古往今来 改版 (中公文庫)

  • 中央公論社 (1996年1月1日発売)
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  • 本 ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122026186

感想・レビュー・書評

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  •  歴史を知るには、その舞台となった土地を知らなければならない。そのために司馬さんの文章はとても助けになってくれる。
     
     本書には様々な文章が収録されているが、中でも興味を持ったのは、「風土のつや」としてまとめられているセクション。倉敷、土佐、薩摩坊津、根来その他の土地が取り上げられていて、その魅力が生き生きと語られている。司馬さんが訪れたときからさらに時が経ち、随分変わってしまっているかもしれないが、いつの日か行ってみたいものだ。

  • 2023.07.27

  • 蔵書していたものを読む。エッセイ集。
    司馬遼太郎の文を目にするのは久々。
    この人の書く文書は子気味がよく、表現に身体性がある。
    「日本の権力構造について」日本には独裁者がいた例がなく、大和朝廷から現在に至るまで権力の二重構造が続いている、という説に膝を打った。
    T氏から譲り受けた書。

  • 古往今来

  • 18/9/16読了

  • 司馬本を断って3ヵ月・・・禁断症状はないのだが、積読本をなにげに手にして読みはじめる。懐かしいし、心地よい、断ったことで一層、司馬本の有用性を知ることになる。ポイと出の大衆小説に飽きたら司馬本で気分転換すべし笑

  • いつもの司馬先生の調子で。
    定期的に読むと落ち着きますね。

  • 司馬遼太郎の随想集。歴史家というのは本当に、昔のことをちょっとそこで見てきたかのように語る。



    前半は歴史的知識に基づくエッセイ集だが、後半は知り合いの作家たちの評論が多い。私は後半が苦手でとても疲れてしまいました。知っている作家さんの話なら楽しくてしょうがないんでしょうけれど。

    ______
    p29 800年前の先祖はみんなのもの
     数学的に計算すると、800年溯れば人間はみんな同じ祖先に行き着くらしい。

    p34 イギリス人が世界征服したのも分かるものだ
     司馬遼太郎が出会ったワイマン君というイギリス人留学生は、自分の生涯の生きる理由を見つけるため京大で学んでいた。その前には中国に行き、日本では飽き足らず今度はモンゴルに行きたいということで司馬先生のもとにアドバイスをもらいに来たらしい。彼は金持ちの息子というわけでもなく、質素な生活をしながら自分の探究心を満たすべく、本気で生きている。
     「イギリス人が世界を征服したわけだ」と思った。

    p44 スキタイ
     紀元前6~3世紀のスキタイ人が世界にもたらしたもの、馬術と遊牧生活である。スキタイの好みは黄金文化である。(ちなみに中国は玉)これはシルクロードとともに世界にも伝わる。

    p53 首都:東京??
     明治のお触れや勅令で正式に東京が首都になるということは定められていなかった。天皇が東京に移るために出た用語は「東幸」という東への旅行という意味の言葉が使われた。戦前まで東京が首都であるということは公式にない。

    p55 京都×木戸孝允・槇村正直
     維新後の京都を作った二人の男。開明的な施政をいくつも施した。最初の小学校が作られたし、女工場や画学校など全国に先んじた新しいものをたくさん取り入れた。この二人なしには京都の文明開化は語れない。

    p62 東本願寺=ホテル・ドゥ・東寺
     平安京が作られたとき、東寺は国賓用の宿泊施設だった。平安京のモデルである長安には鴻臚寺という官営の迎賓館があった。それと同じくつくられたのが東寺である。
     この東寺が有名になるのは空海が唐から帰国して日本に密教を伝え広め、密教寺院として与えらるようになってからである。

    p72 東寺の赤埴の土塀
     土一揆や応仁の乱を耐え抜いたこの土塀を見ると、司馬遼太郎は室町時代の乱世を思い浮かべずにはいられないようだ。本願寺に行ったらぜひ見てみよう。

    p73 室町は貨幣の発達で乱れた世になった
     農業生産高が空前の進歩をとげ、貨幣経済が発達した。それにより、貴族や武士という権力者でなくても、財力という現実的な力を手に入れるものが新たに出てきた。新たな力を手に入れたものは、既得権益者の悪弊をぶち壊そうとする。自然、世は革変の時を迎え、乱れた。

    p88 若衆は祟り神のよう
     薩摩・土佐・紀州の南方には若衆組という古俗があった。20歳くらいの青年を頭にする、青少年集団であり、大人の仲間入りするための通過儀礼をすべて教えてくれる。ゲスイことから下世話なことまで、下なことはすべてここで教わる。
     若者は将来藩を支える人材として珍重に扱った。
     若衆組は将来の藩の中心であり、消防団などの役割も持ち、いたずら集団でもあった。彼らを蔑ろにしようものなら、将来も明日にもどんな目に合うかわからない。というどこか畏怖の存在だった。さながら祟り神である。

    p99 木戸が誤解していた西郷の背景
     木戸孝允は西郷隆盛を信用していなかった。薩摩藩は維新後もほぼ藩の統治のかたちを残し、維新の志士たちからひんしゅくを買った。木戸は「西郷は薩摩だけの独立国を作ろうとしているのか」と疑っていた。
     木戸が死の間際になって、西郷と島津久光の複雑な関係を知り、誤解が解けたようである。
     西郷は薩摩男であり、藩主の悪口を言うような男では決してなかったから、情の厚い懐深き人物ながら逆に疑われるようなことがあった。

    p114 翔ぶが如く の感想
     これは西郷の虚像を描いた作品である。人の心をとらえて離さない偉大な人物であり、大憂国家であり、礼節を重んじる根っからの薩摩武士であった。そのうち彼は大きな存在になりすぎて、その虚像だけで人々に影響を与えるようになった。

    p128  歴史の奴隷
     倉敷は歴史と民芸を大事に保存する町である。現代社会では人が生きやすいように科学を人の奴隷のように使っている。しかし、倉敷のような伝統的な街では人が古い街並みや文化に合わせて生きている。さながら歴史の奴隷として生かされているのである。

    p141 坂本竜馬の夜這い失敗談
     竜馬は蜘蛛がめっぽう嫌いだった。土佐の南方古俗で若い者が宿に泊まってその家の娘に夜這いをかけるというのはよくあることだったが、何か前科があったのか娘に嫌がられた。娘は竜馬を部屋に入れないために紙縒りで蜘蛛を作り、戸を引けば落ちるようにした。その夜、竜馬は悲鳴とともに逃げ出した。

    p171 カライモ・オンジョ
     唐芋つまりサツマイモはシラス台地の薩摩藩の食糧不足を解決する新食材になった。これを伝来した前田利右衛門が祀られてカライモ神社(カライモ・オンジョ)がある。

    p196  根来衆は天下統一は嫌
     根来衆は紀州に住む地侍集団。種子島からいち早く鉄砲を譲り受け大量生産した。技術者集団でもある。彼らは大名を持たず、地侍連合で自衛を守り地域に独裁者が現れるのを防いでいた。ある種の市民意識の強い地域であった。石山本願寺の一向宗と同盟を組んで織田信長に対抗したり、天下統一につねに敵対した。

    p203 鉄砲ストーリー
     1543年にポルトガル船が漂流して、種子島時尭が金二千両と交換で二丁の鉄砲を手に入れた。ここに根来の行人が滞在しにきて、時尭からそのうちの一つを譲り受け、紀州で大量生産に成功したのである。これに隣接する雑賀衆もはやくから鉄砲の生産に成功し、この紀州の地域は鉄砲の産地になった。
     しかし、皮肉なもので、根来衆たちが生産した鉄砲を使い天下統一の流れはいっそう加速した。鉄砲のせいで地方の土着勢力は、強者の配下になるにしてもうち滅ぼされるにしても、独立自営の権を失っていった。根来衆もこの鉄砲集団に滅ぼされるのである。

    p222  関ヶ原の由来
     関ヶ原は主要道路である中山道などの結節点で、672年に不破の関という関所が作られた。それに由来する。

    p319 遠藤周作『鉄の首伽』
     秀吉の重臣 小西行長の小説。読みたくなった。キリシタン大名としての葛藤が書かれているのだろう。遠藤周作だし。

    p330  行長の手品
     行長は秀吉の明遠征に乗じて、秀吉亡き後の自分の地位を固めようとしていた。行長は外交全権として、家来を北京に送り明の朝廷に「秀吉が首領として明の朝貢体制に日本を加えることで、このたびの一件を講和してほしい。」という請願を提出した。当時の中華思想の帝国と和解するにはこれしかないだろうが、秀吉の了解を得られず反故になった。
     もしこの日明冊封体制が実現していたらどうなるか。この時、行長は秀吉に継ぐ役職として小西行長を筆頭に石田三成や宇喜多秀家らを大都督として封じてほしいと明記していた。これにより日本での地位が五大老ら大大名よりも上回り、秀吉の諸臣下のトップに君臨する大義名分を獲得することになるのである。強か!!
     このへんのことが『鉄の首伽』には書かれいているらしい。読みたくなってきた!
    ______

     司馬遼太郎のエッセイは本当に良い。知識が散らかっている。
     しかし、散らかっている部屋を片付けていると、意外なお宝に出会ったり再会できたりするものである。

     そういう感じ。

  • 方向感覚が鈍く、地名にも疎い。そのため、本来、風情を味わえるはずの本著を、味の付いていないガムを噛むように読み終えてしまった。新たな土地を訪れた時、それを楽しむためには教養が必要だという。その理屈で言えば、私には教養が足りないのだろう。しかし、野球嫌いがゲーム観戦や選手に無感動であるように、自分にとっての紀行文はそれに当たる。もっとも、本作は、紀行文のそれとも違うのだが…。

  • 初耳な四字熟語だけど「こおうこんらい」で一発変換できるな。意味は「昔から今まで」。エッセイ集です。「京都国としての 京都」「善通寺のクスノキ」「土佐梼原の千枚田」など紀行モノ秀逸。「日本の統治機構について」は明治政府=太政官の思想が今も脈々と、って話。

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著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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