- Amazon.co.jp ・本 (265ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122020368
作品紹介・あらすじ
私はここまで来た。この山に、この身に、この心に、何が起こるかを見に来た-。浅間山頂の景観のなかに、待望のその時は近づきつつある。古代ローマの博物学者プリニウスのように、噴火で生命を失うことがあるとしても、世界の存在そのものを見極めるために火口に佇む女性火山学者。誠実に世界と向きあう人間の意識の変容を追って、新しい小説の可能性を示す名作。
感想・レビュー・書評
-
科学と物語、人間と神話…
広告業界のある男は言う。
世界というものが、現実のすべてが、そのまま神話であり、物語であると。
人はちょっとした話を作りあげる。
贋の神話、贋の物語。
闇に脅えぬように自分たちを護ってくれる精霊を、天には神が存在し自分たちを見守ってくれることを。
そうやって贋の神話を信じることで、人は攻撃的になり相手を駆逐し文明を生んできた。身が滅びることを承知で、英霊となって祖国に帰れると信じ自爆攻撃もしてきた。
人は否応なしに神話に浸って生きている。
ある火山学者の女は言う。
それは事実であろう。
しかし、自分はなんとか神話の媒介なしに、事実そのもの、世界そのものを見たいと。
男は反論する。
世界そのものなんてないのだと。世界というのはそのまま神話なのだと。
男は神話とか物語とか、そういうものの製造と販売を仕事にしてきた。
できあがった物語として人に聞かせるのではなく、相手の心を読んで、それに合わせた物語を提供する。
世界もまた人が望むような物語を人が作り人に聞かせてきたのだ。
それでも女は信じない。
世界はそのような情報を寄せ集めた、神話や物語を積み上げてできたものではない。
世界とは神話の媒介なしに、事実そのもの、世界そのものに迫り見ること。
女は山に登る。
わたしはなぜ、ここにいるのか?
何をしようというのか?
「この感覚、山の上で空を見て、身体の中から淡い疲労感がゆっくりと潮のように引いてゆくのを見ている感覚。この感覚の中にじっと坐っていられるなら、どんな物語も神話も必要ない。これが生きる感じだと信じてじっとしていられる。」 (P253)
それを知らないのは、あなただけだよ──
「かつてプリニウスの身体を構成していた炭素と酸素と窒素と水素はもう地球全体に散って、大気の中を漂ったり、深海を泳ぐ魚の一部になったり、北方のシラカバの幹に取り込まれたり、赤鉄鉱の中で鉄の分子と結んだりしている。それらすべてを乗せて世界は変わらないままに変わりゆき、その全体を頼子は眠りの底で感知している。それを女神ペレが見ている。時の水面が一ミリずつ上昇し、世界を浸してゆく。その中に頼子は溺れる。」 (P254-255)
池澤夏樹さんの小説を読むといつも、わかるとわからないの感覚の間でたゆたう。そして夢のような情景がいつまでも降り注いでくるのだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
著者の作品をこれまでに数冊読んだ中で、最も心に残っている。昨今、人類にとっての神話、物語、ナラティブの重要性があちこちで聞かれる気がする。けれども本作は、神話に眼を曇らされて世界をじかに見ようとしない態度は、偽りの生き方にもなりかねないと伝えてくる。しかも途中で登場する易者の言葉は、科学的なアプローチさえ、真に世界を受け止めようとすることをスルーしかねないものがあることを仄めかす。
物語でも科学でも同じことで、私たちは何かと、説明ばかりつけようとしていないだろうか。ほんとうに世界を知るとはどういうことなのか。目に見えない問いがすごく心に刺さる。
そのうえで改めて、主人公がバイオリズムに委ねて手紙を書くくだりを思い返すと、ふつうはこういう手紙の送り方はあまりしないわけだから、もしかしたら人間は生き物の感覚を忘れすぎているのかもしれなくて、なんてものごとを複雑にしないと生きられないんだろうと思う。 -
金大生のための読書案内で展示していた図書です。
▼先生の推薦文はこちら
https://library.kanazawa-u.ac.jp/?page_id=18358
▼金沢大学附属図書館の所蔵情報
http://www1.lib.kanazawa-u.ac.jp/recordID/catalog.bib/BN09878698 -
火山学者である頼子は、広告の仕事をしている門田と出会い、彼にある嫌悪感を抱く。門田はあまりにも軽率に言葉を濫用している。彼の仕事は頼子に言わせれば「贋の物語、贋の神話を作って、それを新製品にもったいぶってくっつけること」であり、彼自信が言葉や妄想で真実や本当の気持ちを覆ってしまい、ずいぶんと不誠実な人間だと頼子には思えた。しかし、彼に対するこの嫌悪感はすぐに頼子自信に返ってくる。彼女もまた科学という権威ある神話の中で安穏と生活をしている。火山が噴火するメカニズムは解けても、真に迫りくる脅威としての火山は知らない。頼子もまた閉じられた神話の中で生きていたことに気づく。そして、世界の真実に迫るために科学の外部へと一歩を踏み出すところで小説は終わる。
たまには世に溢れかえった情報から逃避して、からっぽの状態で世界に向き合うことのススメ。 -
本を読むときに、作家がどのレベルで人間を見ているかということを感じるのはとても重要で、そのレベルがわたしと一致しているかわたしの求めるものでない限り、読書というのは多かれ少なかれ空虚なものになりがちだとおもう。池澤夏樹の人間に対する向き合い方はすごく好き。好感が持てる。それに加えて、この本では自然の描き方もとても素敵だった。自然に向き合ってきた人の書き方だと、体感ゆえの書き方だと、だからこんなに迫ってくるものがあるのだとおもう。理系の煌めきをぎゅっと文学に凝縮するものの、物語としての魅力を失わせないストーリーテラーとしての才能。好きすぎる。真昼のプリニウスだと、読み終わったあとに思わず呟いてしまう。上手すぎる。
-
世界を理解するためにはどのような態度をとるべきかのヒントになる。自らに都合のよい部分を切り取ってつくりあげた物語や神話に(宗教もそうかも)、居心地の良さを求めるか、あるは己の好奇心を原動力とする自然科学的探究の行動を実践するのか。後者を選ぶときにはプリニウスや野ウサギの運命のような過酷さを受け入れる覚悟が必要だということ。その覚悟をきめ、行動することを選ぶ火山地質研究者・頼子の逞しさ。
頼子の意識が、ハツの手記、壮伍の手紙、戸井田教授、神崎、門田との交流を通して研ぎ澄まされていくのが、この小説の醍醐味だろう。浅間山が舞台となる印象的な終幕。読後の余韻が深い。 -
f.2023/8/29
p.1993/10/12 -
広告会社の男のような、浅薄な物の見方をしがちであるのだが、難しい。見える方向に目を向けるということがだ。
-
この一年に渡り、正に病むるときも健やかなるときも、池澤氏を読書の中心に据えてきた。氏の少し硬めの文体が僕にはとてもしっくりくる。そして登場する女性がとてもキュートでチャーミングで理知的だ。ストーリー展開は?なものもあるが、色々と助けられました。