- 本 ・本 (280ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122034228
感想・レビュー・書評
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再読。タイトル通り、会津藩最後の首席家老となった梶原平馬を主人公にした物語。特筆すべきは、作者の長谷川つとむ氏が梶原平馬の子孫であること。それだけでフィクション(創作)部分にも信憑性がある気がしてきます。
梶原平馬は幕末の会津藩における若手のエース的存在。松平容保の京都守護職拝命の際に一緒に京都に来て、数年後家老になったときで24才。家柄もよく秀才、行動力もあり、会津の籠城戦の直前まで資金や軍備の調達、奥羽越列藩同盟の結成のために尽力、鶴ヶ城の籠城戦では政務を担当し大活躍。
・・・にも関わらず、実は幕末会津藩の幹部の中で梶原平馬の「その後」だけが長らく謎になっており、作者が執筆途中の昭和63年になって、ようやくその墓が北海道の根室でみつかり、彼の晩年が判明したという。
なぜそんなに長い間、梶原平馬の行方が知れないままになっていたのか、その理由は色々推察されているけれど、原因のひとつとして避けられないのがやはり「女性問題」。平馬は会津で同じく家老格である山川家の長女・二葉と最初の結婚をしており、二人の間には京都時代に息子が一人誕生。しかし後に平馬は水野テイという別の女性を好きになり、二葉とは離婚、テイと再婚。離縁した妻の実家・山川家の長男=二葉の弟は、こちらも会津藩の若手ホープ山川浩。これは気まずい。
離婚後、二人の間に生まれた息子は二葉の実家・山川家で育てられており、作者はこちらの子孫。当然、曾祖父・梶原平馬のことはあまり子孫たちによく思われておらず、むしろ曾祖母である二葉の弟妹たち(山川浩、健次郎、捨松)らのことを誇りにして育ったというから、なかなか平馬のその後のことを誰も調べようとはしなかったというのも納得。とはいえ、作者は平馬の浮気・再婚相手であるところのテイと、平馬との恋愛のことも好意的に描いており、作家として大人の対応。
もうひとつ平馬が斗南をすぐ去り根室に移住した理由として、現代風に言うならA級戦犯として処刑されてもおかしくなかったのに生き残ってしまった自身に対する自責の念がクローズアップされている。敗戦後、藩主の助命の代わりに責任者三人の首を差し出せというよくある新政府側の要求に、犠牲になったのはすでに戦死していた二人の家老を除き、最年長であった萱野権兵衛。若手を死なせたくない配慮だったにも関わらず、本来なら自分が死ぬべきであったと平馬は考えていたのだろうというのもわかる。
そうして歴史の表舞台からひっそりと去った梶原平馬。幕末の会津を題材にしたドラマなどでもあまり注目されない人物だけど、もっと評価されていい人だと思います。詳細をみるコメント0件をすべて表示
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