パンセ 1 (中公クラシックス W 10)

  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (418ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121600141

感想・レビュー・書評

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  • 悲惨が人間の価値である、人間は考える葦であるという有名なパスカルのパンセ。草稿だったんですね、これって。それにしてもヒュームにしてもデカルトにしても、またパスカルにしてもどうしてキリスト教になると、急に無茶な議論になっちゃうんでしょうね。イスラム教や中国に対しても偏見たっぷりです。ヘーゲルもそうだったなあ。

  • パスカルは17世紀のフランスの科学者・哲学者で、16歳の時には
    「パスカルの定理」を証明。以後も数学や物理学の分野で功績を残し、
    39歳で亡くなった早熟の天才です。科学で残した業績ほどには知られ
    ていないかもしれませんが、実は熱心なキリスト教徒でもありました。

    本書はそのパスカルによる思想の断片を集めたもの。「パンセ」と
    は「思索」を意味するフランス語で、「格言」「断章」という意味
    もあります。もともと一冊の本にするための制作ノートであったと
    いう本書は、題名どおり思想の断片を集めたもの。一冊の本として
    体系だったものではないのですが、そのぶんどこから読んでも良い
    構成になっていると言えます。しかも、文章が短いものが多いので、
    まさに格言集のような読み方を楽しめます。

    パスカルの有名な言葉に「人間は考える葦(あし)である」があり
    ます。「クレオパトラの鼻が低かったら、世界は変わっていただろ
    う」と言ったのもパスカルですが、このようなたくみな比喩と親し
    みやすい言葉で人間と社会の真実を衝くのが『パンセ』の魅力です。

    ちなみに、有名な「人間は考える葦である」ですが、実は、本書で
    は以下のように表現されています。

    「人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものであ
    る。だが、それは考える葦である」

    つまり「葦」は、「弱さ」の象徴だったのですね。弱くて簡単に踏
    みつけられてしまう存在だけれども、その弱さを知って、考えるか
    らこそ、尊いのだとパスカルは述べるのです。弱さの中にこそ尊厳
    が宿る。「考える葦」の背後にはこのようなとても重要なメッセー
    ジが隠されていたことを、本書を読んで初めて知りました。

    パスカルはキリスト者らしく、人間が有限であること、神に比して
    はならない存在であることをわきまえています。その有限性をわき
    まえた上で考えることを突き詰めれば、そこに無限が宿るのだ、と
    『パンセ』は教えます。人間の力が無限だと錯覚してきたのが近代
    の歴史だとすれば、人間の「弱さ」や「有限性」を今、改めて再認
    識すべきではないでしょうか。そこにパスカルの現代性があります。

    仕事や生活に追われていると、日々、あまり考えないで過ごしてし
    まいます。しかし、パスカルが言うように、考えることの中に人間
    の尊厳はあるのです。そのことを気付かせてくれるパスカルの言葉
    の数々に、是非、触れてみてください。

    =====================================================

    ▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)

    =====================================================

    われわれの限度をわきまえよう。われわれは、なにものかであって、
    すべてではない。

    すべての事物は、引きおこされ引きおこし、助けられ助け、間接し
    直接するのであり、そしてすべてのものは、最も遠く、最も異なる
    ものをもつなぐ、自然で感知されないきずなによって支えあってい
    るので、全体を知らないで各部分を知ることは、個別的に各部分を
    知らないで全体を知ることと同様に不可能であると、私は思う。

    想像力はすべてを左右する。それは、美や正義、そしてこの世にと
    ってすべてである幸福をつくりだす。

    すべて進歩によって改善されるものは、同じく進歩によって滅びる。

    今ある快楽が偽りであるという感じと、今ない快楽のむさしさに対
    する無知とが、定めなさの原因となる。

    わずかのことがわれわれを悲しませるので、わずかのことがわれわ
    れを慰める。

    人間は、屋根屋だろうが何だろうが、あらあゆる職業に自然に向い
    ている。向かないのは部屋の中にじっとしていることだけ。

    人間は明らかに考えるために作られている。それが彼のすべての尊
    厳、彼のすべての価値である。そして彼のすべての義務は、正しく
    考えることである。

    小さなことに対する人間の感じやすさと、大きなことに対する人間
    の無感覚とは、奇怪な転倒のしるしである。

    信仰は迷信とは違う。
    信仰を迷信になるまで固執することは、それを破壊することである。

    君自身への君の同意、そして他人のではなく、君の理性の変わらぬ
    声、それが君を信じさせなければいけないのだ。
    信ずるということは、それほど重大なことなのだ。

    理性の最後の歩みは、理性を超えるものが無限にあるということを
    認めることである。それを知るところまで行かなければ、理性は弱
    いものでしかない。

    この世で最も偉大で重要なものが、弱さを基礎としている。

    人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。
    だが、それは考える葦である。(中略)だから、われわれの尊厳の
    すべては、考えることのなかにある。

    人間は、天使でも、獣でもない。そして、不幸なことには、天使の
    まねをしようと思うと、獣になってしまう。

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    ●[2]編集後記

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    昨日は東京は雨。妻が外出のため子守りの当番だったのですが、雨
    の子守りほど困るものはありません。何せ相手は遊び盛り。とにか
    く外に連れ出して身体を動かせてやらないといけません。

    そこで二人で遠足に行くことにしました。目指すは押上の雨水資料
    室。墨田区が先導してきた雨水利用の取組みを紹介する施設です。

    娘:きょうはどこいくの?
    父:雨水資料室だよ。
    娘:アメミズシリョウシツ?ふーん。なにするの?
    父:いっぱい遊べるところだよ。行きたい?
    娘:うん。いく!アメミズシリョウシツ、あそびにいく!

    当然、娘には雨水資料室が何かはわかるはずもなく、我ながら姑息
    だなと思うのですが、雨の日はこうやって自分が行きたい場所に娘
    をおびき出すほかありません。

    押上は初めて降りる駅でした。地下鉄の階段を一つ一つ娘とジャン
    プしながら登っていった先には、建設中の新東京タワーが!

    全く想像していなかったので正直驚きました。もうかなり出来てい
    るのですね。圧倒的な存在感でした。実に近未来的な佇まいです。

    今の東京タワーができたのが昭和33年(1958年)のこと。50年前に
    もこうやって建設中のタワーを眺めていた人々がいたのだろうと思
    うと感慨深いものがありました。当時、人々は、日々高さを増して
    いくタワーに何を見たのでしょう?未来?それは今のこの時代に見
    ているものとどう違ったのでしょう?

    新東京タワーは、実は巨大な雨水貯留施設でもあるそうです。天か
    ら降り注ぐ水を受け止め、溜め込む巨木のような存在。スカイツリ
    ーという愛称が、単なるイメージだけではなかったことに感動しま
    した。50年前のタワーが「人工」の象徴だったとすれば、21世紀の
    タワーは「生命」の象徴になれるといいですね。

  • 哲学

  • 精神とか哲学、宗教について言い切ってしまう言葉にすごく惹かれた。もちろんこれは危険なこともあるかもしれないけど、パスカルはどこかそんな自分も引いて見てるような気がした。でも、すごい好きな本だけど、宗教の部分はよく分かんなかった。

  • かなり飛ばし読みでイマイチよくわからんまま読了した。、あたいつか時間があればしっかりと取り組んでみよう。

  • では、考えない人間は何なのか?

    「人間は考える葦である」

    では、考えない人間は何なのか?ということが気になって読みました。

    知らなかった。若くして亡くなってしまったパスカルの周りの人が、パスカルが書き記したノートをまとめた本なのですね。

    なので、本当短文、メモがあれこれと連なっている内容になっています。
    これパスカルは本望なのかなあ。
    もっと、ちゃんとした文章を世間に出したかったのでは?と思います。
    自分が仮に明日不本意にも亡くなって中二病丸出しの日記を人に読まれたら、と思うと死んでも死にきれないですよ。

    事故で亡くなった友人のパソコンを壊す芥川賞受賞作の「沖で待つ」はポエムを見られたくなくて死んだらパソコンを壊してね、と友人に頼んだわけですし。

    でも、そんなメモレベルでさえも、世界に表出させる価値のあることばたちだというのは、やはり、パスカル、凄い。

    読んでても、やはり、大きな影響を受けました。

    まずはここ。

    「その広がりにおいて驚嘆すべきほかの不可思議と同様に、その小ささにおいて驚嘆すべきこれらの不可思議に、茫然自失するがいい。
    なぜなら、われわれの身体は、つい先ほどまでは、宇宙のなかにあって知覚できないほどのものであり、その宇宙すら、全体のうちにあって知覚しがたいほどのものであったにもかかわらず、今やその身体が、人の到達できない虚無に対しては一個の巨人であり、一つの世界であり、いな、むしろ全体であるということについて、だれか感嘆しない者があるであろうか」

    読んでいて自分の宇宙はここまで、と認識していたところからまた膨張していくようなイメージが浮かんできました。
    自分の世界観が変わる瞬間です。

    次いで、今を生きよう、未来の幸福の準備はそろそろやめて、今を大切に行動しよう、という気持ちは決して誤っていなかったというその礎になることばをみつけました。

    「われわれは、決して現在生きているのではなく、将来生きることを希望しているのである。
    そして、われわれは幸福になる準備ばかりいつまでもしているので、現に幸福になることなどできなくなるのも、いたしかたがないわけである。」


    「人は自分自身を知らなければならない。それがたとえ真理を見いだすのに役立たないとしても、すくなくとも自分の生活を律するには役立つ。そして、これ以上正当なことはない。」

    この言葉では、なんとなく、有名な人をネットで中傷する人たちの姿を思い浮かべました。

    「彼らは、われわれとの交わりからすっかり引き離れて、宙に浮いているのではない。
    否、否、彼らの丈がわれわれより高いのは、彼らの頭がわれわれよりも高いところにあるからなのであって、彼らの足のほうは、われわれのと同じように低いところにあるのである。」

    本題の考えない人間について。

    「私は、手も足も頭もない人間を思ってみることができる。なぜなら、頭が足よりも必要だということは、経験だけしか教えてくれないからである。だが、私は、考えない人間を思ってみることができない。そんなものは、石か、獣であろう。」

    石か獣なんですね。疑問がとけました。

    そして考える葦であるはここ。

    「人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。
    彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。
    なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。
    だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。われわれはそこから立ち上がらなければならないのであって、われわれが満たすことのできない空間や時間からではない。だから、よく考えることを努めよう。ここに道徳の原理がある。」

    これですよ。
    人間は葦で、か弱いものだけど、弱いということを知っている。知っていること、考えることが人間のすべてであると。

    まさに、ここに書いてあるように空間や時間を埋めようと、ときに私は饒舌に話すことがあるのですがそうするのではない、よく考えることが必要なのだ、とパスカルさんは教えてくれました。

    新しい発見が多く示唆に富む本でありましたが、やっぱり宗教のところは、感覚的にそこまでキリスト教を絶対的なものとしてほかの宗教と区別するのかがわからないんですよね。
    Ⅱの方はより宗教関係の話が多そうだったので、今読むことは遠慮して、また機が熟すのを待ちたいと思います。

  • 第一章 精神と文体とに関する思想

  • 意外と読みやすく面白い。好き。

  • 死神の浮力、つながり。「人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。」「人は決して人そのものを愛するのではなく、その性質だけを愛しているのである」「人間のむなしさを知ろうと思うなら、恋愛の原因と結果とをよく眺めてみるだけでいい。原因は、「私にはわからない何か」(コルネイユ)であり、その結果は恐るべきものである。」

  • すべての日記は人に読まれることを前提に書かれているらしいが、これを読めばなるほどという気がする。

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著者プロフィール

一六二三―六二。フランスの数学者、物理学者、哲学者。幼少のころから数学に天分を発揮、16歳で『円錐曲線試論』を発表し世を驚嘆させる。「パスカルの原理」を発見するなど科学研究でも業績をあげる。後年は「プロヴァンシアル」の名で知られる書簡を通して、イエズス会の弛緩した道徳観を攻撃、一大センセーションをまきおこした。主力を注いだ著作『護教論』は完成を見ることなく、残されたその準備ノートが、死後『パンセ』として出版された。

「2018年 『パンセ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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