- Amazon.co.jp ・本 (281ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122022430
作品紹介・あらすじ
詩人、革命家など鮮烈な個性に慕われつつ、自らは無名の市井人として生きた正岡家の養子忠三郎ら、人生の達人といった風韻をもつひとびとの境涯を描く。「人間が生まれて死んでゆくという情趣」を織りなして、香気ただよう名作。
感想・レビュー・書評
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正岡家の養子であり、詩人、革命家など鮮烈な個性をもつ人々に慕われながらも、自らは無名の市井人として生きた正岡忠三郎、その死を知らされた詩人・西沢隆二の忠三郎に捧げた「誄詩」・・・〝 死ぬということは もう会えないということだ それから上でもなければ下でもない だから悲しんだ 〟〝忠三郎よ おまえの顔はどんな顔でも 俺たちの胸にしみついている どんな顔でも思い出すことができる 俺たちが生きているかぎりおまえも生きている〟・・・西沢隆二は、親友の死の8日後に息を引きとっている。
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2019.12.20(金)¥100(-25)+税。
2020.8.24(月)。 -
下巻に突入するに先立ち「信州佐久に入院する友人」の話が出てくる下りを「街道をゆく」で探し求めることにした。巻数でいうと九巻目、四編からなるうちの一編、その名も「信州佐久平みち」にそれはあった。てっきりこの下りはその友人の名は伏せた状態で書かれたものと思い込んでおりその部分の記憶はある意味正しかったのであるが、驚いたのは同巻に含まれている「潟のみち」にその人本人が元気な頃のままで実名とともにガッツリと書かれていたことだった。自分の脳みその機能がこの程度であったことですっかり本作を楽しめたことになる(苦笑)
この部分の掲載年は1976年となっており、彼の作品年譜を紐解くと「坂の上の雲」を書き終えて4年後という頃合いになっている。そして本作「ひとびとの跫音」が綴られたのは更に5年ほど後のことらしい。そういう意味では本作はシバさんの五年の歳月を経た上での「坂の上の雲 執筆後日譚」とも受け取れる。
やはり「坂の上の雲」をまだ読んでいない、これから読んでみたいという人が眼前に現れた時は是非このあたりの併読をお薦めしたい。なにより自分が今その順に一気通貫で読み直してみたい気分が充満してきているからだ。
そしてタカジその人の作品にももっと触れてゆきたい。 -
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「亡き友人に捧ぐ」
そんな副題が頭に浮かぶくらい、付き合ってきた友達への愛情が溢れ、さらに愛惜感たっぷりの作品になってる気がします。
題名が秀逸すぎます。
読み終わって表題の意味がズシンときました。
いつもそうですが、タイトルがステキすぎる。笑
人がその人生をつかい切ったあと。
不思議とその人の生き様や生きてきた証が。
光るように浮かび上がるように。
作者には見えてしまうんでしょうね。
あ!跫音か。笑
名声や成功があろうがなかろうが。
英雄的な生き方をしようがすまいが。
そう。どんな人にも曲げなかった信念が。
人生を紐解くと、全ての人が、小説になり得る。
いや。この方の手にかかれば、かな?
しかし。
上を読んでも、そこまで心が揺れなかったのに。
下に入った途端に掛け算になって、面白さ倍増。
タカジと忠さんが、生き生きと描かれてました! -
正岡子規についての物語だと思って読み始めたんだけど、主にタカジの話だった。誰だよタカジって?もういいよタカジの話は…タカジのこと大好きだな?!と思いながら読みました。タカジは、忠三郎さんの親友であり、しばりょ先生の友達。忠三郎さんは、正岡子規の没後に正岡家に入った子規の養子。
タカジと忠三郎さんという、子規に列なるひとびとと、しばりょ先生の思出話集。 -
後半、どんどん面白くなった。著者が本書を書き残したかった理由が分かったような気がする。解説にもある通り、本書は、著者なりに美化している部分はあるのだろうけれども、「放棄の構造を身につけた無欲な生活人」正岡忠三郎と「一種の無私な合理主義者の純粋結晶」西沢隆二(タカジ)の人間的な魅力を見事に描いていると思う。エッセー風の文章も心地よい。
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上巻に続き、おもに忠三郎とタカジの人生が随想風に語られる。透徹した人間観察の中に深い愛情を感じる名著。
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この本を読んで楽しめる人って、とっても希少だと感じる。正岡子規がどれほどインパクトがあるのか、ないのか、話しはけっして面白いわけじゃない。「司馬遼太郎」を読み込んでいる人に向けた特別な本、強いて言えば趣味本でこれほどビックネームじゃなければ自主出版本の括りだとおもう。またはわたしがこの本の面白さを理解できないのか(泣
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司馬さんの歴史小説とは違い、無名の人を描いています。
少なくとも、秀吉とか家康とか竜馬とか正岡子規とか、そういう教科書に載っている人ではありません。
そうなんだけど、司馬さんらしいのは、根っこに「正岡子規という風景」があります。
正岡忠三郎さんは、子規の縁戚でもあり、系図で言うと子孫です。そして、恐らくは青春期に文学を嗜好しながらも、子規の係累であることへの遠慮なのか反発なのか、まったく文学創作活動をしないまま亡くなりました。そんな忠三郎さんが、子規の遺稿などを几帳面に整理整頓していました。
「タカジ」さんは獄中で子規の本を耽読しました。そして子規の詩歌を愛し抜きました。そして、忠三郎さんとの友情を貫きました。
司馬さんは、とにかく正岡子規、という人とその風景が好きでたまらないのですね。
正岡子規の生涯もそこはかとなく振り返りつつ、その保護者であった加藤拓川の人生風景まで筆が伸びていきます。
加藤拓川さんは、正岡子規の親戚であり、そしてなによりこの小説の主人公?である、正岡忠三郎さんの父親なんです。
正岡子規。その保護者である加藤拓川。その実子である正岡忠三郎。忠三郎さんの実母。
子規の姉の正岡律。律は、忠三郎さんの養母でもあります。
忠三郎さんの友人であり、子規に魅せられた詩人である「タカジ」さん。
「タカジ」さんと、忠三郎さんの、妻たち。
それぞれが(正岡子規以外は)教科書に載るような人生ではありません。
ただきっと全員に、司馬さんが「正岡子規の香りを湛えた、純粋で無垢でひたむきで、そして明るい風景」を感じたんですね。
そして、それらの人々の人生は、どれもがそれなりの波乱万丈を湛えています。
繰り返して言いますが、物語娯楽小説ではありません。
「えっと…結局何が言いたいねん」と突っ込みたくなるような、作りながら作り上げる物を探っているような小説です。
そうやって作りながら、はたと茫然し、一服しているような小説です。描く内容、エピソードも、時間軸を行ったり来たり。想い出話を聞きながらお茶を飲んでいる気分です。
そうなんですが、小説の終盤。
忠三郎さんの死が迫り、「タカジ」さんが音頭を取り、「忠三郎が死ぬ前に」と、「子規全集」の編集プロジェクトを始めます。
そのあたりになってくると、薄味の向こう側に静かな大きな川が緩やかに満ちて流れるような、不思議な感動がありました。
司馬さんが言っている通り、結局、そういう「ひとびとの跫音」の最期に「子規全集」があるような、そういう物語なんです。
不思議な読書だったのですが、これはひょっとして司馬さんの本の中でいちばん好きなんじゃないかなあ、と思いました。
なんていうか…ハナから、10代の若い人にウケるように、ベストセラーになるように、そういう作りの本ではありません。
わかりませんけれど、若いうちはこの味わいは分からないのでは…
40歳を過ぎて読んで良かったなあ、と。
また60歳くらいの頃に再読してみたい、と思いました。
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司馬さんは何度も「タカジ」さんの共産党としての活動は良く知らないし、その政治的活動には関わっていないし、正直興味もない、と述べておられます。
以前に別の文章で司馬さんが、
「右翼は生理的に嫌いです。左翼も好きではありませんが、どこかしら期待を持ってしまうところがあります」
と書いていました。
恐らく狂乱の60年代-70年代には、左翼的な人々から司馬さんは「右翼的である」と非難されたこともあったようです。
何ですが、正直、安倍政権で反知性主義な2016年現在で言うと、この「ひとびとの跫音」ですら、司馬さんじゃなかったら左翼的と呼ばれ、本屋で売られないんじゃないかなあ、と思いました。
僕は司馬さんはマッタク左翼的とは感じませんが、「左翼に対してどこかしら期待を持ってしまう」という言葉を並べる司馬さんの感覚は、大好きです。
著者プロフィール
司馬遼太郎の作品






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