- Amazon.co.jp ・本 (370ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121907950
作品紹介・あらすじ
満州事変以来、十数年にわたって続いた中国侵略の中で、日本軍が最も責められるべき汚点を残した南京事件とは?日本軍の戦闘詳報、陣中日誌、参戦指揮官・兵士たちの日記など、多数の資料を軸に据え、事件の実態に迫る。初版刊行以降二十年余、虐殺の有無や被害者数など、国の内外で途切れることなく続いた論争の要点とその歴史的流れをまとめる章を新たに増補。日中双方の南京戦参加部隊の一覧、詳細な参考文献、人名索引を付す。
感想・レビュー・書評
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慰安婦問題について何冊か読んだときに、秦郁彦は朝鮮人慰安婦の強制連行について否定的だったので、そういう立場の人なんだと思い込んだ。で、南京事件について何冊か読む中で、事件を否定する側の代表のつもりで秦郁彦のこの本を選んだのだが、誤解だった。犠牲者の数こそ4万人(中国側の主張では30万人)と減らしているが、南京で旧日本軍が捕虜や民間人を対象とした虐殺、非行事件を起こしたことは動かせぬ事実である、と結論している。似た性格を持つ2つの事件について、それぞれ別の結論を出しているということは、主観にあまり左右されていないということなのかもしれない。この人の本をもう少し読んでみようかなという気になった。慰安婦や虐殺の被害者に対して妙に冷たい物言いをするのが気になるけれど。
というわけでもう少し、南京事件について読まなければならないようだ。いわゆる「まぼろし派」の主張に、どの程度の説得力があるのか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
読みながら大日本帝国陸軍の暴虐が往古の蒙古や現代のロシアに似ていると思ったらほとんど同じ言い方を本書でもみつけて笑ってしまった。
南京事件における日本軍の暴虐性は本当に異常。読めば読むほどその異常性が際立ち、ではその理由はという疑問に答える章節も本書にあるはあるが、発掘されている史料の乏しさもあってか、満足できるものではなかった。それを究明しないと、将来軍を設立する必要が出た時にまた同じ轍を踏むことになる。自衛隊員に女性を入れてジェンダーレス云々とか夢見たいな話に現ぬかしている場合ではない。
それと、根拠はないが、日本人はわりと自棄になってしまう傾向が強い気がした。これは別の本でも読んだが、日本人はというより、アジア人にその傾向が強いらしく、普段は統治者に従順して、忍んで耐えてして、ある時それがドンと弾けて大暴乱になる。中国の革命もその類だが、日本にもそういう傾向がある、と。ただ、日本の場合は何かをひっくり返そうという爆発よりも道徳観念をかなぐり捨てて自己中に陥る傾向が強いと思う。逆を返せばそれだけ普段から道徳という世間体に雁字搦めになっているということなのかな。南京の暴虐もまさにそのタイプ。上官のいうこと無視、気の向くままに殺戮、母親もあろうに強姦に耽る、何か線がプツッと切れるんだろうな。そして今にして思うのは、年寄りが戦争を語ろうとしないのは、戦争が辛いからではなく、自分も多かれ少なかれ、線がプツッと切れて、獣と化し、暴虐を働いたことを悔いたからなのではないかしらん。
ただ、『奉天三十年』(岩波新書) には、日露戦争の時の日本軍について著者クリスティーは統制がとれていて安心できたとする一方、日本軍が去って、平民や下士が入ってくると、風紀も治安も大いに乱れた、と書いて居る。同書には、ロシア人がとても親切に頼もしく振る舞う場面もでてくる。あるいは、西欧人同士だからかも知れないが、暴虐を極め、命令を無視する軍というのは、結局弱さから来て居るのかも。弱いということは人の交代もはやく、育つ前に教育も充分に受けていない庶民が兵にとられ、結果軍の統率も崩れ、悪循環で敗北に突き進む。 -
2020.10―読了
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恥ずかしながら南京事件についてはまともな知識がなかったので大変勉強になった。とても詳しくバランスよく書かれていて、概要はわかった。巻末資料も詳細で、この資料を見ながら読むとどの部隊がいつどこで事件に関わったのかがわかる。
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実証主義そのものという人。それゆえ当時大衆迎合的だった新聞各社の記述を、批判的に見ていて面白い。
南京事件はあった、なかったという議論ではなく、南京入城や軍略、陸軍報告書から分かる師団の動き、海外の新聞からどのように事件と呼ばれるものが起きていったかを検証している。
盧溝橋から東京裁判まで、網羅的な説明がありがたい。
強いていうなら、松井大将の実録は多かったものの、谷中将に関する記述が弱かったことが残念。
第六師団の動きを詳しく知りたい。
どなたかご存知あれば、情報を。 -
南京大虐殺という耳に馴染んだ呼称には、戦前の日本の暗い側面を象徴する響きがあるが、もし関心を持つのなら、それが起こった要因や、具体的に何が行われたのかを知る姿勢が無ければ片手落ちかと思う。実際兵隊の軍紀の乱れは相当酷かったようだが、そもそも南京侵攻自体も中央の意向から逸脱した行為で、軍司令官レベルからしてタガが緩んでいたのが当時の陸軍の現状だった。大陸で多発した不祥事はその延長線上にあったと見る事が出来る。暴走の結果事態は泥沼化し、兵士は帰国も出来ず鬱屈が溜まる。補給も続かないから現地徴発という名の略奪とそれに伴う犯罪が当たり前になって、野蛮性の解放のハードルが低くなる。投降した大量の捕虜に与える食糧もなく、ゲリラを摘発しようにも民衆混じって見分けもつかないから、結局全部「やっちまえ」がもっとも理に適ってしまう。南京は首都だけに事態が大規模化し最大の汚点となったが、同類の蛮行は至る所にあったはずで、不幸な偶然が重なったというよりは、この時期の(軍部を統制出来ない政府、部下を統制出来ない軍内部という)日本の国情を鑑み、起こるべくして起こったという印象が強い。ただ日本軍=悪とラベリングするのは簡単で、そこに事実もあるにせよ、我々自身、残酷な行為に手を染めた人間の、ほんの数世代あとの子孫に過ぎない。そう身近に捉えたとき、南京事件は過去の話といっても、彼らがやった事は、我々もやり得る事だという戒めになる。それはやや極論としても、この暴虐から学ぶ価値と責務は確かにあるように思った。
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南京事件の歴史のみならず、その論争史まで含めて体系的に理解できた。難しい史実をニュートラルに扱っており、大変面白く読んだ。
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1986年刊行書籍に2007年増補改訂版。
秦郁彦の事実検証と論拠については、何度読んでも感服するし史観もほぼ賛同するのだけど、何でこの人はしばしば産経系や歴史修正主義陣営と行動を共にするのだろう?
事実認定については意見をリベラル派と一にするのに、秦郁彦が右派に属しているように見える不思議。
もうちっと、著作を読み込まないとあかんかな。