- 本 ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122022423
感想・レビュー・書評
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司馬遼太郎の代表作『坂の上の雲』に登場する正岡子規(1867-1902)と深い関わりのあった人々の人生を偲んで綴られた、読売文学賞受賞の長編随想。子規の三歳下の妹・正岡律(1870-1941)は、20代から30代にかけての7年間を兄の看病に終始し、そのことに全てを捧げた女性、子規の叔父(加藤拓三)の子で正岡家の養子となった正岡忠三郎(1902-1976)、忠三郎の親友で『子規全集』の発刊に尽力した西沢隆二(1903-1976)らを中心に、明治・大正・昭和の激動の時代を生きた人々の人生譚。
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下巻にて、纏めて書きます。
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正岡子規の周辺とその子孫にあたる方々のファミリーヒストリー。著者の見つめる視点が愛情に溢れ、ひとつひとつの表現が味わい深い。
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2019.12.20(金)¥100(-25)+税。
2020.8.18(火)。 -
上下巻にわかれているからてっきり小説作品かと思いきや、見当違い。
シバさんが信州は佐久にある病院に見舞いに行く必要があったことを語ったくだりが「街道をゆく」のどこかに出てきたことは記憶していたのだが、それがどの巻だったかまでははっきりしない。本作の著述の時期を照らし合わせれば追えるのだろうけど、その頃がシバさんにとって想像以上に大変な時期であったことが明かされる。
その入院患者がタカジという人で、忠三郎がつながり、子規と好古、真之が芋づる式にでてくる。つい前のめりで読んでしまった。
いつの日か「坂の上の雲」と「街道をゆく」該当巻と本作、三点セットでがっつり楽しみたい。そのためにもまずは下巻、下巻。 -
本書、スタイルは完全にエッセー。著者とも交遊のあった、正岡子規の養子忠三郎とその同期生にして友人のタカジ(ぬやまひろし)、富永太郎らの生い立ちや人となり、日々の生活を綴った書。
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正岡子規と司馬遼太郎をむすぶひとびとの人生を、愛情を込めた筆致で描いている。著者の曇りのない、落ち着いた人物・人生描写に感服。そこに近代の日本社会の様相もうかがえる。名著。
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レビューは下巻で
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40を過ぎてから読んで良かったなあ、という本でした。
実に不思議な小説。1981年に発表された本です。中公文庫さんで、上下巻。
小説、というか、「エッセイ風私小説」とでも言いますか。
司馬遼太郎さんと言えば、「乱世の、(戦国か幕末の)英雄を描く歴史小説」な訳ですが、この本は違います。
要は、執筆当時の現代劇。司馬遼太郎さんが、簡単に言うと自分のお友達を書いた本。
お友達と自分との交流と、お友達の生涯履歴を振りかえる。
実在の人物です。つまり、実話です。
というか、司馬さんはどうやら。
ご自分のお友達をふたり、書きたかったんだと思います。
なんというか、そのふたりの佇まいというか、ヒトとしての味わいが好きだったのでしょう。
本文中で書いていますが、そのふたりが亡くなった後で、とにかくそのふたりの足音を、まだもっと聞きたかった、という本です。
お友達のひとりは、正岡忠三郎さん、という人です。
この人は、有名な正岡子規さんの養子です。
正岡子規さんは俳句や短歌の改革をした明治の文学者。
子供どころか結婚もしないまま、闘病の末に早世しています。
子規の死去後、遺族(子規の母と、子規の妹)が養子を取ったんです。親戚の幼子を貰いました。
なので、養子の忠三郎さんは、正岡子規さんとは面識がありません。
この正岡忠三郎さんは、正岡子規の養子として育ったわけですが、文学者にはなりませんでした。
東京出身だけれど、東北の大学に進学して、卒業後は関西で「阪急」の社員になりました。
紹介があり、結婚して、添い遂げました。とにかくこのあたり、昭和の戦前のことです。
そして戦後も、阪急の社員として、電車の車掌さんをやったり、デパートの売り場で働いたりして、無事退職して、老いて、亡くなりました。
そして、正岡子規についての取材からみで司馬さんと出会います。
晩年の10年間くらいは、司馬さんと(恐らく家族ぐるみで)友人としての交際があったようです。
もうひとりは、「タカシ」と呼ばれる、日本共産党の元幹部の人でした。
ぬやま・ひろし、という名前の詩人でもあります。
この、ぬやま・ひろし さんは、正岡忠三郎さんの学生時代からの友人。
正岡さんと通して司馬さんは紹介されて、この「タカジ」さんとも恐らく10年間くらい、友人として交際があったようです。
この「タカジ」さんは、戦前に学生同士の友人として正岡忠三郎さんと仲良くなります。
ですが、その後「タカジ」さんは流転して、非合法活動の日本共産党の一員となります。戦前の事ですから。共産党員であり、シンパであるだけで、逮捕されたり殺されていた時代です。
(その時期に醸成された偏見は、実は今でも根強く日本でも残っていたりするなあ、と時折思います。特に地方では。…まあ、都会でも、ですね)
特段の大物でもなく、下っ端として機関紙の仕事などをしていましたが、警察に逮捕されます。
そして、10年くらい(戦争が終わるまで)獄中。
それも、早くに誹謗中傷があって、共産党からも裏切り者扱いされて除名されちゃっていたのです。それを知っていたのに、殴る蹴るにも耐えて、獄中非転向を貫きます。
この時期に多くの詩を作り、戦後に出版されています。「筆記具がないので、全て頭の中で覚えた」。
戦後は共産党に迎えられ、徳田球一さん、という、戦前戦後の共産党の超・大物さんの親戚と結婚したこともあってか、共産党内でケッコウな幹部になったようです。
ですが、あまり党の方針に従わなかったのか、ある時期に再度除名されます。
除名になってからのタカジさんは、中小企業の経営者として過ごしながら、ようやく正岡忠三郎さんたちと交友を復活したようです。
(共産党の幹部と友達だ、ということになると、色々迷惑がかかるのでは。という遠慮をしていたらしいです)
司馬さんの筆は、このふたりの履歴をたどります。
一方で、自分とこのふたりの過ごした時間のエピソード、想い出を綴ります。
そして、このふたりの「親たち」に想いを馳せます。
ときにはこのふたりの奥様との話になります。
(執筆当時、ふたりは亡くなっていて、ふたりとも奥様はまだご存命だったようです)
そうやって、忠三郎さんと「タカジ」さん、というひとが、時代と血縁の中で、どこからやってきたのか。そしてなぜここにいるのか。
そんなことが、現像液の中でモノクロの写真が印画紙にゆらぎならほの浮かぶように、見えてきます。
このふたりの喜びと悲しみと忍耐と覚悟と、おかしみとが、薄味の関西風味の吸い物のように、控えめに沁みてきます。
この味わいが、淡く、切なく、でも全くセンチメンタルではなくて、潔い。イサギヨイ。
(以下 下巻の感想に書きます) -
レビュはー下巻にて。
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