過防備都市 (中公新書ラクレ)

著者 :
  • 中央公論新社
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レビュー : 11
  • Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121501400

作品紹介・あらすじ

ピッキングや外国人犯罪の増加が報道され、防犯意識が高まった。監視カメラやNシステムの設置、地域社会での自警団結成が盛んだ。現代都市の悪意と善意を気鋭の建築評論家が読み解く。

感想・レビュー・書評

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  • 2004年刊。著者は中部大学工学部建築学科助教授。

     来歴からは個々の建物から都市を分析する書とされそうだが、むしろ、高度情報化社会・情報の一元的集積社会における監視の強化と治安との相克を論じる書である。

     具体的には、①都市を中心とする空間論、②街路・道路等のストリート、③学校、④住居、⑤対テロを論じていく。
     そもそも100%の安全は不可能である。様々な施策で目指した交通事故0の実現が、現在のところ達成していないことからも容易に想起できそう。
     本著者は、安全確保の徹底追及をプライバシーや自由の観点等で否定的なよう。

     そんな中、実現可能性が極めて低い安全100%を標榜する取り組みを際限なく行っても費用対効果という観点で見てもどうなんだろうと思わずにはいられない。
     また、本書で指摘する、東京のストリート・住居等の監視度の強化を見るにつけ、巷で流れる「治安の悪いのは大阪」という言説には?がつき、むしろ東京の方が悪いんじゃないのか、と割にどうでもいい感想が生まれたところ。
     つまり、監視強化の徹底と標榜することが、根拠なき治安悪化という虚像を生んでいないか、という疑念が生まれるのでは、とも。

  • 建築学から都市論を扱ったもの。テーマは、リスク社会論や監視/管理社会論でしばしば論じられる「セキュリティ」。我々が当然のように「安心」を求めた結果として、かえって「不安」が増幅し、それによって我々の意識だけでなく、物理的な空間までもが支配されてしまっていることを暴く。それが「過防備都市」である。哲学的な含意を汲み取ることは難しいが、我々が意識している以上に「安心」を希求し、そしてそれが逆説的な帰結を生み出していることを自覚させるような内容になっている。リスク社会論や監視/管理社会論を論じる上では、間違いなく参照しなければならない一冊だろう。

  • 既読。

  • 守る、ということがいかに簡単に排除に繋がるか、に焦点を当てた本。
    「谷岡一郎著新潮選書こうすれば犯罪は防げる──環境犯罪学入門」も是非併読を。

  • [ 内容 ]
    ピッキングや外国人犯罪の増加が報道され、防犯意識が高まった。
    監視カメラやNシステムの設置、地域社会での自警団結成が盛んだ。
    現代都市の悪意と善意を気鋭の建築評論家が読み解く。

    [ 目次 ]
    序 過防備都市とは何か
    1章 情報管理社会の空間
    2章 戦場としてのストリート
    3章 要塞化する学校
    4章 住宅という最後の砦
    5章 テロリズムと都市

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    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 監視社会に対する警鐘であり、
    排除社会に対する警鐘であり、
    セキュリティ社会に対する警鐘である。

    自分を被害者予備軍と捉えはじめたとき、都市は過防備となり攻撃的になる。

  • 都市とセキュリティのあり方を考えさせてくれる本。

    具体的な建築空間、都市空間の事例から分析しています。

    何となく結論めいた部分が無かった気もしますが、

    ようは、集まって住むことの窮屈さと安心感のバランスが重要

    ということですかね。



    以前、アメリカの大学で現地学生と

    街区単位の計画について議論したとき、

    日本の「路地」のようなすきま空間の良さと、

    安全に保つマネジメント手法については

    なかなか理解されませんでした。



    まあ、最近の日本ではだんだんそのような

    地域で見張っていくような雰囲気は

    薄れてきてしまっているようにも思います。



    ただ、空気が読めない第三者がセキュリティのために

    監視カメラで見張っているようなまちが

    魅力的で楽しいかというのはやや疑問ですね。

  • 監視社会・ネットワーク社会を予見し、その危うさを表明した最初の本。技術者、建築関係者は必読。安心・安全というだれもが否定できない罠を見事に論じている。考えされられ、新たな心地の一冊。【購入】

  • 人々の治安状況に対する不安とセキュリティ意識の高まりを背景として、都市の監視機能が高まっていくことに対する建築家の立場からの問題提起の書。一般論としては漠然とした不安感を背景に都市の管理性、排他性が高まっていく状況は好ましくない。しかし、いざ自らの周囲の状況に照らし合わせた場合、セキュリティツールが身の回りに整備されていた方が安心であることは否定できない。結局、「安全・安心の確保」により得られるものとそれを確保するために逆に失うもののバランスをどうとるかということに帰着するのだが、結論が直ちに出ない、また単純な結論を出すことがそもそも難しい問題である。著者も現在の社会状況に批判的であることを窺わせつつ、明確な結論を出すことは敢えて回避している。ただ、少なくともこの現在進行形の重要な社会問題を常に意識しておくことは重要であり、本書はその契機を与えてくれる。

  • 主に、監視カメラなどのセキュリティ過剰の社会に対して批判的なスタンスから、叙述を進めていっている。しかし、批判的なスタンスでの共感を求める読者には、今ひとつ物足りないかもしれない。
    あからさまな批判は行わず、事例の列挙が多いからである。これはひとつのスタイルではあろう。また、彼と反対のスタンスからも、だからどうなのかという批判の足がかりをあまり与えてくれない、という物足りなさを感じるかもしれない。
    以前、と言ってもかなり前のことだが、エジプトのルクソールで観光客を狙った無差別銃乱射事件が起こった。その翌日には地元の観光サービスは再開されたのだが、日本人観光客が「能天気」に昨日のことも意識せずに観光をしているという「平和ボケした国民性」を問うた新聞記事があった。
    そのとき、僕が半ば冗談で、これこそがテロに屈しない国民性と言えるのではないだろうかと言った。そのような日本人は,テロリストの目的を何事もなかったかのように、通り過ぎる。
    ところがそれは今となってはあまり冗談とは言えない。どちらがいいのだろうか?
    物理的な危険を選択するか、それとも精神的な不安を選択するか?それによって都市のセキュリティ・システム構築は大きく変わってくる。しかし不安を重視したセキュリティ・システム論者が常に持ち出すあの論法に一言言いたい。
    その論法とは、「じゃあ攻めてこられたら(あるいは攻撃されたら)どうするのだ」である。
    論理的にイーブン、つまり、討議可能となるためには、では、どこまでセキュリティ・レベルを上げれば「攻めてこられない」のかが立証可能でなければならない。そしてそれは不可能である。すなわち、
    そのような不安ベースのセキュリティ・システムは、本質的に無駄を必要とする。どこまでやったらいいのかわからない以上、どこまでもやらなくてはならないからである。そして、そのどこまでもやったことの実効性は問題とはならない。
    重要なのは、無駄な監視ごっこがはびこってしまうことをどう考えるかである。

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プロフィール

五十嵐太郎(いがらし・たろう)
1967年、フランス・パリ生まれ。建築史家、建築評論家。東京大学工学系大学院建築学専攻修士課程修了。博士(工学)。東北大学大学院工学研究科教授。『ル・コルビュジエがめざしたもの』(青土社)、『日本の建築家はなぜ世界で愛されるのか』(PHP新書)、『日本建築入門――近代と伝統』(ちくま新書)、『新編 新宗教と巨大建築』(ちくま学芸文庫)、『現代建築に関する16章』(講談社現代新書)など著書多数。

「2018年 『白井晟一の原爆堂 四つの対話』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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