鹿鳴館の貴婦人大山捨松: 日本初の女子留学生 (中公文庫 く 12-1)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122019997

感想・レビュー・書評

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  • 会津藩士の娘として、子ども時代には苦難を極め、そして明治の世に移り代わっては女子留学生として、十数年後、帰国後には大山巌の妻としてこの子たちの義母として、波乱の人生前半を送った大山捨松。鹿鳴館のサロンのマダムとしての方が有名で良いことよりも悪いことの方が今の人間にはイメージとしてあるけれど捨松はいつも彼女なりに精一杯お国のために夫のために子どもたちのために生きた。

    『坂の上の雲』を読んで関連本として、この本を眺めたけれど日露戦争の記述はあまりなかったので…。

  • 背ラベル:289.1-オ

  • ふむ

  • 少し前の本ですが手に取りました。最近読んだ中でも最高評価です。捨松の努力には感動の拍手拍手です。

  • 日本人女性として、初めてアメリカへ留学した、大山捨松の生涯を、ひ孫である久野明子さんが記した作品。
    「鹿鳴館の名花」と謳われた捨松の情熱の生涯を、細かに調べられた久野さんの情熱も、見どころ。

  • 再読。大山捨松、結婚前の名前は山川で会津藩の山川浩・健次郎兄弟の末の妹。8歳のときに会津の籠城戦を経験、のち、明治4年の岩倉使節団に随行し渡米した日本初の女子留学生5人のうちのひとりとなる。11年間米国で大学まで卒業して帰国後、会津人にとっては憎き薩摩藩出身、西郷隆盛の従弟で18才年上、前妻と死別したばかりですでに3人の娘がいる大山巌と結婚。おりしも訪れた鹿鳴館時代、洗練された帰国子女の彼女は「鹿鳴館の花」と呼ばれるように。しかし捨松が本当にやりたかったことは、日本における女子教育の普及。留学仲間の津田梅子らと協力して奔走する。

    著者は捨松のひ孫にあたる。しかし大山巌と前妻との娘の子孫なので直接の血縁はない。

    私は幕末・会津藩おたくの延長で読んだけれど、どちらかというと本書は、アメリカでのホームステイ先であったベーコン家の娘アリス・ベーコンに捨松が送った手紙や、アメリカの大学、図書館等に保存されていた資料をもとに構築されているので、日本初の帰国子女として捨松がどう生きたかのほうに焦点を絞られています。幼少時の会津戦争での経験談などは序盤に少しあるだけで(これはこれで大変貴重)以降はまったく、仲の良かった次兄の健次郎さえほんの少し名前が出る程度で、兄弟の記述がないのがちょっと寂しい。とはいえ、一人の女性の波乱万丈の人生の記録としてもとても興味深いのでこれはこれで読み応え十分。

    2013年の大河ドラマ「八重の桜」にも少しだけ登場しましたが、捨松を演じたのは水原希子、アメリカかぶれで自由奔放、キャピキャピのギャルのように描かれていて大変腹立たしかった思い出(苦笑)実際の捨松は、会津人らしく非常に生真面目な人だったのだと思う。国費で留学させてもらった以上、日本の役に立つことをしなくてはならない、という使命感のようなものにずっと彼女は駆られており、鹿鳴館でドレスを着て踊っているときでさえも彼女はきっと、政府高官である大山巌の妻として各国の外交官から日本に良い印象をもってもらえるように振る舞わなければならないという責任感からそうしていたのだろうなと。

    大山巌との結婚についても、多少なりともそういう義務的側面があったのかもしれないけれど、良かったなと思うのはこの大山巌、明治まで生き残った幕末の人物としてはかなりの好漢、人間的に器の大きい人だったこと。当時の縁談といえば家同志が勝手に決めて本人の意向は無視でも当たり前だったろうに、相手の人となりがわかるまでは、という捨松の言い分を聞き入れて何度かデートをしたというエピソードなど微笑ましい。それだけに徳富蘆花の「不如帰」事件は大変腹立たしい。捨松の継子いじめ等という事実がなかったことは、継子の子孫である著者が本書で証明してくれています。

  • 前向きな力をくれる手紙です
    捨松のひ孫である著者が、捨松のことを知りたいとアメリカに渡り、多くの方の協力を得て、大切に保管されていた捨松からの手紙等の写しを頂き、その手紙を引用しながら捨松の人生をたどっています。

    すがすがしく、凛とした手紙を読んでいると、こちらまで前向きなエネルギーを頂けるようです。

    それにしてもスーパーレディーとしての捨松はもちろん尊敬すべき女性ですが、捨松を受け入れたアメリカの家族、友人、著者に協力をおしまず、捨松の手紙を米国議会図書館へ寄贈するよう計らわれた方々など、人と人を結ぶ方々みなさまへ感嘆しながら読ませて頂きました。

  • 日本で初の女子留学生で、大学を卒業した女性。
    幕末で生きるのに、とても歴史に貢献した人物です。
    日本の昔を思うと、今はすごく良くなり?ました。
    あの頃の女性と今の女性を比べると、私は感謝したい気分です。

  • NHKの大河ドラマ『八重の桜』は、まさに会津の汚名雪辱のためのドラマで、八重はもちろん新島襄も魅力的な人物に描かれている。だが、それにおとらず、人を引きつけるのは八重の兄、山本覚馬である。かれは洋学に志し、藩政改革に取り組み、のち薩摩との戦いで失明するが、荒廃した京都の再興に尽力し、市議会の議長まで務め、それをやめたあとは、新島襄を助け同志社設立に貢献するなど、大きな働きをした人だ。しかし、これまでぼくはまったく知らなかった。(安藤優一郞『山本覚馬』PHP新書)会津藩出身でさらに出色なのは山川家の人たち、浩、健次郎兄弟、その妹の捨松である。捨松は明治4年の岩倉使節団に同行してアメリカへ留学した女子留学生5人の一人であることは知っていた。このうち、もっとも有名なのは津田梅子であるが、捨松については、かつて伝記を買った記憶があった。それで書架をさがすと現れたのが本書である。原著は1988年の出版、ぼくが持っていた文庫本は1993年の出版で、なんと20年間も書架に積ん読されていた。本はいつか読むために買うとはよく言ったものである。捨松はのちに陸軍大将大山巌の妻となる人だということは知っていたが、なぜ、敵である薩摩の大山と結婚したのかとか、後の人生はどうだったかについては、本書以外にどうも知るすべがないらしい。本書は、捨松の孫にあたる久野明子さんが、偶然出会った捨松の手紙、それは捨松がアメリカで知り合った親友アリスにあてたものであったが、それの読解を通じて、捨松がアメリカでどのような青春を送り、帰国後アメリカで学んだものを生かせず悶々と暮らしていた日々、大山と結婚し、陸軍大将夫人として、多くの社会的活動をした姿を生き生きとよみがえらせてくれた。なかでも、日露戦争での銃後の婦人たちへの精神的、物理的援助を書いた手紙には、女、妻、母としての本音が綴られている。久野さんが本書を書いた一つの目的は、徳冨蘆花の『不如帰』のモデルとして酷く描かれた捨松の真実を描きたいという気持ちもあったというが、その思いも充分果たされている。

  • 「日本初の女子留学生 大山捨松とその時代」
    なんて何のけれんみもない地味なタイトルとか、
    「会津っ娘、亜米利加へ行く - 日本初の女子留学生」
    なんてコミカルなタイトルもどうかと思うが、よりにもよって「鹿鳴館の貴婦人」なんて、本人にとって最も自分の本質とはずれたタイトルをつけられて、捨松さんもあの世で苦笑しているだろう。
    あとがきを読めばこのタイトルが著者の本意ではないことも、本編を読んだ後では非常に納得がいく。
    捨松さんはおそらく人生の最後まで、国費留学生たらんとしたのだろう。
    この留学生という言葉の重み、今のこの時代とは比較にならない。明治初期、日本が国際社会の一員になるべく、滑稽なまで一生懸命西洋文明を取り入れようとあがいていた時期、留学生とはすべからく国を背負ったのだ。そして帰国後も様々な形で、自分が得たものを日本という国に還元しようと努力し続けたのだ。この本を読んで、改めて明治という時代の特殊性を考えさせられた。

  • 会津藩家老山川浩の妹であり、会津篭城を経験した咲子。彼女がのちに日本の女子留学生第一期生となった大山捨松です。著者は彼女の曾孫で、経歴をいかして今まで研究があまりされていなかったアメリカにのこる捨松の史料を発掘し、まとめたのがこの本。日本史ではないものの、西洋史専攻と歴史学を学んだ著者で、かなりしっかりした文体で面白い。捨松という女性について知るだけでなく、彼女を通して幕末明治が見えてくると思います。巌が可愛い…。

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