南京事件 増補版: 「虐殺」の構造 (中公新書 795)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (370ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121907950

作品紹介・あらすじ

満州事変以来、十数年にわたって続いた中国侵略の中で、日本軍が最も責められるべき汚点を残した南京事件とは?日本軍の戦闘詳報、陣中日誌、参戦指揮官・兵士たちの日記など、多数の資料を軸に据え、事件の実態に迫る。初版刊行以降二十年余、虐殺の有無や被害者数など、国の内外で途切れることなく続いた論争の要点とその歴史的流れをまとめる章を新たに増補。日中双方の南京戦参加部隊の一覧、詳細な参考文献、人名索引を付す。

感想・レビュー・書評

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  • 慰安婦問題について何冊か読んだときに、秦郁彦は朝鮮人慰安婦の強制連行について否定的だったので、そういう立場の人なんだと思い込んだ。で、南京事件について何冊か読む中で、事件を否定する側の代表のつもりで秦郁彦のこの本を選んだのだが、誤解だった。犠牲者の数こそ4万人(中国側の主張では30万人)と減らしているが、南京で旧日本軍が捕虜や民間人を対象とした虐殺、非行事件を起こしたことは動かせぬ事実である、と結論している。似た性格を持つ2つの事件について、それぞれ別の結論を出しているということは、主観にあまり左右されていないということなのかもしれない。この人の本をもう少し読んでみようかなという気になった。慰安婦や虐殺の被害者に対して妙に冷たい物言いをするのが気になるけれど。
    というわけでもう少し、南京事件について読まなければならないようだ。いわゆる「まぼろし派」の主張に、どの程度の説得力があるのか。

  • 南京事件―「虐殺」の構造 (中公新書) 新書 – 2007/7/1

    秦郁彦氏による著作。
    秦 郁彦は、日本の歴史家、大蔵官僚。
    1932年12月12日生まれ。
    歴史家として、拓殖大学教授・千葉大学教授・日本大学教授を務めた。法学博士。
    本書は増補版として2007年7月25日に発行。
    初版としては1986年2月25日発行となる。
    増補版として追加されたのは南京事件論争史として最後の章に追加している。
    1986年に初版が出ているとすれば、もう古典の域に入っている。
    主要人名索引、主要参考文献、南京戦に参加した日本軍、中国軍一覧が
    巻末に掲載されており、まさに専門書として充実している。
    *索引をつける作業は最後にならざるを得ず、多くの専門書で省略されがちで
    あることを野口悠紀雄氏は指摘している。米英のまともな専門書には
    必ず索引があるとの事。その意味でも本書は力作である。

    南京虐殺事件と言えば、それは中国のプロパカンダ、
    東京裁判で日本の愚行として無理やりつくられたとの言説がある。
    しかしそれは誤りで、当時の南京で日本軍による虐殺はあったのだ。
    1998年発売の小林よしのり氏の戦争論、2001年発売の戦争論2でも南京虐殺に関して取り上げられ、それはでっちあげであるとの解説があった。
    当時は自分も南京虐殺は無かったのだと強く信じてしまった。
    しかし、それは間違いなのだ。自分の不勉強を反省したい。
    戦争論、戦争論2の参考文献などを読み返してみると、まぼろし派の書籍しか記載がない。
    今、思えば南京虐殺に関して小林よしのり氏は不勉強だったとしか言えない。
    秦郁彦氏が書いた本書について言及が無い南京虐殺の議論はもはや不毛といえる。
    *ただ最近、百田尚樹氏の書いた日本国紀という自称通史のデタラメ本にも
    南京虐殺は虚構だと記載したと百田氏はTwitter上でコメントしている。
    百田氏に至っては参考文献も書いていないのだから、まるで真摯さが無い。
    小林よしのり氏が当時言論をリードした1998年よりも自称保守派のレベルははるかに劣化していると言える。

    南京虐殺を一言で言えば、十分な補給の無いまま戦闘を継続し敵首都を無計画に占領した為に発生したと言える。
    捕虜の取扱も与える食料も無く、処刑が横行したこと。
    徴発(事実上の略奪)が常態化していたこと。
    慰安所などの整備も無かったこと
    敵首都を占領すれば中国は屈服するとの安易な軍トップの思い込み。
    色々な悪条件が重なった結果なのだ。
    十分な補給の無いままの戦闘と言えば日本軍の第二次大戦のお約束レベルだがその前の日中戦争ですらこの有様だったのだ。
    十分な補給の無いまま負ける戦争だったのが、東南アジアなどの戦争とすれば、十分な補給の無いまま(形式上勝った)勝利したのが南京戦と言える。

    東京裁判に先立って軍事法廷が起訴した戦犯は1508人もいたのに、南京事件に対する起訴者がわずか4人に過ぎなかった。
    東京裁判時点で既に8年前の事件容疑者を探し出し、確認する技術的困難。兵士の多くは他戦場へ移動して戦死するか故郷へ帰り、中国にひきつづき留まっていた者は稀であった。
    生き残りの被害者が見つかっても、加害者の氏名や所属部隊を特定するのはまず無理であった。
    名前が知れている指揮官クラスも死亡している者が多かった。
    中国国民党と中国共産党との内戦が再開し、予定された中国軍の日本進駐も中止せざるを得ないほどで、十分な捜査を進め追及するだけの余裕がなかった。

    武藤章(A級被告)は選抜2個大隊だけを南京城内に入れる手筈にしていたのに、各部隊が命令を守らず、どんどん入城したのが事件を誘発した原因だと、率直に認めた。

    皮肉なことに、便衣狩りを徹底しすぎて、警官、消防士、電気会社の技術者まで殺してしまったので、火事は消せず、電灯はつかずで、占領した日本軍の方も困り果てたという。

    日本側の弱味は被害者である中国政府の言い分に対抗できる公的資料が欠けていることであろう。加害者側の記憶や印象で
    「誇大にすぎる」「見たことがない」「ありえない」と主張しても説得力は乏しく、法的反証力は無いに等しい。
    せめて憲兵隊や法務部の調査報告書があれば、個々に突き合わせて具体的なツメが可能なのだが、久しく探しているのに、まだ見つからない。

    (著者は4万人ほどが殺害されたと考えている)
    今となっては南京アトローシティによる正確な被害統計を得ることは理論的にも実際上も不可能に近く、あえていえば 神のみぞ知る であろう。

    曽根一夫氏による集団心理の推移の要約、
    1,上海戦では苦戦し、多数の犠牲を払ったが、日本居留民の保護という明確な戦闘目的があったので、軍紀は乱れなかった。

    2 しかし南京攻略戦には納得できる戦闘目的がなく、故郷へ帰還する期待を裏切られ、苦戦を予期した兵士たちは自暴自棄的な心境になった。

    3 追撃戦が急だったため、弾薬、食糧の補給が追いつかず、兵士たちは徴発という名目の略奪で空腹をしのぎ、幹部も黙認した。略奪のついでに強姦もやるようになった。

    4 略奪、強姦の横行におどろいた軍司令部は禁令を発し、憲兵を巡回させて取締りを始めたが、補給は改善されないので、禁令は無視された。
    中級幹部や古参下士官は、生きた証拠を残さぬよう、強姦したら殺せ、と兵を指導するようになった。

    5 残虐行為を繰り返しているうち、兵士たちは不感症になり、軍人、市民を問わず無差別殺人を平気でやるようになった。

    クーニャンを殺してきたその足で、幼い女の子に菓子を与えカメラマンの宣伝写真にポーズをとるぐらいの演技力は、誰もが持ち合わせていたのである。
    →人間は神にもなれば悪魔にもなる

    とくに戦争中期以後の華北戦線では、中国共産軍が農民層をとりこんだゲリラ戦を執拗に展開したため、てこずった日本軍は悪名高い「三光作戦」と呼ばれる苛烈な対ゲリラ戦法で対抗した。
    「三光」とは「殺す、焼く、盗む」の総称で、歴代の支那派遣軍総司令官は清朝の故事に習い「焼くな、殺すな、盗むな」を標語として全軍へ繰り返し呼びかけたが、単なるかけ声に終わった。

    南京戦以後、中国軍は負傷兵で歩けない者は自軍の手で殺して退却するようになったという。捕虜になれば日本軍に虐殺されるだけと判ったからである。住居を失った民衆はゲリラに走った。
    作らなくてすむ敵をわざわざふやして、さらに苛烈な三光作戦を誘発するという悪循環を断ち切れぬまま、日本は敗戦の日を迎えたのである。

    アトローシティ・・単に虐殺だけでなく、略奪、強姦、放火など各種の戦争犯罪を広く包含している。
    本文では実情にあっていると認めたので南京事件以外に南京アトローシティを併用した。

    数字の幅に諸論があるとはいえ、南京で日本軍による大量の「虐殺」と各種の非行事件が起きたことは動かせぬ事実であり、筆者も同じ日本人の一人として、中国国民に心からお詫びしたい。そして、この認識なしに、今後の日中友好はありえない、と確信する。

    もしアメリカの反日団体が日本の教科書に出ている原爆の死者数(実数は今でも不明確だが)が「多すぎる」とか「まぼろし」だとキャンペーンを始めたら、被害者はどう感じるだろうか。

  • 読みながら大日本帝国陸軍の暴虐が往古の蒙古や現代のロシアに似ていると思ったらほとんど同じ言い方を本書でもみつけて笑ってしまった。
    南京事件における日本軍の暴虐性は本当に異常。読めば読むほどその異常性が際立ち、ではその理由はという疑問に答える章節も本書にあるはあるが、発掘されている史料の乏しさもあってか、満足できるものではなかった。それを究明しないと、将来軍を設立する必要が出た時にまた同じ轍を踏むことになる。自衛隊員に女性を入れてジェンダーレス云々とか夢見たいな話に現ぬかしている場合ではない。
    それと、根拠はないが、日本人はわりと自棄になってしまう傾向が強い気がした。これは別の本でも読んだが、日本人はというより、アジア人にその傾向が強いらしく、普段は統治者に従順して、忍んで耐えてして、ある時それがドンと弾けて大暴乱になる。中国の革命もその類だが、日本にもそういう傾向がある、と。ただ、日本の場合は何かをひっくり返そうという爆発よりも道徳観念をかなぐり捨てて自己中に陥る傾向が強いと思う。逆を返せばそれだけ普段から道徳という世間体に雁字搦めになっているということなのかな。南京の暴虐もまさにそのタイプ。上官のいうこと無視、気の向くままに殺戮、母親もあろうに強姦に耽る、何か線がプツッと切れるんだろうな。そして今にして思うのは、年寄りが戦争を語ろうとしないのは、戦争が辛いからではなく、自分も多かれ少なかれ、線がプツッと切れて、獣と化し、暴虐を働いたことを悔いたからなのではないかしらん。

    ただ、『奉天三十年』(岩波新書) には、日露戦争の時の日本軍について著者クリスティーは統制がとれていて安心できたとする一方、日本軍が去って、平民や下士が入ってくると、風紀も治安も大いに乱れた、と書いて居る。同書には、ロシア人がとても親切に頼もしく振る舞う場面もでてくる。あるいは、西欧人同士だからかも知れないが、暴虐を極め、命令を無視する軍というのは、結局弱さから来て居るのかも。弱いということは人の交代もはやく、育つ前に教育も充分に受けていない庶民が兵にとられ、結果軍の統率も崩れ、悪循環で敗北に突き進む。

  • 2020.10―読了

  • 恥ずかしながら南京事件についてはまともな知識がなかったので大変勉強になった。とても詳しくバランスよく書かれていて、概要はわかった。巻末資料も詳細で、この資料を見ながら読むとどの部隊がいつどこで事件に関わったのかがわかる。

  • 実証主義そのものという人。それゆえ当時大衆迎合的だった新聞各社の記述を、批判的に見ていて面白い。

    南京事件はあった、なかったという議論ではなく、南京入城や軍略、陸軍報告書から分かる師団の動き、海外の新聞からどのように事件と呼ばれるものが起きていったかを検証している。
    盧溝橋から東京裁判まで、網羅的な説明がありがたい。

    強いていうなら、松井大将の実録は多かったものの、谷中将に関する記述が弱かったことが残念。
    第六師団の動きを詳しく知りたい。

    どなたかご存知あれば、情報を。

  • 南京大虐殺という耳に馴染んだ呼称には、戦前の日本の暗い側面を象徴する響きがあるが、もし関心を持つのなら、それが起こった要因や、具体的に何が行われたのかを知る姿勢が無ければ片手落ちかと思う。実際兵隊の軍紀の乱れは相当酷かったようだが、そもそも南京侵攻自体も中央の意向から逸脱した行為で、軍司令官レベルからしてタガが緩んでいたのが当時の陸軍の現状だった。大陸で多発した不祥事はその延長線上にあったと見る事が出来る。暴走の結果事態は泥沼化し、兵士は帰国も出来ず鬱屈が溜まる。補給も続かないから現地徴発という名の略奪とそれに伴う犯罪が当たり前になって、野蛮性の解放のハードルが低くなる。投降した大量の捕虜に与える食糧もなく、ゲリラを摘発しようにも民衆混じって見分けもつかないから、結局全部「やっちまえ」がもっとも理に適ってしまう。南京は首都だけに事態が大規模化し最大の汚点となったが、同類の蛮行は至る所にあったはずで、不幸な偶然が重なったというよりは、この時期の(軍部を統制出来ない政府、部下を統制出来ない軍内部という)日本の国情を鑑み、起こるべくして起こったという印象が強い。ただ日本軍=悪とラベリングするのは簡単で、そこに事実もあるにせよ、我々自身、残酷な行為に手を染めた人間の、ほんの数世代あとの子孫に過ぎない。そう身近に捉えたとき、南京事件は過去の話といっても、彼らがやった事は、我々もやり得る事だという戒めになる。それはやや極論としても、この暴虐から学ぶ価値と責務は確かにあるように思った。

  • 南京事件の歴史のみならず、その論争史まで含めて体系的に理解できた。難しい史実をニュートラルに扱っており、大変面白く読んだ。

  • 2007年刊。著者は千葉大学教授。日中戦争での南京攻略戦での虐殺事件に関し、不法殺害(=虐殺)は実在、その数は軍民併せて4万人とする見解を、多様な史料を引用して裏付けつつ検討。松井岩根日記改竄事件や南京事件ニセ現場写真に対する批判等、マボロシ派にも「大」虐殺派にも批判の眼を向ける。多様な史料の引用は良。本書の中で印象的なのは、南京事件のことを告白する日本兵の多さであり、「自白は証拠の女王」との観点からみて不存在論の展開は無理ありすぎの感が…。加え、おそらく未来永劫確定が不可なのは「強姦」件数であろう。
    なお、本書が紹介する偕行社「南京戦史」も読んでみたいところ。そもそも偕公社は、陸軍士官学校卒業生等軍関係者の親睦団体。同社が出した「南京戦史」では陸軍従軍者からの聞き取りも踏まえ、1万数千人の虐殺ありとの立場を開陳しているらしい。

  • 1986年刊行書籍に2007年増補改訂版。
    秦郁彦の事実検証と論拠については、何度読んでも感服するし史観もほぼ賛同するのだけど、何でこの人はしばしば産経系や歴史修正主義陣営と行動を共にするのだろう?
    事実認定については意見をリベラル派と一にするのに、秦郁彦が右派に属しているように見える不思議。
    もうちっと、著作を読み込まないとあかんかな。

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著者プロフィール

1932年,山口県生まれ。東京大学法学部卒業。官僚として大蔵省、防衛庁などに勤務の後、拓殖大学教授、千葉大学教授、日本大学教授などを歴任。専門は日本近現代史、軍事史。法学博士。著書に、『日中戦争史』(河出書房新社)、『慰安婦と戦場の性』(新潮社)、『昭和史の軍人たち』(文春学藝ライブラリー)、『南京事件―虐殺の構造』(中公新書)、『昭和史の謎を追う』(文春文庫)、『盧溝橋事件の研究』(東京大学出版会)、『病気の日本近代史―幕末からコロナ禍まで』(小学館新書)、『官僚の研究―日本を創った不滅の集団』(講談社学術文庫)など多数。

「2023年 『明と暗のノモンハン戦史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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