドイツ文字に似せ、「ゲーテの箴言かのように」ジュタリーン文字を用いたなどは池内氏にしか書けない。
    …と思ったがツイッターでドイツ研究の田野大輔氏が「ジュタリーン文字として紹介されている文字は普通のフラクトゥーア(ドイツ文字)」だと…Wikiを見ても「ジュッターリーン体はドイツの古い筆記体であり、フラクトゥールの1つ。1941年にナチス政権によってジュッターリーン体を含めフラクトゥールが廃止された。」もはや何がなにやら。

  • 内容よりも、訂正箇所の多さで話題の書。さらに中央公論新社のホームページから正誤表が探しづらい。本書の紹介ページからリンクを貼っておくべきだと思うが、そうなってなく探すのに苦労した。出版社側の隠蔽体質の現れとも捉えられる。その後電子書籍にもなっているようで、そちらの方は訂正がなされているのか確認していないが、私の紙の本は訂正で真っ赤だ。内容はヒトラーの登場に焦点を当てたもの。歴史学者というよりもドイツ文学者の著者が、ドイツを語る上で無視することのできないヒトラーについて、いくつかのエピソードを拾って紹介している。勉強になった。

  • 出版社サイトに正誤表あり

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著者プロフィール

池内紀(いけうち おさむ)
1940年11月25日 - 2019年8月30日
兵庫県姫路市生まれ。ドイツ文学者、エッセイスト。神戸大学助教授、東京都立大学教授を経て、東京大学文学部教授を歴任。1996年の退官以降、翻訳・エッセイに注力。著書に『海山のあいだ』『見知らぬオトカム』『祭りの季節』『ことばの哲学』『恩地孝四郎』『消えた国 追われた人々』など。代表作となる訳書は『ファウスト』『カフカ短編集』『カフカ・コレクション』など。

池内紀の作品

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