- Amazon.co.jp ・本 (228ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122011342
感想・レビュー・書評
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The Crack-up がフィッツジェラルドの影響によるものということから。
フィッツジェラルドの代表作といわれるものではない作品6編を収録。訳は村上春樹。冒頭には彼による詳しいフィッツジェラルドの伝記も載っている。
どんな幸せにも哀しみが混じる。同じ場所にとどまることはできないから。それでも、その土地で生きた人々の証は身体から離れることなく、いつも傍にあるというやさしさ。1920年代というアメリカに生きたフィッツジェラルドだからこそ、移りゆく時の酸いも甘いも噛み分けられるのだと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
僕の手もとにある単行本の奥付を見たら、
昭和58年刊行でした。
ちょうど大学にはいった頃か、
ボクは文学部にいて、
片っ端から、本を読んでました。
ネットもケータイもなかった時代、
ボクたちはアジアの片隅の小さなアパートから、
本だけをたよりに、世界を眺めていたのでした。 -
フィッツジェラルドの6つの短編集。
冒頭に、日本でフィッツジェラルドが再評価されるきっかけを作った村上春樹による「フィツジェラルド体験」という文章があり、この文章自体が歴史的価値があると思う。
ここに訳された6つの短編小説はいずれもそれまで日本語訳が存在していなかったという。こんな有名な小説家のすぐれた短編がよく半世紀の間翻訳されずに放置されていたものだと思う。いかにそれまで日本でフィッツジェラルドに対する注目度が低かったかということだと思う。
僕は6つの短編にもましてこの村上の文章自体に高い価値を認める。わくわくするような文章だ。
最初に「残り火」という強烈な印象を与えるものを置いている。小説技法的にはストレートでひねりがないが、内容がガツンとくる。
この本で僕がいちばんいいなと思ったのは「失われた三時間」。O.ヘンリみたいにトリッキーで、しかも心にしみる。
「アルコールの中で」は、最後に出てくるあるイメージがこの小作品の核になっているが、「ノルウェーの森」「太陽の南国境の西」「スプートニクの恋人」あたりの村上作品に共通するものを感じる。
「哀しみの孔雀」と「残り火」はテーマに共通のものがあるが、「残り火」はフィッツジェラルドの初期の作品、「哀しみ-」は作家としての人気が凋落した後に書かれたもので、その雰囲気の違いが興味深い。僕は「残り火」のしっとりした情緒をより愛する。
「氷の宮殿」は小説技法という意味でうまく、いい雰囲気も持っているが、内容としてフィッツジェラルドの本質から遠いのであまり強い印象を持たなかった。ただこの作品はフィッツジェラルドの中でもかなり評価が高いようだ。
この本のタイトルにもなっている「マイ・ロスト・シティー」は小説ではなくてエッセイ。小説技法を期待してよむと肩透かしをくらう。しかし20年代のアメリカの風俗を知るうえで貴重な資料だと思う。 -
夕闇の気配を前に自身の前途を鑑みて叫び、逃げ出したくなった時、この本のことを思い出しました。
嘘ばかりの本ですが、とても優しい本です。
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村上春樹が好きな人は、フィッツジェラルドも読んでほしいな。短編集もいいです。
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魂の漆黒の闇の中では時刻はいつも午前三時だ。