柔らかい個人主義の誕生: 消費社会の美学 (中公文庫 M 332)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (244ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122014091

作品紹介・あらすじ

石油危機で明け、不況と経済摩擦で暮れた過渡期の70年代から、新しい個人主義と,成熟したに進む80年代へ。10年毎に大変貌を遂げる日本の同時代史。消費文化論ブームを惹起した、イメージ豊かな日本の現状分析。吉野作造賞受賞。

感想・レビュー・書評

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  • 『WIRED』日本版・前編集長の若林恵が「一種のソーシャルネットワーク論として改めて読み直してみると面白い」と書いていた一冊。
    どの部分が面白いのか、なかなか理解できずに読み進めていたのだけれど、本の中盤あたりからそれは来た。人が消費に魅せられてしまう消費社会において、如何に自我を保ち、形成するか。若林が指摘したのは、多分このあたり。ソーシャルネットワークが消費者心理をうまくついて、アディクティブな状態を作り出そうとする一方、消費者はそれに抗って自我を形成するのか、あるいは屈するのか。
    1984年に世に出た本が、2019年でも輝いて見える事実にひれ伏す。

  • 柔らかい個人主義の誕生
    著作者:山崎正和
    中公文庫
    タイムライン
    http://booklog.jp/timeline/users/collabo39698

  • 70年代から80年代へ大きな変貌を遂げる社会を、消費という言葉をキーワードに考察した名著。
    半世紀を経た現在、著者の指摘は更なる加速をし、暗い未来の到来を予感させる時代になってしまった。

  • 現実の企業において新商品発見の活動も集団の共同作業として行われるが、この集団は本質的に自由な個人の集合体である他なく、狭義の生産のための組織とは異質なものになる。
    セールスという巨大な部門は全体として消費者ニーズの敏感な探知機で、最終的な発掘装置であってもその意味において、非プログラム的な情報生産の最大の担い手である。
    (要旨)

  • 1970年代の思想動向を概観した論考だが、2020年代に入った現在の社会に関しても、十分に説得力をもって人々の精神性を説明してくれる稀有な本である。それは技術を至上価値として効率を重視する考え方から転換を促し、より行動の過程を楽しんで生活のゆとりを重んじるスタイルに向かおうという提言である。つまり、技術を追求して手っ取り早く目的を達成してしまうより、例えば美味しいものを食べる時に美味しいと感じるだけでなく、美味しいと感じる自分に意識的に気付いていよう、そういうゆとりを楽しもうという考えである。実際、産業において何が売れる商品か、開発担当者は悩んでいるだろうが、一つに我々がどんな物に愛着を感じるか、そういう風に感じる自分に気付いたら、新しい着想も生まれるし、山崎正和氏によれば、現代社会がそういう、創造性の発揮を要求している社会になりつつあるということだ。私にしても、早食いで、早歩きで、ゆとりをなくしている観があるが、少なくとも時折日記を書いて生活のどんな部分に自分が着目しているか、確認している。先を急ぐ効率主義より、食事する、映画を観る、散歩する、そんな行為に及ぶ自分に気付くゆとりは、確かに重要だろう。

  • 社会
    思索

  • 吉野作造賞、解説:中谷巌

  • 2018/07/15

  • 素晴らしい本であることは疑いがない。ここで提起されている70年代に萌芽があるとされる事態の多くは、2010年代の今からすると、もはや確定的な事実とされているような感すらある。いくつか彼の見立てから時代がずれてしまったところがあるとすれば、
    ・会社で過ごす時間は結局減らず、むしろ労働は強化されている。物質的に豊かになって代わりに精神的な問題に向き合うようになるだろうという危機意識は、むしろ楽観的すぎることが露呈したと言ってよい。物質的な問題と精神的な問題と量が重要なのだ。
    ・定番のライフコースがなくなることによる多様化とか、抱える問題の個人化といったことは起きた。だが、意外と緩やかであったし、事実として差が生じているということと、その差異が認識されおおっぴらに語られるということは別である。差異を尊重するということがないまま、「高齢化により社会から世代論が薄まり、多元的な価値を認める気風になる」というのは残念ながら当てはまらなかった。やはり通説通り保守化が進む。自身がネットよりマスコミみたいに言っちゃうのはなんというか加齢の難しさを感じる。
    ・定型的な需要に応えるのではなく需要自体を創出するように生産の形態が変わるというのは、まさにだった。その不定形の要求に応えるために生産が消費の様相を帯び、逆に消費の側にも生産の要素が含まれるようになる、その両者において集団性=社交が復権するというのは当てはまった。しかし、それは地域へと帰っていく流れになるのではなく、むしろインターネットを媒介に実現した。

    いずれにせよ、よく整理された図式は定点観測として、踏まえるべきスタート地点として価値を持ち続けるだろう。
    後半の生産と消費に関する理論も非常に面白かった。だが、いくらか理論的すぎるような。

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著者プロフィール

1934年生。京都大学大学院博士課程修了。中央教育審議会前会長。大阪大学名誉教授。『世阿弥』河出書房新社 1964年、『鴎外 闘う家長』河出書房新社 1972年、『文明としての教育』新潮新書 2007年など

「2010年 『「教養」のリメーク』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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