- Amazon.co.jp ・本 (428ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121911384
感想・レビュー・書評
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『満州』という単語を初めて脳裏に納めたのはまだまだ洟垂れ小僧の頃である。
マンガの中でまことちゃんが、
♪ここはお国の何万里ぃ〜離れて遠きまんじゅう〜のぉ〜♪
と歌っていたのをまねていたら、親から『それはまんじゅうじゃなくて満州!』
と窘められたのが切っ掛けである。
以来、学校の歴史の授業で何度も出会う近現代史の項目であるが、この国の成り立ち、位置づけが幾つになってもわからない。
今になっても、面白そうな本と出会うと手に取り理解しようと努めるが、結局いつまで経ってもわからない。
本書もそんな中での一冊である。
冒頭に、
『いったい、なぜ中国東北部に満洲国という国家がこの時期、日本人の主導によって作られなければならなかったのか。その国家形成の過程はいかなるものであり、それに日本人や中国人はどうかかわったのか。また、形成された国家は、いかなる統治構造や国家理念をもち、その実態はどうであったのか。さらに、満洲国と中国と日本との間には、国制や法制、政策や政治思想などにおいていかなる相互交渉が生じていたのか、総じて、その国家としての特性はどこにあり、近代世界史のうえでいかなる位置を占めていたのか、──こうした問題の検討を通して満洲国という国家の肖像を描くこと、それが本書の課題である。』
とある。
その後の結末を知っているモノとしては、この『いったいなぜこの場所にこの時期に日本人主導で作られなければならなかったのか?』ということを知りたいのである。
どう考えても『大陸へのロマン』などと感傷的な理屈で認識すべきモノでは無いと思うのだ。
加えてなぜ植民地ではなく、独立国家として成立させることとなったのか?
そもそも単一民族という認識であっただろう当時の日本が、『民族共和』などという絵空事を本気で考えていたのか?
関東軍という一地域部隊が本土の陸軍中央の指揮権を無視して勝手に動けるということがなぜ起こりえたのか?
切っ掛けを作った石原完爾はなぜ満州の舞台から姿を消すこととなったのか?
戦後日本復興のモデルの先駆けであったとされる官僚たちが満州で手がけた国家経営とはなんだったのか?
総じて、他人の敷地に勝手に入り込んで、余計なお世話で家を作り直して差し上げますよなどという理屈がなぜ国際的にまかり通ると思ったのか?
これらの疑問に多少なりとも本書は答えてくれている。
しかし、やはり『総じて』の問いに対する明確な回答が本書の中にあるのかないのか正直ボクにはわからない。
あの戦前の空気がわからない身には、いくら今の理屈で理解しようとしてもできないモノなのだろうか?
できないとするならば、今後いったい歴史から何を学べるというのだろうか?
と、『満州』というものはまだまだボクにとっては非常に後味が悪くなるテーマなのである。詳細をみるコメント1件をすべて表示 -
京都大学人文科学研究所教授(近代日本政治史)の山室信一(1951-)による「満洲国」の成立と変容。
【構成】
序章 満洲国へのまなざし
第1章 日本の活くる唯一の途-関東軍・満蒙領有論の射程
第2章 在満各民族の楽土たらしむ-新国家建設工作と建国理念の模索
第3章 世界政治の模範となさんとす-道義立国の大旆と満洲国政治の形成
第4章 経邦の長策は常に日本帝国と協力同心-王道楽土の蹉跌と日満一体化の道程
終章 キメラ-その実相と幻像
驚愕の歴史研究である。
「満洲国」と呼ばれる国は、わずか12年の間しかこの世に存在していなかった。にも関わらず、その実相についてある日本人は王道楽土を追求した理想郷といい、ある中国人は傀儡の「偽満洲国」であるという。
本書は、その満洲国を「頭が獅子、胴が羊、尾が龍という怪物キメラと想定してみたい。獅子は関東軍、羊は天皇制国家、龍は中国皇帝および近代中国にそれぞれ比」して、その胚胎していた要素が刻々と変化しながら表層に浮かび上がる様を記している。
明治の山縣以来、国家の利益線が主張されてきたが、第一次大戦後の満洲における軍閥割拠・反日運動激化への相乗効果として関東軍が肥大化した。そして、そのために内地の人口問題、食糧不足、朝鮮経営の安定化、そして来るべき大国との経済・軍事的競争に打ち克つために、広大な満洲を手中に収めることが必須と妄想されるようになった。
満洲事変は林銑十郎司令官隷下の朝鮮軍が越境したことにより軍事的成功を収めたことはまさにこの欲望を充足するためである。
そのような剥き出しの欲望とともに、蒋介石政権や馬賊の抑圧から満洲人民を解放し、日漢満鮮蒙の民族が相和す五族協和・王道楽土を満洲の地に築こうという理念も1920年代末から生起した。多数ではないが、満洲在住の漢人・満人の一部も満人の開放・独立を志向ししていた。
石原完爾・板垣征四郎が主導し純軍事的な行動であった満洲事変ではあったが、その裏には満洲独立を彩る道義的な理念がなかったわけではなかったことを第2章は示している。それ故に、ラストエンペラーであった愛真覚羅溥儀を執政として迎え、翌年には工程として即位させることがその理念実現には不可欠であった。
しかしながら、できあがった満洲国は総務庁を中心とした日系優位が貫徹した組織であり、重要ポストにおける日満比率は次第に日本側に傾斜し、建国時の理念を唱えた満人・漢人たちはことごとく排斥されていく。溥儀を補弼すべき国務総理大臣ですら、有能でもない、日本語も解さない人物が補せられ、全くの骨抜きとなっていく。無論その実験を握るのは関東軍司令官であった。
そして王道と唱えた、建国理念すらも日満一体の名の下に、八紘一宇という皇道に吸収され、皮相すら消え失せた。
五族協和といいながら、満人・漢人を徹底的に侮蔑し、労働力として駆り出し、収奪した作物を内地へ移入して満洲には還元せずに吸い上げていく。一方で、理想国家・計画経済の実験場としての満洲国に数多くの日本人テクノクラートが入り、辣腕をふるった。皮肉なことに、それを模倣した高度国防国家・国家総動員体制という名の下に、内地の日本に照射される。日本人が歴史上手にした最もエゴイスティックな国制が満洲国だったと言えるだろう。
その国家がソ連の侵攻により最期を迎える時、搾取の対象であった満人・漢人だけでなく、大号令をかけて内地から移民させた日本人農民すらも遺棄して国家中枢である関東軍首脳は逃亡した。
雲散霧消した国家の後に残るは、理想的な都市計画によって築かれた都市部の壮麗な建築物、あとは蹂躙された戦死者の遺体、遺された未亡人・子ども、シベリアに抑留された兵士、そして恨みの記憶であったろう。
文学的とも言える文章によって紡がれたこのどす暗い歴史。
思想史であり、政治史であり、社会史でもある。歴史学が総合的な学問であることを思い知らされる。
一つになりそうもないテーマを著者の実力で何とかまとめあげた、そんな印象を受ける。
何にせよ、新書か単行本かを問わず、「満洲国」を知る上で避けられない文献であり、時代を経ても読み継がれる古典となる一書である。 -
概要
わずか13年間中国に存在した日本の傀儡国家「満州国」。満州の建国背景、国家理念、統治機構を明らかにし、そこに表れた近代日本の中国や韓国に対しての差別意識、天皇制という国家体制についてが語られる。
感想
文章に風格があり、歴史もので有りがちな淡々とした描写ではなく小説のような読み味。
正直難しい言い回しや熟語が多く、読むのは中々骨が折れた。
満洲国を実験国家として理念をぶち上げておきながら、結局それらは欺瞞まみれで中国人や朝鮮人を日本の様式に無理矢理従わせ、待遇や金銭面など色々な場面で差別する歪な構造にしかならなかった。
近代日本の歪みがわかりやすく形になっている -
満州史というよりは、日本から見た満州像という印象。
戦前の日本政府と軍部が満州をどのように位置づけていたのかを知ることができる。
崇高な謳い文句を掲げながらも、実態はそうした理想郷とはかけ離れていた。すなわち、現地の人々のためといいながらも、実際のところは日本の国防上の観点(この場合の仮想敵国はソ連)から、満州地域の領有の必要性が認識されたがゆえに支配されるに至ったのであって、日本本意の考え方が中心に据えられていた。
その際、国際的非難を回避するために、日本人ではなく、現地人(代表的な人物は宣統帝溥儀)がトップにたって統治するという形式を採用したのであった。 -
まず初めに、新書レベルとしてはかなり専門的な内容であり、大学受験程度の知識を持っている人間でも予備知識なしに読むのは難しい。巻末の増補解説がかなり分かりやすいのでまずはそちらを読むことをすすめる。本編は学術的でありながらも(良くも悪くも)感情の起伏に富む面もあるが、増補解説についてはかなり冷静な分析がなされているので、そういう意味でも増補解説から読んでもらいたい。
その上でこの本は満洲国がどのような実体を持つ国家体であったのかについて非常に示唆に富む内容である。一部に関して被害者側に重きを置いている感はあるが、それは仕方のないことであろう。
満洲国がなぜ傀儡政権と言われたのか、その実情がどのように変容していったのか、日本に与えた影響などを細かに分析し、「キメラ」と言う1単語に集約させている。学術論文にかなり近い内容でありながら小説のようなテーマ性を持たせた筆者の力には舌を巻く。
日本史、中国史では聞き慣れない人名が多く、読み進めるのに苦労するとは思うが、後半になればなるほど「キメラ」という言葉に向かって綺麗に収束されていくので是非読み進めてほしい。
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王道楽土の建設の夢も歪み、占領政策化した満洲国の肖像を省みる。ロシアのウクライナ侵攻に合わせて、ロシアの主張と蛮行がもたらしているものが、私たちの歴史と無縁でないことを、今だからこそ思う。
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満州国は、おかしな国家である。日本は自国の権益を保持するため、満州を中国本土から切り離したかった。そのために満州を独立させた。これは外国が認めるかは別問題であるが、帝国主義的な戦略としては成り立つだろう。しかし、溥儀を担ぎ出すことは理解できない。
満州の住民の大部分は中国人であり、満州族の国ではない。溥儀も満州在住の満州族の指導者ではなく、中国全土の皇帝であった。溥儀を担ぎ出せば、中国から分離した満州国の論理が苦しくなる。むしろ、独立国の指導者として担ぐならば東北の軍閥の張作霖だろう。ところが、関東軍は張作霖を謀殺した。滅茶苦茶である。 -
満洲国の肖像をギリシア神話の怪獣キメラになぞらえて描くことで、その建国の背景、国家理念、統治機構などの特色を明らかにし、そこに表れた近代日本の国家観察や民族観、アジア観を抉り出している。
新書だが重厚で説得力のある内容。満洲国の理念として語られてきた「民族協和」「順天安民」「王道楽土」といったスローガンが、(当初それらを本気で信じて取り組んでいた人々が一部いたとしても)総体として口先だけの欺瞞に過ぎなかったということがよく理解できた。「満洲国にも良い側面があった」などという言説で目を背けてはいけない近代日本の醜悪な側面が凝縮されていると感じた。著者が指摘するように、満洲国崩壊時の中国人学生が語った「善意がいかようにあれ、満洲国の実質」は「帝国主義日本のカイライ政権のほかのなにものでもなかった」という言葉に尽きていると思う。 -
重厚感が半端ない。迫力のある本。
日本のアジア侵略を史実に忠実に客観的に辿っていくんだが、
読んでてそこに自分が居合わせてる感覚に陥るので、読むだけで体力をつかう。
その時代の空気感が、読後もちょっと抜けない。
もう一回読まなきゃ、って気にさせる本。 -
満洲国について、歴史的な推移やその時代ごとの指導者の考えを考察しながら書かれた本。キメラの名の如く、満洲国が本当に多面的な価値を持った存在だったことを改めて認識できました。