「五感力」を育てる (中公新書ラクレ)

  • 中央公論新社
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本棚登録 : 59
レビュー : 6
  • Amazon.co.jp ・本 (202ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121500656

作品紹介・あらすじ

おんぶのできない母親、抱っこ嫌いの赤ん坊-いま若年層の身体が悲鳴を上げている。それは、親の愛情が足りないせい?はたまたTVゲームのせい?"五感喪失"時代に処方箋を贈る。

感想・レビュー・書評

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  • 齋藤孝と山下柚実の2人が、現代人の身体感覚の問題について語り合った本です。対談のほか、山下のルポ「子どもたちを育てる五感の現場」と、齋藤の論考「腰肚文化の再生をめざして」も収録されています。

    齋藤は、トレーニングとして確立された実践的な身体論を引っ提げて、教育を中心にさまざまな分野で発言しています。一方山下は、現代人の身体感覚の病についてのルポ『五感喪失』(文芸春秋)で、身体感覚を取り戻すことで自閉症やLD、ADHDなどの子どもたちの症状が改善されることを取材した経験を持っています。

    山下は、おんぶのできない母親や抱っこ嫌いの赤ん坊が増えている例を紹介しつつ、他者とのつながりが身体感覚という回路を通じて形成されると主張しています。おそらく、この発想の延長線上に、齋藤の提唱するトレーニングがあるのでしょう。齋藤の身体論の中核にある発想は、「コミュニケーション力」などの社会に出て必要となる「生きる力」を、「型」として身体に定着させ「技」化することで高めてゆくということだと思われますが、2人の議論はそうした方向に収束しているように感じました。

    書かれている内容は興味深いのですが、両者の意見が近すぎて、対談としては意外性に乏しいのが少し残念です。

  • 自分の感覚に一度落としてみるという考え方が大事です。今読んでいる本、見ている映画は、自分にとってどういう意味をもっているのか。そう考えると意味が変わってくることがある。
    「ただ叱るのではなく、この子のつまずきとは何だろうか、と考えてみる。そこが見えてきたら、対処方法も見えてくる。自分の子がなぜそんな不思議な行動をとるのかを理解すれば、親の子育て能力も回復してくるはずです。だから、私は子どものセラピーよりも、時には親への解説に長く時間をとったりします。親が『その大変さがわかるわ、一緒に乗り越えていこうね』というわが子への共感を持つことが、いかに子どもにとって大切か、強調したいのです」と木村さんは言う。
    「ただし、わが子への『共感』を持ちなさい、ということが第一のメッセージでは無いことも強調しておきたいと思います。わが子の発達のつまずきがみえてこない普通の親御さんにとって、何をどうすれば良いか分からないのは当然だからです。的確な解説がなければ、わが子への『誤解』の方が広がってしまうのが、普通に子どもを産んで、普通に子育てをしている親のたどりやすい道だからです。大切なことは、この子の発達のつまずきをきちんと読みとった上で、親でもできることのアドバイスをしてくれる指導者に出会うことです」
    「一人一人の先生はたしかに努力しているかもしれませんが、そもそも日本の公教育は『通常教育』をベースに運営されている。障害児のことは想定されていないんですね。教育免許をとる際も障害児教育は必須事項ではない。さらに、現場は『すでにある教育書をどうやって教えるか』という、はじめに課題ありきの発想で運営されています。しかし、障害のある子たちのお課題は一人一人違う。その子のニーズの中から、『課題』が出てくるわけで、先生も一人一人の教科書を自分で作り上げねばならないが、その能力が不足している。つまり、発達につまずきのある子たちを受け入れる器が、いまの学校教育の中には足りないのです」と語る。
    【斎藤メソッド】斎藤孝氏は、本質的な力をつける独自の方法を提唱。本質的な力とは、社会にでたときに基礎となる生きる力のことで、具体的には「コメント力」(要約力・質問力)、「段取り力」「まねる・盗む力」の3つが軸となる。それを身につけるための実践的な学習スタイルが、斎藤メソッドである。その特色は、集中力を高める呼吸法や効率のいい姿勢といった身体の基本づくり、また、身体を使って覚えた「型」の反復練習による「技」への昇華など、身体技法を取り入れていること。
    身体を思いきり使った遊びのよさは、自分の力加減がわかる、という点にもあります。ものの質感を感じられない子どもや若い人たちの話が先ほど出ましたが、「感じる」というのは力加減とセットです。力感にあふれてつかみ取る感じや、ギュッと握りしめる感じがある一方で、そっと包みこむような感じもある。それは相手と自分との関係を瞬時に触覚的に捉えてできるものなんですね。そのセンサーを身につけるには、一度はギュッと力いっぱい握りしめるとか、自分の全力で思いきり何かをやりきったほうがいい。自分がどのくらい力を出せるかがわかれば、その最大値を基準として、「その六分目でやろう」とか「七分目でやろう」というふうにできる。
    ただ、子どもが喜んでやっていることを社会から排除してなくすのは難しいし、現在、子どもが熱心にやっているというのは、そこに彼らを魅きつけてやまない何かの要素があるわけです。それをもう一度、五感力なり感覚力を育てるという観点にずらしていけば、彼らの関心が別の方向に向いていく可能性はあると思います。大ヒットとなったゲームソフト『ぼくのなつやすみ』をつくった人たちに話を聞いたことがあります。夏の田舎を舞台にしたゲームですが、頭の中で抽象的に描く田舎のイメージではなく、たとえば光なら、一日の時間経過の中で、光の質感や強弱はどう変わっていくか。音なら、微妙な遠近感や聞こえる角度はどうか、身体で感じたように再現するための工夫が随所になされていて、そのことがまたこのゲームの魅力の一つにもなっています。
    制作者にとって「意外な反応」だったのは、そのゲームを見て子どもたちが、「虫を捕ってみたい」「ああいう田舎に行きたい」と親にせがみ、それで親は、「子どもがいうなら連れて行きましょう」と実際に田舎に出かけて行った。「その状況を体験してみたい」と、子どもの興味をかき立てる結果となり。「バーチャルからリアルへ」という流れが出てきたんですね。
    もう一つ面白かったのは、「面白い」と、親もその世界にはまってしまったこと。親のほうは、昔、田舎で遊びまわった実体験がある。それで、子どもの頃に遊んだ海のにおいや、昆虫を触ったこととか、眠っていた感覚の記憶が非常に刺激されたわけです。あらためて、子どもの頃に感覚の記憶の引き出しをたくさんつくっておくことは大切だなと思いました。
    ええ。中学生にとって、親の世代である30代、40代の大人は鬱陶しい。その点、大学生は非常に楽につき合える相手です。また、子どもにはお兄さん、お姉さんみたいな存在が必要なんですね。ところが中学生はかわいそうなことに、人的な刺激が少ない地域ではなかなかお兄さんたちに出会えない。結局、同じ歳の仲間だけで固まるしかありません。そこで「中学生ヴィタミン大量投与計画」といって、ヴィタミン的に大学生を何十人も中学校に送り込む。異年齢で遊ぶというのはいいんですよ。昔の大家族のよさだけをとったような感じで。いま、これだけ子育てに困っている時代でしょう。この状況はこれからも続くはずです。だから、中学生には大学生をあて、小学生には高校生という具合に、串団子の真ん中を飛ばして上と下とを交流させるような世代循環プロジェクトを考えて、親以外のヴィタミンとして積極的にシステムとして活用すべきだと思うんですね。
    そういう、かつての地域社会が担っていたような、異なるものとの交流の経験を、もう一回取り戻していくことは、今の学校の課題なのかもしれない。
    学校は、そういう場所になっていくべきですね。小中学校では2002年度から学習指導要領で、「総合的な学習の時間」をカリキュラムに入れました。これを積極的に行なう意味は、外の世界に子どもを拓くということです。世の中にはもっといろいろな人がいる。いろいろなことが起こっている。だから、教室に閉じこもっていないで、広く関心を外に向けよう。そのためにはインターネットの活用はもちろん、人に会いに行くし、人にも来てもらう。活用すれば、「総合的な学習の時間」はとてもいい時間になる。しかし、これがただ「うどんづくり体験」とか社会科見学というのでは新しいカリキュラムを立てた意味がない。体験学習のあとに「ああ、自分はもっとこれを追求してみたい」という憧れが生まれるような出会いの場にするのが、私はいちばんいいと思っています。
    子どもたちにいろいろな感覚の経験を積ませるチャンスを与えるのは、学校や教師の大切な役割だと思います。そういう引き出しをたくさんつくってあげることは、大人になっても、いろいろな状況に対応できる応用力のある人間を育てることになる。私は、そうした間隔の引き出しのことを「五感の故郷」「感覚の故郷」と名付けていて、大切にしています。ぜひ、子どものころにそうした引き出しをしっかりと身体の奥底につくり上げてほしいと思う。そのためにも、今の学校の単調さをもっと多彩に、豊かに組み替えていくことが、すごく必要ですね。
    足し算じゃないんですね、きっと。相手とのやりとりは、掛け算のように膨らんでいく。
    相手の発した動きを引き取って、増幅して返すという喜びがありますね。私が子どもにやる「人間知恵の輪」では、かけた固め技から簡単に抜け出せるようになると、「これはできたから、次はこれ」とまた別の技をかけてやる。そういうレスポンスの蓄積の中で、感覚の室も変わってきます。
    からだが共振体になる。
    ゲームセンターに、『太鼓の達人』という和太鼓を叩く体感ゲームがあって、大人気です。見ていると、どんなに若い子でも、レベルが上がっていくにつれてちゃんと腰胎を低く落として構えている(笑)。太鼓を叩くときはこんなポーズというのが、イメージとしてあるんですね。盆踊りなどで見ているんでしょうか。昔の日本の身体文化であっても、その固有の型を何度か目にしていると、自然に出ることもあるんだなあと、笑いながら、ほっとしました。
    私の場合だと、そのときに基本となるイメージがあって、それが地水火風です。これは4つの元素と云われるほどで、人間が生きる上で必要なものです。この地水火風に対する感覚を鋭敏にしておくことは、とても有効な方法だと思います。
    感覚は元来、発するものではなく、引き出されるものです。たとえば、ここに木のテーブルがある。触覚的に木を触った経験があるから、テーブルの木目を見たとき、木の肌触りも一緒に感じ取っている。これがもし一度も触ったことがないと、木目を見ても何とも思わないかもしれない。
    ある市民大学で、地水火風の経験を書いてくださいと言ったら、「風の経験と言われてもねえ」と、何も思い出せないというひとがいたんですよ。でもそのうち、「そういえば爆風だ」「伊勢湾台風のときは・・・」と話し始めて。あまりに強烈な体験だったから、記憶の中に眠っていたけど、ゴーゴーと鳴っていた風が、今も手に取るように思い出せるというんです。「五感の故郷」とはそういうものですね。現在もすぐに戻れる感覚。
    「いま・ここ」に生きているまさにリアルな感覚自体と、記憶としての感覚がつながる。そこに生命の持続感があり、自分の人生を貫く一つの筋を感じられる。しかも、それを身体的に感じられるのですから、何にせよ、自分の存在に対し、肯定的になりやすい。
    「腰が決まっている」立ち方は、腰に関しての認識を要求するものであり、文化的産物である。腰の感覚は、生活や遊びの中で育てられ鍛えられるものだ。感覚というと、人間に生来そなわった普遍的なもののように思われることが多い。しかし、身体感覚もまた、生活経験によって磨かれるものであり、文化的産物という側面をもっている。
    身体文化というと、能や歌舞伎といった伝統芸能を思い浮かべがちであるが、日本の場合はとりわけ生活の中における身体文化の高さが特徴的であった。腰や胎の強さを生活の中で一般の人々が常に意識しあうような関係は、非常に高い身体文化の水準をしめしている。「へっぴり腰」や「腰抜け」「腰が引けている」「胎が据わっていない」「腑抜け」「腰砕け」などの言葉は、非常に厳しい批評言語である。それは、単に身体のあり方を批判するのみならず、精神のあり方をも問う言葉となっている。
    【親子で楽しみたい7つのメソッド:斎藤】①足裏マッサージ、②おんぶタクシー、③添い寝しながら本を読み聞かせる、④お風呂で身体に触れる、⑤子どもの呼吸の深さを見る、⑥触覚に訴える遊びをする、⑦散歩をする
    【五感が目覚める3つのメソッド:山下+五感生活研究所】①記憶と思い出のためのメソッド~あなたの五感体験を履歴書にまとめよう~、②五感のチェックシート~日常生活の中で五感をチェックしてみよう~、③五感地図を描きに出かけよう

  • [ 内容 ]
    おんぶのできない母親、抱っこ嫌いの赤ん坊―いま若年層の身体が悲鳴を上げている。
    それは、親の愛情が足りないせい?
    はたまたTVゲームのせい?
    “五感喪失”時代に処方箋を贈る。

    [ 目次 ]
    序論 いまなぜ「五感力」なのか?
    ルポ 子どもたちを育てる五感の現場―LD/ADHDと教育のゆくえ
    対論 子どもの五感力を拓く(子どもの身体があぶない!;“五感喪失”時代の背景を読み解く;“五感力”向上作戦―大人たちにできること)
    提言 「五感力」を育てる十のメソッド
    補論 腰肚文化の再生をめざして―日本人の姿勢を手がかりに

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    [ 参考となる書評 ]

  • 心と体はつながっていると言います。

    言葉にすることは難しいかもしれませんが、
    自分自身はそのことをよく分かっています。

    具合のよく無い時はちょっと憂鬱。
    なんだか、朝目覚めがいいと今日はいい日。

    そんなことです。

    体の感覚に注目をして、
    五感を言葉で感じれる本。

    特にお子様をお持ちのご両親には読んでいただきたいと思います。

    勉強と同じように、
    五感も子どものときからの英才教育(?!)が必要なときかもしれません。

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