日日雑記 (中公文庫 た 15-5)

著者 :
  • 中央公論新社
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本棚登録 : 720
感想 : 64
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  • Amazon.co.jp ・本 (267ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122027961

作品紹介・あらすじ

通信販売、水族館、美空ひばり公演、愛猫の死…世事万端に興味をもつ天性の無垢な芸術者が、身辺の出来事と折々の想いを、時には繊細な感性で、時には大胆な発想で、丹念につづった最後のエッセイ集。

感想・レビュー・書評

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  • AMAZONプライムで砂の器を観て
    そういえば百合子さんのエッセイに砂の器の描写あったなと
    思い、そこを読み返したくなって探して再読。
    砂の器の描写、やっぱり良かった。そうそう、そうだよと
    うなずきながら読む。
    昭和50年代生まれの自分でも郷愁を感じる映像。
    百合子さん世代の人は更に更に郷愁を感じながら観る映画だったのだろう。
    何度目かの再読だけれど、ここがこうなるんだよなとわかっていても面白い。
    これだけ飄々と正直に生きられるだろうか。
    お洒落に気取ったエッセイではなく、面白くしようと気負った
    エッセイでもなく、素のまま書いて、ここまでユーモアが
    溢れてくる、やっぱりすごい才能だなと思う。
    また忘れたころに読み返そう。

  • ずっと一番好きな本。
    (私の本にもこの新刊の帯が付いている)

    どんなところが良いのかは解説で巖谷國士さんが書いておられるとおりで、実は内容を思い出そうとすると、解説を思い出すほどである。
    (特に、映画館で飲み物をストローで吸う「液汁吸い」(この言いよう!)の男くだりの容赦のなさや生々しささや可笑しみなど)

    自分に酔うことのないそのままの気持ちや見たままの物事が、ただ無防備な様子で書かれているようにみえる。うっとりしたり不味かったり怒ったり気分が悪くなったり感動したり。それは今読んでも鮮やかで生き生きとしている。
    好きになってしまった百合子さんに会いたくて何度も再読する。

    こんな文章を書く百合子さんにたいそう憧れた。
    著者紹介のたばこ片手の粋なお写真はかっこよい。

  • 見たものをあらわす。
    だれもが日々やっていることが、こんな風にみずみずしく、目の前に浮かんでくるような文章になる。

  • 恋人が貸してくれたから、というのもあるのでしょうが、
    ・・・・・こんな女、好きになるに決まっているじゃないか!
    という勝手な嫉妬。
    こんな、魅力的な人は怖い。

  • これも、気がついた時に読み進めて好きなところを開いて読んだり、遡ったり、を繰り返していたのだが今日あとがきまで読み終わったので今日登録する。武田百合子さんの文章、すきだなぁ。
    例えばお店でもベンチでも、どこかの席に落ち着いて、人の動作、聞こえてくる会話、私も気になってしまいがちで。そういう目と耳のチューニングが近いんだと思う。ただもちろん精度は段違いだけど!

    たまに子供がよその人をじっとみてしまうときがある。そういう時あんまりよその方をじっと見ないの、と注意するのだけど、百合子さんの目もそんな好奇心を隠せない目だったのでは、なんて思う。

    それと、飲み食いするものが妙に好きなのだ。

    にやにやと笑った(家族に対してなにかこういうことを言っていた。でもどこの話だったかわすれた)ゆで卵を食べられなくなる男、赤ん坊のようなあくびをするoさん。あっさり言ってのける言葉選びも好きだ。

    そしてこの本のあちこちにはどことなく哀愁が漂う。絶え間なく流れる人の生活、そしてその往く川の流れのようにその人がたどり着く死。そういうものが、日々の記録の背景にあった。いい本だった。いつでもふらりと読みたい。

  • 強気で行かなきゃいけないとこ(警察とか税務署とか)は口紅をさしていくっていうのがいいなと思った
    花子さんとの会話の言葉遣いが好き

  • 昭和の末期から平成の初めにかけて連載していた日記。
    途中体調不良で休載したとあとがきに書いてあったが、筆者だけではなく、その周囲の人たちや愛猫も体調を崩し命を喪っていく。
    年をとるとはそういうことか、と、他人事ではなくそう感じる。

    それでも筆者の観察眼の鋭さ、描写の的確さは鈍っておらず、それどころかますます冴えわたって、このような文章をかけたらと思わずにはいられない。

    ”蜂がやってきて石のくぼみに溜まった汁に落下、あわてふためいてよじ上った。口を開いて汁を吐きつつ紐の切れはしのような胴体と羽をひきずって這いまわる。片方折れ曲がってしまった柔らかそうな黒い触角を確かめるようにしきりと動かしていたが、羽をふるってとび立っていった。”
    く~、格好いい。

    夫を亡くした母と夫と別れた娘の二人暮らしは、なんだか気楽で楽しそう。
    都内の生活で芸術を愉しみ、富士の裾野の家で不自由を愉しむ。
    けれど文章に書かれていない空隙に、夫のいない寂しさが感じられて切ない。
    楽しいことがあったら、素晴らしいものがあったら、それを分かち合いたい相手はもういない。
    年をとるとはそういうことか、と、他人事ではなくそう感じる。

    ま、残す側になる可能性も同じくらいあるんだけどね。

  • 著者の最後のエッセイ集で、代表作『富士日記』同様、日記形式の文章がつづられています。また、大岡昇平の追悼文も収録されています。

    ただ『富士日記』のばあい、いちおうは公開されることを想定されずに書き記された日記とされているのに対して、本書はエッセイとして発表された文章ということもあり、ユーモアがやや強く出ています。

    19歳まで生きた飼い猫の玉の衰弱と死をえがいた文章にも、思わず目頭が熱くなりながらも、同様の印象が感想をいだきました。もちろん、それが悪いということではないのですが、どこまでも現実の生活のなかでその死を迎え入れなければならない過程が生のまま現われ出ている愛犬ポコの死の描写とくらべると、やはり異なるものだなと感じます。

  • 武田百合子さんのエッセイ。生前最後の著作。表紙写真は 娘の花さん。昔から 知ってる 友達のお母さんみたいな文章

    序文「いなくなった人たちに」で始まる。雑記のように見えて、生と死が どのエッセイにも盛り込まれている気がする

    映画、外食、人の観察が好きみたい

  • ねばっこくない。見た物をそのまま言葉に書き取った文章。

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著者プロフィール

武田百合子
一九二五(大正一四)年、神奈川県横浜市生まれ。旧制高女卒業。五一年、作家の武田泰淳と結婚。取材旅行の運転や口述筆記など、夫の仕事を助けた。七七年、夫の没後に発表した『富士日記』により、田村俊子賞を、七九年、『犬が星見た――ロシア旅行』で、読売文学賞を受賞。他の作品に、『ことばの食卓』『遊覧日記』『日日雑記』『あの頃――単行本未収録エッセイ集』がある。九三(平成五)年死去。

「2023年 『日日雑記 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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