少女コレクション序説 (中公文庫 し 9-5)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122012004

感想・レビュー・書評

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  • フランス文学者である澁澤龍彦(1928-1987)の広くエロティシズムにまつわるエッセイ集、1985年。



    本書を購入した当時は、下世話な内容を知的に粉飾して読もうという魂胆であったのだと思う。にもかかわらず、これまで何度も本棚から取り出しては、そのたびに途中で投げ出していた。冒頭「少女コレクション序説」の内容がいくらなんでも男性中心主義に過ぎて、読むに堪えなかったからだ。しかしいま改めて読めば、ここには男による女性蔑視が典型的に現れているのがよくわかる。

    「コレクションに対する情熱とは、いわば物体[オブジェ]に対する嗜好であろう」(p11)。

    「なにも私たちが剥製師の真似をして、少女の体内に綿をつめ、眼窩にガラスの目玉をはめこまなくても、少女という存在自体が、つねに幾分かは物体[オブジェ]であるという点を強調したかったのである」(p11)。

    「小鳥も、犬も、猫も、少女も、みずからは語り出さない受身の存在であればこそ、私たち男にとって限りなくエロティックなのである。女の側から主体的に発せられる言葉は、つまり女の意志による精神的コミュニケーションは、当節の流行言葉でいうならば、私たちの欲望をしらけさせるものでしかないのだ。[略]、女の主体性を女の存在そのものの中に封じこめ、女のあらゆる言葉を奪い去り、女を一個の物体に近づかしめれば近づかしめるほど、ますます男のリビドーが青白く活発に燃えあがるというメカニズムは、たぶん、男の性欲の本質的なフェティシスト的、オナにスト的傾向を証明するものにほかなるまい。そしてそのような男の性欲の本質的な傾向にもっとも都合よく応えるのが、そもそも少女という存在だったのである。なぜかと申せば、前にも述べたとおり、少女は一般に社会的にも性的にも無知であり、無垢であり、小鳥や犬のように、主体的には語り出さない純粋客体、玩弄物的な存在をシンボライズしているからだ」(p12-13)。

    女から一切の人格や主体性を剥ぎ取り男の観念の標本箱に少女のまま永遠に閉じ込めておこうとする暴力的な欲望は、まさにミソジニーそのものであるし、さらにそうした欲望を、自分の人格や主体性が無化されてしまうかもしれないという恐怖など微塵も感じないでいられる特権的な位置から、やれ文学だの芸術だのと衒学的な御託を並べながら仲間内の読者や文学者連に語るとき、それは男性性からくる自己の欲望をホモソーシャルな関係性の中で正当化しようとしているようにも見える。とすると、エロティシズムについて広範に語っていながら男性同性愛についてほとんど触れられていないのは、彼のホモフォビアを逆照しているということか。



    本書をなかなか読む気になれなかったもうひとつの理由は、澁澤は自分が妊娠させた妻に複数回中絶を要求しついに妻は子を産めない身体になってしまった、という逸話をどこかで聞いたからだ。本書収録の「インセスト、わがユートピア」の冒頭で自分が子どもを作らない理由を述べているが、自分の観念的な遊戯に他者の身体を巻き込むなと言いたい。

    澁澤には女性読者もいたと思われるが、どのように彼の文章を読んでいるのだろうか。主体性を奪われる女の側に同一化して読むのか。主体性を奪う作者の側に同一化して読むのか。或いは作者に現れている男のセクシュアリティに半ば呆れ半ば憐れみながら読むのか。



    「君が何であるか、いま判ったよ。君はぼくの自己愛なのだ!」(p97)。

    • 深川夏眠さん
      お邪魔します。

      澁澤は好きな作家の一人でありつつ、
      「作者に現れている男のセクシュアリティに半ば呆れ半ば憐れみながら読む」
      に、少...
      お邪魔します。

      澁澤は好きな作家の一人でありつつ、
      「作者に現れている男のセクシュアリティに半ば呆れ半ば憐れみながら読む」
      に、少し近い感覚があります。
      古典に材を採った幻想小説はフラットに楽しんで読めるのですが。
      ミソジニー臭芬々たる作品を多く残した澁澤や三島由紀夫と、
      女性礼讃者・中井英夫が仲良く付き合っていたというのが、
      少し不思議な気もします。
      (中井作品には異性愛者に近い両性愛者っぽさも滲んでいましたが……)
      2020/06/28
    • transcendentalさん
      深川さん

      コメントくださりありがとうございます。

      やはり、アンビヴァレントな感覚があるものなのですね。

      内容と同時に、男同...
      深川さん

      コメントくださりありがとうございます。

      やはり、アンビヴァレントな感覚があるものなのですね。

      内容と同時に、男同士で余裕な顔をしながら安全圏から語っているような書きぶりが、好きになれませんでした。
      2020/07/04
  • 澁澤龍彦の幻想世界とエロス。
    少女・人形への想いが物語りの少女につながる。
    コンプレックスの様々な名称は、たくさんあって驚いた。

  • 「少女」という影に自身の欲望を投射するとか、小児期に負った心の傷が芸術の根底になるとか、自分の要素を持った客体として妹をみる(近親相姦)とか……読んでいると、「女性として」はいろいろ言ってやりたくもなる。けれど対象を「その者の対」と単純化して考えたり、好きな物語の登場人物(BL)に置換したりすると、読み物としては楽しめてしまう。
    あと個人的には「クロンハウゼン夫妻の列挙したポルノグラフィーの特徴を示す11項目のリスト」が日本の現在でもフッツーに通じ得てみえて、人間変わらないなぁと苦笑してしまった。
    後半は前半の知識を基に、「少女」を拡大した知識が語られていて興味深かった。

  •  デカルトコンプレックスについて

     近代哲学の礎を築いた最重要人物デカルトが、死んだ娘を模した少女の人形に魅せられていたという逸話はあまり有名である。この話に嫌悪感を抱くものは多いだろう。しかし、誤解を恐れずに言えばそもそも少女という存在自体が幾分かはオブジェなのである。失った人間がその空白を埋めるために想像世界で愛を獲得するためには、対象の幻影だけで事足りるということを知ることになるだろう。幻影とはすなわち人形である。
     
     リラダンの『未来のイヴ』で人口美女アダリアーへの不可能の恋に悩むエワルド青年は、人形製作者であるエディソンから、訓戒を与えられる。
    「貴君にとって、あの女の真の人格は、あの女の美しさの輝きが貴君の全存在中に真ざました《幻影》にほかなりません。この影だけを貴君は愛しておられる。・・・結局、あの女のうちに創造したりしておられるものは、貴君の精神が対象化された幻ですし、またあの女のうちに、複写された貴君の魂でしかないのです。そう、これが貴君の恋愛なのですな。」
    すなわち、人形愛は究極の自己愛にほかならないのである。

  • 一行の中に自分の知らないことが必ず一つあると言ってもいいくらいの、膨大な知識で語られる少女についての本作。どんどん自分を新たな世界に誘ってくれる(笑)
    以下、箇条書きでメモ。(何回も読んで増やせたらいいな・・・・・・・)

    ・デカルトが自分の娘そっくりに作らせた自動人形に「我が娘フランシーヌ」って語りかけてたのはびっくり。
    ・「処女崇拝➡冷感症崇拝➡ネクロフィリア」はそこそこぶっ飛んでて好き。
    ・処女は古代では恐れられていたのか・・・・・・・
    ・「近親相姦=ユートピア」もぶっ飛んでて好き。『瓶詰の地獄』をそう見るのか!
    ・ポーの『黒猫』の解釈も興味深い。
    ・サドの『・・・・悲惨物語』のストーリーはめちゃめちゃ好み! 読んでみたいな(追記:「悲惨物語」読みました! 意外としっかりしていて、サドらしいような、そうじゃないような、けどよかったです)
    ・コンプレックスの量凄すぎ
    ・「ベルメールの人形哲学」「玩具考」は全部興味深い。

  • 澁澤龍彥のエロスに関連するエッセイをまとめた作品集です。本書に収録されている「人形愛」、「アリス」、「幻想文学」、「近親相姦」、「処女」、「コンプレックス」などをテーマにしたいずれの考察も、1980年代の文章なので、現在からみるとちょっとと思う部分もありますが、博識ぶり、先見の明には驚かされます。難しい内容ではあるのですが軽妙な書きぶり、茶目っ気のある文章にあっという間に読めてしまいます。表紙の四谷シモンの少女の人形も耽美で美しいです。

  • 再読。

  • タイトルと中身は結構違ってて、エロス全般について考えた文学書という感じでした。
    読んでいて心にとめておきたい文章が結構でてくるけど、教養がないと読みにくく、分からない単語もちらほら出てきました・・・

  • エロス、倒錯、フェチズムが渦巻くめくるめく澁澤ワールド満載! のエッセイ。
    耽美で官能的な文章世界にはみてはいけないものをそっと覗き込むようなスリルがあり、引き込まれました。
    シモン先生の儚く官能的な少女人形がまた、この世界にぴったり。

  • 少女コレクション序説/人形愛の形而上学/アリスあるいはナルシシストの心のレンズ/犠牲と変身/東西春画考/セーラー服と四畳半/インセスト、わがユートピア/幻想文学の異端性について/ポルノグラフィーをめぐる断章/近親相姦、鏡のなかの千年王国/処女生殖について/ベルメールの人形哲学/ファンム・アンファンの楽園/幼児体験について/コンプレックスについて/宝石変身譚/エロスとフローラ/鏡について/匂いのアラベスク/玩具考/マンドラゴラについて/シモンの人形

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著者プロフィール

1928年、東京に生まれる。東京大学フランス文学科を卒業後、マルキ・ド・サドの著作を日本に紹介。また「石の夢」「A・キルヒャーと遊戯機械の発明」「姉の力」などのエッセイで、キルヒャーの不可思議な世界にいち早く注目。その数多くの著作は『澁澤龍彦集成』『澁澤龍彦コレクション』(河出文庫)を中心にまとめられている。1987年没。

「2023年 『キルヒャーの世界図鑑』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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