ゲンロン戦記-「知の観客」をつくる (中公新書ラクレ, 709)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121507099

作品紹介・あらすじ

「数」の論理と資本主義が支配するこの残酷な世界で、人間が自由であることは可能なのか? 「本書はぼくの考えた抵抗戦略である」。「観光」「誤配」という言葉で武装し、大資本の罠、ネット万能主義、敵/味方の分断にあらがう、東浩紀の渾身の思想。難解な哲学を明快に論じ、ネット社会の未来を夢見た時代の寵児は、2010年、新たな知的空間の創設をめざして「ゲンロン」を立ち上げ、戦端を開く。ゲンロンカフェ開店、思想誌『ゲンロン』刊行、動画配信プラットフォーム開設……いっけん華々しい戦績の裏にあったのは、仲間の離反、資金のショート、組織の腐敗、計画の頓挫など、予期せぬ失敗の連続だった。悪戦苦闘をへて紡がれる哲学とは? ゲンロン10年をつづるスリル満点の物語。

感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    本書『ゲンロン戦記』は、批評家の東浩紀氏が自身の会社「ゲンロン」を運営するうえでの紆余曲折を綴った一冊となっている。東氏は哲学者として数々の著作やイベントを手掛けてきたが、本書で語られるのはそうした創作者としての一面ではない。むしろ「中小企業経営者」としてのドタバタであり、資金が尽きたとか社員が逃げたとかいった、とても世俗的な失敗談が語られていく。

    東氏は2010年にゲンロンを創業したのだが、そこで学んだのは「事務や経理の大切さ」だったという。初期のゲンロンは、研究員は非正規雇用、事務職員は正社員という形態で運営していた。東氏は「思想誌を販売している会社として、研究員こそが主体でないとおかしいのでは?」という思いから、契約形態を逆にしようと考えていた。しかし、その後運営を振り返ってみると「やはり会社の本質は経理と事務」という考えに行きついたそうだ。
    本書では、そうした東氏の「事務を蔑ろにする」失敗談が多く描かれている。例えば、元社員のX氏に経理を丸投げした結果、会社の運転資金数百万円を私用に使いこまれていることが発覚し、『思想地図β』の利益が吹っ飛んだこと。『思想地図β』の当たりからコスト感覚がおかしくなってしまっており、『日本2.0』の作成にあたって表紙の写真やデザインを豪華にしまくった結果、印刷費だけで1000万円を超えてしまったこと。『福島第一原発観光地化計画』が大失敗し、3000万円ほど採算が合わなくなってしまったことなど、中小企業ならではの「コスト感覚の無さ」が象徴されるエピソードが数々語られていた。

    東氏は会社の経営に乗り出す際、「新しいことを次々とやりたい」「財務や人事など、面倒なことは全て他人に任せて自分は本を作りたい」という感覚だった。だが当然、社長が会社の財務状況に無頓着であるわけにはいかない。数々の失敗を重ね、「会社経営は結局地道にやらなければならない」という気づきに結びついたとのことだ。

    この本を読んでいると「東氏ぐらい頭のいい人でも経営は失敗続きなんだなぁ」という親近感を抱いてしまう。面白く派手なアイデアを持った人間よりも、地味な事務をコツコツやれる人間によって会社は動いていく。そうした当たり前のことを再確認できる一冊だった。

    ――会社の本体はむしろ事務にあります。研究成果でも作品でもなんでもいいですが、「商品」は事務がしっかりしないと生み出せません。研究者やクリエイターだけが重要で事務はしょせん補助だというような発想は、結果的に手痛いしっぺ返しを食らうことになります。
    「なにか新しいことを実現するためには、いっけん本質的でないことこそ本質的で、本質的なことばかりを追求するとむしろ新しいことは実現できなくなる」というこの逆説的なメッセージかもしれません。

    ――Xさん、Aさん、Bさんと続いたトラブルの原因は、結局のところ、ほくが「仕事をひとに任せる」ということの意味がわかっていなかったことにある。仕事をひとに任せるためには、現場でいちどそれを経験しておかないといけない。そうでないと、なにを任せているのかもよくわからないまま、ただ任せるだけになってしまうからです。それはほんとうは任せているんじゃない。単純に見たくないものを見ないようにしているだけであり、面倒なことから目を逸らしているだけなんです。「任せる」ことと「目を逸らす」ことは根本的にちがう。こんな話は実務経験があるひとにとってはあたりまえだと思いますが、それまで大学や出版という特殊な空間にいたぼくには大きな発見だったわけです。

  • 私にとって東さんは、哲学者・批評家として「成功した人」のイメージでしたが、その裏は波瀾万丈であることがわかりました。

    ・「ぼくみたいなやつじゃないやつ」との関わりにより、新たな価値を発見できる。ホモソーシャル性からの決別
    ・「見たいもの」そのものをどう変えるか、という啓蒙が必要である。
    誤配=啓蒙

  •  ゲンロン創業から十年たった今までの苦悩と苦闘の経営体験を「戦記」という形で語り下ろした本。

     すべての経験を語りつくしたというわけではないだろうと思うので(そんなことをしようとしたら新書本には収まらないだろう)、読む人によっては物足りなさを感じるかもしれないだろうが、起業10年たった東氏の率直な失敗の告白と、それでも続けて来たゲンロンこれからの展望に対する思いは余すことなく書かれているのではなかろうかと思いつつ読了しました。

     僕はもともと東氏がオタク評論をしていた過去も知らなかったし、東氏の現在の活動を知ったのは4年前にTwitterを始めてからなので、信者ではないし、友の会には入ったけど観客としても今は割と距離をとっています。でも東氏の活動は意味があると思うし、本書の終わりの方に書かれていた「右派でも左派でもない中途半端性」「だからこそできる啓蒙」「失敗ぐらいしか後世に伝えられるものはない」という言葉はその通りだと思います。

     これからも僕はゆるく東浩紀の読者であり続けると思うし、ゲンロン・シラスには東氏と関係なく面白いコンテンツがあることは知っているので、ここに関してもゆるく観客していこうと思います。(2021/01/17記)

  • ゲンロンカフェに至る歴史、背景などを延々と書いた本。
    色々な苦労や工夫を包み隠さず書いていてその誠実さに好感が持てた。
    経営的な話がメインなので、人を選ぶかも?

  • よくぞここまで赤裸々に書いてくれたと思う

    まさに同じようなことを志す、言論とかを愛する人間が共通してもっていそうな弱みや思い込み、妄想の見事な具体例で、多くのそういった人にとっての預言の書だろう

    これを読んで、夢を実現可能なものにする地道な作業を頑張ろう

  • 「訂正する力」を読んだ上での「ゲンロン戦記」。この二冊が思索編と行動編のニコイチのセットであることがあまりに感動的でした。「観光客」とか「誤配」とか著者ならではのキーワードも決して理論の意味深なメタファーなのではなくゲンロンというリアルな模索から生まれたド直球の意味であることを知りました。なので「修正」ではなく「訂正」という最近の言葉の提案も非常に実感を伴ったものであるものとして受け取れました。学生の時からスポットライトを浴びてマスコミにも良く登場し大学でのポジションも確保できそうだった論客が、それを捨ててのビジネスでの七転八倒ヒストリー。考え違い、思惑の違いに翻弄され、自分の弱さから逃げ、やがて向き合う10年間の歴史の痛々しさは、まさに戦記です。その血が流れている感じがSNS論壇とか研究室論考とかと違う、強さを持っていることに繋がっているのでしょう。この「ゲンロン戦記」の結果生まれた「訂正する力」が先日発表された新書大賞2024で第二位になったのは大納得です。こんどこそ「訂正可能性の哲学」読まなきゃ!

  • 東浩紀(1971年~)氏は、東大教養学部卒、東大大学院総合文化研究科修士・博士課程修了の、批評家、哲学者、小説家。1999年に発表したデビュー作『存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて』は、浅田彰氏が「自著『構造と力』が過去のものとなった」と評して脚光を浴び、哲学書としては異例のベストセラーとなった。
    また、2010年に合同会社コンテクチュアズ(後の(株)ゲンロン)を創立し、代表取締役社長を務め(現在は取締役)、批評誌「ゲンロン」や書籍の出版、カフェイベントの主催、スクールの運営、及び放送プラットフォーム「シラス」の運営(合同会社シラスの元代表取締役)等、様々な事業に携わっている。
    本書は、ゲンロンの事業・活動について、設立時から2020年6月時点までの10年間を、語り下ろしたものである。
    私はこれまで、東氏の著書は『動物化するポストモダン』(2001年)と『弱いつながり』(2014年)を読んだのみだが、大手書店で批評誌「ゲンロン」が平積みになっているのはよく目にし、東氏が軸足をゲンロンに置いて充実した活動を行っているものと思っており、今般偶々新古書店で見かけて手に取ってみた。
    ところが、である。読み終えてみると(というか、まえがきで既に告白されているのだが)、本書で語られているのは、10年間にゲンロンで起こった「資金が尽きたとか社員が逃げたとかいった、とても世俗的なゴタゴタ」ばかりなのである。
    東氏はさらに、「ゲンロンの10年は、ぼくにとって40代の10年だった。そしてその10年はまちがいの連続だった。ゲンロンがいま存在するのはほんとうは奇跡である。本書にはそのまちがいがたくさん記されている。まがりなりにも会社を10年続け、成長させたのは立派なことだとぼくを評価してくれていたひとは、本書を読み失望するかもしれない。本書に登場するぼくは、おそろしく愚かである。」と語るのだが、確かに会社を創り、運営するという点では、東氏より上手くこなす人はいくらでもいるだろうし、他山の石とするにしても、一冊の本にするほどの価値があるかは疑問である。
    しかし、東浩紀の東浩紀たる所以はそこで終わらないところにある。(そして、本書の出版を説得した編集者はそれを見抜いている)
    というのは、東氏は数々の失敗の中から残ったいくつかの成果は、「誤配」によるもので、そもそも、価値のある「商品」というのは、予想しなかったようなプロセスからしか得られない、と分析する。そして、コミュニティには、村民(味方)でもよそ者(敵)でもない、「観光客(良い商品を提供する限りで村に関心を持ってくれる人)」が必要であり、そのためには「商品」が必要なのだ、とする。この「誤配」と「観客」は、現在の東氏の思想におけるキーワードであるが、結局のところ、ゲンロンは10年間、「誤配」によって「観客」を増やす活動を行ってきたことになるのだ。
    東氏はあとがきで、現代思想・哲学というものは、その専門書だけでは何も伝えられないし、何も変えられないのであり、それらは実際に生きられなければ意味がない、そして、東氏はゲンロンを通してそれを体現しているのだ、と語っている。
    今後のゲンロンの活動を、興味を持って見て行きたいと思う。
    (2023年12月了)

  • 著者の批評家、哲学者から転身して経営者として奮闘した10年間が描かれている。経営を通じてこれまでの自身の思想の学びを体現している。

  • 泣けた。自分と重なる。メモ→ https://twitter.com/lumciningnbdurw/status/1343422295327473665?s=21

  • これほどに自分の失敗に向き合い、その中から学ぶべき点を抽出する姿勢に感銘を受けた。

    ビジネスという形態を取ることの優位性を見誤っていた。単にお金を儲けるということだけではなかったのだなと。


    言葉の力を信じ、言葉の力を疑うその両義性とそれによる「観光」の意義。

    「危険」なコミュニケーションすなわち誤配こそ、啓蒙であり、今求められるもの。

    ホモソーシャルな人間関係の問題性。

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著者プロフィール

1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』など。

「2023年 『ゲンロン15』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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