古代日本の官僚-天皇に仕えた怠惰な面々 (中公新書 2636)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (234ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121026361

作品紹介・あらすじ

古代日本は天皇を頂点とする専制君主国家だったのか。中下級官僚たちの「怠惰な」勤務実態を検証し、興味深い実例を挙げて紹介する。

感想・レビュー・書評

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  •  官僚というと、今時だと忖度、改竄、隠蔽とかネガティブなイメージが浮かんでくる。高級官僚ではない一般の公務員というと、真面目に働いているというイメージが今でもあるだろう。

     古代の日本が大陸の唐などに倣って、天皇を頂点とした律令国家となり、それに仕える官僚たちもさぞかし真面目に働いていたとばかり考えていた。、しかし、そうではなかったという話である。その怠慢ぶりもすごい。重要な儀式には出てこない、勤務時間がルーズ、転勤先には行かない、行ったら行ったで、その地で私腹を肥やす。
     そんなではさすがに、今でいうところの懲戒処分や刑事罰をくらう。しかしそれが本来の規定とか通達より、かなり緩々の運用となっていたのだ。出世しなくてもそれなりに食っていける貴族(元は豪族)のなれ合い社会だなのだ。 

     儒教思想が国内に定着したのは、江戸時代以降だから、中国のマネをし始めた古代の日本は、のんびりした緩い社会だったのだろう。

  • 古代の天皇や国家の姿を勤怠から考えた本。
    律令などを見ていると、勤怠についての規定は厳しくて精勤の度合いは少なくとも6つくらいの段階で細かく定められているような印象だったが、結構怠ける人がいたというのは驚きだ。
    驚いたのと同時に、きちんと精読すればこういった視点からも新たな研究ができるのだということに感動した。

    また、これほど儀式や日常の執務に欠席する人がいても様々な大規模事業が行われていたのはなぜなのかも改めて考えると面白い。
    どうやって中国由来の律令をローカライズしたのか、従来の日本列島で築かれてきた大王と豪族の関係や支配の構造とどのような齟齬があり、どうやって解決していったのかという点を改めて考えるきっかけとなった。

  • ◯平安時代の前くらいに宮仕した官僚たちが、いかに怠慢であったかを解説。ただ、この本、それだけである。
    ◯様々な角度で怠慢であったかを説明している。儀式に出ない、仕事に来ない、などなど。しかし、それだけでは困る。なぜ来ないのか、こないだ何をしていたのかが気になるのだが、全く説明がない。
    ◯この点、記録がまだ発見できていないのか、仕方ない感もあるが、しかし推察でも知りたいと思ってしまう。
    ◯各省庁が怠慢を擁護していることなども説明されているが、これは現代でもある権限争いと考えられるため、やはり特別な感はない。

  • 目から鱗が落ちるとはまさにこのこと。今まで何の疑いもなく、古代官僚は律令制のもと勤勉に働いていたと思い込んでいました。ところが、怠業・怠慢が当たり前で、「位階は天皇からの距離を示す」「儀式は君臣関係を確認する場」といった古代史の共通理解が誤ったイメージだったと思い知らされました。あまりにも衝撃的すぎて、読み終えてもなおまだ心のどこかに信じられない思いがあります。
    虎尾さんの律令官人制のご研究は個人的にとても興味があり、私のかつての研究テーマとも近いので、頑張って専門書の方も読んでみようと思います。

  • 真面目な題材乃新書で、面白かった!笑った!という感想を持てるのは珍しいこと。
    第一章で古代日本の官僚制度や位階の仕組みを説明し、二章以降は数多くの実例で官僚の怠業の実態を明らかにする。

    天皇列席の儀式に出ない、なんなら3日続けて無断でサボる。それを咎める側も、決して厳罰を与えない(理由についての考察も本書内で展開される)。
    その他、古臭い礼法が(禁止されてから)数世代にわたって受け継がれるなども。帯に「桓武天皇は顔をしかめた」とあるが、なぜ桓武の顔が歪んだのか、必読です。

  • まず、帯のコピーにやられた。
    「古代の役人たちの怠慢ぶり」
    「天武天皇は目をつぶり、桓武天皇は顔をしかめた」
    こんなコピー掲げられたら、読むしかない。

    この本は、天武朝から平安初期までの官僚の勤務実態に迫る。
    官僚制度の仕組みを説明する部分など、少し難しいところもある。
    それに、やはり特有の用語もある。
    だから、誰でもすいすい読めるとは言わない。
    が、そういうところを読み流したとしても、なかなかのインパクトを感じられると思う。

    さて、その天武朝あたりのころ。
    律令制の移入期にあたる。
    だから、天皇に対し忠勤するという観念がない。
    が、律令により、官人の身分が家柄で縛られる。
    六位以下の非貴族の下級官人たちは、どんなにがんばっても貴族に離れない。
    さらに位階と職が一致しないこともあり、昇進がインセンティブにならない。
    制度がダメすぎる。
    なるほど、これでがんばれ、と言われてもな、と私でも思う。
    そこは朝廷もわかっていたようで、罰則の規定が作られても、厳格に適用することはなかったそうだ。

    もう少し上位の人々も、忠勤しないという意味では大差なかったようだ。
    京の外へ狩りに出かけていて、朝議に無断欠席とか。
    少納言が自分の遅参のせいで、政務時間中に詔勅に内印(御璽)をもらい損ね、常の御殿に引き上げた嵯峨天皇のもとに押しかけるなんてことも起きている。

    下級官吏はというと。
    朝服は自前なので、規定を守らない。
    天皇隣席の儀式に出ない。
    自分の叙任式さえ出ない。
    儀式の所作を覚えない。
    勅使として派遣されるのも断る。
    他にもいろいろあったが、ここらにしておこう。
    ここまでいくと、何か清々しささえ感じる。

    最近、「平安貴族は(イメージほどまったりしておらず)過労死スレスレのハードワーカーだった」という話も聞く。
    150年かそこらで、そんな風になるのか…。
    少ない椅子を奪い合うからそういうことになるのだろうけれど。
    結節点になるような出来事はあるのだろうか?
    ちょっと気になってくる。

  • 古代日本の官僚-天皇に仕えた怠惰な面々。虎尾 達哉先生の著書。古代日本の中下級官僚たちの「怠惰な」勤務実態を検証したとても個性的な一冊。怠惰な中下級官僚たちはいつの時代にもいるということ。怠惰な中下級官僚たちは古代でも現代でもきっと将来でも存在している。怠惰な中下級官僚を上から目線で批判したり非難したり罵ったりするのは簡単なこと。でも人間はもともと怠惰な生き物というあきらめも必要なのかも。自分は怠惰でないと思うこと自体が自信過剰の思い上がり。

  • 主に9世紀までを対象に、律令国家の担い手であった官僚達の怠惰な勤務実態を具体的に検証する内容。事例そのものも興味深いが、取り入れた律令の運用がローカライズされ、日本独特の国家運営となっていく様子が面白い。

  • 後世こんな風に揶揄されないよう気をつけよう、と

  • 目次からもう面白い。儀式に出ない、無断欠勤、遅刻…などなど古代の官人たちはこんなに怠慢な態度であり、それを国家として許容していたことが現代とはあまりに違い、笑いながら読んだ。だが後半で不正を働く官人の様子が語られるようになると、この怠慢の陰で当時国民とも見なされていない市井の人々がいかに苦しんだのかに思いをよせてしまい、もう笑えなくなった。特権を許されると、職務を果たさずに特権だけを享受しようとする、現代にもいる人間や組織の姿と重なった

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著者プロフィール

虎尾達哉

1955年、青森県生まれ。京都大学大学大学院文学研究科博士課程中退。博士(文学、京都大学)。専門は日本古代史。著書に『日本古代の参議制』『藤原冬嗣』『律令官人社会の研究』などがある。

「2021年 『古代日本の官僚 天皇に仕えた怠惰な面々』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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