- Amazon.co.jp ・本 (285ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121501592
作品紹介・あらすじ
『アンアン』等の80年代雑誌文化は「フェミニズムのようなもの」だった。「女の時代」と言われたあの頃の空気は、なぜ退潮したのか?林真理子、上野千鶴子らに焦点を当てて検証する。
感想・レビュー・書評
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団塊と団塊ジュニアにはさまれた「くびれ世代」の著者が、80年代という時代の空気を回顧しながら、当時の人びとが感じていた「フェミニズムのようなもの」をフェミニズム学者がすくい取ることに失敗してしまったと批判している本です。
本書の議論の中心となっているのは、フェミニズムの代表的論客である上野千鶴子と、80年代的な「フェミニズムのようなもの」を体現した林真理子が対決した「アグネス論争」を検証する箇所といってよいでしょう。当時の林が女性たちから絶大な支持を受けたのは、それまで男だけに許されていた「やりたいことをやるんだ!」「欲しいものを手に入れるんだ!」という思いを実行に移し、次々に成功を収めてきたからだと著者は見ています。ところがフェミニストは、「……したい!」という彼女たちのことばに込められた思いを理解することはなかったと著者は批判します。フェミニストは、自分の欲望を実現するという語り方よりも、社会の抑圧からの解放という語り方を好んだのであり、ここにフェミニズムと「フェミニズムのようなもの」との齟齬があると著者はいいます。そのうえで、フェミニズムは女性たちの広範な支持をまとめあげることができず、男社会による分断工作を受けて没落してしまったと論じられています。
本書の議論に対してフェミニズムの側からの批判としては、素朴な実感に依拠する「フェミニズムのようなもの」はけっきょくのところ時代の気分にすぎず、社会の構造的な問題の分析に手をつけようとしなかったために、景気の後退によって跡形もなく消え去ってしまった、といったものが考えられます。とくに上野の世代は、状況に流されて全共闘に参加した男たちがけっきょくのところ生活保守主義に回帰していった経緯を見ているだけに、素朴な実感信仰によって問題の解決はもたらされないことを、彼女は知りすぎるほど知っていたのではないかと思います。
著者は、林真理子が「新しい歴史教科書をつくる会」の呼びかけ人になったことに対して評価を控えるという立場をとっているが、これはひいきの引き倒しといわざるをえません。林の迷走は、無定見な実感信仰が状況に流された実例以外の何ものでもないように思われます。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
新書文庫
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80年代フェミニズムに対する怒りはわかったけどちょっと感情的すぎるのでは?読んでてとても疲れる本だった。
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著者の方が、主観的なものいいすぎるので、内容をまともに受けとる気がおきません。
批判なさっている上野千鶴子と同じ穴のムジナになっていませんか? -
70年代のリブ運動はメキシコ会議を境に解消してしまった。そのあたりからフェミはアカデミックにシフトするんだが、実はそうは名乗らずに「ルンルン」を買って楽しく元気に実践してた人たちっているし。アカ・フェミがそういう人たちを掴めなかったあたりが問題、と荷宮はいうわけ。これと、江原由美子『ジェンダー秩序』の最終章あたりにある日本の第二派フェミニズムの分析を読むと、納得することも多いし考えることも多くて面白い(^^)
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上野千鶴子に限らず、
自分と同じカテゴリに属さない者をばっさばっさと切り捨てる作者。
悪口を並べ立てるのはかまわないが、
それを大した根拠もなく学者然と述べるのはやめてほしい。 -
¥105
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すごい挑発的な帯だったので、
購入してしまいました。が、
80年代のフェミニズムのようなものについての時代論的分析がよいなと感じた -
読後の感想。「ほら、やっぱり私フェミじゃないじゃん!!」。私のフェミニスト疑惑を晴らしてくれた。「フェミニズム」と「フェミニズムのようなもの」の違いを解説してくれる。