沖縄文化論: 忘れられた日本 (中公文庫 お 54-1)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (261ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122026209

作品紹介・あらすじ

苛酷な歴史の波に翻弄されながらも、現代のわれわれが見失った古代日本の息吹きを今日まで脈々と伝える沖縄の民俗。その根源に秘められた悲しく美しい島民の魂を、画家の眼と詩人の直感で見事に把えた、毎日出版文化賞受賞の名著。

感想・レビュー・書評

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  • 芸術家が考えを言葉にできると、深い洞察と感受性により、ここまで鮮やかにまざまざと、感じたことを表現できるのだと感動しました。言葉もアートです。
    「本土復帰にあたって」は涙がでました。

  • はじめて沖縄を訪れた著者が、歌や舞踊、宗教のなかに息づいている生命をとらえたエッセイです。

    沖縄のプリミティヴな文化に、文明化された本土においてうしなわれてしまった意義を求めるのは、一見したところ、朝鮮の白磁に「悲哀の美」を読み取ろうとした柳宗悦と同様のオリエンタリズムのように思えるかもしれません。しかしそうした評価はあたらないというべきでしょう。むしろ著者は、沖縄で「何もないこと」に直面したのであり、オリエンタリズムの物欲しげな視線が求める「意味」が尽きてしまったところで、はじめて沖縄と出会ったことを語っています。

    八重山を訪れた著者が、人頭税によって苦しめられた人びとの歴史に思いを寄せながらも、「まともに生きている人間は誰だって、何らかの形で人頭税をしょっている。人間の生きるってのはそういうことだ」ということばをぶつけ、「島の人たちはやや呆気にとられているようだったが、やがて真顔になってうなずいた」と書かれているところに、著者がどのようなしかたで沖縄に触れたのかが、端的に示されているように思います。

  • 私が少年の頃は、岡本太郎は奇妙な芸術家だと思っていましたが、この本を読んでたちまちファンになりました。沖縄だけでなく、日本の、ひいては文化芸術全般にたいする目が養われ、いま私自身が芸術にかかわる仕事をしていくうえでの、大事な感覚をもてたと思っています。

  • 川端康成「この本はいいねえ、沖縄に行きたくなった」
    三島由紀夫「内容といい、文章といい、これこそ文学だ」
    大阪万博の太陽の塔で有名な岡本太郎が本土復帰前の1959年に沖縄を訪れ、沖縄の持つ魅力と潜在的課題を見事に予見した「沖縄文化論」。
    本土に何かを要求する前に、自分たちはこうなりたいという強い思い無くして、沖縄の豊かな未来像は描かれない。(「本土復帰に当たって」1972年)

    沖縄戦:大日本帝国軍人の神懸った軍人精神の虚勢に自らを縛り、惨憺たる無意味な破局を眺めながら、虚栄の中に、反省もなく、「帝国軍人らしく」自刃した。旧日本軍の救いがたい愚劣さ、非人間性、その恥と屈辱を、私は嫌悪する。島民も兵隊も、飢えと疲労と恐怖でとことんまで追い詰められなお戦い続けなければならなかった。軍部が日本人に対しておかした傲岸無比、愚劣、卑怯、あくどさに対する憤りでやりきれない。

    沖縄文化の本当の美しさは、芸術的遺品の中ではなく、人間、石垣、自然、歌や踊りといった生活そのものの中にある。それらは形として威圧してくるのではなく、こちらから全霊をもって見えない世界に呼びかける、その神聖感は身近で肌にしみとおる。
    沖縄は戦争で何もかも失った。滅びなかったのは踊りや歌のような無形の文化財だけなのに、古いものはどんどん失われていく。

    17世紀初め、沖縄は薩摩の島津氏に征服され、特徴的な沖縄女性の宗教的指導力(のろ、つかさ)は、武家社会という男性支配と対立し、弾圧された。

    現代日本人にもある淡泊、思い切りの良さ、諦めといった気分はあるが沖縄の人にはより顕著に伺える。
    久しく厳しい搾取と貧困に耐えながら明朗さを失わず、台風で飛ばされた屋根は、また適当に拾って乗っけておく、次の台風までもてばいい、そのように(なんくるないさ~)、彼らは永遠を生き抜き、生き継いできた。

    神の島、久高島には毎月祭事があり、男たちも欠席は許されない。だから当時は一生、島から出たことがない人間も多かった。また、1959年当時には、風葬の習慣もあった。

  • とにかく文章がキレッキレ。
    本土復帰前の沖縄を訪れて風土と文化にふれた岡本さんの興奮が伝わる沖縄論。
    力技のアウトプット型の人だと思っていたらとんでもない。細やかな観察眼としなやかな文章で瑞々しい表現をするかただった。風景や人が文章から浮かびあがってくる。「踊りの島」の章の躍動感やダイナミズムがとくに凄い。
    久高島の件はこれから追って勉強します。

  • 公開中の映画「岡本太郎の沖縄」(傑作)の元ネタということで手に取ってみた。

    御嶽(ウタキ)とよばれる森の中の聖域。海辺には風葬の痕跡。

    「久高島にはこのおびただしい死と、ささやかな生の営みが、透明な比重の層となって無言のうちにしりぞけあっている。生はひっそりと死にかこまれ、死が生きているのか、生が死んでいるのか。・・・しかしあたりは限りなく明るい光の世界。清潔だ。天地根元時代のみずみずしい清らかさ、けがれのなさはこのようではなかったか」(P114)。

    私自身、竹富島で早朝のウタキに行ったことがあるが、ホウホウというなぞの鳴き声、さらさらとそよぐ葉、うっそうとした茂みから漏れる光、あれは確かに神聖な気配に充ちた場所だった。

    沖縄は日本の原点。谷川健一らほかの多くの学者も主張していることだが、人類学の素養と審美眼の二つを併せ持つ著者による類まれなる一冊と思う。

  • 何も無い場所、御嶽。八重山の悲歌。
    太郎が今、八重山に行ったらどう思うだろう。

  • 私が沖縄に関してもってる知識、観光、リゾートに関して80%、太平洋戦争の歴史に関して10%、独特な文化、風俗、農業など10%。
    岡本太郎さんに関してもってる知識、太陽の塔を作った芸術家だということと、芸術は爆発だと言う名言のみ。
    本土復帰前、観光開発前の沖縄と岡本太郎さん。私、何も知らなかったんだと思い知りました。

  • 岡本太郎の物の見方、文化人類学の素養があるという力ですね。

  • 文化的には大和が沖縄に復帰すべきだなんて頭をどつかれたような言葉を吐き切るのはさすが。爆発的に凄まじいまでの芸術家の直観を持ち縄文土器が大好きだった御仁だから沖縄の貝塚時代に思いを馳せることも多かったんだろうなあ。芸術と歴史文化というフィルターを通して沖縄を観ることが私にもできたら今持っているのとは違った沖縄観を持つことができるんだろうなあ。

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著者プロフィール

岡本太郎 (おかもと・たろう)
芸術家。1911年生まれ。29年に渡仏し、30年代のパリで抽象芸術やシュルレアリスム運動に参加。パリ大学でマルセル・モースに民族学を学び、ジョルジュ・バタイユらと活動をともにした。40年帰国。戦後日本で前衛芸術運動を展開し、問題作を次々と社会に送り出す。51年に縄文土器と遭遇し、翌年「縄文土器論」を発表。70年大阪万博で太陽の塔を制作し、国民的存在になる。96年没。いまも若い世代に大きな影響を与え続けている。『岡本太郎の宇宙(全5巻)』(ちくま学芸文庫)、『美の世界旅行』(新潮文庫)、『日本再発見』(角川ソフィア文庫)、『沖縄文化論』(中公文庫)ほか著書多数。


平野暁臣 (ひらの・あきおみ)
空間メディアプロデューサー。岡本太郎創設の現代芸術研究所を主宰し、空間メディアの領域で多彩なプロデュース活動を行う。2005年岡本太郎記念館館長に就任。『明日の神話』再生プロジェクト、生誕百年事業『TARO100祭』のゼネラルプロデューサーを務める。『岡本藝術』『岡本太郎の沖縄』『大阪万博』(小学館)、『岡本太郎の仕事論』(日経プレミア)ほか著書多数。

「2016年 『孤独がきみを強くする』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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