テレビと宗教: オウム以後を問い直す (中公新書ラクレ 293)
- 中央公論新社 (2008年10月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (253ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121502933
作品紹介・あらすじ
「無宗教です」と平気で答える日本人。今や、この国の精神文化は荒地と化した。テレビという"制度"のみが文化の礎たる宗教心に接する唯一の場となった我々の、末法的状況への苦き提言。
感想・レビュー・書評
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社会
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宗教学者の著者(國學院大学教授)が、日本のテレビは宗教をどう扱ってきたかを批判的に振り返った本。
副題には「オウム以後」とあるが、実際にはテレビ史の始まりから現在までが網羅的に取り上げられている。それどころか、テレビ以前のラジオが宗教をどう扱ってきたかにまで言及されているのだ。データも豊富で資料的価値も高く、「テレビと宗教」について考える際の基本文献になり得る内容。
著者は、昨今のテレビの宗教の扱い方に警鐘を乱打する。
バラエティ番組の中でスピリチュアル(要はオカルトの言いかえでしかない)を安易に取り上げるのは放送法や局側の放送基準に違反していないか、まっとうな宗教番組があまりにも少なすぎないか、宗教団体事件を怒濤のように集中報道するのは行き過ぎではないか、等々……。
《私たちに宗教に関する常識があった頃であれば、テレビでのこうした放送(細木数子や江原啓之の出るような番組/引用者注)は、まだ笑って許せたかもしれない。見ている側も面白半分の視聴であっただろうし、宗教団体による被害との関係は意識しないでもすんだ。しかしながら、お寺と神社の区別すらつかない若者が少なくない現在、悠長なことをいってはいられない。》
まったくそのとおりだと思う。「たかがバラエティ番組に目くじら立てなくても……」などという認識は、甘すぎる。とくに子どもと若者に対する影響は、想像以上に大きいはずだ。
私自身、本書でも言及されている1970年代の超能力ブーム、オカルト・ブームの影響をもろに受けた世代であり、小学生のころには、超能力も守護霊もノストラダムスの大予言も信じていた(笑)。そしてそれは、まちがいなくテレビ(と少年マンガ)のせいなのだ。
テレビのスピリチュアル・ブームに、「このままでは第2のオウム事件が起きかねない」と警鐘を鳴らしていた識者は、ほかにも少なくない。そうした人たちと比べた場合の本書の独自性は、まっとうな宗教の価値を認めたうえでの警鐘であるという点にある。
《私は、この国の宗教文化が、情操も含めて周知される機会を失いながら、バラエティ番組やニュース番組としてのみ存続していくことに大きな危惧の念を抱いている。宗教は人類が誕生して以来続いてきた精神文化の中核をなす、“濃い”文化である。宗教文化への関心や敬意が消えていき、薄っぺらな宗教情報しか残らないとしたら、文化、そして社会は衰退していく一方なのではないか。》
深く共感する。恐るべき生命軽視の事件が頻発する昨今だが、その背景にも、宗教文化の衰退は影を落としていると思う。 -
テレビと宗教というタイトルであるが、内容は「テレビ
局が、いかに無自覚無批判でオカルトや超常現象、占い
や霊感などの番組をバラエティという枠内で垂れ流し、
日本文化や若者達に多大な悪影響を与えているか」に
ついて書かれた本だと言っていい。どちらかというと
メディアリテラシーについて書かれた本だと思う。
著者の主張をそのまますんなりと受け止めるのは少々
ためらいがあるのだが、日本のテレビ局、あるいは日本
の教育に宗教的な問題点があるのは厳然たる事実。大人
でさえ宗教を避けて通り見て見ないふりをする現代の
日本において、宗教教育がほぼ施されないのは当たり前
といえば当たり前なのだが、決してそれでいいという
わけではないだろう。 -
アホ大学生が書くレポートと同レベルのひどい本。データが示されるが主張の裏付けになっていなかったり、無駄に表を掲載する割に意味のありそうなデータはなぜか表にせず文章で掲載、とても見にくい。終章には主張をまとめてあるが、その論拠は前章までの説明と論理的関係性がない。しまいには終章にとつぜんインターネットでの宗教についての言及、今までそんな話してなかったじゃないか。新聞に寄稿した著者の文章に反響がなかったと愚痴をこぼすが、それもそのはず、この人の文章はその辺のおっさんが酒を飲んで喚き散らす話とレベルが一緒なのである。文句をいうために最後まで読んだが、こんな本を読むのは時間の無駄だとみなさんに教えてあげたい。面白そうなテーマだっただけに、残念。
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若者の宗教への関心の薄さ。
宗教とは精神文化の中核をなすものであるという前提のもとで、テレビで扱われている宗教・オカルト的なものについてその構造や問題点を論じている。
スプーン曲げや超能力者番組から、細木数子系やオーラの泉まで取り扱っていて身近であるので、考えやすい。
筆者も自覚しているが、オカルト番組の危険性についてのデータ的根拠はない。一番肝心なところだと思うから残念。文章の構造としても残念な点がいくつか。
江原さんの出演した番組のトラブルは、へ~っと思った。あれを知った上ならバラエティとしておもしろく見られそうだ。(嫌味な意味ではなく、江原さんの言葉ってやり口は気にくわなくても心が安らぐじゃないって意味)
僕は有用であり、実害がなければオカルトはありだと思う。
有用性は認めていいと思う。
実害があるかないかがオカルト批判においてはクリティカルな点じゃないか。
そこがもちょっとまとめて書かれていたら、よかったかな。
批判的レビューであるとは思うが、興味深い点があったように思うので★3つ。
これは、3色ボールペンで読まないと頭に入りそうにないですね。きっかけになるかも。 -
メディアによる宗教の取り上げ方は興味深いし、共感できる主張も多々あり。知識のない私でもとても分かりやすかった。そして読みやすかった。
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時代を見据えたいい視点。
P6私たちに宗教に関する常識があったころであればテレビでの霊感商法やスピリチュアル番組のテレビ放送は許せたかもしれない
だが宗教的常識がなくなった今ではそんな悠長なことはいえない
P4BPOの要望は「血液型だけでなく、占い番組や霊感やれいのう商法などの非科学的内容の取り扱い」
P67佐世保の女児殺害事件の女児がホラー映画などオカルトや占いの影響を受けていたことが明らかにされている
P138理科離れが指摘される中で疑似科学的な番組がバラエティー番組として放送され見られているのは不幸なこと
第五章日本では嫌われる教団番組
P160アメリカでは各局が教会や宗教団体と協力して番組をつくることで「公共目的に奉仕する」という認可条件を満たすことになった -
― 目次 ―
序章 宗教がバラエティ番組化する
第1章 今、放送されている心霊・超能力番組に危険性はないのか?
第2章 真実か、やらせか、はたまたバラエティか
第3章 どうして規制はかからないのか
第4章 テレビと宗教関連番組の六〇年史―四つのタイプ
第5章 日本では嫌われる教団番組
第6章 集中報道される宗教団体事件
第7章 ステレオタイプ化する宗教―そして、バラエティ番組だけになった
終 章 情報化社会と宗教のゆくえ
著者は、國學院大學教授。現代社会における宗教の在り方や、情報化と宗教の関係などの研究で知られる。
本書は、現代日本人の宗教観にテレビがどのような影響を与えているかという問題をテーマにしている。著者はこの問題を考察するにあたり、「なぜ、心霊・超能力番組が規制されないのか?」「なぜ、宗教団体が関わる事件は集中的に報道されるのか?」等の疑問について、具体的な資料に基づいた議論を展開している。本書は、そのような検証を通して、現代日本人の宗教観が、テレビの影響の下、ステレオタイプ化したものになりつつあることを明らかにしている。
「宗教文化への関心や敬意が消えていき、薄っぺらな宗教情報しか残らないとしたら、文化、そして社会は衰退していく一方なのではないか」(8ページ)と著者は危惧している。本書は、テレビと宗教だけではなく、テレビと日本の文化・社会の関係のあり方を考える上でも重要な一冊である。