- Amazon.co.jp ・本 (215ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122020863
感想・レビュー・書評
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小川洋子 著
小川洋子さんはとても好きな作家さんで、
少し前に久々に読んだ『まぶた』も、やはり良作で面白かったけど、短編小説だったのが物足りなく、
また長編小説を読みたいと思い手にした本作(まだ読んでなかったのか…?と思った。)
題名の『シュガータイム』のように、
サラサラと溶けてゆくように、あっという間に読んでしまった。青春の淡い記憶のような小説で、今度は物足りなさは感じなかった、小説としては完成されていたから。
ただ、小川洋子さんにとってもまだ淡いような感覚のこの物語りは青春時代を振り返って、
これからの人生がまだ続いてゆくことを示唆しているような小説だった。
林真理子さんの解説が際どくも面白く本作の内容を言い当ててる気がする。
ただ、解説の最後の方で…
「わたしたちのシュガータイムにも、終わりがあるっていうことね」「砂糖菓子みたいにもろいから…中略…そういう種類のものじゃないかなぁ」という締めくくりはあきらかに余計である。ときっぱり切り捨てている、
(私も実は感じてた違和感はその辺りか…?)と思って読んでいると、
この最初の長編小説を書いてた頃、小川洋子は自分の”ヘン”にまだ腹をくくってなかったにちがいない。と続く、
これは意地悪な感想ではなくて、この時のまだ若い小川洋子の中にある”ヘン”が開花することへの期待と小川洋子への愛情の裏返しの言葉のように感じられました。
脱線したけれど、本作はまたしても、冒頭から心を掻き立てられる。
不思議で奇妙な世界に引き摺り込まれる感覚が、妙に感じるのに、淡々とさりげなく語りつつ、描写は細かくいつも魅力的だ。
奇妙な事態や症状に巻き込まれて不安になるのに、今はとりあえず、特に問題なさそうだからと甘んじている訳ではないが、とにかく今はこの状況のまま突き進み溶けこんで状況を見極めようとしている。
しかし、本当はこのままでいいはずはないと自分で受け止め分かっているから、その時が訪れるのを見逃さないようにしたいと思ってることも事実で、
その感覚が読んでいる方にも少し安心感を与えてくれる。
異常な食欲も変で不安ではあるが、美味しいと感じてどんどん食べる感覚やスーパーに陳列する食べ物を手に取って料理したり食べたりすることに、こちらも、その美味しさが伝わってきて(@ ̄ρ ̄@)悪い気はしないどころか心地よい気分にさえなる(^^;;笑
人の体や奇妙で過剰なものについても、それよりもその者が持つ一点の美しさに魅了されて、その他のことはとりたてて騒ぐようなことじゃない気持ちにすり替わる。
奇妙な事柄も、この世にあるのは当たり前の事で、ある意味、其れは人の人生に於ける中のひとつの症例に過ぎないように、よくあることじゃないとも思えてしまう。
よくあることじゃない!そんなことで済まされない!と思うこと自体、誰彼なしにあるのではないだろうか?そんな気分になった。
哀しみもさめざめと泣く心の内を哀しみの色で鮮明に表現しているところが、小川洋子さんの描く世界の好きなところだと思う。
まばたきの美しい小さな弟のことを読んでいると、かなり前に読んだ
『猫を抱いて象と泳ぐ』の本を思い出した。
あの小説は、上手く言葉に出来ないけれど、とても哀しみの色が濃過ぎて胸に痛くて涙が溢れて読後も暫く泣いた。
本作は悲しくて見過ごせないような哀しみの色合いのものと飄々とした明るい部分と溶け合った青春時代の甘酸っぱい気持ちを感じることが出来た。
暗い気持ちを引き摺らずに、清々しい気分で乗り越えられた作品だったと思います。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
手元にあるのは1991年に出版された単行本です。
実家にあったので読んでみました。
とても綺麗で静かな文章だなと感じました。
内容は食欲がおかしくなった女子大学生が主人公の青春物語だと思います。
以前、博士の愛した数式を読みましたが、私にはしっくり来なくて。
今回は読めたのですが、やはりしっくりとしてなくて。
小川洋子さんはたくさんの作品を書かれていて気になるのですが、私には合わないのかな〜と少し残念に思っています。 -
小川洋子の文章は品が良いのに、どこかちょっとこちらを不安にさせるし、少しだけ恐い(それらはプロットの問題だけじゃない気もする)。この初期作品でも、その印象はぜんぜん揺るがなかった。
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春に近づくこの季節にこの本を読めてなんだか良かったなあ、と思った。
主人公のかおるやその弟、恋人の吉田さん、それぞれが人とは違うこと(異常な食欲や病気等)を持っているけど特段それに悩まされることもなく淡々と日々を過ごしていく。
大きな感情の波も無くごく当たり前にも思えるような、そんな優しい情景ばかりが描かれているけど紛れもなく彼女たちが過ごした時間は甘くほろ苦い青春だったんだと思う。
私は中学から高校へと進み、皆が若さを言い訳に出来る甘酸っぱい時間が終わりに近づくことを悟り始めた途端に口を揃えてやれ青春だ一致団結だと言い始めることに同調圧力じみた気持ち悪さを感じていて、青春という言葉を口に出すことを気恥しいことのように感じていた。
けどこの本を読んだあと、紛れもなく私は今過ぎ行く青春という時間の中にいるんだろうなあと素直に呟ける気がする。
かおる達が一度目に野球場に行った時、二度目に野球場に行った時で抱く感情が違うように日常を過ごす中で今にしか感じられないものは沢山ある。
だから別に学校に行けなくったって、夏休みを太陽の下で謳歌出来なくったって、今の過ぎ行く時間を愛おしく思えているということ、それだけで胸を張って青春を過ごしていると、現在進行形でそれなりに私も甘酸っぱい時間を過ごしていると思えた。
小川洋子さんの書く文章はどれも儚げで優しくてどれも噛み締めたくなるようなものばかり。 -
#シュガータイム #小川洋子 さん
#読了
食欲が異常な主人公、大きくなれない無垢な瞳の弟、プラトニックな関係の恋人。奇妙な世界観が広がるが、美しく、グロテスクさは薄く軽やかな感触。
心の痺れを甘美と温もりが覆ってくれる儚いひと時。
どれだけ食べても体重が変わらないのは羨やましくある。 -
静寂と哀しみと食欲。
奇妙な三重奏。
著者ならではの独特な世界。
真由子がいない世界は考えられない。
逆に、かおるのバイト先のホテルでのアイスクリーム・ロイヤルと背の低い男性のエピソードは何のためになぜ語られているのか。
しばらく考える。 -
脆く今にもこぼれてしまいそうな美しさと醜さを、ヴェールに包んで差し出してくるような儚さを感じる物語だった。食に魅了されていく主人公の様子や、弟のまつげの描写がとても綺麗であった。病という言葉の中には収まりきらない彼女たちの姿を、これから先もふと思い出す事があるだろうと思う。
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季節の描写がものすごく美しくて、はかなげで淋しい感じがした。
多感な年頃って、いったいいつのことを言うのだろう。
人間って淋しい生き物なんだなぁって思う。
真由子の友情が健気で、優しい。
決して力強い文章ではないのに、何だか勇気づけられる。 -
かおるは異常な食欲に苛まれていた。普通の女子大生が食べる量を遥かに上回る食べ物を無意識に食べてしまうのだ。原因も分からず、突然、湧いた食欲を抱えたままの、かおるだったが、親友や恋人、複雑な関係ではあるが仲は良い弟に囲まれて穏やかな生活を送っていた。しかし、恋人が交通事故に遭ったことをきっかけに、彼女の生活に暗雲が立ち込める。
この本を読み終えた時に、かおるの食欲の正体は何だろうと考えました。
初めに思いついたのは、「恋人への不満」。食べるという行為は、よく性欲のメタファーとして用いられるので、夜にベットに一緒に入っても語り合って眠るだけの恋人に対して不満を持っているのではと思ったのです。
著者プロフィール
小川洋子の作品





