J-47 二宮翁夜話 (中公クラシックス)

著者 :
制作 : 小林 惟史  児玉 幸多 
  • 中央公論新社
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  • レビュー :5
  • Amazon.co.jp ・本 (266ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121601322

作品紹介・あらすじ

篤農家にして求道者、そして何より再建のプロ、農政家かく語りき。

感想・レビュー・書評

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  • 二宮金次郎として知られる尊徳(1787~1856)は、江戸時代後期、
    藩財政の建て直しや農村の復興に尽力した人物です。その生涯で復
    興に携わった農村の数は何と600余!今風に言えば、凄腕の再建請
    負人、地域再生コンサルタントと言ったところでしょう。

    本書は、そんな尊徳が自らの実践哲学を語った一冊で、もともとは、
    昭和8年に岩波文庫から出版されたものです。久しく絶版となって
    いたのですが、昨年、その現代語訳版が中公から出版されました。
    それが本日ご紹介する一冊です。岩波文庫版の格調高さはありませ
    んが、その分、格段に読みやすくなっています。

    260年間続いた江戸時代は、最初の百年間こそ栄えましたが、元禄
    年間をピークに、後は長い停滞期に入ります。災害や飢饉が頻発し
    た上、人口減少もあって、特に、農村部は困窮を極めました。この
    農村部の困窮を救うことに一生を捧げたのが尊徳でした。

    バブル崩壊後の長期不況に苦しむ現代と似たような状況の中で、藩
    や農村の建て直しに尽力した尊徳の、実践に基づいた哲学や方法論
    は、今の時代に対して、驚くほど示唆に満ちています。右肩上がり
    の経済成長が期待できなくなった社会を生きる智慧が、尊徳の言葉
    には溢れています。

    尊徳は、自然の原理に基づくものを「天道」、人為のものを「人道」
    と呼びました。例えば、農作物と雑草の区別なく草を生やすのは天
    道で、その中から雑草だけを抜く行為が人道です。天道は堤防を崩
    し田畑を森に返しますが、人道は堤防を築き、草を抜いて田畑を守
    ろうとします。天道と人道は相反するようですが、天道を離れて人
    道はあり得ません。水車が流水に従い、流水に反して水をくみ上げ
    るように、天理に従って種を蒔き、天理に逆らって雑草を取り除く
    のが人道だ、と尊徳は説きました。

    尊徳の復興とは、この人道を立てることでした。人道を立てるため
    には、天道を熟知している必要があります。だから、尊徳は、日々
    の自然現象に眼をこらしました。それを尊徳は、天地を経文とす、
    と表現します。そして、天地の経文を読み解くには、肉眼でなく心
    眼、肉耳でなく心耳を働かせる必要があると言います。尊徳は、現
    象の背後にある、見えないもの=天道を観ようとしていたのです。
    そして、実際に、天道を感受していた尊徳は、常に、天道の側から
    世界を眺めていました。だからこそ、人の世の浮き沈みに惑わされ
    ることのない、本質を見極めた判断を下すことができたのです。

    尊徳の言葉と生き様は、壮大にして繊細、剛毅にして柔軟です。こ
    んなに魅力的な人はなかなかいないでしょう。その魅力に触れるこ
    とのできる稀有な一冊ですので、是非、読んでみてください。

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    ▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)

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    日々くりかえしくりかえし示される天地の経文に。誠の道は明らか
    である。

    己に克つというのは、わが心の田畑に生ずる草をけずり取り、取り
    捨てて、わが心の米麦を繁茂させる勤めのことだ。これを人道とい
    う。

    天は生々の徳を下し、地はこれを受けて発生し、親は子を育てて、
    損益を忘れ、ひたすら成長を楽しみ、子は育てられて親を慕う。夫
    婦の間もまた相互に楽しみ合って子孫が相続する。農夫は勤労して
    植物の繁栄を楽しみ、草木もまた喜びにあふれて繁茂する。みな相
    ともに苦情がなく喜びの情ばかりだ。(…)商法は売って喜び、買
    って喜ぶようにすべきだ。売る人は喜び、買う人は喜ばないのは道
    ではない。買う人は喜び、売る人は喜ばないのも道ではない。貸借
    の道もまた同じだ。借りて喜び、貸して喜ぶようにすべきだ。

    善人はとかく退いて引きこもる癖のあるものだ。つとめて引き出さ
    なければ出ない。よく肥えた土地は必ず低いくぼんだ所にあって、
    掘り出さなければあらわれないものだ。これに心づかずに開拓場を
    ならしてしまえば、肥えた土地はみな土中にうずまって永久にあら
    われない。村里の損失はこれ以上のことはない。村里を復興するの
    もまた同じ理屈だ。善人を挙げて隠れないように勤めるべきだ。

    わが道は人々の心の荒蕪を開くのを本意とする。心の荒蕪を一人が
    開けば、土地の荒蕪は何万町あっても心配には及ばないからだ。

    心の田の荒蕪が国家のためにもっとも大きな損失であり、つぎは田
    畑山林の荒蕪である。みな努めてこれを開拓しなければならない。

    開闢の昔、豊葦原に一人天から降り立ったと覚悟するときは、流水
    に潔身をしたように、潔いこと限りがない。何事をするにも、この
    覚悟をきめれば、依頼心もなく、卑怯・卑劣の心もなく、何を見て
    も羨ましいことなく、心の中が清浄であるから、願うことは成就し
    ないことがなくなるのだ。この覚悟が事をなす根本であり、私の悟
    道の極意である。この覚悟が定まれば、衰村を起こすのも、廃家を
    復興するのも、いとやすいことだ。ただこの覚悟一つだ。

    果物の木というものは、今年大いに実ると翌年は必ず実らないもの
    だ。これを世間で年切りという。これは循環・輪転の理でそうなる
    のだ。これを人為をもって年切りなしに毎年ならせるには、枝を伐
    りすかし、また莟のときにつみとって花をへらし、数度肥料をやれ
    ば、年切りなしに毎年同じように実るものだ。人の身代に盛衰・貧
    富があるのは、すなわち年切りである。(…)この年切りがないこ
    とを願うならば、果物の木の法にならって、私の推譲の道をすすめ
    るべきだ。

    昔の木の実が今の大木となり、今の木の実が後世の大木となること
    を、よくよくわきまえて、大を羨まず、小を恥じず、速成を欲せず、
    日夜怠らずに勤めることが肝要である。

    世界は自転してとどまることがない。それゆえ時節にあうものは育
    ち、時節にあわないものは枯れるのである。

    天道は自然である。人道は天道に従うけれども、また人為である。
    人道を尽して天道に任ずべきである。人為をゆるがせにして天道を
    恨んではならない。

    人世の災害で、凶年よりひどいものはない。昔から六十年間に一度
    は必ずあると言い伝えている。さもあろう。ただ飢饉だけではない。
    大洪水も大風も大地震も、その他の非常の災害も、六十年間に一度
    ぐらいは必ずあろう。たとえなくても、必ずあるものときめて、有
    志の者が申し合わせて金穀を貯蓄すべきだ。

    すべて万物は極端に不浄になれば必ず清浄に帰り、清浄が極まれば
    不浄に帰る。寒暑・昼夜が回転して止まないのと同じだ。すなわち
    天理だ。すべての物はそうなのだ。されば世の中に無用の物という
    のはないのだ。農業は不浄をもって清浄に変える妙術だ。(…)
    私の方法もまたそうだ。荒地を熟田にし、借財を無借にし、貧を富
    にし、苦を楽にする方法だからである。

    肉眼で見れば見えない所があるが、心眼をもって見れば見えない所
    はない。肉耳で聞けば聞こえないところがあるが、心耳で聞けば聞
    こえないものはない。

    わが道は、勤・倹・譲の三つにある。勤というのは、衣食住になる
    べき品物を勤めて産出することだ。倹とは、産出した品物をむやみ
    と消費しないことをいうのだ。譲は、この二つを他に及ぼすことを
    いう。さて譲には種々ある。今年の物を来年のために貯えるのも譲
    である。それから、子孫に譲ると、親戚・朋友に譲ると、郷里に譲
    ると、国家に譲るとがある。その身その身の分限によって勤めて行
    なうがよい。

    春に伸びた力で秋に根を張り、秋に根を張った力で春に伸び、去年
    伸びた力で今年太り、今年太った力で来年また太るのだ。

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    ●[2]編集後記

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    お盆休みは、北アルプスの麓の森でキャンプをして過ごしました。
    とあるキャンプツアーに参加したのですが、最初の四日間は、小一
    の娘のみの参加、残りの三日間は、一歳半の息子も含め、家族全員
    での参加でした。

    娘にとって、知らない子ども達に囲まれ、電気もガスも水道もない
    森の中で過ごすのは初めての経験でした。一人ぽっちで、さぞかし
    不安だったことと思いますが、最初の晩、少し泣いただけで、後は
    無事に乗り切ったようです。案ずるより、産むが易しですね。冒険
    を乗り切った娘は、ちょっとだけ逞しく、誇らしげに見えました。

    後半の三日間は、親子でツリーハウスをつくるという内容だったの
    ですが、これはほとんど父親達が楽しむためのものでした。昼間は
    森の中でひたすら労働し、夜は焚き火を囲んでひたすら飲む。家族
    そっちのけで、森を満喫しました。

    久しぶりにナタやチェンソーやノコギリを使ったのですが、木を伐
    り、ツタを採るのは、とても楽しい作業でした。やはり森は、眺め
    るだけでなく、使ってなんぼですね。森と格闘すればするほど、森
    が身近になるのだ、ということに改めて気づかされました。

    皆で力を合わせて何かをつくるということの大事さも改めて学んだ
    ようにも思います。初めて会った人達と、ツリーハウスをゼロから
    つくる。話し合って、力を合わせる。この話し合いと力合わせのプ
    ロセスを経ると、見知らぬ人が、仲間=チームとなるのです。

    話し合いと力合わせが、やはりチームづくりの基本なんですね。

  • 日本版論語。神道に儒教、仏教のエッセンスが合わさり形成された日本的思想に基づいた報徳経の思想はわかりやすく、すんなりと入ってくる。論語等古典を日本人の感覚に合うように取捨選択したうえで解説してくれるのがうれしい。

  • 二宮尊徳というと学校に石像があり、寸暇を惜しんで勉強をしたということぐらいしか印象になかった。それも大事なことだが、そんなことよりもこの人物の深い教えを知ることのほうが大事だと思う。世界に誇ってもいい大人物だ。本の価格以上の価値がある本。

  • 二宮尊徳の教えを綴った本。体裁としては論語の様で、門人の福住正兄が二宮尊徳が他人や自分に対して言った事をそのまま綴っている。
    言葉は平易で読みやすいが、その真意は深く、一つ一つじっくり考えていたら結構読むのに時間がかかった。
    論旨の根幹となるのが、「勤、倹、譲」と「自然(天道)」。
    前者は人の行為の基本となるもので、後者は理論の基本となるものと理解すればよいだろう。
    人として真面目に、コツコツと励めと繰り返し説いている。
    何でもインスタントに手に入ると思っている現代、二宮翁の言葉に従う事で、着実な実力と自信が身につく、そう思う。

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