沖縄文化論 忘れられた日本 (中公文庫)

  • 中央公論社 (1996年1月1日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (264ページ) / ISBN・EAN: 9784122026209

感想・レビュー・書評

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  • 太郎と旅してる様に感じる生き生きとした文体ですぐに読み終わってしまった。沖縄が太郎に書かせたんだろうな、太郎も書かされちゃったんだろうな、それが生き生きと伝わってくる。

    読み始めて、なんか上から目線というか距離感のある客観視に違和感を感じたんだけど、この時は返還前でアメリカなんだ、って気づいてからしっくりきた。なんか距離感とか社会的に弱者が強者かでポジショニング変わっちゃうの悲しいけどしょうがないよなと思ってしまう。太郎はそういうの関係ないっ!ってどんな存在も対等にぶつかってるんだろうけど、、
    はじめの方の下手なピアノの女に、すごい演奏見せつけて下手なピアノを止めさせてやろうのくだりとか、弱者強者でみたら弱者にマウントとってるからダサいなーとか思っちゃうけど、おそらく太郎は対等の気持ちなんだろうな そしてそういうとこ「紳士」とか演じたりしないから信用できる

    途中で八重山の歌をしっかりたっぷりそのまま載せてくれてるのもとても良いです。
    人頭税のこともしらなかった、八重山何回かいったのに、、。

    あとがきの返還についてのとこで、今の感覚にあった叩きつける様な太郎節が読めて、これだよと思った。

  • 芸術家が考えを言葉にできると、深い洞察と感受性により、ここまで鮮やかにまざまざと、感じたことを表現できるのだと感動しました。言葉もアートです。
    「本土復帰にあたって」は涙がでました。

  • はじめて沖縄を訪れた著者が、歌や舞踊、宗教のなかに息づいている生命をとらえたエッセイです。

    沖縄のプリミティヴな文化に、文明化された本土においてうしなわれてしまった意義を求めるのは、一見したところ、朝鮮の白磁に「悲哀の美」を読み取ろうとした柳宗悦と同様のオリエンタリズムのように思えるかもしれません。しかしそうした評価はあたらないというべきでしょう。むしろ著者は、沖縄で「何もないこと」に直面したのであり、オリエンタリズムの物欲しげな視線が求める「意味」が尽きてしまったところで、はじめて沖縄と出会ったことを語っています。

    八重山を訪れた著者が、人頭税によって苦しめられた人びとの歴史に思いを寄せながらも、「まともに生きている人間は誰だって、何らかの形で人頭税をしょっている。人間の生きるってのはそういうことだ」ということばをぶつけ、「島の人たちはやや呆気にとられているようだったが、やがて真顔になってうなずいた」と書かれているところに、著者がどのようなしかたで沖縄に触れたのかが、端的に示されているように思います。

  • 沖縄事前読書週間3冊目、この後少し間は開くかもしれないですが、次は柳田国男や折口信夫の『沖縄文化論集』を読もうと画策中。その後はネフスキーの『月と不死』かなあワクワク。

    本エッセイは1959年の11〜12月の沖縄滞在をベースに書かれ、その後にイザイホーを見に行った1966年、本土復帰の1972年の増補も収録している。全編面白かったし、楽しく読めた。岡本太郎の文章読みやすい。あとがきの…沖縄の魅力にひきこまれ、私はほとんど一年近くもこの仕事にうちこんでしまった。それは私にとって、一つの恋のようなものだった…という熱量がしっかり伝わってくる。

    「何もないこと」の眩暈
    …この世界では物として残ることが永遠ではない。その日その日、その時その時を、平気で、そのまま生きている。風にたえ、飢にたえ、滅びるときは滅びるままに。生き次生きながらえる、その生命の流れのようなものが永劫なのだ。…美しいものではあっても、美しいと言わない、そう表現してはならないところにこの文化の本質がある。生活そのものとして、その流れる場の瞬間瞬間にしかないもの。そして美的価値だとか、凝視される対象になったとたん、その実態を喪失してしまうような、そこにわたしの突き止めたい生命の感動を見とるのだ。さらに強調していう。問題は石垣や裸足やクバ笠ではない。その美しさなんて、本質的にいってそんなもの、あろうがなかろうが、どうでもいいことなのだ。ただそれが媒体となり、それを通して直感し、感じとる、永劫ーなまなましい時間と空間。悠久に流れる生命の持続。(p.70-1)

    この目まぐるしさはどうしたものだろう。…しかし勿論日本に限らない。世界じゅうのオーガニゼーション・マンが、自覚するしないにかかわらず落ち込んでいる絶望的なシチュエーションである。生命のリズムと時計の針との違和感。というよりも生命自体が画一化しているということだ。そういう矛盾がどこからくるかという問題は一応別として、ただ空しく一方的時間に飲まれてしまっては、生きている甲斐がない。(p.73)

    八重山の悲歌
    …歌というと、われわれはあまりにも、作られ、みがきあげられた美声になれてしまっている。美声ではない。叫びであり、祈りであり、うめきである。どうしても言わなければならないから言う。叫ばずにはいられない、出なければ生きていかれないから。それが言葉になり、歌になる。(p.105)

    踊る島
    …歓喜が全身をつき動かす。人は踊る。よろこびの極みが踊りであり、そのエネルギーの放出はまた強烈な歓喜である。心身が解き放たれ、自分自身を世界に向って惜しみなく投げ出す。それは自己拡大であると同時に、自己喪失といっても良い。際限なしにあふれ出る。その時人は世界を所有し、宇宙と同化する。踊り上がり、全身を空に投げ、くるくる廻る。世界は同心円を描き、すみずみまで輝いてこちらを包む。…そのような死こそ、そのような生こそ…。(p.121)

    ちゅらかさの伝統
    …災いとか伝染病を美称でよぶのは、なるほど、ひどく矛盾のようだが、しかしかつての島の人には切実な意味があったに違いない。複雑な心情である。…恐ろしいからこそ大事にする。人間が自然の気まぐれに対して無力であった時代、災禍をもたらす力は神聖化された。"凶なる神聖"である。それは"幸いなる神聖"と表裏である。(p.185)
    …危機感、抵抗のピリピリした防禦反応が働いている間は、鹿鳴館精神も賢明な手段であったろう。しかしそれが鈍り、なれてしまうと、やがてだらしのない植民地風景になってくる。近代日本のカリカチュアーの一面である。そしてそれは今日なお続いている。(p.193)

    本土復帰にあたって
    …私は島ナショナリズムを強調するのではない。島は小さくてもここは日本、いや世界の中心だという人間的プライドをもって、豊かに生きぬいてほしいのだ。沖縄の心の永遠のふくらみと共に、あの美しい透明な風土も誇らかにひらかれるだろう。(p.205)

  • 私が少年の頃は、岡本太郎は奇妙な芸術家だと思っていましたが、この本を読んでたちまちファンになりました。沖縄だけでなく、日本の、ひいては文化芸術全般にたいする目が養われ、いま私自身が芸術にかかわる仕事をしていくうえでの、大事な感覚をもてたと思っています。

  • 川端康成「この本はいいねえ、沖縄に行きたくなった」
    三島由紀夫「内容といい、文章といい、これこそ文学だ」
    大阪万博の太陽の塔で有名な岡本太郎が本土復帰前の1959年に沖縄を訪れ、沖縄の持つ魅力と潜在的課題を見事に予見した「沖縄文化論」。
    本土に何かを要求する前に、自分たちはこうなりたいという強い思い無くして、沖縄の豊かな未来像は描かれない。(「本土復帰に当たって」1972年)

    沖縄戦:大日本帝国軍人の神懸った軍人精神の虚勢に自らを縛り、惨憺たる無意味な破局を眺めながら、虚栄の中に、反省もなく、「帝国軍人らしく」自刃した。旧日本軍の救いがたい愚劣さ、非人間性、その恥と屈辱を、私は嫌悪する。島民も兵隊も、飢えと疲労と恐怖でとことんまで追い詰められなお戦い続けなければならなかった。軍部が日本人に対しておかした傲岸無比、愚劣、卑怯、あくどさに対する憤りでやりきれない。

    沖縄文化の本当の美しさは、芸術的遺品の中ではなく、人間、石垣、自然、歌や踊りといった生活そのものの中にある。それらは形として威圧してくるのではなく、こちらから全霊をもって見えない世界に呼びかける、その神聖感は身近で肌にしみとおる。
    沖縄は戦争で何もかも失った。滅びなかったのは踊りや歌のような無形の文化財だけなのに、古いものはどんどん失われていく。

    17世紀初め、沖縄は薩摩の島津氏に征服され、特徴的な沖縄女性の宗教的指導力(のろ、つかさ)は、武家社会という男性支配と対立し、弾圧された。

    現代日本人にもある淡泊、思い切りの良さ、諦めといった気分はあるが沖縄の人にはより顕著に伺える。
    久しく厳しい搾取と貧困に耐えながら明朗さを失わず、台風で飛ばされた屋根は、また適当に拾って乗っけておく、次の台風までもてばいい、そのように(なんくるないさ~)、彼らは永遠を生き抜き、生き継いできた。

    神の島、久高島には毎月祭事があり、男たちも欠席は許されない。だから当時は一生、島から出たことがない人間も多かった。また、1959年当時には、風葬の習慣もあった。

  • とにかく文章がキレッキレ。
    本土復帰前の沖縄を訪れて風土と文化にふれた岡本さんの興奮が伝わる沖縄論。
    力技のアウトプット型の人だと思っていたらとんでもない。細やかな観察眼としなやかな文章で瑞々しい表現をするかただった。風景や人が文章から浮かびあがってくる。「踊りの島」の章の躍動感やダイナミズムがとくに凄い。
    久高島の件はこれから追って勉強します。

  • 公開中の映画「岡本太郎の沖縄」(傑作)の元ネタということで手に取ってみた。

    御嶽(ウタキ)とよばれる森の中の聖域。海辺には風葬の痕跡。

    「久高島にはこのおびただしい死と、ささやかな生の営みが、透明な比重の層となって無言のうちにしりぞけあっている。生はひっそりと死にかこまれ、死が生きているのか、生が死んでいるのか。・・・しかしあたりは限りなく明るい光の世界。清潔だ。天地根元時代のみずみずしい清らかさ、けがれのなさはこのようではなかったか」(P114)。

    私自身、竹富島で早朝のウタキに行ったことがあるが、ホウホウというなぞの鳴き声、さらさらとそよぐ葉、うっそうとした茂みから漏れる光、あれは確かに神聖な気配に充ちた場所だった。

    沖縄は日本の原点。谷川健一らほかの多くの学者も主張していることだが、人類学の素養と審美眼の二つを併せ持つ著者による類まれなる一冊と思う。

  • 何も無い場所、御嶽。八重山の悲歌。
    太郎が今、八重山に行ったらどう思うだろう。

  • 第67回OBPビブリオバトル「爆発」で発表された本です。
    2021.12.29

  • 生と結びついた歌と踊り。
    ミソギとしての入浴、そして日々の再生。

    目が開かれる思いでした。
    沖縄文化、興味深いです。

  • 私が沖縄に関してもってる知識、観光、リゾートに関して80%、太平洋戦争の歴史に関して10%、独特な文化、風俗、農業など10%。
    岡本太郎さんに関してもってる知識、太陽の塔を作った芸術家だということと、芸術は爆発だと言う名言のみ。
    本土復帰前、観光開発前の沖縄と岡本太郎さん。私、何も知らなかったんだと思い知りました。

  • 岡本太郎の物の見方、文化人類学の素養があるという力ですね。

  • 素晴らしい作品!詳細は読書メモ欄に記載

  • NHK大河ドラマ「西郷どん」で、西郷が奄美で出会った女性・「とぅま」が手の甲に入れ墨をしていて、奄美・琉球のハジチという文化だと知った。
    なにか惹かれるものがあり、また沖縄出身の歌手・Coccoのファンだったこともあって、沖縄の本を読みたいなあと思っていたところ、面見せされていたので購入。
    一年以上積ん読していたところ、2022年は沖縄本土復帰50周年、読み時になりようやく読んだ。

    【目次】
    沖縄の肌ざわり、「何もないこと」の眩暈、八重山の悲歌、踊る島、神と木と石、ちゅらかさの伝統、結語、あとがき
    神々の島 久高島、本土復帰にあたって
    「一つの恋」の証言者として(岡本敏子)

    とても興味深かったです。
    私が読みたかった本でした。

    p70「この世界では物として残ることが永遠ではない。その日その日、その時その時を、平気で、そのまま生きている。風にたえ、飢にたえ、滅びるときは滅びるままに。生きつぎ生きながらえる、その生命の流れのようなものが永劫なのだ。」
    p173「沖縄の御嶽でつき動かされた感動はまったく異質だ。何度も言うように、なに一つ、もの、形としてこちらを圧してくるものはないのだ。清潔で、無条件である。」
    p199「人々は久しく、厳しい搾取と貧困にたえながら、明朗さをもちつづけた。こだわらない。だが投げやりではない。呆れるほど勤勉に、せっせと働く。根こそぎとられたら、また作りはじめる。とばされた屋根は、また適当に拾ってきてのっけておく、といった具合。また次の台風までもてばいいというような、こだわらない建て方である。そのようにして民衆は永遠を生きぬき、生きついできた。」

    上記は、滅びることを前提とするような、潔さの話だ。
    震災があった後、私は、なぜそのような土地にまた家を建てるのか疑問だった。
    でもあるとき、江ノ電からふと海をみて、「この土地がよいのだ、この海の、この景色がよいのだ。だからそこで生き続けたいのだ」と、理屈でなく感覚で、すとんとわかった。
    それに最近、テレビ番組「日曜日の初耳学」で、成田悠輔さんが、人間は「滅びゆく動物」だと言っていた。
    全然文脈は違うのだけれど、そういう考え方もあるのだなあと思ったところだった。
    とてもフラットな意見として心に刻まれた。

    p180「お風呂はただよごれを落し、身体をきれいに保つという実用的な意味だけでなく、多分に精神的で、マジナイ的要素がある。自分で気づかないで、毎日ミソギをやっているのだ。『ああ、いい気分だ。生きかえった』なんて、まさに再生の告白だ。」
    小さな島では、禊は消毒のようなものだという。
    清めの塩の由来を考えたこともなかったので、とても新鮮だった。
    時代に取り残されたかのように、非科学的に見えても、実は意味がある。
    私も翌日休みの場合、疲れていたりくさくさしていると、入浴せず寝てしまうことがある。
    「まず一っ風呂あびて、さっぱりしてくる」ようにしようかな。
    そういえば、エヴァのミサトさんも、お風呂は心の洗濯だって言ってたし。

    太陽の塔とか「芸術は爆発だ」はぜんぜん知らないけれど、とにかくこの本はすてきです。

    久高(くだか)島では、もう風葬は行われていないようです。

  • 岡本太郎が沖縄(八重山地域に関する話が多い)を訪れたときの旅行記と、日本文化に関する論考。
    西洋的な現代美術及びその影響を深く受けた現代日本の美術や芸術は貴族文化がベースとなっているけれど、沖縄の文化(歌や踊り)は生活や労働に根付いたものであり、それが実は日本古来の文化なのではないか、という趣旨の論を展開している。
    この考え方を敷衍して、沖縄が本土復帰するのではなく、本土が沖縄に復帰するべきなのだ、と主張している。
    以前読んだ大江健三郎の『沖縄ノート』もこのような主張をしていた気がするので、この時期にこのような主張が流行っていたのかなとも思う。

    岡本太郎の文章表現が非常に芸術的で、意図を読み取るのが難しい箇所も多くあったが、まだリゾート化する前の石垣島の様子も知れて、面白い本だった。

  • 「沖縄にこそ日本文化の純粋で強烈な原点がある」と、岡本太郎が確信に至るまでの沖縄との出会いと発見。日本の文化について考えるとき、避けては通れない一冊だと思います。

  • 太郎さんは沖縄の文化に惹かれていた様なので、読んでみたい。

  • 2020.1.9 2
    沖縄に行きたい。久高島に行きたい。
    何度か行ったけど、もっと行きたい。原始的なもの、根源的なもの。岡本太郎の感性に感銘を受けた。
    沖縄らしさ、無邪気さ、屈託のなさ。行きあったものは皆兄弟。素直さ、生きる楽しさ。
    数々の写真が凄かった。

  • 沖縄の肌ざわり
    「何もないこと」の眩暈
    八重山の悲歌
    踊る島
    神と木と石
    ちゅらかさの伝統
    結語
    神々の島久高島
    本土復帰にあたって

    著者:岡本太郎(1911-1996、川崎市高津区、芸術家)
    解説:岡本敏子(1926-2005、千葉県)

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著者プロフィール

岡本太郎 (おかもと・たろう)
芸術家。1911年生まれ。29年に渡仏し、30年代のパリで抽象芸術やシュルレアリスム運動に参加。パリ大学でマルセル・モースに民族学を学び、ジョルジュ・バタイユらと活動をともにした。40年帰国。戦後日本で前衛芸術運動を展開し、問題作を次々と社会に送り出す。51年に縄文土器と遭遇し、翌年「縄文土器論」を発表。70年大阪万博で太陽の塔を制作し、国民的存在になる。96年没。いまも若い世代に大きな影響を与え続けている。『岡本太郎の宇宙(全5巻)』(ちくま学芸文庫)、『美の世界旅行』(新潮文庫)、『日本再発見』(角川ソフィア文庫)、『沖縄文化論』(中公文庫)ほか著書多数。


平野暁臣 (ひらの・あきおみ)
空間メディアプロデューサー。岡本太郎創設の現代芸術研究所を主宰し、空間メディアの領域で多彩なプロデュース活動を行う。2005年岡本太郎記念館館長に就任。『明日の神話』再生プロジェクト、生誕百年事業『TARO100祭』のゼネラルプロデューサーを務める。『岡本藝術』『岡本太郎の沖縄』『大阪万博』(小学館)、『岡本太郎の仕事論』(日経プレミア)ほか著書多数。

「2016年 『孤独がきみを強くする』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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