消費者と日本経済の歴史 高度成長から社会運動、推し活ブームまで (中公新書 2815)
- 中央公論新社 (2024年8月20日発売)


- 本 ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121028150
作品紹介・あらすじ
応援消費やカスハラなど、消費者をめぐるニュースが増えている。本書は、消費革命をもたらした一九六〇年代から、安定成長期やバブル、そして長期経済停滞までを消費者の視点で描く。生産性向上運動、ダイエー・松下戦争、堤清二とセゾングループのビジョン、セブン‐イレブンの衝撃、お客様相談室の誕生などを通し、日本経済の歩みとともに変貌していく消費者と社会を描き出す。
感想・レビュー・書評
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悪い内容ではないが、論文チック。新書の一般読者には少し退屈な内容かもしれない。
それでも、日本では、「消費者」の権利と責任が確立しないままに、政治経済が進んでしまい、消費者が一方では「生活者」、他方では「お客様」あるいは「推し」にのめりこむ存在として、立ち位置がわからなくなっている。その現状を丁寧に描いている。消費者をめぐる行政や学術研究に携わる人は一読が必要。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
消費者の現代史、というありそうでなかった視点に引き込まれました。一昨年、貞包英之「サブカルチャーを消費する」に出会ってから彼の著作「消費は誘惑する」「消費社会を問いなおす」と読み継ぎ、「消費社会論」にも刮目していたのですが、今回は社会論、というより現代史、という違いが隣接しているけれど被り無し、ということで新鮮にページを手繰れました。著者の満園勇にも注目です。消費者という存在の台頭した1960年代から70年代初頭、消費者から生活者という捉え方へのシフトが進んだ70年代半ばから80年代半ばまで、消費者を顧客満足という視点でお客様と呼ぶようになる80年代後半から2000年代まで、そして押し活やエシカル消費、応援消費にまで繋がる2010年代以降の流れを象徴的な事例を並べながら、手際よく物語のように紡いでいきます。「消費者が社会や経済を変える」という希望のようなものが一貫して流れているがこの読後感を作り出しているのかもしれません。知っている話の裏側の話、今回初めて知る話も満載で、一気読み満喫しました。
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「消費者」という概念を「利益」「権利」「責任」という3つの観点から整理し、戦後日本経済史を見直すという非常に野心的な試みであり、面白く読んだ。
第1章「消費者主権の実現に向けて」ではは高度成長期、大量生産と大量消費によって「消費者の利益」が実現されると信じられていた時代を、ダイエーの中内や松下の経営哲学にも検討を加えつつ論じられている。個人的には生産性向上運動と「消費者主権」を結び付けて論じられている箇所(pp.21-35)がとくに興味深かった。
第2章「オルタナティブの模索と生活者」は石油危機後からバブル直前までの時期が扱われている。私は著者の満薗さんより20歳も年上なので、この時代の雰囲気がよくわかるし、著者の世代の研究者によってこのように整理されると確かになるほどと思う反面、「生活クラブ」や「大地を守る会」などのインパクトはそんなにあったのかなとも思う。むしろ個人的にはセゾンの行き方に非常な新しさを感じた世代である。
第3章「お客様の満足を求めて」と終章「顧客満足と日本経済」は十分に煮詰め切れていない部分もあるように感じたが、日米貿易摩擦に端を発する規制緩和と消費者利益の関係性の指摘などは鋭い。ところでヒーブなんていう言葉は20年ぶりに聞いた(私、前職が家政学部関係だったので)が、ACAP(今の本務校では提携講座を設置している)とかお客様相談室とも関連が深いことははじめて知った。
※浜野さんたちとの共著にも言及し、参考文献にもあげてくださり、ありがとうございます。 -
割と固め。
ダイエー・堤清二・鈴木敏文などの企業側の動向はほかでも頻繁に触れられているのを見るが、消費者側の社会運動の側面などはなかなかこういう文脈でもお目にかかる機会はそうなかった。
そこの部分をほかで浚ったうえで再読したい。 -
戦後の消費革命の流れを紐解く通史。
西武グループの影響下にある地域に住まい、セゾン文化の残滓・後続企業の現状に個人的興味を持っている自分としては、堤清二がこの新書の帯の紹介文に登場するだけで読まないでいられなかった。
消費者→生活者→お客様という表現とニュアンスの変遷を、高度経済成長と消費革命、価格決定権問題(ダイエーと松下電器)、石油危機・環境問題、有機農業運動、マージナル産業論(堤清二)、バブル崩壊、長期経済停滞、SDGsといった経済的・文化的視点から歴史に沿ってみていく形。
自分や自身の親世代の辿ってきたこれまでの人生のいろいろな場面に思いを巡らせながら読むことができ、これはそういう位置づけになるのか、などと感じることが多く、ためになったし楽しめた。
あとは、最近のキーワード、エシカル消費・応援消費・推し活の掘り下げが、もっと欲しかったところ。 -
レビューをnoteに投稿しています。 https://note.com/charlieinthefog/n/n00bb63612585
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●「消費者」という言葉の意味、そして消費者自身の意識、企業や行政の消費者への対応などの変遷を著した本。
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門外漢の流通、消費関係の新書を、インスタでフォローしてる人が読んでたので読んでみた。
ら、意外に読めたし、面白かった。
「消費者」「生活者」「お客様」という言葉の変遷。
言葉は定義を含む。つまりそれなりの意味がある。
①消費者の利益、②消費者の権利、③消費者の責任
という三つの観点がある。しかしそこで権利は無視されがちで、責任が大きく前に出ている昨今。良かれという文脈で押しつけられていると気付かぬまま、押し付けられる責任。
高度成長期、バブル、バブル崩壊、低成長の中での消費。
必要な物をあらかた得た後の消費とは。
随分と前から、1970年台からすでに始まっていたコト消費。サービス消費の経済成長へ与える影響の限界。
商学部とかだとこういうことを学んだんだろうか。
堤清二(パルコを作ったセゾングループ元代表)の考え方、哲学、無印良品への系譜、
セブンイレブンの凄さ。
経営者の哲学ってすごいな。
時代もあるかもしれないが(堤清二は学生運動真っ只中に学生であった)その時の資本主義のオルタナティブをどう作っていくか、“思想”のレベルで考えているんだよな。
トップを行く人は、やっぱりすごいんだな。それこそが名経営者ってやつなんですね。
名経営者は、社会学者であり、哲学者なんだな。すごいな。。。
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われわれが小説本を買うのは、それを読んでおもしろいと思うからで、それによって著者が巨額の印税を獲後〔獲得〕してぜいたくができるようにと願って本を買っているのではない。と同様に、消費者が製品を買うのは、それを利用して得られる利益があると思うから求めるのであって、それを買うことによって業者の繁栄を図ってやりたいと考えているのではない。
消費者主権
『生産性講座』第五巻、ダイヤモンド社 1957年
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学生運動の経験を持つ彼にとって、マルクスの『資本論』はその頃から緑の深い本であったが、一九七〇年代後半になって読み直してみると、同書の「消費」の規定のなかに、「本来、人間の個性的な生活過程であるべき消費」という記述があることに気づく。「本来、人間の個性的な生活過程であるべき」という部分は、「学生時代に読んだ時は完全に読み落として」いたのだという(『RIRI流通産業』一九九六年五月)。
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女子栄養大学図書館OPAC▼https://opac.eiyo.ac.jp/detail?bbid=2000071874
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配架場所・貸出状況はこちらからご確認ください。
https://www.cku.ac.jp/CARIN/CARINOPACLINK.HTM?AL=01433036
著者プロフィール
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