空海の風景 (上巻) (中公文庫 し 6-32)

著者 :
  • 中央公論新社
3.69
  • (98)
  • (136)
  • (159)
  • (27)
  • (6)
本棚登録 : 1672
感想 : 131
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (370ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122020764

作品紹介・あらすじ

平安の巨人空海の思想と生涯、その時代風景を照射して、日本が生んだ最初の人類普遍の天才の実像に迫る。構想十余年、著者積年のテーマに挑む司馬文学の記念碑的大作。昭和五十年度芸術院恩賜賞受賞。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 空海は神秘的な要素が多い。

    何かに導かれるように山を練り歩き、光を飲み込み、遣唐使の船に乗り込んで、遭難しかけるも長安まで辿り着いちゃう。

    神童的な子供時代、唐に渡るまでの謎の期間、唐に渡ったらペラペラネイティブ。

    失敗しない、ファインプレーの連続。

    そして論理的でありながら、言葉で表現出来ない神秘的な要素を腹に持っていて、傍若無人に物事を乗り越えてゆく。

    可愛げはゼロ。

    本人の目線での感情表現が一切ないからかもしれないけど、とにかく最強という感じ。

    書き方も、空海は辛かったと思うけど、どうだろ、正確には分かんない、って感じで書いてあるので、のっぺりしてる。

    それでも長安に入ってからの空海は興奮していたように感じた。

    長安の風景が幻想的に浮かぶ。

  • ブクログで小説のカテゴリで初めて★5をつけた。かつ暑苦しい司馬遼太郎の小説で二度読んだのは「関が原」と「空海の風景」だけ。それぐらいこの小説が好き。

    空海は約1200年前の人物であり、そういう遥か昔、かつ宗教と言う精神世界のことを小説になんかできるわけないだろう、という作者の開き直りからこの独特の小説が生まれるわけだが、まさに小説と言うよりも心象スケッチである。

    でも、それがよい。司馬遼太郎の想像力や思考がどういうものであったか、そして中世の日本人や中国人、そして仏教のことがおぼろげながらもいろいろ理解し、消化されていくようでなんとも好奇心をくすぐられる作品になっている。

    先日訪問した高野山のある住職の方が、「空海と言うのは"日本的"と言われるもののほとんどすべてを作った。いわば日本と言うOSを作った人という感覚。そう長くはない活動期の中でこれだけのことをやれたという点において、アリストテレスやレオナルド・ダヴィンチと並び称されててもよいぐらいである」とおっしゃっていたのだが、そういった空海の類まれなる才能はこの作品を通じても余すところなく伝わり、それを司馬遼太郎はある種のうさんくささをもった人物として空海を表現している。空海とは、それぐらい実力も山っ気もある人物だったのだろう。

    今年高野山は開山1200周年。この小説を読んでぜひ高野山にいってみよう。

    (上下巻共の感想)

  • 「空海の風景(上)」司馬遼太郎著、中公文庫、1994.03.10
    371p ¥720 C1193 (2024.01.19読了)(2024.01.15拝借)(2002.01.30/16刷)
    文庫版の初版は1978.01.10で1994.03.10改版です。単行本は、1975.10刊行です。

    空海、密教について辞書には、以下のように書いてあります。
    【空海】(774-835) 平安初期の僧。日本の真言宗の開祖。諡号、弘法大師。讃岐の人。804 年最澄らとともに入唐し、長安の青竜寺恵果に学ぶ。806 年帰朝して高野山金剛峰寺を開く。嵯峨天皇より東寺(教王護国寺)を賜り、その翌年には大僧都に任ぜられた。日本最初の庶民学校である綜芸種智院を設立。書にすぐれ三筆の一人にあげられ、「風信帖」などの名品がある。また、詩文にも秀でた。後世、広く庶民信仰の対象として尊ばれた。著「三教指帰」「十住心論」「弁顕密二教論」「性霊集」「文鏡秘府論」「篆隷万象名義」ほか。
    [ 大辞林 提供: 三省堂 ]
    【密教】大日如来を本尊とする深遠秘密の教え。加持・祈祷を重んじる。7、8世紀ごろインドで起こり、唐代に中国に伝わり、日本には平安初期に空海・最澄によって伝えられ、貴族などに広く信仰された。空海の真言宗系を東密、最澄の天台宗系を台密とよぶ。
    [ 大辞泉 提供: JapanKnowledge ]

    密教というのは、仏教ではないというか、お釈迦様の教えではないんですね。知りませんでした。
    この本は、小説というよりは、随筆というか、随想という感じですね。空海について生まれてから勉強して、修行して、唐に渡って日本で勉強したけど、よくわからいところがあるので確かめたい、といったあたりのことを、あんなことを考えたのだろうか、こんなことを考えたのだろうか、あの人とこんな会話をしたのだろうか、と思いを巡らせたことを書いています。

    【目次】
    空海の風景 一~十五

    ●「三教指帰」(58頁)
    演劇的構成でもって『三教指帰』を書くことによって、かれが大学で学ばされている儒教と道鏡と仏教の三者の優劣を比較し、結論として仏教のほうが他の二者よりはるかにすぐれているということをひき出すのである。
    ●思想家(166頁)
    思想家は本来、天の一角から思わざる思想を啓示されて誕生するのではなく、かれの思想を触発したものが何であれ、やがてかれが生むにいたるその思想は、かれの生まれながらのものの中に蔵されていると見たほうが自然でいい。空海は生命や煩悩をありのまま肯定したい体質の人間だったにちがいない。
    (「煩悩も菩薩の位であり、性欲も菩薩の位である」)
    ●日本の船はあぶない(199頁)
    朝鮮半島ではすでに中国式の造船法と航海術が定着していたにもかかわらず、四囲海洋にとりかこまれた日本にその技術が薄くしか入っていなかったということはふしぎというほかない。
    ●逆風の季節に航海(237頁)
    夏には風は唐から日本へ吹いている。が、五島から東シナ海航路をとる遣唐使船は、六、七月という真夏をえらぶ。わざわざ逆風の季節をえらぶのである。この当時の日本の遠洋航海術は幼稚という以上に、無知であった。

    ☆積読中
    「空海入唐記」前嶋信次著、誠光堂新光社、1983.11.25
    「空海」上山春平著、朝日選書、1992.10.25
    「徳一と最澄」高橋富雄著、中公新書、1990.06.25
    ☆関連図書(既読)
    「空海の思想について」梅原猛著、講談社学術文庫、1980.01.10
    「司馬遼太郎の風景(1)」街道を行くプロジェクト、日本放送出版協会、1997.10.25
    「司馬遼太郎の風景(2)」街道を行くプロジェクト、日本放送出版協会、1998.01.25
    「司馬遼太郎の風景(3)」街道を行くプロジェクト、日本放送出版協会、1998.04.25
    「司馬遼太郎の風景(4)」街道を行くプロジェクト、日本放送出版協会、1998.07.25
    「司馬遼太郎の風景(5)」街道を行くプロジェクト、日本放送出版協会、1998.12.25
    「司馬遼太郎の風景(6)」街道を行くプロジェクト、日本放送出版協会、1999.03.25
    「司馬遼太郎の風景(7)」街道を行くプロジェクト、日本放送出版協会、1999.05.25
    「司馬遼太郎の風景(8)」街道を行くプロジェクト、日本放送出版協会、1999.07.25
    「司馬遼太郎の風景(9)」街道を行くプロジェクト、日本放送出版協会、1999.11.25
    「司馬遼太郎の風景(10)」街道を行くプロジェクト、日本放送出版協会、2000.07.30
    「司馬遼太郎の風景(11)」街道を行くプロジェクト、 日本放送出版協会、2000.09.30
    (「BOOK」データベースより)amazon
    平安の巨人空海の思想と生涯、その時代風景を照射して、日本が生んだ最初の人類普遍の天才の実像に迫る。構想十余年、著者積年のテーマに挑む司馬文学の記念碑的大作。昭和五十年度芸術院恩賜賞受賞。

  • 数ある著書の中でも、とくに司馬史感の強い作品。1000年の時を隔てた思想的巨人の生涯を辿る作風なため、幾分か作者の想像が入り込むのは当たり前のことだが、ただの想像にとどまらない。司馬遼太郎特有の縦横無尽の知識をふんだんに用い、かつ、なにより愛のこもったまなざしで頭中の空海を見つめ文を紡ぐので、読者の目の前に空海の見たであろう風景がありありと広がるのである。まったく「風景」と呼ぶにふさわしい作品だと感じた。

    個人的におすすめの読み方は、Google mapsを片手に、文中に出てくる地名を逐次検索しながら読む方法。著者の特徴に、地名が詳細に記載されていることが挙げられる。空海は最初大陸のどの辺に漂流したのか、そこからどのような道筋で長安に向かったのか。この河を渡る際に、先に日本に帰る部隊と別れの儀を行ったのか、など、より鮮明にその風景を見ることが出来る。

    下巻が楽しみ。

  • ちょっと変わったタイプの読書になりました。
    多分、はるか以前・・・1年くらい前に、買ったんです。
    で、しばらくなんとなく放置・・・。半年くらい前に読み始めました。
    で、しばらくしてまた、放置・・・。

    司馬遼太郎さんの小説は、「それで育った」と言い切れるくらい、
    10代の頃に舐めるように読みました。
    ただ、この「空海の風景」はとっつきにくくて、読んでなかったんですね。
    なんとなく、折角今、近畿に住んでるしなあ、と。

    なんですけど、覚悟はしていたんですが。これ。
    小説・・・でもないんですよね。歴史本・・・でもないのですが。
    歴史エッセイ・・・。とでも言うべきか。
    でも、空海の人生を一応経年変化で追って行くんですよね。うーん。

    で、仏教に関してのいろいろな考察など、面白いんですけど。
    ちょっと乗り切れなくて、中断しちゃったんですね。
    それが、つい1週間ほど前からなんとなく、再開しまして。
    読んでいくうちに、面白くなりました。

    やっぱり・・・これは不思議な本です。
    司馬遼太郎さんの、まあ晩期にあたる1975年出版の本です。
    これ以降は「胡蝶の夢」「項羽と劉邦」「ひとびとのあし音」「箱根の坂」「菜の花の沖」「韃靼疾風録」。しか、書いてません。

    なんていうか、エッセイのような歴史本のような、でも小説なんですね。
    空海の人生をたどりながら、考察しながら、
    時折、
    「小説であれば、こういう場面であろう」
    「小説であれば、こう話しかけただろう」
    みたいな感じでちょっと小説っぽくなるんですね。
    でもすぐ、地の文とでもいうべき文体に戻ります。
    司馬遼太郎さんという個性と一緒に眺める、空海の風景。
    司馬遼太郎さんが語る、空海の風景。

    当然ながら、「竜馬がゆく」とか「燃えよ剣」とかに比べると、
    オモシロクはないんですね。でも、趣深いというか。
    ざっくりいうと、シブイ、とでも言いますか。
    なんていうか、

    「いや、別に、面白くも出来るけどね。
     ・・・あんまりもう、ウケ狙って面白くしたくは、ないんだよねえ
     なんかこう・・・そうじゃないけど、それなりに面白いっていうか
     そういうことしたいねえ・・・」

    という感じがするんですよね。
    この辺以降の晩期の司馬遼太郎さんって。
    (うーん 例外は「項羽と劉邦」か・・・アレは、無茶苦茶面白かった記憶が)

    だから、この「空海の風景」では、
    序盤だけ出てきて消えていく美女とか、
    そういう構成破綻がありません(笑)

    それで、確かにこういう手法と語り口でしか味わえない、
    平安時代の風景、司馬遼太郎が語る古代史の香り。
    それを楽しみつつ、それでもやっぱり、司馬さんの小説だなあ、と思ったのが。
    主人公・空海。やっぱり司馬さん好きなんですねえ。
    ほんとの空海のことは、僕はさっぱり知りません。
    だから、別に何も批判でも賞賛でもないんですけど、
    とにかく "司馬空海" さんは、やっぱり合理主義者だし、楽観主義者だし、カラっと晴れたところのある人。骨太な英雄タイプ。

    そして、そういう空海が、歴史の中にムックリと立ち上がる瞬間。
    コレ、上巻の見せ場なんですけど。

    遣唐使になって、団体の末席みたいにして唐に渡ります。
    渡った先で、正式な日本の使者団と認められず、100人を越す団体が、
    死ぬか生きるかという瀬戸際に追い詰められる。
    打開するには。
    「唐の役人たちが、のけぞるような、知性と品格溢れる漢文」
    を書いて、提出するしかない。
    そこに、全員の生死がかかってるんですね。
    そこで、身分の低い末席の空海に白羽の矢が。注目を浴びる空海。
    全く揺るがない自信。毛穴から溢れる才能。
    書き出す。書き続ける。その文章が、唐の役人をのけぞらせ、中国の知識人たちがひれ伏し、遣唐使一行を救い、空海を歴史の舞台へと一気に押し上げます。
    もう、この辺の描写なんて・・・。小説じゃないんですよ。でも、物凄いワクワク感に震えます。小説でもないのに。
    ここんところの不可思議さ、ほんとに魅力ですね。
    司馬マジック。

    そして、なるほどなあ、と思うのは。
    この遣唐使に、空海と最澄と両方いたんですね。
    こういう歴史のワクワク感を掴み取るのが上手いんですよね。司馬さん。

    という訳でこれは、
    「司馬遼太郎版・遣唐使」
    であり
    「司馬遼太郎版・奈良~平安日本仏教史」
    でもあります。

    なんだけど、そこがすごいなあ、と思うのは。
    僕は別に仏教の深奥についての興味はありません。
    司馬さんは仏教に詳しいし、興味もすごくあるんでしょう。
    僕は仏教について突っ込んでいく文章のときは、正直、流し読みしちゃいます。

    でも、面白いんですね。

    うーん。
    阿佐田哲也さんの「麻雀放浪記」は、麻雀のルールが分からなくても、面白いから傑作だ、ということなのか。

    でも、逆に興味なくても、ある程度仏教のことが分かってきちゃうんですよね。
    三浦しをんさんの「風が強く吹いている」を面白く読んでたら、嫌でも箱根駅伝の仕組みや見所が分かってしまう、ということなのか。

    どうやら下巻は、上巻より面白そうです。
    楽しみです。
    でも、読了は年明けになるかなあ。

  • 空海さんたらむっつりスケベなんだから。でもその欲をベクトル変換して高次な精神世界に昇華できるんだから偉大だ。

    この本は史料なんだろうが、読んでいて「研究」という堅苦しさを頭から忘れさせてくれる爽やかさが感じられる。
    誰かもレビューに書いていたが、本当に風景がそのまま伝わってくるようだ。

    並行して陳舜臣の『曼荼羅の人』を読んでいるのだが、互いにいい影響をだしあって、2冊ともとても読みやすくなっている。

    ~本文で印象に残ったとこ~
    空海は当時では命がけの遣唐使船に乗り込んだが、全く恐怖はなかった。というのも、彼は自身が日本に密教を持ち帰るための使者としての天命を持っているのだから、途中で失敗するなどという考え自体が微塵もなかったのだ。

    そういえば、黒柳徹子さんもユニセフで地雷地帯に行った時、地雷原に現地の子供のサッカーボールが入ってしまったのを何の装備もなくとりに行ったんだとか。というのも「自分はここの子供たちを助けるという使命を持ってここにいる。だからここで死ぬはずがない。」かららしい。

    使命感のある人生って痺れるね!!

  • ほとんど空海については予備知識もなく読んだ。
    俗名が「佐伯真魚」であった(らしい)ことさえ、知らなかった。

    その時代や、空海の人となりについて、司馬遼太郎的解釈かもしれないけれど、イメージができてきた。

    上巻は、空海の唐での留学生活までが描かれる。
    同じ遣唐使船で渡った最澄とは、境遇から人柄まで、対照的。
    「弘法筆を選ばず」という言葉ひとつで、勝手にストイックな人物というイメージを持っていたが、むしろ溢れる才能を見せ付けることに躊躇しない、あくの強い人物であったようだ。

    読んで楽しいのは、やはり唐へ渡るあたりから。
    文章もいきいきとしてくる。
    一緒に唐に渡った橘逸勢との関わりも加わって、「小説的」になってくる。

    「小説的」ということで言うなら、不思議な小説だと思う。

    「いまさらあらためていうようだが、この稿は小説である。」(一、p31)
    「この章では、少年の空海が、奈良を出て長岡へゆくことになっている。」(二、p59)

    上のように、この本が小説であることを、あちこちで自己言及している。
    読者を歴史の現場にまるで立ち会わせるかのような書き方をするものとは一線を画している。
    資料を読み、識者の話を聴き、そしてゆかりの土地へ行き、そうしたなかから立ち上がってくるものを掴み取ろうとしているこの叙述の意図はよく理解できる。
    司馬遼太郎の作品は、この間やっと『坂の上の雲』全巻を読んだだけだ。
    だから、本書のような作風が、空海という伝説に彩られた、古代の人物だからわざわざ選び取られたものなのか、それとも司馬が歴史ものを書くときに特有なものなのかはわからないけれど・・・。

  • 空海の幼少期から唐に入り密教を授かるため恵果を訪問するまで書かれています。空海の風景という題名の通り、空海が見た風景、あるいは空海を写した風景を司馬遼太郎の考察を多分に含み表現しています。小説というよりは考察文に近い印象を受けるほどです。10代で三教指帰を書く天才性(しかも仏教の優れさを戯曲で表すという発想性)、唐に入った後の地方役員に上奏した漢文の見事さなどが伝わってきます。また仏教にただ詳しいだけでなく社会を渡り歩く機微も持ち合わせており、本当に杞憂な人物だなと思います。空海についてもよく分かり面白いのですが、遣唐使の航海の厳しさや唐の長安の先進性(人種差別がなく、多様な人種を受け入れ、宗教でさえ様々な宗教が保護されていた)や街路樹を植えていたなどの街造りとしての先進性もあったことに驚きと魅力を感じました。改めて司馬遼太郎の造詣の深さを感じることができる本です。

  • 司馬遼太郎の本は久しぶり。梅原猛の「空海と最澄」を読み、空海に興味を持った。下巻にはまさに空海の全盛期が出てくるので今から楽しみ。そのイントロ的上巻として実に面白かった。

  • 完全な小説でもなくノンフィクションのドキュメンタリーでもないという難しいスタイルにもかかわらず、とても引き込まれました。本書を通じて題名通り空海がどういう人物であったか、空海がどういう風景を見ていたかということで、司馬遼太郎氏の執念のようなものを感じました。かすかな手がかりでさえ用いて空海がどういう人物であったのか、どのような人物に囲まれていたのかということで、司馬遼太郎氏の想像力の世界を通じてですが、空海の深奥な世界に引き込まれました。一気に読めます。

全131件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

司馬遼太郎の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×