中国行きのスロウ・ボ-ト (中公文庫 む 4-3)

著者 :
  • 中央公論新社
3.51
  • (273)
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本棚登録 : 4725
感想 : 414
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122028401

作品紹介・あらすじ

青春の追憶と内なる魂の旅を描く表題作ほか6篇。著者初の短篇集。

感想・レビュー・書評

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  • 初めて読んだ時から
    実に22年!

    村上春樹の記念すべき初の短編集であり、
    いまだに春樹さんの短編集の中では
    この作品が一番だと思っています(^^)
    (個人的な意見を言えば村上春樹は
    優れた短編小説家だと思う。彼の長編の多くは実験的に書いた様々な短編をつなぎ合わせたものだし)


    若き日の村上春樹だからこその
    ニヒリズムとキザ一歩手前のセリフ。

    熱くなり過ぎず、
    けれども揺らぎない芯を感じさせる
    クールで抑制された文体。

    どんな話の中にも
    キラリと光るセンス・オブ・ユーモア。

    ひょうひょうとして見えても
    みな喪失を抱え、
    自らの信念やルールに従って生きる
    ハードボイルドな登場人物たち。

    ああ~やっぱ好きなんよなぁ~、
    この頃の村上春樹♪

    今改めて読んでも
    初めてこの本に触れた時の喜びが蘇ってきたし、
    その当時の空気感や匂いまでも
    瞬時に思い出させてくれる。


    かつて出会った中国人たちに思いを馳せる
    『中国行きのスロウ・ボート』、

    背中に張り付いた叔母さんのエーテルは
    見る人によって姿を変え…
    『貧乏な叔母さんの話』、

    レコードを間違って買ってしまった客にカセットテープに声で返事を吹き込む
    デパートの商品管理係の男のイタい独り言(笑)を描いた
    『カンガルー通信』、

    炎天下での芝刈りバイトの思い出を瑞々しい感性で描いた
    個人的に大好きな一編
    『午後の最後の芝生』、

    シーズンオフのリゾートホテルを舞台に
    死んだ犬の匂いに悩まされる女と、
    彼女に去られた男の雨の2日間を
    詩情に溢れ映像喚起力の高い筆致で描いた傑作
    『土の中の彼女の小さな犬』、

    砂金王である父親の莫大な遺産を受け継いだ大金持ちの私立探偵と、
    ピザ屋を切り盛りする女の子「ちゃーりー」、
    そしてあの羊男が繰り広げるユーモラスな冒険活劇に
    誰もがニヤリとすること必至の
    『シドニーのグリーン・ストリート』、
    などなど粒揃いの短編がズラリ。


    彼の小説を読むと
    必ず主人公が食べていたスパゲティやドーナツが食べたくなるし、
    ビールをグビグビしたくなるし、料理を作りたくなったり、
    動物園に行きたくなってしまう。
    (初期作品の登場人物の殆どに名前がないこともそうだし、読者が物語の中に自然と入り込んでしまう同化現象を、春樹さんの作品は自然と呼び起こすんです)

    そして書かれた当時の時代背景もあるけど、
    タバコが効果的な小道具として描かれてるのも
    共感できる点かな(笑)
    (今でこそ、不当な悪者扱いを受けてるタバコだけど、昔からタバコとジャズとロックと酒は自由のシンボルで、多くの表現者の創作意欲を増してきたし、一つの文化として成り立ってきたハズ)


    自分がこの本を初めて読んだのは
    まだ恋も知らない16歳だった。

    詩人は21で死に、
    革命家とロックスターは24で死ぬ。

    ならば自分は
    一体いつまで生きるんだろう。

    ロックに目覚め、
    今も続けているバンドを組んだばかりの自分は
    電車の中で夕刊フジを読むような
    イージーな大人になるくらいなら
    ディフィカルトな子供のままでいたいと思っていた。

    ストーンズの音楽と手に入れたばかりのギターと
    少しのお酒と村上春樹の小説があれば、
    くそったれの人生も
    いくらかはマシになるって。


    ラジオから流れるFEN、ドアーズとCCR、夏の光にチラチラ揺れるウィスキーとショートホープ、昭和の牧歌的な時代、入れ替え制のない古き良き映画館、雨の日の動物園、誤解されて別れた恋人、傷つけた人たち、親友が亡くなったことを知らずにいたバカな自分。

    あれから22年経って
    結局イージーな大人にはなれなかったし、
    過ぎ去ったもの、失くしたものは
    もう戻らないけど、
    自分はまだ生きているし
    悲しいかな、あの頃と何も変わっちゃいない。

    ストーンズとギターと少しのお酒、
    そしてこの小説とあの子がいれば、
    まだ当分の間は生きていけそうだ(^^;)

    • vilureefさん
      こんにちは。

      ハルキストにはなれませんが、村上春樹大好きです。
      網羅とまではいきませんが、ほぼ読んでいると思っていました。
      が、何...
      こんにちは。

      ハルキストにはなれませんが、村上春樹大好きです。
      網羅とまではいきませんが、ほぼ読んでいると思っていました。
      が、何と言うことでしょう!
      この本は抜けていました。

      円軌道の外さんのレビューを読んだら、今すぐにでも読みたくなりました。
      さっそく文庫買いに行こうかな。

      私は春樹の本を読むと、“サンドウィッチ”が食べたくなります。
      “サンドイッチ”ではなく、“サンドウィッチ”。
      この表現にこだわりがあるのかなと思っていたら、最近の作品ではなぜが“サンドイッチ”。
      これには意味があるのか無性に気になります・・・(^_^;)

      .
      2014/01/15
    • 円軌道の外さん


      vilureefさん、遅くなりましたが
      コメントありがとうございます!

      仕事の多忙が祟ったのか
      只今、人生初のインフルエン...


      vilureefさん、遅くなりましたが
      コメントありがとうございます!

      仕事の多忙が祟ったのか
      只今、人生初のインフルエンザにかかり
      自宅療養中です(泣)

      寒かったり暑かったり
      変な天気が続いてますが、お変わりないですか?


      あははは(笑)
      自分もハルキストにはなれないし、
      作品は好きだけど、
      あそこまでただの小説家を神格化するのはどうかと思ってます(笑)

      ノーベル賞なんて春樹さん本人は
      これっぽっちも望んでないと思うんやけどなぁ(笑)(´`:)


      と、脱線しましたが(汗)、
      この短篇集はオススメですよ(^^)

      これも初期の『カンガルー日和』と共に
      大好きな短篇集で
      何度も買い直してます(笑)


      今の春樹さんもいいけど、
      初期の作風やそこに流れる匂いが好きなんです。

      最近、小川洋子さんとクラフト・エヴィング商會が取り上げて
      再評価された、
      『 貧乏な叔母さんの話』や、

      郷愁溢れる『 午後の最後の芝生』や
      詩情溢れる『 土の中の彼女の小さな犬』は
      本当に傑作だと思うし、

      まるで童話や児童小説のように
      無邪気でシュールで
      ロマンチックな冒険活劇の
      『 シドニーのグリーン・ストリート』は
      初期だからこその
      遊び心とキュートな作風に
      メロメロになるハズです(笑)(*^^*)


      また、読まれたら
      レビュー楽しみにしてますね(^o^)


      あっ、そういえば
      自分もサンドイッチの表記、
      感じてました(笑)

      僕が、『ああ~自分は今、村上春樹を読んでるんや』って、
      一瞬にして思わせてくれる表記は
      やはり『サンドウィッチ』の方です(笑)

      ミュージシャンの佐野元春が、
      ラジオをレイディオと呼ぶのと同じで(笑)、
      まるで外国文学を読んでいるかのような春樹さんの文体は
      僕が初めて読んだ20年前には
      本当に斬新で
      『これこそが自分たちの世代の文学なんや』って  
      もう吸い寄せられるように
      ハマっていったのを覚えています(笑)(^^;)

      2014/03/01
  • 村上春樹最初の短編集。面白かった。増版していないのか、手に入れづらかった。世の中の理屈が解らない。

  • 全7篇からなる短編集。再読。①『午後の最後の芝生』②『中国行きのスロウ・ボート』③『土の中の彼女の小さな犬』が特に好き。初の短編集ということだが、この頃から村上春樹のあちらとこちらみたいな、少し「死」というものが匂うような描写が見え隠れしている気がする。それにしてもなんだろう上手く言葉で表せないのがもどかしいけど、初期の村上春樹はなんか爽やかだ。

    「きっと消えてしまったものが好きなのね」(p.206)好きなセリフです。

  • 再読。
    全体的におだやかな空気が流れる短編たち。午後の最後の芝生、土の中の彼女の小さな犬が好み。

  • 恐らく40年ほど前の二十歳になる頃に初めて読んだ村上春樹作品。「ノルウェイの森」出版される1年ほど前だった。
    急に懐かしくなり、読みたくなって買い求めた。(本棚のどこかにあった気がするけど)
    表題の「中国行きのスロウ・ボート」は初めて読んだ時、衝撃を受けた。その後、そのまま村上春樹に引き込まれるキッカケを作った作品と言える。
    それでも、前半の話の方が印象が強くて、後半の展開は忘れていた。
    「貧乏な叔母さんの話」自分にとっては村上春樹らしい捉えどころのない話の一つ。一方で当時この作品を読んだ人たちのこの作品の評価は高かった気がする。
    今回読んでみても、印象は今ひとつ。僕は40年成長していないのか?
    「午後の最後の芝生」は読んでいて思い出した。
    こちらも暑くなってくるような、日焼けしてしまいそうな文章。
    「土の下の彼女の小さな犬」、これも読んでいて思いだした。この話から受ける感覚は、当時の所謂「村上春樹らしさ」を一番著していると思うし、これが村上春樹ファンの好きな話だったのでは?。(註:当時はまだ「ハルキスト」などという呼称はなかった)
    「午後の…」もそうだが、「土の下の…」の「の」の意識的な連続。これもまた村上春樹っぽい。

    「ニューヨーク炭鉱の悲劇」、「カンガルー通信」ともにタイトルは覚えていたが内容は忘れていた。
    「シドニーのグリーン・ストリート」はタイトルも含め全く記憶にない。
    今や僕は村上春樹作品は買っても読み通せなくなっていて、ここ10年以上新作長編が出ても読んでいないが、昔の作品の方が抵抗なく読めるのはなぜだろうか。

  • 初期の短編集ですが、ストーリー性は希薄で、どこか客観的に世界を見てる主人公の視点が心地よいですね。

    「午後の最後の芝生」もそうですが、一見涼しげな展開ながら、血に染まるような痛みが見え隠れします。

    今回読み返して、電車に乗る方向を逆に教えてしまったエピソードが刺さりました。

  • 何か感じなきゃ!という謎の強迫観念に追われるので村上春樹作品をあんまり読んでこなかったのだが、安西水丸さんの素敵な装丁をどうしても手元に収めたく、父の書棚から拝借。短編集で、気軽に楽しめた。読んだ上で、わたしはなにより、やはりこの装丁について語りたい…!なぜ皿に盛られた洋梨なのか?でもジッと見ていると、湖にそっと浮かぶボートに見えてくる。そして洋梨は人が寄りかかっている()ようにも。裏表紙のタバコとマッチ棒は、心なしか男女にも見えてこないか…そう見ると、短編に描かれる不穏な空気が立体的に立ち上がってくる。
    やっぱり安西水丸さんって凄いんだな。意味不明に見えて、実はその作品にピッタリフィットするデザインなのだ。

  • 我が家のちっぽけな庭の芝を刈るとき、毎度「午後の最後の芝生」を思い出してしまう。

    短い文章の中でゆったりと時間が流れる様や、随所に現れる夏の情景が気に入っている。偶然出会った大人から(若者である自分に)何かを託される経験というのは、今思い返してみると自分にも幾度か当てはまるようなことがあった気がするが、主人公のように上手く応えられたかは分からない。
    そして、この話を読むとウォッカ・トニックが飲みたくなる。

  • 村上春樹氏初めての短編集。
    ちょっとキザでハードボイルドな、
    一昔前の粗めの画質のフィルム映画みたいだ。

    現実と非現実が境目なく混じりあっている感じが、
    この独特の雰囲気を生み出している気がした。

    帰宅ラッシュの雑踏に紛れて名前をなくしてしまう
    都市生活者の薄暗闇に
    苦しいくらい共感させられたと思ったら、
    背中に貧乏な叔母さんが貼り付いてテレビに出る
    急展開に置いてけぼりにされてしまう。

    そしてそのどちらもが同じくらいの力の入れ具合で
    さりげなくまぜこぜにされているから、
    「うんうん…うん?はぇ……あー、はいはい。え?」
    みたいな気分になる(語彙力の喪失)。

    おそろしく丁寧な状況描写も特徴的かもしれない。
    夏の光と濃い影、
    立っているだけで汗が吹き出す空気の温度まで
    感じられるようだ。

    あと、性的な話ね。
    そこでその話、要るかい?と思うくらい
    執拗に登場するのに、
    主人公は徹底的に淡白な様子なのが、
    なんかおもしろい。

    ようするに、村上春樹作品“っぽさ”が
    たっぷり詰まった短編集なんじゃないかな。

    何を伝えたいのか、一言でテーマを言えないような
    作品ばかりなんだけど、
    個人的にはむしろそれが気に入った。
    日常に潜む憂鬱、些細な失敗、誤解、別れ、
    永遠に失われた選ばれなかった選択肢の行先。
    スポットライトをあてるほどてもない、
    ありふれたそれらは、リアルで残酷だ。

    彼女を逆回りの山手線に乗せてしまい、
    電話番号をひかえた紙マッチを捨ててしまうという
    些細で意味の無いグロテスクな間違いは、
    こんなに些細で悪意のない間違いなのに、
    彼女を失意のどん底に突き落として
    自己認識に根を張ってしまうかもしれないし、
    少なくともふたりの関係をぶった切って
    ひとつの選択肢を
    未来永劫消し去ってしまったわけだ。

    こういうのって日常の至る所に
    地雷みたいに埋まっていて、
    ちょっとした手違いでも爆発してしまうんだ。
    ぞっとする。

    そんな感じで、
    『中国行きのスロウ・ボート』に心をえぐられ、
    『午後の最後の芝生』の映像喚起力に
    はっとさせられたわけだけど、
    『シドニーのグリーン・ストリート』は
    ひたすら愉快で楽しかったので、
    『羊をめぐる冒険』は
    近いうちにぜひ読んでみようと思った。

  •  村上春樹の最初の短編集。初めて読んでから数十年(?)たった。村上春樹はなんだか偉くなったけれど、ぼくはただの老人になった。若いころのピュアな感じが懐かしい再読だった。
     初めて読んだ頃の友達と100日100冊カバーという「面白がり」を始めたら、友達が感想を書いていて、懐かしかった。ブログに掲載したので読んでほしい。
     https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202006170000/
     でも、ふと思うのですが、やっぱり「中国」行なんですよね。村上春樹って若い時から、中国なのですよね。それって、父親と関係あったりするんでしょうかね。

  • 『不自然なくらいにリアル』

    読み易くて、面白い。意味がありそうでないであろうところがやっぱり村上春樹作品という感じがして良い。

    どれから読んでも面白い。
    やっぱり短編集っていいなあ、と。
    個人的には「貧乏な叔母さんの話」が好き。
    私の背中には何がいるのだろうか??

    あと安西水丸さんのカバーが個人的にツボ。

  • 何年振りかに再読。
    短編集で7編が収録されている。収録されている中では「午後の最後の芝生」が一番好きだ。「ああ、こうだった」と思いながら読む。描写からありありと情景が浮かぶのはやはり作者の力量だと思う。
    「シドニーのグリーン・ストリート」には羊男も出てきて楽しい。コミカルな短編。
    私が持っている文庫本は1997年4月の改版のもの。
    最近の短編集に比べて作者の脂が乗り切ってる感じがする。「女のいない男たち」と読み比べた。
    また何年かしたら再読したい。

  • 村上春樹にとって、初めての短編集。
    やっぱりこの人の文章は好きだ。心に残るワンフレーズを発見したり、妙に懐かしい空気にとり憑かれたりする。
    「中国行のスロウボート」は、興味深く読めておもしろかった。
    「午後の最後の芝生」と「土の中の彼女の小さな犬」は、どちらもしっとりと温かみのある素敵なお話。
    最後の「シドニーのグリーン・ストリート」は、絵本を読んでいるようで楽しかった。

  • 結構ゆるめな、村上春樹の初めての短編集。1983年に、中国とは。先見の明?いや、たまたま、かな。(笑)

  • 読み忘れていたのを発見してうれしい。
    文章と、からっとしていてちょっとさみしくてかっこいいところがすごくよい。
    昔に読んだものも、今読んだらわかることがたくさんありそう。

  • 忙しくばたばたとしてしまう日が続くと、どうも読みたくなる村上春樹作品。彼の作品は没入感が強く、どっぷりと今いる場所とは異なる場所へ行くことができる。寝る前にベッドに入って、ちびちびと1つずつ読んだ短編集。最近の楽しみだった。1980〜82年に書かれており、青春三部作の頃に書かれた作品。いかにもこの頃の作品よろしく、やたらにクセが強い。何度も声を出して突っ込んでしまう、「いやなんやねんそれ」的な内容がありつつも、確かに強く魅了される何かがあり、ハッとさせられる一文がある。またもう少し歳をとってから読めば、また違った味がしそうだ。

  • 並行世界のような不思議なプロットと浮遊感のあるでも定まった言葉選び、そして奇妙な後味の結末。紛れもなく切れ味鋭い時代の村上春樹だ。氏は幾つか短編集を刊行しているが、本作品は前後の長編に通じる空気感を有している。

    どの作品も魅力的だったが「中国行きのスロウ・ボード」「午後の最後の芝生」がよかった。

  • 村上春樹は10代~20代前半くらいにわりとはりきって代表作を読んだつもりだったのだけど、たぶんこれはすっぽり抜け落ちていました。今更80年代の初短編集を手にとったのは、これも小川洋子&クラフトエヴィング商会『注文の多い注文書』で「貧乏な叔母さんの話」パスティーシュを読んで興味が沸いたから。

    ある日突然、背中に謎の叔母さんが貼りついてしまう「貧乏な叔母さんの話」はやっぱり面白かった。貧乏といっても貧乏神のように憑りついた相手を不幸にするわけじゃなく、彼女を見た人の記憶に残る最も不幸な女性の姿を取るだけだ。今もどこかの誰かの背中を叔母さんが転々としているかも、と想像すると楽しい。

    羊男と私立探偵の「シドニーのグリーン・ストリート」は、子供向け媒体で発表されたもののせいか、可愛らしくて好きだった。当たり前だがセックスだのワギナだのって単語も出てこないし。

    つまりそれ以外の、二言目にはセックスの話をするところが今も昔も変わらず村上春樹で、もちろん人生や恋愛を語る上でそれは欠かせない要素ではあるわけだけど、なんかもうちょっと直接的じゃない言い方できないかな、というかいい加減「もうええわ!」とツッコミのひとつも関西人のおばちゃんは入れたくなるわけで。

    文学作品だし真面目に受け取るほうがバカだけれども、お客のクレーム返信にセックス連呼、あなたと寝てみたいと書く(言う)クレーム処理係の独白「カンガルー通信」なんかもうただのセクハラですからね。2019年の今この作品を発表する作家がいたら炎上するんじゃなかろうか。

    なんて、くだらないことに目くじらたててごめんなさい。好きな部分もいっぱいあるのだけど、なんというか、パクチーと同じで好き嫌い分かれるよねっていうか、全体としてお料理は美味しいのだけどそこにパクチー(露骨なセックスの話題)を乗せないでくれたら、もっと美味しくいただけるのにという感じ。

    ※収録
    中国行きのスロウ・ボート/貧乏な叔母さんの話/ニューヨーク炭鉱の悲劇/カンガルー通信/午後の最後の芝生/土の中の彼女の小さな犬/シドニーのグリーン・ストリート

  • 表題作。とてもナイーヴで、心が震える。真面目に生きていることが辛くなるけれど、でも本当にそうしているならば、そういうことは誇りを持つべきなのだな、と思う。
    どうして「僕」は、もう彼女と二度と会えなかったのか……どうして……そのことを考えるだけで、心が遠くに行く。
    「そもそも、ここは私のいるべき場所じゃないのよ」という言葉の持つ遠さは、いったい何だろう。どうして私はここにいるのだろう。

    その他の短編も悪くはなかったが(「貧乏な叔母さんの話」もとてもよかった)、表題作の震えがあまりに瑞々しいので、今、そればかり思い出している。

  • 何度でも読みたい。

  • 村上春樹さんの最初の短篇集。
    心に届く言葉たち。
    7つの世界へ行って楽しめた幸せな一日。
    カンガルー通信、芝刈り、羊男。
    カバーの絵も大好き。

  • 記念すべき100冊目は村上春樹が初めて出版した短編集。1番好きな作家は誰かという質問に答えるならば、自分はやはり村上春樹であろう。彼の文体や言葉の1つ1つに途方もないセンスを感じるし、また読みたいと思わせる力がある作家だと思う。今作も味わい深い短編ばかりで面白かった。スラスラと読めるという点も相性がいいからこそであろう。
    話は変わるが、大学入学時に軽い気持ちで設定した、本100冊読む、という目標をこうやって3年半かけて達成できたことは、あまりハードルの高くない目標であったとはいえ、自分にとって大きな自信、掛け替えのない経験になったことは間違いない。基本的に計画倒れしてばかりだった自分もやればできるんだということを、この経験を通じて胸に刻み、これからの新しい一歩、更なる目標に向かっていくための推進力にできるならば、それはこの上ない喜びである。万歳自分。

  • 「午後の最後の芝生」と「土の中の彼女の小さな犬」がよかった。

  • ライトなんだけど、全てが飛び去らずに残った感情が何とも言えない。生真面目や不安定さからくる秩序を傷つけてしまった罪悪感、失うべくして失った喪失感。気怠さを気怠さで流す感じがリアルに、精神や身体のダメージを生きている証として、呼び起こしてくれる感じがする。村上春樹の小説はあらすじとして説明はできないのだけれど、読んだというよりは何かを経験したという手応えを残してくれるのは、長編短編関わらず、村上春樹の小説の好きなところだ。

  • 日本語で書かれた作品ではないみたい
    カバーデザインがとても好き

  • 「中国行きのスローボート」
    僕が出会った中国人について考える。
    模擬試験の監督官、バイト先で知り合った女子大生、高校時代の知り合い(中国人相手に百科事典を売っている。)
    そして、港の石段に腰を下ろし、空白の水平線上にいつか姿を現すかもしれないスロウ・ボートを待とう。そして中国の光輝く屋根を想い、その緑なす草原を想おう。
    友よ、中国はあまりにも遠い。

    「貧乏な叔母さんの話」
    広場の公園で、一角獣の銅像を見上げながら、隣に座っていた彼女に、貧乏な叔母さんの話を書きたいと宣言する。その日から貧乏な叔母さんは僕の背中に棲みついた。僕には叔母さんの姿は見えないが、見る人によって叔母さんは姿を変える。そしてある秋の終わりの日、叔母さんは僕の背中を離れていった。
    —-あなただって誰かの結婚式で、貧乏な叔母さんの姿ぐらいは見かけたことがあるだろう。どんな本棚にも長いあいだ読み残された一冊の本があるように、どんな洋服ダンスにもほとんど袖をとおされたことのない一着のシャツがあるように、どんな結婚式にも一人の貧乏な叔母さんがいる。

    「ニューヨーク炭鉱の悲劇」
    「みんな、なるべく息をするんじゃない。残りの空気が少ないんだ。」生き埋めになった炭鉱夫の差し迫った状況が最後の一節にほんの少し書かれている。それまでの話は炭鉱夫とまったくつながらない。台風の日にビールを持って動物園に出かけていく男。その男から喪服を借りる僕。実際その年はなんと5回も喪服を借りた。28歳の歳である。その年の終わりにパーティがあり女の子に声をかけられる。‥そして、なんの脈絡もなく炭鉱のシーン。‥それが村上ワールド。
    ※ウォーレンベイティーがピアノ弾きをやった映画は「この愛に全てを」です。
    (2023.5.22再読)
    若き日の春樹先生は生と死、夢(非現実)と現実の違いについて大いに考えを巡らせている。(そしてその課題は今も彼の頭の中をぐるぐる駆け巡っている。)死は死でしかない。リモコンでTVを消すように突然ブラックアウトする。

    「カンガルー通信」
    商品を間違えて買ってしまい、交換を求めたところ断られたと苦情の手紙をよこした女性に対し、返事を手紙ではなく録音という形で送った。ほぼセクハラな内容。支離滅裂。動物園で4匹のカンガルーを眺めてるうちにあなたに手紙を出したくなりました?

    「午後の最後の芝生」
    学生時代、芝刈りのアルバイトをしていた。もう辞めようと決めて最後の仕事は、体の大きな50代ぐらいの女性の家の庭。彼女は朝からウイスキーを飲み、僕にもやたらとビールを勧めた。最後の仕事を終えた後、僕を娘の部屋へ連れて行き、どう思うか感想を聞いた。僕はビールとウォッカトニックを飲んで帰った。‥今の時代なら飲酒運転、完全アウトだよね。
    記憶というのは小説に似ている。あるいは小説というのは記憶に似ている。どれだけきちんとした形に整えようと努力してみても、文脈はあっちに行ったりこっちに行ったりして、最後には文脈ですらなくなってしまう。まるでぐったりした子猫を積みかさねたみたいだ。生あたたかくて、しかも不安定だ。目がさめて自分たちがキャンプ・ファイアのまきみたいに積みあけられていることを発見した時、子猫たちはどんな風に考えるだろう?あれ、なんか変だな、と思うくらいかもしれない。もしそうだとしたらーその程度だとしたらー僕は少しは救われるだろう。

    「土の中の彼女の小さな犬」
    梅雨時の人気のないリゾートホテルで、ひとりの女性に出会った。彼女と言葉を交わすうちに、彼女の死んだ愛犬と一緒に庭に埋めた預金通帳の話を聞いた。
    昔は活気に満ちていたであろう古い高級リゾートホテルに彼女のヒールの音が響く。内容はともかく、いちいち、と言ってもいいぐらいの細かい描写。ホテルの佇まい、彼女の服、仕草、雨の振り方、食堂の什器の説明、朝食に食べたもの、夕食に食べたものの説明、他の客の服装‥村上作品はだいたい描写が多いけど、特に感じた作品。

    「シドニーのグリーン・ストリート」
    シドニーにある、ひどくしけた通りに僕は私立探偵事務所を構える。面白い事件しか引き受けない。貯金はたんまりあるから別に暇でもいいのだ。そこへ羊男と名乗る人物がやってきた。着ぐるみの耳を羊博士に持っていかれたので探して取り返して欲しいと。
    この話によると、世界中に約三千人の羊男が住んでるらしい。

  • 後半の3作品が特に好きかもしれない。

  • エッセイらしくもある短篇集。
    著者が実体験した出来事かな、と思うも、奇妙さが色濃く残る物語ばかり。現実と空想の境を攻めるのがうまい。絶妙。その不安定さが魅力なのだと思うけど、時にどっちつかずでモヤモヤすることも。ただ、村上春樹の小説を読んでいると、現実と空想の境は実は曖昧なのではないかと思えてくる。そんな少し不思議な物語ばかり。SFじゃないけれど。

  • とても好きだった。とくに「土曜の最後の芝生」は真夏のジリジリとした暑さがかなり気持ちよかった。「土の中の彼女の小さな犬」と「中国行きのスロウ・ポート」もよい、孤独なのにどこか温かい世界。温かいのに孤独さが広がるとも言うべきか。

  • 最も好きなのは『ニューヨーク炭鉱の悲劇』。 前半2つの場面では「僕」の周りをかすめて通り過ぎるような「死」を日常の風景の中で描き、最後の場面は突然ガラリと変わってよりはっきりと形を持った具体的な「死」が、自分に向かってゆっくりと、確実に向かってきている様が描かれている。先程までとは打って変わった非日常的な死。視点も「僕」から語り手へと変わっている。 最後の転換っぷりには初めは少し戸惑うものの、「僕」が回避したはずの死をいきなり目の前に突き出されたようでどきりとした。こういう小説の展開は初めてで驚いた。

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著者プロフィール

1949年京都府生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。79年『風の歌を聴け』で「群像新人文学賞」を受賞し、デビュー。82年『羊をめぐる冒険』で、「野間文芸新人賞」受賞する。87年に刊行した『ノルウェイの森』が、累計1000万部超えのベストセラーとなる。海外でも高く評価され、06年「フランツ・カフカ賞」、09年「エルサレム賞」、11年「カタルーニャ国際賞」等を受賞する。その他長編作に、『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』『街とその不確かな壁』、短編小説集に、『神の子どもたちはみな踊る』『東京奇譚集』『一人称単数』、訳書に、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』『フラニーとズーイ』『ティファニーで朝食を』『バット・ビューティフル』等がある。

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村上 春樹
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