文章読本〔改版〕 (中公文庫)

  • 中央公論社 (1996年1月1日発売)
3.76
  • (132)
  • (127)
  • (212)
  • (14)
  • (3)
本棚登録 : 2331
感想 : 167
サイトに貼り付ける

本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

Amazon.co.jp ・本 (240ページ) / ISBN・EAN: 9784122025356

作品紹介・あらすじ

正しく文学作品を鑑賞し、美しい文章を書こうと願うすべての人の必読書。文章入門としてだけでなく文豪の豊かな経験談でもある。〈解説〉吉行淳之介

みんなの感想まとめ

文章の書き方や読ませ方について深く考察した本であり、現代にも通じる視点や観点が多く含まれています。著者は、言葉の限界や文字の形、音の調子の重要性を指摘し、読者の想像力に委ねるスタイルを提案しています。...

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 現代でも通用する視点、観点が多くて驚いた。
    そして文章が読みやすかった。古語っぽいかと思ったら現代口語文だった。

    ・言葉や文字で伝えられることには限界があることを知る
    ・文字の形や音の調子もとても大切
    ・言葉を多く使いすぎない
    ・説明しすぎず読者の想像力に委ねる
    ・最適な言葉はただひとつしかない

  • 戦前に書かれたものであるが、その本旨については、今も納得のいくものである。

    文語から、口語へ、現代仮名遣いへ以降する時代の香りというか、匂いというかが伝わってくる。

    この書は、われわれ日本人が日本語の文章を書く心得を記したものである

    言語は万能はものでないこと、その働きは不自由であり、時には有害なものであることを忘れてはならない

    華を去り実に就く、のが文章の本旨、余計な飾り気を除いて実際に必要な言葉だけで書く

    実際のことが理解されるように書こうとすれば、なるべく口語に近い文体を用いるようにし、俗語でも、新語でも、或る場合には外国語でも、何でも使うようにしなければならない。

    現代の口語文では、専ら「分からせる」「理解させる」ということに重きを置く。

    はっきり読者に伝わるのはできるだけ無駄を切り捨てて、不必要な言葉をはぶいているから

    文章の条件には、分からせるという目的も、長く記憶させるという目的もある

    黙読といっても、結局は音読している

    文章を声に出して暗誦し、それがすらすら云えないようなら、読者の頭に入らない悪文である

    日本語は、かならずしも、主格(主語)あるを必要としない

    多く読むことも必要ですが、1つのものを繰り返し繰り返し、暗誦するぐらいできることも大切です。

    文章の要素は6つある

    ①用語
     わかりやすい語をえらぶ
     使い慣れた語を使う
     耳慣れた外来語や俗語を選ぶ
     同義語をたくさん知る
    ②調子
     日本語には2文をつなぐための、関係代名詞というものはない
     読んでもらうために、わざとごつごつした調子で書く
    ③文体
    ④体裁
     息継ぎのタイミングが、句読点を打つところ
    ⑤品格
     言葉使いを粗略にしない
     敬語や尊称をおろそかにしない
    ⑥含蓄
     饒舌を慎む
     喜怒哀楽をあまり大げさに表現しない

    文章読本 完 改版
    著:谷崎 潤一郎
    紙版 中公文庫

    目次

    1 文章とは何か
     〇言語と文章
     〇実用的な文章と芸術的な文章
     〇現代文と古典文
     〇西洋の文章と日本の文章
    2 文章の上達法
     〇文法に囚われないこと
     〇感覚を研くこと
    3 文章の要素
     〇文章の要素に六つあること
     〇用語について
     〇調子について
     〇文体について
     〇体裁について
     〇品格について
     〇含蓄について
    解説 吉行淳之介

    ISBN:9784122025356
    出版社:中央公論新社
    判型:文庫
    ページ数:240ページ
    定価:571円(本体)
    発行年月日:1975年01月10日初版発行
    発行年月日:1996年02月18日改版発行

  • 昔は谷崎のいう「流麗な調子」を好んだが、今は「簡潔な調子」のほうが好き。
    読むのも書くのも。

    この読本の「兵語体」(であります、でありました)は、正直まどろっこしい。
    読本に、礼儀深さとか慇懃な心持ちとか求めていない。
    ショーペンハウアーを読んだばかりで、毒されているかも。

    谷崎は、せめて女子にはやわらかい文体で書いてほしいらしい。
    気持ちはわからなくもない。
    夏目鏡子の「漱石の思い出」の文体は、人柄が伝わって好かった。

    佐藤春夫の調子と文体がどんなものか気になる。

  • ◯流れるような文章に対して、内容は理路整然と論理的に文章の書き方や、読ませ方が書かれており、新しい感覚というか、不思議な本であると感じた。
    ◯書き手が何を思ってその文章としたかを読み解ける視点も得られ、書くことを知ることで読むことも深められた。
    ◯なによりも、何か書きたくなるような、そんな心持ちになった。

  • 誰にでもわかりやすく書くこと。
    かつ長く記憶に残るような文章を心がけること。
    しかし間隙を作り、説明しすぎてはいけない。
    日本人の性質に合わせて日本語を使うという
    谷崎の哲学が私は大好きだ。

    文章を書くプロなら当たり前なのかもしれないが、
    ルビや送り仮名にも神経を使う緻密さに驚いた。
    美しい文章を書く谷崎潤一郎だからこそ大いに説得力のある本。
    「陰翳礼讃」と合わせて読むとより谷崎の美学が理解できると思う。

  • 日本語を好きになる本。
    日本語ならではの言葉の使い方を考えさせられ、その良さと味わいを楽しめます。日本語や日本文化への愛あってこその文章だと感じました。
    書かれたのはだいぶ昔だけれど、今にも通用する内容ばかりです。谷崎の時代とは生活も文化も何もかも違っているような現代なのにそう感じられるのは、とても喜ばしいと思います。
    自分には古文漢文の知識がほとんどないので、是非また勉強したいという気持ちになりました。今使っている言葉をもっと大切にしていこうと思いました。

  • 「日本人である以上、日本語に生得的にコミットしている」という考えてみれば当たり前のことに気づかせてくれ、文筆業である人にとっては背筋が伸びる一冊。文法や文体の各論から、日本語特有の文章の全体像まで、この薄さでこの学びは濃い。

    滋味深い文章論。味わい深い。

    人間が言葉を使うと同時に、言葉も人間を使うことがあるのであります。p107

  • 昭和9年(1934年)刊。後に、三島由紀夫、丸谷才一、川端康成、井上ひさしといった錚々たる文豪たちが同じ題名の本を書いているが、そのすべては本書を下敷きにしている。文章読本の総本山ともいうべき本で、さすがに格調が高い。

    とにかく、例文が渋すぎる。「朦朧派」の例として、西鶴の『都のつれ夫婦』

     行すゑのしらぬ浮世、うつり替るこそ変化(へんげ)のつねにおもひながら、去年もはや暮て、初霞の朝長閑に、四隣の梢も蠢(うごき)、よろづ温和にして心もいさましげなるこそ、しばらく此所(このところ)をも去て世の有様をも窺ひ猶身の修行にもせんと思ひ、さしも捨がたき窟(いはや)の中を出立(たちいで)、……

    「平明派」の例として、森鴎外の『即興詩人』

     忽ちフラスカアチの農家の婦人の装したる媼(おうな)ありて、我前に立ち現れぬ。その背はあやしき迄直(すぐ)なり。その顔の色の目立ちて黒く見ゆるは、頭より肩に垂れたる、長き白砂(はくさ)のためにや。膚(はだへ)の皺は繁くして、縮めたる網の如し。黒き瞳は眶(まぶち)を塡(う)めむ程なり。……

    を挙げている。
    他にも、(装飾過多の悪い例として)「美文体」である太平記の一節、

     土墳数尺(すうせき)の草、一径涙(なんだ)尽きて愁(うれひ)未尽きず。舊臣后妃泣く泣く鼎湖(ていこ)の雲を瞻望(せんぼう)して、……

    とか、(文章の「間隙」について説明するための良い例として)頼山陽の書簡文(いわゆる「候文」)、

     其の後は打絶御尋も不申、平生平塚の二字横胸間居候へども打過申候、其由は御聞も可被下、又々国元へ老母迎に参り花にエイヤツト馳着、淀より直に嵐山へ参未見妻子面内に花のかほを見候、…

    なんかを挙げているのだ。
    こうしてみると、かつての日本語は実に芸術性が高かった。言語とは本来そういうものなのかもしれない。

    これらの多様な文体は、昭和9年の時点でほとんど廃れてしまっていたが、しかし教養としてまだ読まれていたのだろう。
    谷崎は、現在使われている文体は口語体のみだとした上で、それを以下の4つに分類している。

     1.講義体
     2.兵語体
     3.口上体
     4.会話体

    このうち兵語体は、「〜であります」という軍隊言葉である。本書自体がこの文体で書かれているが、今読んでもほとんど違和感を感じない。しかし、現在この文体を使いこなせる人はいないだろう。
    この当時はまだ、書き言葉に対してさまざまな実験を行う余地があったことが窺える。
    だが、いまや日本語は「だ/である体」と「です/ます体」だけの軽薄な世界になってしまい、かつての豊穣な世界は永遠に失われてしまった。

    「日本語には、西洋語にあるようなむずかしい文法と云うものはありません」とか、「日本語には明確な文法がありませんから、従ってそれを習得するのが甚だ困難なわけであります。一般に、外国人に取って日本語ほどむずかしい国語はないと云われる」、などと言われると突っ込みを入れたくなるが、それは現代的な視点に囚われているというものだ。ここでいう「文法」とは、あくまでも英語やドイツ語などのヨーロッパ諸言語の文法が念頭にあるのだから、あながち間違っているとはいえない。

    本書を読むと、日本語の変遷がわかって興味深い。
    例えば、「文化」「概念」「検討」「認識」「待望」といった言葉は、今は何も意識せずに使っているが、当時はまだ座りの悪い新語だったようだ。
    「男女平等というのは、女を男にしてしまう意味ではない以上、また日本文には作者の性を区別する方法が備わっている以上、女の書く物には女らしい優しさが欲しいのでありまして、…(中略)…女の子が書くなら「お父様がおっしゃいました」「お母様がおっしゃいました」とあった方が、尋常に聞こえます」というような記述もある。
    今や、「〜よ」「〜だわ」の類の「女言葉」は、海外ドラマの翻訳のような嘘くさいシチュエーションでしか使われないし、「〜しますの」「〜あそばせ」に至っては漫画くらいでしか見かけないが、そう遠くない最近まで、男性と女性は実際にまったく違う喋り方をしていたのだ。

    いくら「感覚を磨け」と言われても、今、近松や源氏物語の文章を頭にインプットすることは容易ではないだろう。
    すると、実用的な意味での「文章道の極意」とは、「一字一句をおろそかにせず、極限まで無駄を削れ」ということになるだろうか。

  • 勉強になった。
    古文の授業で疑問というか、ひっかかっていたことが明らかになった。
    古語は一つの言葉に意味がありすぎて、辞典を覚えるのに苦心した。そもそも言葉数が少なくて、奥ゆかしさが尊ばれていたからだった。
    古文訳は主語を補うことが必要で、苦心した。言葉数を絞り敬語で表現することが美徳だったのだ。

  • 無駄に修飾語をつけてしまう癖があったのでドキリとした。日本人の文化論のようなところまで踏み込んでいる。含蓄は味わえるが、書くとなれば大変だ。

  • 宇多田ヒカルがだいぶ昔に三島由紀夫の文章読本を好きな本に挙げていたのを目にしたときにそういう類の本があることを知って以来、今やっと自分なりのタイミングと思い読んでみた。谷崎のほうだけどな。
    技巧的な話題もあるもののだんだんと谷崎自身の「俺の考える最強の日本語の文章」みたいな話になって最終的には「この本の文章の書き方を頭から見返せば自ずと分かるはず、そして一にも二にも感覚を磨くべし」的にメタに結論をまとめるという後半読み進めたあたりからの嫌な予感が見事に的中したのに苦笑いして読み終えた。
    感じることを全て文章で書き現わすことはできないので、その限界を知ることと、それゆえ省くことが肝要であり、日本語にはもとよりその仕組みが備わっているのというのが全体の主張だと理解した。

  • 今一度文章の書き方を学ぼうと再読。
    流麗な文体こそ、識字率の低い現代人の読書に耐えうるものだと思う。
    気をつけたいのは、流れるような文体=緩慢な文体という単純な話でもなく、カチッとした冷たい文体のわりに気が抜け、どこか締まりのない文章も多くある。
    谷崎が言う流麗と簡潔どちらも、どれだけ余分な言葉や助詞を切れるかが重要になる。
    あとやっぱり調子や含蓄。
    この人は音すらも文章で作り出す。

  • 文章に実用的と芸術的の区別はない
    現代の文は、「わからせるように」書くこと。簡単な言葉で明瞭に物を書き出す技術が大切。
    もっとも実用的(対象を仔細に描き、それ以外の無駄を省く)な文章=芸術的

    人に分からせるように書く秘訣は、言葉や文字で表現できることと出来ないことの限界を知り、その限界内にとどまること。

    文章は目で理解するばかりでなく、耳で理解するものである。そのため、文章を綴る場合には、まずその文句を実際に声を出して読み、それがすらすらと言えるかどうかを試してみる。もしすらすらと言えないようなら、読者の頭に入りにくい悪文である。

    字面の美と音調の美とは単に読者の記憶を助けるのみでなく、理解を補うもの。言葉を多く使いすぎるのは間違いであり、言葉の不完全なところを字面や音調で補ってこそ、立派な文章である。

    国語というのは国民性のうえに成り立つものであるため、我々の国語がおしゃべりに適さないように発達したのも、偶然ではない。

    【文章の上達法】
    文法的に正確なのが、必ずしも名文ではない。文法に囚われすぎないこと。国文の持つ簡素な形式に還元するよう努めること。

    一つのものを繰り返し読むこと。音読すること。
    自分でも作ってみること。

    感覚というものは、一定の練磨を経た後には、各人が同一の対象に対して同様に感じるように作られている。

    【用語】
    奇をてらおうとしない。分かりやすく、昔から使い慣れた言葉を選ぶこと。拠り所のある言葉でも、聞き慣れない言葉よりは、耳慣れた外来語や俗語を選ぶこと。ただし、適当な古語が見つからないときに初めて新語を使うこと。
    類語辞典が便利。しかし、自分がよく知っていて即座には思い出せない言葉を引き出す用途に使うのであり、世間に通用しない言葉は使わない。

    文体・調子…書いている人の性質に左右されるもの。これが一番美しい、というものはない。

    【品格】
    文章の上で礼儀を保つには
    1 饒舌を慎むこと
    →あまりはっきりさせようとしないこと
    →意味のつながりに間隙をおくこと
    つまり、ものごとの輪郭をぼやかすことである。
    現代の書き手は、センテンスとセンテンスの間が意味の上でつながっていないと承知できない。もっと読者の理解力に一任してもよい。

    2 言葉づかいを粗略にせぬこと
    3 敬語や尊称を疎かにしないこと

    【含蓄について】
    日本語は主語を省くことができる。「私」や名詞代名詞を省いたほうがよい場合が多い。
    現代には無駄な形容詞や副詞が多い。比喩は、それを例えに出したときに一層情景がはっきりする、というときに使うものであり、無理やり出してはいけない。
    言葉を惜しんで使え。
    感覚の鍛錬を怠らなければ、教わらずとも次第に会得できるようになる。

  • 実際に必要な言葉だけで書く

    分かりやすい言葉で書く
    その為には、同義語のうちどれが適しているか考えて、それを選ぶ
    最適な言葉はただ一つしかない

  • "重厚な内容で、難しいところもあり、何度か読み直さないと身につかない。
    まず、「ゐ」や「ゑ」「を」などなど、現代の言葉使いとは違うひとつ前の世代の文章で書かれているところで躓く人もいるかもしれませんが、根気強く読みつつけていくと、所々でなるほど~とうなることになります。
    母国語でさえおぼつかない自分が外国の言葉を覚えようなんておこがましく感じてしまう今日この頃。"

  • 文章の品格や含蓄などが説かれている。
    テーマは深いが平易に述べられており、とても興味深く読み進められた。
    日本人として日本語のことをあらためて考えさせられる良書と思う。

    興味深かったのは、発想法と通ずるところがあるなと感じた以下の内容。

    『最初に思想があって然る後に言葉が見出だされると云ふ順序であれば好都合でありますけれども、実際はさうと限りません。その反対に、先づ言葉があって、然る後にその言葉に当て篏まるやうに思想を纏める、言葉の力で思想が引き出される、と云ふこともあるのであります。一体、学者が学理を論述するやうな場合は別として、普通の人は、自分の云はうと欲する事柄の正体が何であるか、自分でも明瞭には突き止めてゐないのが常であります。』

    。。。ほんとうに、そう思います。

    この本は、約90年前くらいに著された本ですので、少しなじみのない漢字が出てきます。この漢字の読みだけで敬遠するのは、あまりに惜しい。

    以下になじみのない漢字の読みを挙げておく。

    斯く かく
    因る よる
    蓋し けだし
    憾 うらみ
    孰方 どちら
    唯 ただ
    覚束ない おぼつかない
    漸く ようやく
    暫く しばらく
    窺われる うかがわれる
    俄 にわか
    嘗て かつて
    而 そして
    而も しかも
    耽る ふける
    殊に ことに
    雖も いえども
    閃めく ひらめく
    敢えて あえて
    婉曲 えんきょく
    毀誉褒貶 きよほうへん
    敷衍 ふえん
    截然 せつぜん 物事の区別がはっきりしているさま
    已む やむ
    繙く ひもとく
    嘗て かつて
    寔に まことに
    儘 まま
    拵へる こしらへる
    最早 もはや
    拵へる こしらえる
    啻 ただ
    恰 こう、あたか(も)
    聊か いささか
    亦 また
    悉く ことごとく
    旁旁 かたがた
    恣 ほしいまま
    夙に つとに
    涵養 かんよう
    苟くも いやしくも
    扨 さて
    屢々 しばしば
    徒ら いたずら


    以下、当書籍の要約。
     『言語は他人を相手にする時ばかりでなく、ひとりでものを考えるときにも使う』が、『心に思っていることなら何でも現わせるというものではなく』、『思想を型にいれてしまう』場合もある。また、『口語体の文章ならどんなことでも「分からせる」ように書ける、と考えやすい』が、これも間違いであるようだ。
     記憶に留まるような、読めば読むほど味が出るような文章は、『「分からせる」ように、「理解させる」ように書く』。『実際に声を出して暗誦し、それがすらすらと云へる』よう、『字数はできるだけ減らし、(中略)形容詞なども、最も平凡で、最も分かり易く分かり易くて、最もその場に当て嵌まるもの一つだけを選ぶ(中略)もう此れ以上圧縮出来ないと云ふ所まで引き締め・・・』なければならない。
     『あらゆる点でいい過ぎ、書き過ぎ、しゃべり過ぎ』、『無駄な形容詞や副詞が多い』、『事柄の正体が何であるか、自分でも明瞭には突き止めていないのが常』であり、『言葉を惜しんで使うということも、なかなか生やさしい業でない』。
     『言葉や文字で表現出来ることと出来ないこととの限界を知り』、『文法に囚われず』、『言葉というものは不完全だから、眼と耳に訴えることが表現の不足を補う』など、『芸術的の手腕を要するところ』があり、『一 饒舌を慎しむこと 二 言葉使ひを粗略にせぬこと 三 敬語や尊称を疎かにせぬこと』など、礼儀も保たねばならない。『「饒舌を慎しむこと」が肝腎でありますが、さうかと云つて、無闇に言葉を略しさへすればよいと申すのではありません』ととどめも刺される。さすが礼儀だけあり、簡単ではない。これは国民性に根差すところであるが、『自分の思うことや見たことを洗いざらいいってしまおうとせず、いくぶんか曖昧に(中略)。己れを空しうして天を敬ひ、自然を敬ひ、人を敬ふ謙遜な態度、それから発して己の意志を述べることを控へ目にする心持の現はれでありまして、品格と云ひ、礼儀と云ひますのも、結局は此の優雅の徳の一面に外ならない』、『先づ何よりもそれにふさはしい精神を涵養することが(中略)優雅の心を体得することに帰着する』とある。とても深いが、『或る感情を直接にそれと云はないで表現することが、昔の詩人や文人の嗜みになってゐた』ようである。
     名文への道のりは険しいが、『心がけと修養次第で、生れつき鈍い感覚をも鋭く研ぐことが出来る』。『出来るだけ多くのものを、繰り返して読むことが第一』、『実際に自分で作ってみることが第二』。文章に限ったことではないが、『自分で習ふと、他人の巧い拙いが見える』から、『鑑賞眼を一層確かにするためには、矢張自分で実際に作ってみる』。また何より『講釈をせずに、繰り返し繰り返し音読せしめる、或は暗誦せしめると云ふ方法(中略)、実は此れが何より有効』とのこと。 
     『一定の錬磨を経た後には、各人が同一の対象に対して同様に感じるように』ということだから、愚直に修養してゆくしかないであろう。

  • 蔵書はS48年六興出版から刊行された物。旧仮名遣いです。本著にも記されていますが字面を鑑賞する意味でも現代かな遣いへの改変は日本文学の大きなネックですね。どうしたものか。。。
    内容は「春琴抄」や「瘋癲老人日記」等のスピンオフとして読むと面白いかもです。個人的には言文一致以前の小説を愉しむ指南本としても取れました。
    三島由紀夫と川端康成もぜひ読んでみたい。

  • 記録

  • まさに名著。
    昭和9年の作品でありますから、九十余年前の一般大衆に向けた日本語の文章論となります。
    それを現在読んでも大変参考になります。解説でも述べられていますが驚くべき本であると言えます。

    もちろん、現代の国語事情に照らすと問題とされなくなっている論点もあります。
    しかし、それすらも本書の問題提起により現代国語の体系が整理された結果ではないかと思えてしまうほどです。
    それほどまでに、本書の指摘するところには大いに共感せざるを得ないのです。

    勉強のために読み始めたのですが、読み物としても大変面白いのが予想外であり、晩酌をしながら読んでもすらすらと内容が頭に入ってくる。
    例えば
    「日本語は言葉の数が少く、語彙が貧弱と云う欠点を有するにも拘らず、己を卑下し、人を敬う云い方だけは、実に驚くほど種類が豊富でありまして、どこの国の国語に比べましても、はるかに複雑な発達を遂げております。」
    という一文を読んで私は声をあげて笑ってしまったのですが、これが別の話につながってくる。
    よく言われる日本語の特徴である「主語がなくても文が成立する」点ですが、これは敬語を適切に使い分けることにより、おのずから主格が明らかになるためだと論じています。
    目からうろこでした。この例に限らず、全編を通じて大変参考になり、読み物としても非常に面白いのが本書の大きな特徴だと思います。

    個人的には
    「従来私は、しばしば独逸の哲学書を日本語の訳で読んだことがありますが、多くの場合、問題が少し込み入って来ると、分からなくなるのが常でありました。そうしてその分からなさが、哲理そのものの奥深さよりも、日本語の構造の不備に原因していることが明らかでありますので、中途で本を投げ捨ててしまったことも、一再ではありません。」
    という箇所に大いに共感し、勇気づけられたのであります。

  • 『細雪』後の三読目
     『細雪』を読んでから再読した。
     はたして谷崎の日本語、とりわけ古典にたいする深い信頼が溢れてをり、実用文と藝術文の区別がないといふセンセーショナルな理窟も理解できる。いはば実用文を極めてこそ、藝術文も可能といふことだ。
     前回の読書記録では、丸谷才一の『文章読本』を援用しつつ批判的に書いたが、今回は源氏物語や細雪の理解もあり、寛容的だった。
     戦前の本なので古い例はあり、とりたてて文章読本自体が面白いわけではないので、日本語ナショナリズムの流れで今後も読まれるのだらうといふ感慨を持った。

全123件中 1 - 20件を表示

この本が好きな人におすすめの本

著者プロフィール

1886年(明治19年)〜1965年(昭和40年)。東京・日本橋生まれ。明治末期から昭和中期まで、戦中・戦後の一時期を除き執筆活動を続け、国内外でその作品の芸術性が高い評価を得た。主な作品に「刺青」「痴人の愛」「春琴抄」「細雪」など、傑作を多く残している。

「2024年 『谷崎潤一郎 大活字本シリーズ 全巻セット』 で使われていた紹介文から引用しています。」

谷崎潤一郎の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×