細雪 (中公文庫)

著者 :
  • 中央公論新社
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本棚登録 : 949
レビュー : 104
  • Amazon.co.jp ・本 (936ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122009912

感想・レビュー・書評

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  • 「細雪」は本当に面白い。何せ女の4人姉妹ですよ。色々出来事がこじれないはずがありません。彼女らの生き方の物語としても面白いっちゃ面白いのですが、私は昭和初期の着物や風俗を読むのが楽しいです。

    何せ上品だし、文章は馴染みやすいし、話の展開もわかりやすいし、心情描写も細やかだし、登場人物には共感できるし、良い人しか出てこないし、誰が読んでもきっとその人なりの楽しみを見つけてもらえる小説だと思います。

  • 約10年振りに読みましたがやはり名作です。谷崎潤一郎の作品の中で一番好きです。雪子の見合いの話を中心に物語は進んでいきますが、雪子の心情が出てくるのは僅かで、それがまた色々な事を想像させてくれます。10年前の20代に読んだ時と30代の今では感じ方が違うのがまた面白い。40代になって読んだらまた違うのでしょうね。
    繰り返し読みたい作品です。

  • この長い長い小説の面白さは一体どこにあるのだろうと考えてみる。
    よく言われる船場言葉の艶やかさ、戦前の阪神間富裕層の生活文化の洒脱さなどがこの小説の魅力であることは間違いないのだが、現代の目から見ると、小説の世界に読者を引き込んで離さないのは雪子と妙子のかなり極端なキャラクター、そして雪子の縁談と妙子の巻き起す事件が織りなす巧みなプロット構成が「小説としての面白さ」の土台であるのではないかと思われる。
    これは見方の分かれる所とは思うけれど、微に入り細に入り描写される着物の柄やら舞の所作やらは、教養のない私のような現代の一読者からすれば、文豪谷崎の筆力をもってしても必ずしもディテールが目の当り浮かぶほどの想像力を喚起できないのだ。これはある種時間的な断絶のなせる技であり、同時代小説とはそのような宿命を持つものだろう。
    しかし「旧家の家風」の価値観をベースに展開される物語は、そのような価値観が歴史的遺物となった現代から見ても小説内のルールとして受け入れることができる。これは時代小説で武士が簡単に切腹して死んでいくのをおかしいとは思わないのと同じようなものだろう。物語は旧家の家風に抗う者(妙子)と本家には反撥しながらも形勢に身を委ねる者(雪子)、両者を慈しみながらも何かと板挟みになり手を焼く次姉夫婦らの感情の交錯が読みどころであり、時に同情し、時にハラハラし、時に「何だそれは⁉︎」と呆れ果てながら、彼女たちの巻き起す事件の先を読み進めずにはいられない、これぞ文豪の傑作と讃えられるところだと思う。粗筋といってまとめ難く、結末という結末もないので、詰まる所小事件の連鎖であり、NHKの朝の連続ドラマにも似た趣とでもいうべきか。とにかく魔法にかかったように読み始めたら止まらないのである。
    「何分で読める何々」とかの要約本も流行っているようだが、本書や『吾輩は猫である』のような小説は要約のしようがないのではないか。
    それにしても実名でここまでクサされた奈良ホテルは一体谷崎に何をしでかしたのだろうか?

  • 一度は読むべき書物だと思う。日本語の美しさと、大衆文学の醍醐味を味わえるこんな小説初めて読みました。実は読んだのは数年前だけどなんとなくまた読みたくなる衝動にかられています。卍や陰翳礼讃も大好きな作品。日本人なら一度は読むべき。オススメです。

  • およそ930ページ。すごい達成感だ。11月をかけてゆっくり読もうと思ってたけど、もう手首がしんどいのでさっさと読み終えてしまった。文字小さいし改行少ないしページは多いしで大変だったけど、いざ読み終えるとその空気が恋しくもある。とある先輩が、「読み終えると親戚が増える、それが細雪なのです」なんて言っていたけど、確かにこの一ヶ月、蒔岡家にホームステイしていたような気分だ。作中では、何年もの月日が流れるのだけど。

    こういう小説を、現代の日本で書ける人がいるんだろうか。清潔で、高貴で、それでいてどこか庶民的。たとえば、暦の上に生きて、この時季にはこれをする、春には平安神宮にお花見に行くとか、秋には月を観るとか、そういう、四季があることが当たり前なんだけど、それを有り難く享受する「日本人」の生活がやらしくなく描かれる。それは時代のせいもあるかもしれない(今そんなもの書いてもわざとらしくてきな臭い)けど、谷崎にしかできない、というか、谷崎の書くそれが、なんとも言えず風流であって、それを一行一行、すするように読んでいくのがこの小説の醍醐味でありました。

    田辺聖子も解説で書いていたけど、一番印象的だったのはこいさんが雪子の足の爪を切っているのを、貞之助が垣間見る場面、だと僕も思う。足の爪を切る、という行為は、まるで主と従の関係みたいだけど、切られる方も切る方を信頼していないとなかなかできないことで、それが姉妹、しかもお互い思うところはいろいろあるはずの二人の間で行われているところに、中姉幸子の夫が出くわして、雪子が足を隠す、というのが、妖艶で(←言葉選び最悪。僕は絶対谷崎にはなれない)閉鎖的な姉妹間の特別な信頼関係と、その家の主人なんだけど、その間には決して入れない男の気まずさ、みたいなものがまざまざと浮かび上がってきてとにかくすごい。また僕は日本語が下手なので、こう書くとあたかも谷崎がドヤ顔でそう書いてるみたいに思われるかもしれないけど、するっとこの場面を流して次にいっちゃう潤一郎まじ男前。

    ラスト50ページ、幸子と雪子が本家の長姉鶴子のもとにほんの僅かな時間だけ挨拶に行く場面。その別れ際で鶴子はぼろぼろと泣いているんだけど、幸子たちは逃げるように乗り込んだ車内で「芝居に誘うて欲しかったんと違うんかしらん」(p.872)と勝手に納得する。……って、いや、そんなわけねーだろ!と、ツッコむところで(自分の中での)大どんでん返し。谷崎はんはいつものようにその場面も流してどんどん話は次へ進んでいくんだけど、一方読み手である自分の中ではこんな疑問が生まれて膨らんでいるのだ、え、え? こんなわかりやすいすれ違いも放っとくの? もしかして今までもこういうのあったんかな、だとしたら今まで読んできたおれの『細雪』何だったの? ……とまあこういう具合で、もう一度読まなければいけない気にさせる、これはなかなか普通に出逢えるものじゃないと思うんですよね、僕はちなみに『本格小説』以来の感覚を味わいました。ああ、読書ってすばらしい(月並み)。

    個人的に裏表紙のあらすじが完全にネタバレなのが気にくわない。

  • 夏の長編読書.初の谷崎潤一郎である.長い長い文章で文字のぎっしり詰まった900ページ超の文庫に書かれているのは,端的にいえば,旧家の姉妹におこる恋愛,結婚話である.それが徹底的に女性の視線,女性の思考回路で描かれている(ように私には思えると言った方が正確か).家庭の中の出来事を描いた小説であるにも関わらず,ここには不思議なことに,とんでもないスケールを感じさせるものがある.その根源が上方に脈々とつたわる女性の文化なのであろう.とんでもなく懐の深い小説.これだから読書はやめられない.

    あとは雑感.
    多分この小説は高校生が読んでも面白くないだろう.これを楽しむにはある程度,年を取ることも必要なのかなとも思った.
    もう一つ.幸子の夫の貞之助の余裕がすばらしい.こういう夫になりたいが私には無理だろう.

  •  そうとうな長さですが、話が面白かったのでページを気にせずに読み終わりました。しかし、挫折する人も多数いる模様。エピソードにおもしろさを感じられればはまるかと。
     雪子がウサギの耳を片足でひょいと持ち上げたことを作文に書かれちゃう話がすごく好きです。

  • 雪子の左目の目尻に浮かぶシミ。あれは完全なシーニュで、当初からそれとしての価値しかない。川端の『千羽鶴』に出てくるやり手ババァ(主人公の父親の愛人の一人だったかな)の胸にあったアザはもっと肉感的だった。

    ところで、この小説では「戦争」(時局、ナチズム)あるいは「死」(木下の死、妙子の伝染病)は常に底流にあるが隠されていて、いずれもある日突然に(まさに「洪水」の後から)湧き出す。普段はシーニュでしか現れないものが、やがてシーニュではすまされなくなってゆく。そういうものの代表が雪子のシミで、最初は「ほうっておくか、結婚すれば治ってしまうもの」であったが、結局「体の一部として身についてしまった」当のシミなのである。

    中村真一郎によれば谷崎はプルーストを読んでいたらしい。本当なら興味深い。いずれにせよ、いらぬ「批評の誘惑」を喚起する小説。

  • 文庫で900ページもを読ませてしまうだけの面白さ、当時の文化、記録としての面白さはある一方、淡々と日常がつづられ、なんでこんなにお見合い話が続くのか、今一つわからない。大垣や岐阜、豊橋といった身近な地名が出るとオッと惹きつけられたが。
    何より、結末が、なぜ、何ゆえこの結末なのか、900ページ読んで来て最後の一文がこれ!?と驚愕の締めくくりだった。谷崎ファンの方はまさしく谷崎らしいとのことだったが。谷崎文学研究の先生のレクチャーでは、これは赤痢にかかり、その後流産した妙子の運命を雪子もたどることを暗示している、また谷崎の悪魔主義でもあり、川端の描く「美しい日本」を描かなかった谷崎とも言っておられ、なるほどとは思ったけれど、やっぱりこの最後の一文は、えー!?と驚きの結文だ。

  • 蒔岡の家には四人の娘があり
    上のふたりはすでに片付いているのだが
    自由奔放な末の妙子と、物静かな三番目の雪子は行き遅れていた
    妙子はともかく、雪子の結婚が決まらないのは
    相手に恵まれないばかりでなく
    本家の口出しや、妹のスキャンダルに足を引っ張られてのことだ
    この時代、名家令嬢の恋愛問題がゴシップになったのである
    姉たち…とくに二番目の幸子は
    これを非常に不憫と捉えていたのだが
    しかし雪子自身、どこか結婚そのものを厭わしく思うふしがあった

    末の妙子は早くに父親と死に別れたため
    僻んでいるというのでもないが、「家」に対する情の薄いところがあり
    幼馴染と駆け落ちしたと思ったら
    身分違いの写真家といい仲になってみたりして
    二番目の幸子には悩みの種だった
    折りしも時局が三国同盟から対米開戦を臭わせつつある中
    仲のよかった隣のドイツ人一家は帰国してゆき
    それに自身の流産も重なると
    幸子の心はなにか足場を失ったようで
    そうなると、雪子のためにろくな縁談を用意できずにいることも
    ますます申し訳ないような気がしてくるのだった

    三番目の雪子は内弁慶で
    ひとりでよその人を相手にすると、すぐにどぎまぎしてしまう
    小娘ならともかく、三十すぎてのそんな具合は
    ちょっと尋常とは言えないかもしれないが
    それはひょっとすると
    落ちぶれかかってなお気位の高い蒔岡家の人々と
    それを眺める世間の人々のあいだで
    心が引き裂かれた経験を持っているからかもしれなかった
    大人としては何に対しても気を許せず
    子供のように立ちすくむしかないのだ
    そしてそう考えると、末の妙子は世間に対して闇雲だった
    「家」からの自立を焦って、さまざまな事業に手を出すも空回り
    前後不覚に陥って、理想と現実のギャップをごまかそうと
    いくつもの顔で男たちや姉たちを欺くようになっていた

    とまあ、そんなごたごたはありながらも
    みんなけっこう仲良くやっている話
    他愛もない日常の出来事を連ねて、ひとつの大河小説に仕上げている
    それは芥川龍之介が「歯車」のなかにしたためた構想であり
    また「筋のない小説」論争を呑んで出した谷崎なりの解答でもあろう
    近代日本文学の結論と呼んで差し支えないのではないか

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著者プロフィール

1886年東京生まれ。東京帝国大学国文科中退。1920年。第二次「新思潮」を創刊、「痴人の愛」「刺青」「麒麟」を発表。1960年に文化勲章受賞。1965年7月没。

「2018年 『あの極限の文学作品を美麗漫画で読む。―谷崎潤一郎『刺青』、夢野久作『溢死体』、太宰治『人間失格』』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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