- Amazon.co.jp ・本 (276ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122009509
感想・レビュー・書評
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人間はどこまで残酷になれるのか。実験台にされた方々には本当に申し訳なく思う。
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戦中に九州大学医学部でアメリカ兵捕虜の生体解剖を行ったというのは戦中史においてはわりと有名な話だと思う。その深奥をさぐったルポルタージュ。
首謀者とされる「岩山福太郎先生」の三十三回忌法要から話は始まる。一件の首謀者が「先生」とされ、懐かしむ集いのようなことが行われていることに驚かされた。ただ、その後を読んでいくと、世間で言われているように(ということは裁判の記録にあるように)、関わった医療者たちを極悪非道のようにいうのにも疑問がわく。というのは、なかには逡巡した人もいて、何とか手を下さなくてよいようにしようと人がいて、(果たして岩山氏がそういう意図かは不明だが)罪を一身に受けようとした人がいたようだからだ。
それは日本人としての身びいきやあまさかもしれないし、正当性に欠けた印象の裁判のせいもあるだろう。著者がこの一件に注目し、本を書き上げたのも同じような思いを抱いたからのようだ。諸相をしっかり踏まえ、結んでいく手腕はお見事で読みごたえがあった。
本書の単行本が出たのが1979年だから、戦後30年と少しの頃。この頃であれば、これほど当事者が存命であったことも、当たり前のことだけど驚いた。すでにそれから倍くらいの年月がたっている。いま同様の企画が成り立つだろうか。時代の雰囲気も相まってゆがんだものになりそうでもある。その意味で、当事者が語れるときにまとめられた本書の意義、価値は大きい。
あとがきによれば、当初、本書の内容は「サンデー毎日」に掲載され、その後単行本化されたのだとか。その際、雑誌掲載から単行本にする間に、担当編集者が連載の反響が出そろって、それを踏まえたものにしようと著者に進言したのだとか。結局はそれによって、沈黙を守っていた生体解剖当時の助教授・飛巣氏との面会がかなったりもする。こうした示唆ができることこそ編集者だと思う。本の価値が高かった時代の昔ばなしなのだろうか。 -
終戦間近に、九州地方でB29が撃墜される。
その生き残りの搭乗員が、生きながらに解剖された。
九州大学の医者が生体解剖に手を染めたのだが、
なぜ、そのようなことをしたのか。
本土が敵機に爆撃されているような戦況の中、
間もなく日本が戦争に負けるということは、
わかったろうに。
戦争に負けたら、生体解剖の事実は直、知れ渡るだろうに。
しかし、悲しいのは教授の部下。
上司の命令に服して、戦争犯罪人、しかも絞首刑とは。
命令に服すも地獄、背くも地獄。
あほな上司つくかどうかは運命としか言いようがない。
なお、この本は、
上坂冬子昭和史三部作の一遍として読みました。 -
遠藤周作『海と毒薬』を読んだからには、こちらも必要だろう、と思った。克明に再現される事実資料と、『海と毒薬』のような小説と、さていずれが心を打つか、そんなことも考えた、遠い昔のことをなぜか思い出してしまったので。
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・終戦直前に九州大学で起きた、B29搭乗員に対する生体解剖について30余年後深く深く掘り下げたノンフィクション。
・1人の才気の暴走と、戦時という状況と封建的な権力が結びつくと、ここまで狂気が迸るものなのか。
・発案者と言える笹川が終戦を前に死ぬあたり、事実は小説よりもよほど奇なり。
・すべて史料と証言を元にここまで書いた上坂冬子はほんとに圧倒的。今後この事件に関しては本書が定本になったであろう事に疑いの余地なし。
・肝食いはいくらなんでもなぁ。でもサインしちゃうのね。70年前の戦勝国も、今の警察官もやることは一緒で物悲しい。
・原因について笹川、岩山、佐藤に求めるのは容易い。けど上坂の言うように、それだけじゃない状況にあった。「戦争」ってのはそういうことなのだ、と言う部分に行き当たる。
・彼らを残虐だと糾弾することはできる。けど、自分だったとして止められたか?
・白い巨塔を彷彿とさせる、医局の絶対封建制はこんなころからあったのだ。
・人間は学術的好奇心でここまでできるようだ。だとしたら、もう少しテーマをきちんと絞って解剖ならぬ実験にすれば良かったのにと思わずにいられない。