文明の生態史観 (中公文庫 う 15-9)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (349ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122030374

作品紹介・あらすじ

世界史に革命的な新視点を導入した比較文明論の名著。

感想・レビュー・書評

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  • 大晦日に、蟲文庫という所で1974年初版のこの古い文庫本を見つけた。懐かしくて持ち帰った。

    高校生の時、本書を読んで、世界を、地理と歴史との丸ごとで俯瞰的に見渡す「手がかり」を得た気になった。大学で歴史を学びたいと思っていた私に、本書はこの方向でやってみたらどうか?と思わせる魅力的な書だった。何故歴史を学ぶのか。過去に学ばない者は未来を語れない。日本の過去と未来を知ってこれからの日本に役立ちたかった。そこだけは、昔も今も変わりがない。ところが、大学は教養学部の成績で専攻科が決まる。私の成績では1番人気の国史は到底手が届かない。結果、新設の研究室に入らざるを得なかった。

    その研究室の教授の概論で、たまたま「文明の生態史観」が俎上にあげられた。なんと生態史観発表直後にその根本的な欠陥を批判した人々がいたらしい。その論旨の明確さに、私は初めて生態史観に疑問を持ったのである。そしていま、文庫を読み返してびっくりしたのだが、本人は74年段階で批判を受け入れているのである。全ての論文の前に本人の「解説」が載っていて、1955年に発表した時に57年に既に加藤周一から批判が出ていることを本人が書いているのだ。その後、竹内好、上山春平からも出ている、と書いている。梅棹忠夫は、「今となっては、わたしの思想の出発点というにすぎず、現在の考えをそのまましめすものというわけではない」と堂々と自論を修正したことを認めているのである(!!)。しかし、当然批判論文の内容までは述べていないし、本格的総合的な修正した各論も書いていない。高校生の私は文庫の「わかりやすい」世界史モデルをそのまま信奉して大学生になったといわけだ。今読めば、梅棹さんは言い訳を書いているのに過ぎない。

    世界を第一地域、第二地域に分けて、後続の日本と西ヨーロッパ諸国が距離があるのにも関わらず同様の「発展」をしたのを、生態学的な視点で説明できるとする論理は、あまりにも乱暴なラフスケッチだった。そのせいか、米国・西欧のように発展する日本は当然であり、中国・アジアを下に見る風潮も(本人の意図ではないが)生まれた。

    本書で指摘された歴史的事実は、そんなふうに思える事実はたくさんある。だから、生態史観は74年の後も版を重ねて今に及ぶ。解説子は「東西の座標軸しかなかった世界史の見方に革新的な視点を与えた」と絶賛するが、それが持つ悪影響は当然語らない。社会・歴史を自然科学的方法で説明することは慎重でなければならない。今でも教科書的な世界史ではなく社会学史を取り入れた『銃・病原菌・鉄』の先鞭を取ったと評価する者もいる。2つの書は肌の色が似通った全くの別人なのであるが、そんなふうな単純化で、直ぐにわかったような気になる人々が後を絶たない。現在我々は、気象予報ならばかなりの確率で明日を予測することができる。けれども、我々は複雑な要素が絡み合う社会予報は未だ出来ないのである。コロナ禍の明日の感染者数さえ、誰も予測できない。

    日本人は日本文化論が好きだ。文明の生態史観は、不幸にも上のように読まれて消費されてゆき、今では殆ど忘れられている。その前後に現れた加藤周一「雑種文化論」では、加藤周一はその名称は一切使わず各論になる「日本文学史序説」を経て「日本文化における時間と空間」に結節させた。また、その後現れた丸山真男の「古層論」も、発表後40年以上経っても、未だ通用している。私はモデルは必要だと思う。モデル化を経ないと、なかなか歴史から未来を見渡せないからだ。日本文化モデルは、長い間の批判に耐えうるものだけを、読むべきだと今は思う。

    本書に出会って、43年。
    奇しくも私を日本文化論への長い旅に誘う悪魔の役割を果たした本書に再会し、懐かしい女性に出逢ったような想いをした。

    • shokojalanさん
      kuma0504さん、
      大変勉強になりました。ありがとうございます。
      ちょうど加藤周一の「雑種文化論」に興味を持って読もうかなと思っていたと...
      kuma0504さん、
      大変勉強になりました。ありがとうございます。
      ちょうど加藤周一の「雑種文化論」に興味を持って読もうかなと思っていたところでした。「長い間の批判に耐えうる日本文化モデル」を読むなら「雑種文化論」より「日本文化における時間と空間」の方がおすすめ、という理解であっていますか?アドバイスいただけると嬉しいです。
      2021/01/10
    • kuma0504さん
      Shokojalanさん、コメントありがとうございます!
      とても重要でとても難しい質問ありがとうございました。
      加藤の「時間と空間」は、最晩...
      Shokojalanさん、コメントありがとうございます!
      とても重要でとても難しい質問ありがとうございました。
      加藤の「時間と空間」は、最晩年の書き下ろしであるのと同時に、一見今までの集大成的な本です。あまりにも考えることが多すぎて、私は未だまとめ切れていません。しかも発表されてまだ13年しか経っていない。自信持ってお勧めできません。
      言ってることは単純です。日本文化の特質は「今=ここ」主義である。この一点です。

      19年には加藤周一シンポが開かれましたが、ここで俎上に上げられたのは雑種文化です。大部な本が昨年出ました。加藤周一研究はこれから始まる、というのが私の気持ちです。手始めの雑種文化でも十分だと思います。ここには、文明の生態史観批判も載っています。

      「日本文学史序説」は、人生で最も影響を受けた本の一冊です。さまざまなインスピレーションを得るのは、コレが一番だと思います。

      因みに、私がまとめ切れないと思ってる理由は、次の事柄です。確かに日本文化の特質とその限界は示した。だとすると、今=ここ主義に陥りがちな日本には希望はないのかと思ってしまう。雑種文化の時は「小さな希望」というそれこそ加藤周一の希望が語られたが、最晩年はなにも語っていない気がした。語っていないとすれば、何故語っていないのか?ホントに希望はないのか?
      2004年に始めた9条の会との関係はどうなのか?

      等々いろいろ考えると、これをホントに勧めていいのか?と思ってしまうのです。
      2021/01/10
    • shokojalanさん
      kuma0504さん
      ご丁寧に、ありがとうございます!
      加藤周一の著作に興味は持っていたのですが、各書の位置付けは全く理解しない門外漢ですの...
      kuma0504さん
      ご丁寧に、ありがとうございます!
      加藤周一の著作に興味は持っていたのですが、各書の位置付けは全く理解しない門外漢ですので、大枠を教えていただき大変ありがたいです。

      自分の興味に正直に、「雑種文化」も、「日本文学史序説」も読んでみようと思います。(日本文学史も読みたいと思っていました!)

      その際、評価が定まっていないことを前提に批判的に読むことも心がけてみます。重ねてご教示いただき感謝です。
      2021/01/10
  • 名著の誉れも高い本書であるが、題名からは内容があまり想像できなたかったので今まで敬して遠ざけてきた。

    実際に読んでみると、お気楽な紀行文的要素も満載で割合親しく読み進める事ができた。

    この史観は、当時の世界の中で、日本がアジア唯一とも言っていい文明の発達を何故に成し得たかを、西洋先進国のありようと比べて分かりやすく説明したものである思うが、その後雨後の筍の様にたくさん出てきた「日本論」の先駆けでもあると思う。
    今の時点で考えると特別な事を言っている様には思えないが、最近よく目にする「地政学」の要素も踏まえているし、最後には宗教論を疫病の流行とも関連づけて論考を展開している。てんこ盛りで色々考えさせる本であった。



  • 1.要約
    一.概論
     『文明の生態史観』(以下、本書)では、従来の歴史学(日本史、東洋史、西洋史等)では存在しなかった分野である世界史を切り開き、生態史観という概念を用いて世界史モデルを構築している。梅棹は世界史モデルの構築により人類の歴史の法則を導き出そうとしたが、この際に用いた生態史観は梅棹が京大今西錦司門下だったことが影響していると考えられる。また、本書では従来の東洋と西洋の括りに疑問を投げかけ、第一地域と第二地域という新しい括りを提唱しているが、これは日本のアジアにおける差異性と日本と西ヨーロッパの類似性から始まった考えである。

    二.系譜論と機能論
     先述した第一地域と第二地域の括りを導き出すのに梅棹が用いた概念が機能論である。系譜論は従来行われてきた東洋と西洋の括りに用いられており、文化を形作るそれぞれの要素の系図[由来]によって分類しようとする考えである。それに対し、機能論はそれぞれの文化の要素の働きによって分類しようとする考えである。

    三.第一地域と第二地域
     先述した機能論によって分類された、系譜論による東洋と西洋の括りに代わる考えが、第一地域と第二地域の括りである。第一地域と第二地域の差異として①植民、②革命の有無、③社会制度の推移、④ブルジョワの有無⑤気候が挙げられる。第一地域は①帝国主義的侵略、②革命有、③封建制から資本主義へ、④ブルジョワ有、⑤温暖湿潤気候であるのに対し、第二地域は①被植民地、②革命無、③専制君主もしくは植民地支配から社会主義へ、④ブルジョワ無、⑤乾燥気候である。
     梅棹は本書の中で、第一地域が資本主義と成り得たのは気候の存在があったと述べる。先述した通り、梅棹がこの世界史モデルを構築に用いたのは生態史観である。生態学において、サクセッションが生じるのは主体と環境との相互作用[主体・環境系の自己運動]によるものであるが、このことは条件[環境]が異なれば運動法則[社会の遷移]が異なることを示している。
     また、梅棹は第一地域のほうが第二地域と比べて高度文明国であると述べているが、これは第一地域と第二地域の差異として挙げた要素が作用している。第一地域においては、温暖湿潤気候によって資源の蓄積が可能となり封建制とブルジョワが出現し、ブルジョワによって引き起こされた革命によって資本主義へと発展し高度文明国家を築いたが、第二地域においては乾燥気候による破壊と制服が繰り返され、資源が蓄積されないためブルジョワが出現せず革命に至るまで文明が成熟しないので高度な文明国家を築くことができなかった。梅棹の気候による文化の解釈には和辻哲郎の影響があると考えられる。

    四,アジアにおける日本の特異性
     ここで、アジアにおける日本の特殊性というものは、第一地域に属する日本と第二地域に属するその他の従来のアジアと括られていた地域の差異から生じたものであると言える。それはまた、日本が他のアジア地域とは異なり一夫一妻制の採用や長子相続制などの第一地域である西ヨーロッパと同じ社会制度にあったため近代化しやすい土壌にあったためである。これは他のアジア地域の近代化の場合には日本を参考としにくいことを意味する。何故なら、他のアジア地域では一夫多妻制や均分相続制といった第一地域とは異なる社会制度であるからである。



    2.感想
     本書を読んだ感想として、梅棹が本書で示した考えの斬新さへの感銘と、その奇抜さへの違和感がある。確かに梅棹が本書で示した論理は世界とアジアにおける日本の位置を示している。しかし、その論理の根拠となるものが気候の解釈でもそうだが、明確な確証が示されていない。その為、論理としての正しさもまた疑わしく感じてしまう。



    3.論点
    一.アジアと日本の関連性をどのようにして構築するか
     文化・文明として異なるアジアと日本がどうやって関連性を構築するか。第一地域と第二地域の差異を乗り越えるため、梅棹は商売を解決策として述べている。これは第一地域と第二地域の植民地関係を脱却し、多様化・分立する第二地域と軋轢なく対応できる可能性があるため、私も梅棹同様、経済での関連性を構築することが望ましいと考える。

    二.梅棹の提唱する理論の妥当性
    感想でも触れたが、梅棹の提唱する理論の根拠は確証がない。しかし、梅棹の提唱する理論は感覚的に共感する部分も多く、あくまで部分的ではあるがある一定の妥当性はみられると考えられる。



    4.本書の今日的意味
     現代における本書の意味は多様化する国際社会において今なお通用する分類を構築したことにあると言える。現在でも尚、日本の国際的位置づけは議論されている。その議論において、梅棹の提唱する世界史モデルは西ヨーロッパと日本を結ぶ共通点を文明の発達という観点で捉えており、現在でも通ずるものがある。また、この共通点は西ヨーロッパと日本の国際関係や経済において応用可能であるとも考える。

  • 小松左京曰く
    「文明の生態史観」は、
    戦後提出された最も重要な
    「世界史モデル」の一つと見る。

    それは、これまで東と西、
    アジア対ヨーロッパという、
    慣習的な座標軸の中に捉えられてきた
    世界史に革命的といっていいほどの
    新しい視野をもたらした。  

    この視野によって複雑に対立し、
    からみ合う世界の各地域の文明が、
    はじめてその「生きた現実」の
    多様性を保ったまま、
    統一的に整理される手がかりが
    与えられたといっていい。

    歴史家トインビーも、また、
    梅棹忠夫に注目していた。


    ここで素材の系譜論にかえろう。

    日本が高度の近代文明を
    建設しえたということは、
    だれでもしっている。

    なにを事あたらしく、
    という感じもあろう。

    しかし、それを日本の近代化の
    結果であり、西欧化の結果であると
    かんがえるならば、問題がある。

    日本は文明国になったというけれど、
    みんな西欧のまねじゃないか、
    というのが、近代化の過程をとおって
    くるあいだじゅう、日本のインテリの
    自尊心をなやませつづけた呪文だった。

    この呪文は、いまでも効力がある。

    しかし、こういう素朴な血統論は、
    あまり深刻にかんがえる必要はないようだ。

    全体の生活様式は、ちゃんと
    日本むきのパターンにつくられていて、
    かならずしも西欧化しているとはいえない。

    わたしは、明治維新以来の日本の
    近代文明と、西欧近代文明との 
    関係を、一種の平行進化とみている。

    はじめのうちは、日本は
    たちおくれたのだから仕かたがない。

    そうとう大量の西欧的要素を 
    日本にもってきて、
    だいたいのデザインをくみたてた。

    あとは運転がはじまる。

    ただ西欧から、ものを
    かってくればよい、というの 
    ではなかったはずだ。

    あたらしい要素の出現のたびに、
    全体のシステムは修正され、
    成長をつづけてきた。

    あたらしい要素は、
    西欧からもちこまれる場合もあり、
    内部でくふうされた場合もあった。

    西欧だっておなじことだ。

    はじめから自動車があり、
    テレビがあったわけではない。

    そういうあたらしい要素が
    出現するたびに、西欧流に、
    やはりふるいシステムを修正しながら
    成長をつづけてきた。

    あたらしい要素は、西ヨーロッパの
    どこかの国に出現する場合もあり、
    新大陸からもちこまれる場合もあり、
    また、テレビのアンテナの例のように、 
    はるかにとおい極東の第一地域、
    日本からあらわれる場合もあった。 

    とにかく、日本はかならずしも
    西欧化を目ざしていたのではない。  
    いまでもそうではない。

    日本には日本の課題があった。 

    ただ、西ヨーロッパ諸国と日本とは、 
    いろいろな点でたいへん条件が 
    にていたために、平行的な道をあゆんで
    しまったとみるのである。

    その途中で、どちらに由来する 
    要素がよりおおいかという系譜論は、
    じつはあまりたいした 
    問題ではないようにおもう。


    梅棹忠夫は、ともかく
    視野のスケールが大きな人物だった。

    彼は歴史観を提示しただけではない。

    他にも、自分が生きた時代に
    その鋭い洞察で世界を唸らせていた。

    この続きは、どこかで話そうと思う。

  • 文明圏ごとの歴史的発展を地理的要因の上に議論する書。
    インド亜大陸周辺を中洋として補助線を引き、東洋と西洋の二元論から抜け出す。
    着眼点は面白いが、特に後半の宗教に関する考察は、仮説の上の仮説が多く議論が杜撰だと思う。
    解説にある、当時の日本における受け取られ方についての説明が興味深い。

  • 学校で世界史を地域別に勉強していた時、同時期に他の地域で何が起こっているか、世界全体を俯瞰した歴史の流れが分かりにくくもやもやしていた。
    あーーこういう話が聞きたかったなあと思えた。
    こんな風に世界史を見る人がいるのかと新しい発見だった。
    視野が広く、いろんな視点をもっていて、梅棹先生はとても素敵な人だなあと思った。他の本もぜひ読みたい

  • 特に、宗教を疫学モデルのアナロジーで論じた「比較宗教論への方法論的おぼえがき」が面白かった。何より、その発想がいかにもユニークである。

  • 宗教とウイルスのアナロジーが面白かった

  • 題名のみ見ると小難しそうだったが、内容は西洋と日本の発展の仕方、4大帝国の興りとなど地政学と絡めて書かれていて、著者の視点も含め面白かった。
    かなり古い本ではあるが、今でも読んで楽しめる。

    鎖国期間がなければ日本も西洋諸国のように植民地化のために外に出ていただろうという一連のお話が個人的には一番印象に残っている。
    国の発展が、地理的要因によってある意味必然的といったような書き方がすごく新鮮だった。

    追記)そうだ、思い出した。イスラエルとハマスの衝突から、パレスチナ情勢が不安定なこのタイミングでこちらの本を読んで、中東や宗教に関する章を読み、筆者は結構"西"寄りだなぁとびっくりした。

  • これは名著だ。

    歴史とはなんと幾何学的、物理学的なんだろうか。太局的に歴史を見る面白さ。
    もし5000年前から歴史をリセットしても、ある程度同じ流れになるのかもと思わされる

    1950年代の論考とは信じられない。むちゃくちゃ面白かった、、、、、

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著者プロフィール

1920年、京都府生まれ。民族学、比較文明学。理学博士。京都大学人文科学研究所教授を経て、国立民族学博物館の初代館長に。文化勲章受章。『文明の生態史観』『情報の文明学』『知的生産の技術』など著書多数。

「2023年 『ゴビ砂漠探検記』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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