日本人の美意識 (中公文庫 キ 3-10)

  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (297ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122034006

感想・レビュー・書評

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  • 日本文学・日本文化の研究で名高い著者の代表作。論説やエッセイなど9編収録。和歌や古典、能、建築などを例に、日本人の美意識というものをあきらかにした標題作の論説から始まります。

    日本の寺社建築の飾り気のない簡素な線で作られている単純性などに現われているように、日本人の美意識は禅の美学と相通じるものがあると著者は指摘しています。くわえて、モノクローム、曖昧性、暗示性、といったものを好む美意識についても述べていますし、その暗示性を発揮し保つために、均斉や規則正しさを避けるところがあったことを指摘しています。規則正しいものって、その目的がはっきり明確なるがゆえ、暗示的な要素が消し飛んでしまいます。

    続く『平安時代の女性的感性』いう論説では、日本の文学は多くの傑作が女性によって書かれたことを指摘しています。いつの時代もそうだったわけではありませんが、八世紀から十三世紀にかけてめざましいものがあった、とあります。それまで中国の文化の影響で、男性社会で用いられる漢文こそが公式の文書となり、かな文字は女性が使うものとして軽んじられてきたわけですが、そのかな文字こそ日本人の感性が引き立つものでした。そして、女性作家の作品が持つ内面性が、『源氏物語』『枕草子』『更級日記』などにはよく宿っているわけで、現代の日本文学にとっても、明治以来、西洋文化の洗礼を受けても、そういったところが始祖となっていて、受け継がれているところなのでしょう。

    日清戦争が与えた日本文化への影響という骨太の論考もあります。浮世絵の一種である錦絵がその当時人気があり、戦争画がよく売れたようですが、だんだん写真にとってかわられていく。演劇も、それまでの主流としての歌舞伎ではなく新劇の人気が出はじめますが、その理由は戦争劇にありました。歌舞伎の方法論ではうまく日清戦争を伝えられず、新劇の写実性がウケたわけです。そのころの民衆はまったくもって戦争支持で、戦況を伝えるニュースに多くの人たちが興奮していたみたいです。明治維新から太平洋戦争まで。どうして国が変わっていったのかをわかるには、その間の日清戦争と日露戦争の影響の大きさがあるのですね。世界的な、時代の潮流に巻き込まれもしながら、そうやって日本は国家主義になっていきます。

    第一次世界大戦前に欧米で人気者になった元芸者の舞台女優についての論説も。芸名は「花子」。彼女を題材に森鴎外が短編を書き、ロダンは彫刻を何点も作った、と。たぶん初めて知ったことではないのだけど、初めて知ったのと変わらない知らなさでした。こういうことを知ると、その時代の幅の広さ、ダイナミックさがうかがい知れてきます。

    一休和尚の論考もあるのですが、これがとてもおもしろかったです。一休さんで知られる一休宗純って、その神童時代から徐々に退廃してくような印象をその人生から受けます。酒を飲み、魚を食べ、女たちと交わった禅僧なんだけれど、当時の仏教界隈の不安定さと新たな立ち位置を見つけようという懸命さのために、そういった通常と異なる姿勢で生きることになったのかなあと思います。というか、一休は誠実であろうとしたその姿勢と当時の社会の風潮との化学反応の結果としてそうなっているふうな印象です。隠れて女遊びをする僧、教義を金儲けのために曲げる僧などがたくさんいたみたいですし、そういった在り方がメインストリームの時代だったようです。一休が残した数々の詩は文学作品としての評価はそれほど高くないそうなのだけれど、僧の身分で愛や肉欲の詩を残してなどいるその堂々としたさまが、まさに一休らしさなのかもしれない。「俺は隠し立てしない。これだけのことをやっている。悪いか」との開き直りのような叫びと挑戦。そんなふうに感じられるのです。僕が推測するに、一休のそうした行いって、偽善を働く僧侶たちが自分たちの行いを一休のように表沙汰にして平然と構えるようにさせるための誘い水でもあったのではないのでしょうか。もしも数多の僧侶たちが一休と同じように、自らの破戒を隠し立てしないようになれば、そこから一休は次の手を、それもすごく効き目のある絶妙な手を打ちに行ったのではないか。現状を覆し、より誠実な仏教界にしようとする一手の準備があったのではないか。まあでも、これはあまりにもピュアな信頼を一休に対して持ちすぎているのかもしれませんが。

    というところですが、1990年発表の書籍でも、今読んで色褪せた感じはありません。現代でも生き続ける、その掘り下げられた思索と分析なのでした。本文は翻訳文なのですが、これがまたとても読みやすく、まるで翻訳ものではないかのようにするすると読めてしまうことうけあいです。海外の文化で育ってきた人物による視点だからこそ、当の日本人としたって、「なるほど、そうだったのか」と、それまでよくわかっていなかったような、はっきりしていなかった曖昧な認識を明確な言葉にしてくれているというところはあるでしょう。ちょっと大げさな喩えではあるのですが、水面に身を映す程度でしか自分の姿を見たことがなかった人が、磨かれた鏡で自分の姿をしっかり確認できた、みたいな客観的に自分を見られた経験に近いものが、本書にはあるかもしれません。

  • はじめてキーン氏の著作を読みました。とても感銘を受けました。私自身は日本文化の専門家ではないですが、なるほどと思わせる箇所が多々ありました。まず母国語が英語であるからこそはっきりとわかる日本文化の特徴、たとえば日本語に置ける主語の曖昧さや、一つの表現から複数の解釈が可能なものについてキーン氏による鋭い指摘がなされています(本書では「秋の暮れ」という表現の場合にこれは秋が終わりつつある時期を指しているのか、あるいは、ある秋の日の夕暮れ時をさしているのか、という事例が紹介されている)。
    本書は日本の平安時代から現代まで、トピック的にではありますが、各時代の日本文化の特色を述べていて、後半では日清戦争が日本文化に及ぼした影響についても解釈がなされています。こういう視点で戦争を見た事がなかったので、とても参考になりました。また面白いなと感じたのが、明治維新直後にすでに学校教育を英語に切り替えようという議論があったということで、現在もそういう議論はぽつぽつと出てくる訳ですが、なにか日本が自分たちに自信を失ったとき(現在で言えば日本的経営の限界?)、この議論が頭をもたげるのかなと感じました。
    そして本書を読んで一番強く思ったのは、日本人の美意識は、これはこれで世界に誇れる物だから、「グローバルスタンダード」には遠いかもしれませんが、むしろ胸を張って世界にアピールしていきたい、ということです。本書の冒頭で、日本人の美意識の1つに曖昧さを尊ぶ、という項目が挙げられていますが、曖昧さが許されている言語というのは考えようによっては何とも贅沢ではないですか。多民族国家ではこれは許されません。ということで本書を読んで、我々日本人が持つ文化、美意識は何とも贅沢な環境で育ってきたのだと実感しました。
    最後に余談ですが、私自身も日本語の曖昧さが想像力をかき立てる事に対してポジティブな感覚を持つ人間なのですが、本書を読んで、私がなぜイギリス人画家ウィリアム・ターナーの作品が好きか分かった気がしました。彼の作品は霧が重要な役割を果たしていて、我々の想像力をかき立ててくれるのです(いったいこの向こうで何が起こっているのか?という感覚)。ということで本書を読んで、なぜ自分が彼の作品を好きなのかに気づかさせてもらいました。

  • 日本文化・日本文学研究と海外への紹介で大きな功績を果たした著者の日本論。平安の女性的感性から、文学、演劇、日清戦争と文化など、独創的な切り口で論述。

  • 外国人からみた日本の美意識の異文化ギャップ。最初にでてくる美意識の例の話で。
    平安中期の歌人で評論家の藤原の評価が9段階あって最高は「ことばたへにしてあまりの心さへある也」(ことばの妙をつくして余剰のあらわれる境地)で、要は ハッキリいわないほのめかしているところ。だという。
    ていうことはインスタの“匂わせ”も現代の美意識なんだなと。令和ギャルのみなさんに報告しておきたいと思った。
    まだ全部よんでない。

  • これだけ愛される日本文化って素敵だなあと、そう思った。

  • 初めて読んだキーンさんの本。もっとこ難しい事が書いてあるのかと思っていたらそうでもなく、他の本も読んで見ようと思う。日清戦争時の文芸、花子とロダンの話、等々本当に興味深い。とても良い教科書だ。

  • ドナルドキーンは、いつも高い水準で日本文化、日本人、というものを理解させてくれる

  • 日本文化についての小論やエッセイが9篇収載されている。もともと古本屋で興味を惹かれたのは「一休頂相」だったが、読んでいくうちにその他の小論も面白いことに気づいた。タイトルにもなっている「日本人の美意識」「アーサー・ウェイレー」などなど。9篇の中で一番ページ数のある「日清戦争と日本文化」は読みきっていないが、読了扱い。

    「一休頂相」
    (昔の)日本画は花鳥風月の描写には写実的なものも多いのに、人物の描写は源氏絵巻風や浮世絵風の記号的なものが多い。ただこれにも例外があって、戦国武将と禅僧の肖像は、記号ではなくて写実的に描写されている。この禅僧の肖像のことを頂相(ちんぞう)というが、なぜ頂相はその他の人物画と違って写実的に描かれるのか、ここ数年不思議に思っていた。ここで取り上げられている一休の頂相は、忌野清志郎そっくりのあれだが、数年来の謎へのくヒントをもらえたのが嬉しかった。

    「日本人の美意識」
    これも、何故日本人(我々)は修復され造像当時の姿に近いものより古びた仏像のほうに美しさを感じるのかという、見仏人にとっての一大テーマを考える上で参考となる視点を与えてくれる。

    「アーサー・ウェイレー」
    ドナルド・キーンにとって日本文学を学ぶきっかけになり、学問上のアイドルだったイギリス人東洋文学者アーサー・ウェイレーの思い出を綴ったエッセイ。ウェイレーの半分を目指すしかなかったという言葉が先輩学者への尊敬を深さを表している。ウェイレー晩年の朗読のエピソードは泣かせる。

    (mixiソーシャルライブラリーを転記・修正)

  • ドナルド・キーンが解き明かす、日本の美意識の数々。

    一休の肖像画についての章があったので、そこだけ読んでみる。キーン氏らしい、情緒豊かなわかりやすい語り口で読みやすかったが、特に「そうか!」と膝を打つような言葉はなく、もともと資料として活用するような内容でもないので、勉強のためというより、好奇心で読んだ、という感じ。
    ほかの章も気になったけれど、読まないまま返却してしまった。
    目的のために読書するって、辛いなぁ、と最近少し凹む。

  • アメリカ人日本文学者?であるドナルド・キーン氏が様々な日本文学、文化について考察を加えた書。日本人でないからこそ書ける本だと思う。訳者がついているあたり原文は英文であるはずだが、実に読みやすいなめらかな日本語になっているのは、訳者の腕とともに、キーン氏が日本語に精通しており「日本語的」なテンポや表現が生きているというのもありそうだ。

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著者プロフィール

1922年ニューヨーク生まれ。コロンビア大学名誉教授。日本文学研究者、文芸評論家。2011年3月の東日本大震災後に日本永住・日本国籍取得を決意し、翌年3月に日本国籍を取得。主な著書に『百代の過客』『日本文学の歴史』(全十八巻)『明治天皇』『正岡子規』『ドナルド・キーン著作集』(全十五巻)など。また、古典の『徒然草』や『奥の細道』、近松門左衛門から現代作家の三島由紀夫や安部公房などの著作まで英訳書も多数。

「2014年 『日本の俳句はなぜ世界文学なのか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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