園芸家12カ月 改版 (中公文庫 チ 1-2)

  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (213ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122025639

作品紹介・あらすじ

チェコの生んだ最も著名な作家カレル・チャペックは、こよなく園芸を愛した。彼は、人びとの心まで耕して、緑の木々を茂らせ、花々を咲かせる。その絶妙のユーモアは、園芸に興味のない人を園芸マニアにおちいらせ、園芸マニアをますます重症にしてしまう。無類に愉快な本。

感想・レビュー・書評

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  • 園芸家の一年をユーモラスに書いた一冊。

    園芸に全く興味はなかったが、クスッと笑えるエピソードと、園芸を通して見る世界が、妙に引きつけられて、すぐに読み終えることができた。

    私たちは、俯いているか、空しか見てない。

    『だれだって、自分がふんでいるものなんか気にかけない。夢中でどこかへかけだしていって、せいぜい頭の上に浮かんでいるきれいな雲か、むこうに見えるきれいな地平線か、きれいな青い山をながめるぐらいなものだ。』

    土をじっと見てみよう。観察してみよう。
    世の中には不思議なことが多くあるが、わざわざ遠くにでかけたりしなくても、今自分が歩いている足下でさえ知らないことは多いのかもしれない。

    もう一つ。心に残った「根」のはなしの引用。

    『何かと言うとすぐに、根のことに話をもっていきたがる人たちがいる。…たとえば、われわれは根源にさかのぼらなければいけないとか、禍根を残してはならないとか、物事の根本をきわめなければいけないとか言う。』
    『…根を掘るということが生まやさしい仕事でないこと、したがって根というものは、すべからく植わっている場所に、そのままそっとしておくべきものだということを、はっきり確かめた。』

    根というものは、本物の植物ですら、掘り起こすことがそうたやすいことではないのに、ついつい、これが根っこだの、核の部分に触れようとする。

    根を探ることそれ自体が、常に間違っているとは思えないが、私は少なくとも、「ほんとうにこれが根っこなのかな?」という疑問も持ちながら掘り進めること、わからないならそのままにしておくのもいいんじゃないかな、と感じた。

    所々に出てくる、挿絵も魅力的でした。

    • nejidonさん
      旅する本好きさん、こんにちは(^^♪
      とても好きな作品なので、タイトルを見ただけでクリックしてしまいました。
      驚かれたかもしれませんね、...
      旅する本好きさん、こんにちは(^^♪
      とても好きな作品なので、タイトルを見ただけでクリックしてしまいました。
      驚かれたかもしれませんね、すみません。
      園芸好きな私には忘れ難い良書です。
      ピックアップされた箇所も、良ーく覚えていますよ。
      つい嬉しくてコメントしました。失礼しました。
      2020/10/28
    • 旅する本好きさん
      コメントありがとうございます!
      園芸したことがなかったのですが、最初の暴れ回るホースのくだりで、なんだか面白そうだな、と思い、読んでみました...
      コメントありがとうございます!
      園芸したことがなかったのですが、最初の暴れ回るホースのくだりで、なんだか面白そうだな、と思い、読んでみました。
      園芸家でない人も読んでほしい本ですよね♪
      2020/10/31
  • 1959年に訳出、1975年に出版された文庫本ではあるが、そもそも本書が書かれたのは、おそらく1928年ごろではあるが、全然古くは感じない。完全なる口語文と、奇妙なユーモア、そして普遍的な園芸愛に満ちた愛すべき園芸エッセイである(読んだのは旧版)。

    チェコと日本の自然環境は違うし、そもそも園芸という趣味を持ち合わせていないので、チャペック特有の細かい所に入る描写で参考になった技術的な部分は無いけれども、戦争前夜の東欧でどのように楽しみを見つけるかは、参考になった。

    雲や地平線や青い山を眺める前に、自分が踏んでいる足下の土を眺めたら、それがどんなに美しいものかを発見できる。と、チャペックは云う。「酸性の土と、粘土と、ローム質壌土と、冷たい土と、礫土と、劣等な土を見分けることができるようになるだろう。クッキーズのように多孔質で、パンのようにあたたかで、軽い、上等の土のありがたさがわかるようになるだろう。そして、女や雲をきれいだと言うように、そういう土を「こいつはすばらしい」と言うようになるだろう。」(118p)実際、花の美しさを描写した部分はほとんどなくて、1月のカチンコチンに凍った土の所から、ひたすら土作りの素晴らしさを語るのが、この本の趣旨なのである。私はよく知らないのだけど、これこそ園芸家なのだろうか。

    訳注が、訳を飛び越えてほとんどエッセイと化しているのに、びっくりした。特に、マンドラゴーラという神秘的な植物についての一文は、様々な物語を私に想起させる(167p)。

    また、このエッセイのもう1人の著者とも言える多数の挿画を描いた兄ヨゼフ・チャペックが、1945年、強制収容所で亡くなっているのを知ると、このへたうまな絵(ちなみに数えたら58挿画もあった)が愛おしくなる。
    2019年2月読了

  • これで三読。本書を読まなければ、おそらく植物に興味を持たなかっただろう。その意味で、本書は私の人生を決定的に変えてくれた。
    いや、くれた、というのは言い過ぎだろう。本書にも書かれているように、新たに、植物愛好家につきものの苦労を背負わされたのだから。だって、わが子が野外で暮らしていたらどう思いますか? 落ち着いて寝てもいられないじゃないですか。
    でも生きるって、そういうことの連続。大切なものが増えれば、苦労も増える。そんな当たり前のことを、ユーモラスに再確認させてくれる。そして、(客観的に見れば無意味である)人生に、ユーモラスな物語、つまり意味を与えてくれる。

  • 『ものの考え方がすっかり変わってしまう。雨が降ると、庭に雨が降っている、と思う。日がさしても、たださしているのではない、庭にさしているのだ。日がかくれると、庭がねむって、今日一日のつかれをやすめるんだ、と思ってほっとする。』

    わかる…わかるよ…。
    ベランダ園芸ど初心者だけど、引用部分を読んでぶんぶん頷いた。
    わかる、ほんとに考え方変わっちゃう。
    私はこれまで花も木も身近に置くことにビタイチ興味がなかったのだけど、娘が育てたいと言い出したので、はあじゃあまあ1鉢くらいやりますか…という始まりだったのに、4ヶ月で10鉢になったという。
    朝起きるのが楽しみなんですよ…起きてすぐに窓辺に行ってベランダに出て、ああ!あの子が伸びてる!この子は新しい葉が!わああ花が咲いてる!って、毎日ほんとに楽しいんですよ…。
    園芸にのめり込んでいるチャペックの描く12ヶ月は、自分も含めた園芸家はちょっと皮肉ってコミカルに、植物については限りなく愛情を込めていて、とても良かったです。
    読むの楽しかった…。
    大好きな「エミールと探偵たち」の小松太郎さん(小松さんも相当の園芸好きでいらしたらしい、最高)の訳も、飄々として愉快でぴったり!
    (ただ、時代もあるのだけど、女性は園芸なんて素敵な趣味は理解できない、などの女性を下に見た揶揄が数ヶ所あったのは残念)

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      すいさん
      女性は合理的だから、病膏肓に入るような愚かなコトはしない。と思ってるんだよねー
      すいさん
      女性は合理的だから、病膏肓に入るような愚かなコトはしない。と思ってるんだよねー
      2020/08/09
  • ベランダいっぱいに様々な山野草とクレマチスを育てていた私に、友人が勧めてくれた1冊。
    1月の園芸家~12月の園芸家まで、その月々に園芸家は何を思い、何をしているのか。
    軽いユーモアも交えつつ楽しく語られた本書は、少しでも植物と生活を共にした者なら「分かるぅぅぅ!」と共感せずにいられない。
    この月は植え替え、この月は剪定と誘引…等と月毎にお世話に追われ、追われるのも楽しみの1つだった私には楽しい1冊だった。
    毎日水をやり、土をいじり、植物たちの世話をしていると、昨日との僅かな違いも直ぐ気付くようになるものだ。
    裏書きにもある通り、そんな園芸マニアをますます重症にする。

  • チャペックは好きなのだが、園芸にはあまり興味がなく(ズボラなため。花や木を眺めるのは大好きだけど。)これは初めて読んだが、チャペック好きなら読むべき名作だった。チャペックのユーモアと皮肉の効いた文章が堪能できる。
    「園芸家というものが、天地創造の始めから、もしも自然淘汰によって発達したら、おそらく無脊椎動物に進化していたに違いない。いったい何のために園芸家は背なかを持っているのか?ときどきからだを起こして、「背なかが痛い!」とためいきをつくためとしか思われない。」(p41)
    8月の園芸家の章での手紙のおかしさ。かと思えば11月では、枯れた植物について「自然は、店をしめて鎧戸をおろしただけなのだ。しかし、そのなかでは、新たに仕入れた商品の荷をほどいて、抽斗ははちきれそうにいっぱいになっている。これこそほんとうの春だ。いまのうちに支度をしておかないと、春になっても支度はできない。未来はわたしたちの前にあるのではなく、もうここにあるのだ。(中略)芽がわたしたちに見えないのは、土の下にあるからだ。未来がわたしたちに見えないのは、いっしょにいるからだ。」と、人間も生きていれば「わたしたちが現在とよぶ古い作り土のなかに」も、根が伸び、芽ができているのだと勇気づける。(p174)
    しかし、これは訳者の小松太郎の力でもある。小松太郎はドイツ文学者で、ドイツ語から訳しているわけだから、チャペックの元々の文章とは違っている可能性はあるわけだが、巻末の訳注を読むと小松太郎自身が相当の園芸家であり、ユーモアと皮肉の優れたセンスがあることがわかる。つまり作家との相性が良かった。「詩情にあふれた軽妙洒脱な文章」と解説にあるが、同様の才能を訳者も持ってないと、こんな風に訳すことはできない。ケストナーの訳者だから、適任だった。ケストナー、チャペック、こういう知的で洒落ててちょっと軽みもあるような、それでいてあたたかみがあり、人間の深い欲望や悲しみについても知りつくしているような上等の作家が児童文学を書いていた第二次世界大戦前のヨーロッパ文化の豊かさを改めて感じる。(これは児童書ではないけど。)
    暇な時に適当に開いたところを読むような読み方で一生読み返したいような本だった。もちろん兄ヨゼフの絵も最高。この絵以外の絵で読むのはナンセンス。

  • 癒し系の趣味のように思えて一年365日つねに心休まらないアマチュア園芸家の庭造りの日々をユーモアたっぷりに描いたエッセイ。挿画はカレルの兄、ヨゼフ。


    チャペックにイラストレーターの兄がいることを知らなかったので、「チャペックって自分で絵を描いてるんじゃないの?!」と驚いてしまった。ヨゼフが挿画を担当したのはこの本だけで、旅行記などに載っているのはやっぱりカレルが描いたスケッチらしい。じっくり絵を見たのは初めてなんだけど、最小限の線で立体感と動きを完璧に捉えていてすごすぎる。もしかして高野文子ってチャペック兄弟の影響を受けてるのかな。
    こういう本が好きな割に私は植物の名前をまったく知らないので、いちいち画像検索しながら読んだ。煩雑ではあるけど、文字だけではモノクロに見えた花が検索するたび色づくようで、脳内に花盛りの庭を作るような楽しさもあった。
    チャペックが想定している「園芸家」は男性に限られるらしく、漏れでてくる女性観は玉に瑕だが、園芸家を楽しげにこき下ろす言葉も容赦がないので大目に見よう。珍しい植物を自慢すると「夜になると盗みに来る」という言い切りについ笑ってしまった。あと、イギリス芝のジョーク! これ、『キッド・ピストルズの妄想』の「永劫の庭」(大好き!)にでてくるやつじゃん! と慌てて確認したら、まさしく文中にチャペックと本書の名前をだしていた。そうだったのか。「待てばシラカンバの花咲く季節もある」の引用元も本書だったとは。
    一番最後に置かれた「ありがたいことに、わたしたちはまた一年齢をとる」という一行が表すように、本書には人が年を重ねていくことを肯定するメッセージが繰り返される。園芸家がまた一つ年齢を重ねる、その祝福として庭は色づき、苗木は幹を太くしていくのだ。同じくアマチュア園芸家らしい訳者の訳注も、日本と西洋の植生の違いや自ら栽培した体験記、アジアと西洋の幻想植物学など多岐に渡って読みごたえあり。

  • 何となしに本屋で買った本だけど、大当たりの内容。

    約100年前に書かれた本とは思えないほどに小気味良い文章は、現代のコラムを読んでいるようで、あっという間に読めてしまった。

    ユーモアたっぷりの少し皮肉を込めた楽しい文章がある一方、「労働の日には労働で得てきたものを祝おう」「秋には地上の葉や茎が落ちてくるが、決して休んでいる訳ではなく、地中では根が活発に伸びているのだ」等、おもわずハッとする表現も多く、長年読み続けられている理由もうなずかる作品。

  • どくとるマンボウ昆虫記のようなノリで面白かった.
    園芸に詳しかったら,もっと楽しめたかも.
    (これが1920年代の作品であることに驚かされる)

  • この世には二種類の人間しかいない。園芸家か,そうでないかだ。

    『ロボット』とかが有名だけれども,人を喰ったような文章(あくまで翻訳ですが)が楽しいチャペックの作品。これを読めば園芸家になりたくなる,多分。

    天候に文句を言いながらせっせと庭の世話をする,隣の芝生は青いけど隣人がモチベーション,まだ自分の庭にない植物への欲望は果てしなく,一年中なんやかんやで忙しい園芸家。愛と皮肉とユーモアがたっぷりつまっています。

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著者プロフィール

一八九〇年、東ボヘミア(現在のチェコ)の小さな町マレー・スヴァトニョヴィツェで生まれる。十五歳頃から散文や詩の創作を発表し、プラハのカレル大学で哲学を学ぶ。一九二一年、「人民新聞」に入社。チェコ「第一共和国」時代の文壇・言論界で活躍した。著書に『ロボット』『山椒魚戦争』『ダーシェンカ』など多数。三八年、プラハで死去。兄ヨゼフは特異な画家・詩人として知られ、カレルの生涯の協力者であった。

「2020年 『ロボット RUR』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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