さよならインターネット - まもなく消えるその「輪郭」について (中公新書ラクレ 560)
- 中央公論新社 (2016年8月8日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (253ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121505606
感想・レビュー・書評
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知らなかったのだけど、家入一真さんは「ブクログ」創始者であり、初期のインターネットのプラットフォームの幾つかを設計した方らしい。ご多聞に漏れず、途中でちょっと失敗して、現在はそれらには関わってはないようだ。
最前線の人ではないからこそ、インターネットに対する昔話とその功罪についての話は傾聴に値するものがあった。
中学生時代、人とコミュニケートが出来ない家入さんを救ったのは、90年代から始まった「パソコン通信」だったという。懐かしい話も幾つか出た(始まりは「ピーヒョロロ」が欠かせなかった)。けれども「弱い人たちやマイノリティが守られる「聖域」への期待」はやがて裏切られる。いったい何処が間違ったのだろう。
前半は最前線を走っていた家入さんのインターネット史。他の人も書いているかもしれないけれど、それらをまとめて最終章に個人史年表を入れてほしかった。01年レンタルサーバー「ロリポップ」を開始、03年ブログが始まる、04年「Web2.0」が語られる‥‥。私はその2-3年後を後追いしていたんだなと思う。この頃「ブクログ」も作られるけど、「読んだ本の履歴やその本の感想などを本棚に残し、それを第三者と共有するという、本好きの自分らしいサービスでした」と書いているだけ。
けれども、読んでみて、ブクログは未だに「閉じた」世界でもないし、広げすぎて炎上することもない。家入さんの思想がまだ息づいているようにも思えた。
07年iPhoneリリース。持ち歩くインターネットへ。11年東日本大震災、インターネットは大きなものから小さなものまで、被災者の力になるさまざまなサービスが生む。家入さんは、クラウドファンディングサービス「CAMPFIRE」を立ち上げる。この年LINEもサービス開始。
この頃から、「インターネットは大きくなりすぎたために、むしろ個々人の小さな単位に分断されることを選ぶようになった」という。
インターネット上の祭りも2種類起こるようになる。閉鎖的な環境や状況で行われれば行われるほど、より盛り上がる。
(1)社会運動につながるような祭り。「保育園落ちた日本死ね!」の待機児童問題がその典型。
(2)血祭りという意味。「社会悪」「不謹慎」という大義名分の元、「私刑」を行う。
→国による本格的な取り締まりが、いつ始まってもおかしくはない。
インターネットはモノの流れや商売のあり方も大きく変えた。企業と消費者とのやり取りから消費者と消費者のやり取りへ。凡ゆるものをシェアして、無駄を削減して生きる。コピーできるものには、人は容易にお金を払わなくてなった。CDも売れなくなった。一方で、現実のライブやコンサートにはしっかりお金を払って参加する。アーティストを直接応援する傾向は強くなっている。よって、データで充足できるコンテンツはどんどんコストダウンしているけれども、それに代替できないものは、付加価値をつけて価格をあげても売れたりしている。つまり体験や感動を買っている。
インターネットと現実が溶け合ってきている。輪郭がなくなってきている。
誰もが別の時間を歩み始めた。自分の興味関心に合わせて、全てを見せることは、それ以外の世界が可視化されないこと(昨日、いつもの映画サークルで、年間鑑賞数が100-200の映画通ばかりが3人話していたのだけど、他2人は寅さん映画を一回も見たことがない、と言われて心底驚いた)。
家入さんは「輪郭など取り戻す必要はない」という人がいるのを知っている上で、取り戻すためには何をどうすれば良いのか、考えてみる。
信じるに足るものを探してみよう。
それはアルゴリズムで自分に合った情報を流してくるSNSのタイムラインを眺めていては見つからない。
「外に飛び出してみよう」
←私が良くする「旅」はそういうことなんだな、と再確認できた。
近所の居酒屋にふらっと行ったならば、出会いがあり、ハプニングがある。
一日中スマホには触らないと決める。孤独を味わう。
自分でプラットフォームを作ってみよう。
←ここに書いているのは、全て2016年前半の家入さんの意見です。コロナ禍のもと、ズーム会が当たり前になり、少しずつ「国による規制」もかけ始められている現代、今の家入さんは何を思っているのか?ちょっと聞いてみたい。何処かに発信すれば、届くかな?
←これはseiyan36さんのレビューで見つけた本。私はそれをブックリストで紹介してみた。ブックリストはタイムラインを見ていただけでは見つからない本を探す場。けれども200文字では、その本の魅力は伝わらないというのが私の持論。よって詳しく紹介したレビュー込みで、私のアンテナに触れたものを紹介している。その他、いろんなツールと足と目で、消費者は本に出逢って欲しいなとは思う。
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著者、家入一真さん、どのような方かというと、ウィキペディアには次のように書かれています。
家入 一真(いえいり かずま、1978年12月28日 - )は、日本の連続起業家(シリアル・アントレプレナー)、実業家、投資家。GMOペパボ、CAMPFIREの創業者、元代表取締役社長。
我らが愛する、ブクログを作った方です。
ブクログ、ウィキペディアには次のように書かれています。
ブクログ(Booklog)は、仮想本棚を作成できるwebサービスおよび運営している株式会社。
2004年9月15日に株式会社paperboy&co.(現:GMOペパボ株式会社)の創業者である家入一真の個人サービスとしてスタートし、2009年10月8日よりpaperboy&co.(現:GMOペパボ)の正式サービスとなった。
で、本作の内容は、次のとおり。(コピペです)
およそ半世紀前に産声をあげたインターネット。その進化は社会、経済、文化、時間、人、あらゆるものを変化させた。
しかし常時接続、無線接続、IoTのなかでその姿は見えなくなり、自由と可能性に満ちた「世界」は、むしろ閉ざされつつあると家入氏は警告する。
パソコン通信からSNSを経由し、サーバー事業やプラットフォーム事業、さらに都知事選まで、ネットに人生を捧げてきた氏は、なぜ今その「世界」に別れを告げるのか?
果たしてこれから先にやってくる「世界」の姿とは? これは、その「輪郭」を取り戻すための思想の旅。-
seiyan36さん
ブクログ作った人なんですね。
すごい!!
そこに目を奪われてしまいましたwwseiyan36さん
ブクログ作った人なんですね。
すごい!!
そこに目を奪われてしまいましたww2022/07/22 -
Manideさん
コメントありがとうございます。
狭い自宅でも、どんどん蔵書を増やせる。
ひと昔前には考えられなかったことで、嬉し...Manideさん
コメントありがとうございます。
狭い自宅でも、どんどん蔵書を増やせる。
ひと昔前には考えられなかったことで、嬉しい限りです。2022/07/23
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インターネットがどう発展し、その結果一人ひとりの中にある世界がどうなったのか。
インターネットが拡げるはずだった世界は、今インターネットによって狭められている。
インターネットが狭めた世界からいかに飛び出して、インターネットがまだ秘めているポジティブな可能性をどう掘り当てるか。
ネットの流行を後追いしてきた自分にとって、ネットの最先端を進んだ家入さんの視点や指摘は新鮮で、かつ自分にとっては説得力を持っている。
そして、やはり家入さんの優しさがにじみ出る一冊だった。 -
もっと文化論的な内容かと思ったら、最後にはただの啓蒙書になってしまった。「リバ邸」とか知らんし。しかも全然「さよなら」してない(笑)。かつて寺山修司が「書を捨てよ町へ出よう」と言ったが、そういう意味での「さよなら」である、とは受け取ったけど。
序盤の、ここ20年のインターネット発展史は面白かった。テレホーダイとか懐かしい。僕はヤフーチャットにどっぷりと浸かっていた口なので、著者の想いには共感するところも多かった。それこそ「現実とは違う仮想空間」で男女年齢住所不問の出会いが本当に癒しの空間だった。ハンドルネームひとつでもう一人の自分になれた時代だった。それがミクシーとかフェイスブックの登場でいつの間にか実名発信が普及し、あれよあれよという間にツイッターだラインだとなってきた。「現実とは違う仮想空間」は「現実によく似た仮想空間」に変わってしまった。まったく残念だ。たぶんそのうち、いやすでに?「現実と地続きの仮想空間」となるのだろう。技術の進化に、僕の進化は追い付かない(汗)。
つまるところ、現実だろうがネットだろうが、匿名だろうが実名だろうが、自分に責任を持って生きなければいけない。ということだ。 -
名著だと思う。本質的な豊かさは優しさと多様性の中にあることを気づかせてくれる。主従の主は、常に人であり心であるべきで、インターネットというツールではない。大切なことだと思う。
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多くのWebサービスを立ち上げ提供してきた筆者がインターネット黎明期から今に至るまでのインターネットと人々の関係性を説明しています。その昔、インターネットがまだ一般家庭に普及していなかった頃は牧歌的で無限の可能性を秘めているように感じられていましたが、今となっては超監視社会のツールと化してしまい息苦しさが募るようになってしまったというインターネット史観を示しつつ、今後はコンテンツ過多になったが故にユーザの見たいものだけが見られる状況になり、インターネットが小さなコミュニティに分裂してそれぞれがパラレルワールドのように存在するようになるのではと未来予測しています。したがって今後大事なのはオフラインでの偶然的な出会いであると述べられています。
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まさにブクログが著者発信のサービス!読んでびっくり!お世話になっています。
自分も家入さんと同じインターネットに救われたクチ。
こうやって家入さんに言われないと、昔当たり前だったことをすぐ忘れて自分も時代に同化してしまう。非常に懐かしい気持ちで読んだ。
この本の収穫は当時を鮮やかに思い出せたこと。JUGEMとか使ってたー!なつかしー!あの頃交流してたらいむや砂影さんは元気でいらっしゃるだろうか。あの頃、ひきこもりがちだった私と交流してくれた名前もしらない人たち・場所に改めて感謝。 -
ずいぶんとインターネットのお世話になっています。
ネットのない生活なんて、もはや考えられません。
私がよく利用したり見たりしているのは、フェイスブック、ライン、ブログ、本のレビューサイト、ニュースサイト、好きな作家のコラム、ゲームアプリ、ユーチューブ、深夜に見る××といったあたりでしょうか。
ただ、ふと、こんなに長時間、ネットと関わっていていいのかな、と疑問に思うこともあります。
自覚があるだけ、まだマシかも、などと自分を慰撫しています。
それは42歳の自分の人生の前半生がまだ「アナログ社会」だったからかもしれません。
そんなことをつらつら考えていたら、たまたま新聞の書評で本書のことを知りました。
家入さんはネットサービスを利用した実業家で、その道の草分けと言ってもいい方。
2年前の東京都知事選にも出馬しているので、ご存知の方も多いかもしれません。
私なんかとは比べ物にならないほどインターネットの草創期からどっぷりとネットに浸かって来た著者は、ネットがかつてのような自由さや大らかさを失ったと主張します。
その要因は常時接続、無線接続、IoT。
もっとも、今の若い人に常時接続や無線接続といっても、「え? それって当たり前じゃないの?」という答えが返って来るのが関の山かもしれません。
そう、おじさんが学生だった20年前は、電話回線を通じてインターネットにつながっており、ダイヤルアップで自らネットに接続しなければならなかったのだよ。
ピーヒョロロ…なんていってね。
もちろん、パソコンでの話で、当時の学生の間ではPHSさえ持っている人が珍しく(私は持ってました。えっへん)、まして携帯電話なんて高嶺の花、スマホなんて見る影もない時代でした。
著者も本書で懐かしく当時を振り返っています。
「当時ネットを使うときは、有線でつながったパソコンの前に座り、『インターネットをこれから見るぞ』という意識を持ったうえで、接続していました」
本当にそうです。
当時の私にとってインターネットは「非日常」、画面の向こうに私の知らない世界が広がっていると思うとワクワクしたものです。
ちなみに卒業旅行のために貯めていたお金で、マッキントッシュのデスクトップパソコンを買いました。
今振り返れば、卒業旅行に行けば良かったかも。
というのはどーでもいい話です。
翻って今のインターネット環境はどうでしょうか。
著者は常時接続が当たり前になった結果、インターネットの「輪郭」が解けてしまったと指摘します。
つまり、日常と非日常の境目がなくなったというわけですね。
不用意なネット上での発言で炎上するだけならまだしも、ネット上の「警備員」と化したネット民から個人情報が暴露され、実際の生活にまで支障をきたすなんて例も枚挙にいとまがありません。
本書を読んで、私が怖いなと思ったのは、パーソナライズ化という流れです。
SNSやニュースキュレーションアプリなどを使い続けると、パーソナライズされて自分の趣味、嗜好に合った書き込みや情報ばかりが流れるようになるそうです。
つまり、別の見方や批判的な意見があっても、インターネット上では目に入らなくなってしまうのです。
ヘイトな言動が横行するのも、こうした現在のネット環境と無縁でないかもしれません。
著者は、「今のインターネットを俯瞰すれば、誰もが顔なじみの田舎者のような感覚を覚えます」といいます。
かつてのようにインターネットは開かれた世界ではなく、閉じられた世界だというのですね。
「かつて『インターネット的』と定義されたあらゆるものは、もはや『エクスターネット的』と同義だと思うのです」という指摘は、示唆に富んでいます。
著者は、ですから、敢えてインターネットの外に出ようと呼び掛けます。
寺山修二が「書を捨てよ、町へ出よう」と呼び掛けるのと同じ文脈でしょう。
たとえば、ふらっと一人で居酒屋へ行く、電車の中で周りを観察して観察日記を書いてみる、書店へ行く、何より孤独に浸る。
私は週末、天気が良ければキャンプに行く予定です。
スマホを家に置いて出掛けたいと思います。 -
インターネットが消える前に
およそ半世紀前に産声をあげたインターネット。その進化は社会、経済、文化、時間、人、あらゆるものを変化させた。
しかし常時接続、無線接続、IoTのなかでその姿は見えなくなり、自由と可能性に満ちた「世界」は、むしろ閉ざされつつあると家入氏は警告する。
パソコン通信からSNSを経由し、サーバー事業やプラットフォーム事業、さらに都知事選まで、ネットに人生を捧げてきた氏は、なぜ今その「世界」に別れを告げるのか?
果たしてこれから先にやってくる「世界」の姿とは? これは、その「輪郭」を取り戻すための思想の旅。
【目次】
はじめに
インターネットが「ハサミ」?/小さな世界の大きな価値/じゃあインターネットとぼくらはどこへ向かうんだろう
前章 インターネットが消える前に
インターネットという言葉の意味が変わった/無意識のネット接続/輪郭を失うことによるリスク/インターネットは最初に儀式を失った/そして「輪郭」を失ったインターネット
第一章 やさしかったその世界─ユーザーからプラットフォーマーになるまで
ぼくは確かにインターネットに救われた/やさしかった小さな世界/つながりたいことの可視化/「破壊の道具」や「逃げ込める先」としての期待/爆発し始めた自己表現/現実世界を侵食するインターネット/信じるに足る世界は確かに存在した
第二章 さよならインターネット─その輪郭を喪失するまで
「Web2・0」で決壊が始まった/ギークのためのインターネットの終わり/現実と同じ「つながり」をもたらすSNS/「Web2・0」の向こう側に姿を現したもの/即物的で現実的な期待の中で/ソーシャルゲームに参入しなかった理由
第三章 輪郭が失われた世界─まだそこは信頼に足るものだったのか
終わりの始まり/クラウドファンディングという光/輪郭が溶けたことによるポジティブな側面/「個人」の再発見/政治とインターネット/そして余る「時間」/インターネットの輪郭をつかまえる
第四章 インターネットは「社会」の何を変えたか
インターネットは何を変えて、変えなかったのか
社会
インターネットの世界はむしろ縮小している/祭りの場すら閉ざされる/インターネットに怯える人々/警備員だらけの相互監視社会/パノプティコン化したインターネット/シェア、フラット、フリー
文化
あふれる表現者と不足する鑑賞者/無理強いされた表現としての「批評」/「欲しがらない名無しさん」から「欲しがる名無しさん」へ/かつての「匿名性」は奥ゆかしさをもたらしてくれた/目出し帽を被る覚悟
経済
インターネットがポジティブな変化をもたらした分野/激減したコミュニケーション・コストがもたらしたこと/進む「CtoC」と「シェア」/コピーできるものにお金は集まらない/お金に生まれた新しい価値/善意も炎上する
第五章 インターネットは「私たち」の何を変えたか
時間
誰もが別の時間を歩み始めた/細切れになった時間/常に「オン」の弊害
空間
不幸な伝言ゲームが蔓延した/あえて伝言ゲームをしたがる人たちの登場/サードプレイスの登場
人
人の価値はポイントで決まる/「装置」になりたい人/人は「概念」にもなれる/あなたの友達はネットが選ぶ/変わる家族の意味
第六章 ぼくらはインターネットの輪郭を取り戻せるのだろうか
インターネットの輪郭を取り戻すということ/分断された世界の外へ向かおう/エクスターネット的/Six degrees の外に行こう/世界を強制的に変えてみよう/書店に行こう/プラットフォーマーになろう
この本、ブクログを作った方とのことで、手にしましたが、内容が良く分からず、途中までしか読めませんでした。
が、ku...
この本、ブクログを作った方とのことで、手にしましたが、内容が良く分からず、途中までしか読めませんでした。
が、kuma0504さんは、深く読み込んでいるように感じました。
ご紹介ありがとうございました!
家入一真さんのことは、全く知りませんでした。
自分自身のインタ...
ご紹介ありがとうございました!
家入一真さんのことは、全く知りませんでした。
自分自身のインターネット史を振り返ることもできた気がします。
インターネット時代になって、当の著者がレビューを読んでくれるようなことが年に数回は起きるようになった。これも、私のレビュー生活にかなりのモチベーションになっている。