神を信ぜず: BC級戦犯の墓碑銘 (中公文庫 M 80)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (273ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122005778

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  • (2007.07.25読了)(2007.06.21購入)
    副題「BC級戦犯の墓碑銘」
    副題に「BC級戦犯の墓碑銘」とありますので、大東亜戦争の戦争犯罪人とされた人たちの本であることがわかります。
    A級戦犯は、戦争指導者たちでいわゆる「東京裁判」で裁かれました。連合国による国際裁判でした。
    「BC級戦犯者たちに対する裁判は、それぞれ異なった7カ国の軍による軍事裁判である。BC級裁判は米、英、豪、比、仏、蘭、中国の、それぞれ相違した法により外地を含む50ヵ所に法廷を置いて行われた。被告とされた日本人は5千7百人に上り、そのうち死刑を宣告されたものは971名、終身刑479名、有期刑2953名を数えている。」(26頁)

    この本では、三つの裁判の模様が再現されています。日本国内での米軍による裁判二つと、シンガポールでの英国による軍事裁判です。

    ●「武士道裁判」
    B29が千葉に墜落した。機体のそばにいた二人の米兵が捕まった。二人とも重傷だった。
    後に、落下傘で降りて隠れていた三名が警防団員につかまって連れてこられた。
    重傷のうち一名は、死亡した。もう一名の重傷者も瀕死状態で、苦しんでいたので、かわいそうだから楽にしてやれ、ということになり、刀で首を切って死なせた。
    これが、残酷な行為なのか、武士として敬意を表した名誉の死なのかが争われた。
    ちゃんと治療すれば回復の可能性があったのかということも争点になった。
    上官の指示があったのかどうか、ジュネーブ条約の内容を知っているか、なども問われている。
    被告は、死刑を宣告され、処刑された。
    ●私刑(リンチ)
    P51が撃墜され落下傘で降りてきた米軍兵士が機関銃で打たれ負傷した上捕虜となった。捕虜を捕らえたとき身柄は連隊本部から師団司令部へ、されに軍司令部へ送ることになっていたので、佐原の師団司令部までトラックで運んだ。
    司令部に町民が押しかけ、捕虜を見せろ、引き渡せと騒ぎ出した。
    誰か連れ出したのか、捕虜は建物の外にいた。
    参謀長に許可を求めたら、外に出して、見せるぐらいはいいだろうという返事だった。
    参謀長にとって外とは、建物の外のつもりであったが、すでに建物の外に出ているのを知っているものにとっては、塀の外ということになる。
    最初はなれてみていた群衆がだんだん近くにより、赤ん坊を背負った女が殴りかかったのをきっかけに、殴る、ける、小突く、・・・騒動が20分ほど続いた。
    道端では、通行に困るというので、幼稚園の運動場に場所を移し、青竹で、入れ替わり立ち代り殴りつけ、二時間半に渡って、いたぶり続け、通りかかった医師が脈を診たときには死亡していた。
    戦後、捕虜殺しの関係者として、軍関係者、町民が逮捕された。
    町民が逮捕される元になったのは、町内の噂話を聞いただけで報告書を作成した巡査のためだった。したがって、町民の半分以上は無罪となった。
    ●監獄島
    シンガポールにおける英国の軍事法廷と、オートラム刑務所の様子が述べられています。
    戦争犯罪人とされ、刑務所に収容された人は、イギリス兵たちによって、好き勝手にいたぶられたようです。暴行によって殺された人もいたようです。
    オーストラリア兵も刑務所員としていたようです。
    行われた裁判については、「スチュワードサウンド事件」「カーニコバル島事件」等について述べています。
    「アンダマン・ニコバル諸島における戦犯被告総数は95名、うち死刑43名、終身刑8名、有期刑39名、自決者2名、無罪として即時釈放されたものわずか3名」
    復讐裁判なので人違い裁判でも、強引に有罪にしたりしたようです。復讐でなくても日本の裁判では、無実の人を死刑にしても平気な裁判官がいるようなので、いったん訴えてしまうと引っ込みがつかなくなるのが裁判というものかもしれません。

    戦勝国が、敗戦国を裁判で裁くというのも、第二次世界大戦後に始まった制度なのかもしれません。
    おかげで、戦争であっても、人を殺せば、殺人罪になるという時代が来たということなのでしょう。戦争であってもたくさん殺せば英雄という時代は終わったのです。

    著者 岩川 隆
    1933年 山口県岩国市生まれ、徳島市で育つ
    1956年 広島大学文学部独文科卒業
    『週刊文春』『週刊女性』などのライターとして活躍
    1969年 独立して作家となる
    2001年 死去
    (2007年8月30日・記)

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