神になった日本人-私たちの心の奥に潜むもの (中公新書ラクレ (687))

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121506870

作品紹介・あらすじ

古来、日本人は実在した人物を死後、神へと祀り上げてきた。神社・仏閣に鎮座するのは、空海、安倍晴明、平将門、徳川家康、西郷隆盛、そして名もなき庶民である。しかし、実在すれば誰でも神になれるというわけではない。人が神になるためには、残された人びとが抱く、生前のその人物に対する畏敬や畏怖の念、後世にも伝わる「物語」が何よりも必要となる。十一人の著名な人物とかれらを祀る神社や仏閣を訪れ、「人神」たちに託された「物語」に耳を傾けながら、日本人の奥底に流れる精神を掴みだす。

感想・レビュー・書評

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  • 神仏、民俗に深い知識を持っている著者が長年をかけて、足を使って調べ上げた興味深い内容。

    人間が神格化するのには2種類ある。一つは祟りを抑えるため。もう一つは他者から祀りあげられるもの。さらに生前に自ら神になることを願うものもいる。秀吉、家康など。

    さらに、死後にたちまち神格化されることは珍しく、数百年経ってから神格化されることも度々ある。これはその人の死を政治的に利用とするベクトルから。

    ※神仏習合の話も簡潔に説明ある。

    読了60分

  • 人はどのようにして神になるのか。私の住んでいる東京にも多くの神社が存在する。その一つ一つに何らか神様が祀られていて、そして人々が願いを上述させる為にそこを訪れて祈る。都内だけでなく勿論日本全国に神社仏閣はあるので、幼い頃から何のけなしに足を運んでいた人も多いだろう。また、私が幼い頃住んでいた場所も住所が近所のお寺その名のまんまの住所だった(○○寺)。今はもう土地区画整理事業が終わって、幼い頃慣れ親しんだ住所は無くなってしまったが、自分の住んでいる住所が、その様な神社やお寺と紐づいてる方も多いと思う。日本人なら産まれた時から身近に神社仏閣があり、とりわけ意識せずとも生活の中に溶け込んでると言える。
    本書はそのような中でも、特に歴史上の人物が神になった例を取り上げて、それに至る経緯とその後辿った変遷について記した書である。
    大きく分類するなら、怒れる魂を鎮めることとした鎮魂目的(本書では「祟り神系」と分類)のものと、偉大な業績を残した人を神として祀る顕彰系と定義し、最終的にはこの両方の側面を持ち合わせたタイプのものも存在しているようである。
    我々がよく知るところでは私も訪れたことがある、菅原道真を祀る菅原神社の総本山、九州の太宰府天満宮や、私の実家の近くにもある乃木希典を祀る乃木神社などが有名だ。前者は非業の死を遂げたのち、祟りを恐れた後世の人々が魂を沈める目的で建てたものであり、後者は日露戦争で英雄的活躍をし、明治天皇崩御に際して自決するなど忠義を示した軍人を神とした顕彰系と言える。神社を訪れる際に、祀られている人々の歴史的背景などを知っていれば、単なる散歩がてらではなく、また違った楽しみ方もできるであろう。
    本書前半、豊臣秀吉や徳川家康、西郷隆盛など著名な歴史人が多くを占めるが、それ程の偉業を成し遂げた人物だけが「神」になる事を許されている。それは自身の生きてる間の業績を後世に長く記憶させる為であったり、また後世の人々が、長く記憶し遺していく目的が大きい。
    時代が明治・軍国主義に傾いてくると、前述したような乃木神社や東郷神社、そして日本人の魂とも言える楠木正成公を祀る楠木神社などが一等神社としてその影響力を表し始める。勿論、国家への忠誠や奉仕の心を鼓舞し、その後の太平洋戦争へと突き進む日本社会の影響が大きい。
    時に祟りを鎮め、時に偉業を記憶し、そして社会的背景を取り入れて神格化されてきた人々。靖国神社に至っては、いつの間にか戦争で死んだ後の待ち合わせ場所にさえなった。何れにしても、我々日本人は無宗教を自認する人が多い中にあって、知らず知らずのうちにその様な神格化された人物に敬意を払い、そして何かを成し遂げたい時には頼ってしまう、そんな身近な存在になっている。遥か昔の受験勉強で忙しい勉強の合間を縫って絵馬に「絶対合格」と書いたにも関わらず、本命を撃ち漏らした自分を責めず、何故か責任を神頼み先に押し付ける、そんな若かりし自分がいた事を思い出す。
    この先も神を信じて神にすがり神を恐れ、祭りの熱気や熱狂を味わうなど、もはや目的がなんだか判らない程に何度も神社を訪れるだろう。この先永久に自分が神になる事は無いとは思うが、最後に記載されているように、私の死を悼み懐かしみ、故人として思い出してくれるような人がいれば、私はその人にとっての「ほんの小さな」神にはなれるかもしれない。

  • 豊臣秀吉が初めて生前から神になることを宣言して祀られたという指摘、そして徳川家康もその効能をよく理解して自身も東照大権現になったという話は非常におもしろかった。背景となっている信長の思想や本願寺との戦い、キリスト教の流入などはあるにせよ、大きな思想転換があるように思う。

    どの人物も死後けっこう経ってから神として祀られていた中で、秀吉と家康は死後直ちに神になっている。

    戦後、神になる日本人はいなくなった。いたずらに宗教が政治に用いられなくなった証左なのかもしれない。

  • 空海、将門、崇徳院、家康、西郷―。十一の日本史のヒーローたち。誰が、なぜ、いつから、彼らを「神」として祀り上げてきたのか?

  • 実在の人物が神として祀り上げられている神社や寺院について、どのようにしてそのように祀り上げられるに至ったかが、その人物について創作された逸話なども加味しながら紹介されている。ソチ五輪・フィギュアスケートで金メダルに輝いた羽生結弦選手のことも『安倍晴明』に纏わる逸話の例に挙げられたりと、最近の出来事も加えて考察がなされているのが面白い。
    神社を巡る「物語」や、「記憶の場所」としての神社のあり方など、神社仏閣に興味がある方には是非おすすめしたい書籍。また、底本に淡交社の『神になった人びと』やNHK出版の『神になった日本人』があり、この本に収録されていない神社の紹介が収録されているとのことなので、機会があればそちらも拝読したい。

  • 東2法経図・6F開架:B1/5A/687/K

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著者プロフィール

国際日本文化研究センター教授、同副所長

「2011年 『【対話】異形 生命の教養学Ⅶ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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