イヴァン雷帝 (中公文庫 M 284-3)

  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (308ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122013933

感想・レビュー・書評

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  • 現在のロシア=プーチンが、何を目指し何処へ向おうとしているのかは正直に言って謎です。あまりにも時代錯誤的な解答しか思い描けないので。しかし、その解答のひとつはここにあるのかもしれません。
    少年時代のイワンの置かれた状況から、その信仰と統治への姿勢は、何となく理解しながらも「違う」と思いつつ読み進める事はできます。でもそれは初めのうちだけ。人間はどこまで残忍になれるのか?ロシアという風土は、たびたびこのような統治者を生み出さざるを得ないのかもしれません。

    • 青格子さん
      そして民衆が立ち上がる所までがパターン化していると。
      そして民衆が立ち上がる所までがパターン化していると。
      2022/10/15
  • 拷問の描写をする時のトロワイヤは特に筆が走っているように思われる。

  • <巻末>
     18世紀初めの大帝ピョートルから、世紀末の女帝エカテリーナを経て、19世紀前半のアレクサンドル1世まで、わずか1世紀の間に、ロシアは辺境の未開国から西欧と拮抗する強大な勢力に成長した。それでは、国家としてロシアが産声を上げたのはいつだったのか。それは、1547年、若きモスクワ大公イヴァンが「全ロシアの皇帝」を名乗って戴冠した、まさにその時である。
     後に「雷帝」と畏れ敬われた彼は、幼くして父母を失い、禿鷹のように権力を奪い合う大貴族に囲まれて、嗜虐的な少年に成長し、麗しき伴侶アナスタシヤを得たのちは、貴族、教会の勢力を削ぎ、国威を高めては名君と称えられたが、妻が毒殺されると、報復と称して忠臣を片端から拷問にかけ、前代未聞のスケールで人民を虐殺した。彼はまた、教会の掟を破って次々と8人の妻をめとり、放蕩にふける一方で、イングランドの女王エリザベス一世に結婚を申し込み、無謀な領土拡張を試みて遠征軍の非道な略奪を奨励しながらわが身の安全を何よりも優先し、下級貴族から親衛隊を編成して国内に恐怖政治をしいた。こうした人倫にもとる行為やかずかずの暴虐は、我こそは神の同列なりとする奇妙に信仰に支えられていたのであり、正しき者に無償の苦しみを与えれば、その時ツァーリは神と対等な絶対者になるというのだった。その彼が、ふとしたことから最愛の息子を自らの手で殺めてしまう。彼は後悔を知り、妄想に悩まされ、奇病に取りつかれて、無残な最期を遂げる。











    p181
    君主の命をねらったという話を信じたものはいなかった。ツァーリのとった行動は、疑惑よりむしろ憎悪に導かれた呪わしい親族殺しであるとみなされた。しかし、ツァーリは、巷の風評を気にかけたりはしない。他人の声に耳を傾ければ、それだけで支配者でなくなるような気がするのだ。彼が支持を求めるのは国民でなく、神である。そしてその神は、彼の眼には、審判者ではなくパートナーとして映っていた。いやほとんど共犯者とさえいえるかもしれない。年をとるにつれて、彼はますます礼拝に重きをおくようになっていた。彼の信仰は小心なまでに形式にしばられていた。十字を切ったり、跪いたり、聖水をふりかけたりすることが、魔術的な効果をもたらすと彼は信じていた。神はそうした敬意の表現に飢えておられるのだ。天の御神の同意を得るためには、規則に準拠して懇願すればよい。それに、儀式典礼の細部を卑屈に尊重することに、彼はほとんど官能的な歓びをおぼえるのだった。祈祷を捧げることは、女を抱くのと同じように、ひとつの快楽だった。彼のなかで神の神秘にふれる陶酔は、肉欲の世界の陶酔と互いに補い合っており、ときには混同されていた。香の煙も、湿った肌の臭いも、同じように彼の鼻孔を刺激した。なんであれ自分が強烈な官能の歓びを感じるものは、神も肯定される、いやそこには神の積極的な意志がはたらいていると彼は考えていた。


    p188
    拷問にかけられた者は、なりふりかまわずに体をよじり、吠え立て、顔をくしゃくしゃにする。このさい罪のあるなしは、問題にならぬ。ひと言で彼らの苦しみのどん底から救い出してやれるのだが、そんなことは、しない。彼らが深みに落ちこんでゆけばゆくほど、快楽は増すのだから。真珠のような光沢をおびた腱、青みが加た内臓、緑色のねばっこい胆汁・・・。そのうえ楽しげにほとばしる鮮血の温かく生臭い臭いにつつまれるのは、なにものにもかえがたい喜悦だった!しかもこうして神経が昂ぶると、きまって性の欲望と信心への意欲がむらむらとわいてくる。棍棒をふるい、生皮を剥ぎ、鋏で引きちぎり四ッ裂きにし、肉を焼いたあとでは、いっそう精力的に女を抱き、あるいは神に祈ることができるのだ。じっさいに、一連の処刑がおこなわれたあとでは、教会のなかで、ほっとしたように背をかがめて祈るイヴァンと息子の姿が見かけられた。

    P284
     彼は、かつて自分が使ったものよりはるかに効果的な拷問の道具があることを知った。そう、火のついた薪、身体を切断する縄、肉を引きちぎる鋏(やっとこ)よりも残酷なもの、それは後悔と恐怖だった。


    P197
    イヴァンは自分が正しい道を歩んでいるとい自信をもっていたが、その根拠は、国民が怖れつつも事態を従順に受け入れていることにあった。彼が死に至らしめた人間たちは勇気をもって彼の決定にしたがい、しかも不当に罰を下す彼に恨む様子さえ見せなかった。そこには、神に祝福されたツァーリという人格への宗教的な畏敬の念と、宿命に盲目的に服従する姿勢とが、半々にまじり合っているのである。ロシア人は、まったく身におぼえのないことで罰されると、ますますその罰が神の下されたものだと信じるようになる。不幸に反撥するどころか、むしろすすんで不幸を迎え入れようとする。善も悪も、とにかく自分の理解をこえたものであれば、神の御心で送られてきたものにまちがいないものである。


    p239
    じっさいに彼が人生の紆余曲折のなかでつくりあげてきた自己流の倫理にしたがえば、ただ本物の悪人を訴追するだけで満足してはならないのである。本物の悪人を拷問にかけるとき、彼はまず復讐を遂げたという感情と、さらには神の裁きと同じことをしているのだという自覚をもつことができる。これはなかなかよいものだ。しかし、無実の者を拷問にかけるときの喜びは、はるかに精妙かつ強烈なものだった。それは、悪のために悪をなす無償の快楽、動機なくして隣人を殺める陶酔、自分は人の法を超越した存在だという、誇り・・・。そう焼けただれ、血を流す肉体の臭いは、苦痛がまったく不当なものだとわかっているときにこそ、ぞくぞくするほど刺激的なのだ。不正を正義として押し通すことは、手のこんだ料理のように美食家の食欲を誘う。正当な罰を下すツァーリは、神の意志を反映しているにすぎないが、一方で、彼が不当な罰を下すなら、彼は神と対等に行動したことになる。絶対権力を求めてやまぬ人間にとって、これは明らかに一歩前進である。

  • イヴァンとアレクセイがいっぱい出てきて混乱しますが、みんなあっという間に殺されますので覚える必要はありません。
    スターリンがイヴァンを心酔してたときいて、ベタ過ぎるだろうと思いつつ納得。

  • ロシアの皇帝をあまり知らなかったので、古本屋でふと買ってみた。
    けっこう読むのに骨が折れた(もともと硬い文章を翻訳しているからか翻訳が古いからなのか)けども、勉強になった。
    ツァーリとは神に定められし者、神と最も近い者、を意識して生きた皇帝という書き方が貫かれていた。
    拷問シーンもいろんな拷問を挙げていて結構グロい。これを本当にやるなんて狂人としか思えない。
    これだけの暴挙に出ながら信心深いというのは矛盾している気もしたけど、神に認められたものなのだからなにしても許されるという考え方も成り立つのか。信心深さとそれに基づく繊細さを除けば、イメージ通りの残酷な王だった。

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著者プロフィール

1911年モスクワ生まれのロシア系フランス人作家。1935年に処女小説『ほの明かり』を発表して以来、2007年に95歳で没するまで精力的に小説、伝記、エッセイ等を発表した。日本でも多数の作品が翻訳されている。主な著書に、『女帝エカテリーナ』(中公文庫、1985年)、『ドストエフスキー伝』(中公文庫、1988年)、『バルザック伝』(白水社、1999年)、『プーシキン伝』(2003年)、『ボードレール伝』(2003年)、『ヴェルレーヌ伝』(2006年)、『フロベール伝』(2006年、以上、水声社)等がある。

「2023年 『モーパッサン伝』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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