生きている兵隊 (中公文庫 い 13-4)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122034570

作品紹介・あらすじ

虐殺があったと言われる南京攻略戦を描いたルポルタージュ文学の傑作。四分の一ほど伏字削除されて、昭和十三年『中央公論』に発表されたが、即日発売禁止となる。戦後刊行された完全復元版と一字一句対照し、傍線をつけて伏字部分を明示した伏字復元版。

感想・レビュー・書評

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  • 「何だ、女が泣いとるぜえ」と女好きな笠原伍長が言った。「姑娘(クーニャ)だぞ!」
    「何だってこんな所に居るんだろうね」倉田少尉が静かな声でひとりごとを言った。
    平尾一等兵がやや遠くの方でこの会話を聞いていたが、どれ、調べてやると言って壕の上にとびあがり、小走りに民家の方に進んだ。
    「危ないぞ、気をつけろ」倉田少尉が振り向いて注意した。
    「俺も行こうッと!」
    笠原伍長がそう言って壕の上に駆け上がり、下を向いてにこにこと笑った。
    兵たちがじっと見ていると2人は倒れた表の扉から土間へずかずかと入って暗がりに見えなくなった。そして泣き声が止んだ。待っている兵はいらいらしてきた。それほど彼等は若い女に接しなかったし、戦場に居ると不思議に女のことばかり考えるものであった。
    が、やがて笠原と平尾とはさっきの表口からのそのそと出て来た。そして元の壕に飛び降りると平尾はこう言った。
    「母親がな、弾丸を喰ってまいっているんだよ。十七八のクーニャだ。可哀想にな」
    「いい娘(こ)かい?」と1人の兵が言った。
    「ああ、良い娘だよ」平尾はなぜか憤然とした調子で答えた。(82p)

    こういう追撃戦ではどの部隊でも捕虜の始末に困るのであった。自分たちがこれから必死な戦闘にかかるというのに警備をしながら捕虜を連れて歩くわけにはいかない。最も簡単に処置をつける方法は殺すことである。しかし一旦つれて来ると殺すのにも気骨が折れてならない。「捕虜はとらえたらその場で殺せ」それは特に命令というわけではなかったが、大体そういう方針が上部から示された。
    笠原伍長はこういう場合にあって、やはり勇敢にそれを実行した。彼は数珠つなぎにした十三人を片ぱしから順々に斬っていった。(115p)

    有名な石川達三の発禁本である。1935年に芥川賞を獲った石川を従軍記者にして送ったのだが、出来た本は日本軍にとってとんでもない作品だったので直ちに発禁、石川も禁固四カ月執行猶予の刑を受けた。読んでみて初めて知ったのであるが、これは1937年のいわゆる南京攻略戦を兵士の立場から詳細に描いたほとんどルポルタージュと言っていい「従軍記」なのである。

    とはいえ、石川達三は実際の戦闘には参加していない。1938年1月に南京に着いた石川は、南京で八日、上海で四日精力的に取材を済ませると、直ちに帰国、2月1日から書き始めて11日紀元節の未明に脱稿したという。「中央公論」3月号は2月17日に配本されたが、出版社は流石に伏字を用いた。しかし、あまりにも急いだために伏字の相違が発生した。それが当局を騙すための目くらましにも取られたし、伏字でないところも問題の所が多くあった。

    例えば、私が引用した1番目のそれには伏字は一つも使われていない。しかしこれは笠原たちは姑娘を強姦したととらえる方が自然である。

    2番目の引用には伏字が多く使われていた。しかし、注意して読めば何が書かれてあったかはもし伏字で読めなくても明白であっただろう。

    読めばわかるが、のちに東京裁判で出てきた事実と比べれば、この作品には戦争犯罪の告発の意図はほとんど無かったと言っていいだろう。それよりも、小説としての主眼は兵士が自らを省みて、自分を含めて人の命を簡単に殺すようになっていることの葛藤にあった。(「敵の命をゴミ屑のように軽蔑すると同時に自分の命をも全く軽蔑しているようであった」108p)時には鬱々と、時にはさっぱりと自覚してゆくのを記録している。多分そのために必要な山のように聞いた兵士たちの生の声を、彼らの悩みがわかるように再構成したのが、この小説なのだ。私は「生の声」そのもので、加工はしていないと思う。それでないと、実際の場面に遭遇していないのに、初めての従軍記者がここまで生々しく描写出来ない。

    現代の若者にとって、この小説は途轍もないインパクトがありそうだ。何故なら南京(大)虐殺を日本側から描いた映画はおろか、小説も戦後69年、まだ存在していないからである。

    小説を読んで「真実」があるかどうか、は読んだ当人が判断することだ。しかし、その前提として広く読まれることが必要だ。そして、まだ遅くはない。これを原作とした「忠実な映画化」を、日本は実現するべきではないかと思う。ナチスの戦争責任を国家的規模で追求して来たドイツやポーランド、チェコでさえ、近年になってやっと普通の市民の戦時下を描き始めたのだ。いわんや日本をや。

  • 戦争を描いた創作というものは数あるが、ここまで迫真して一兵士の在り様をまざまざと描いた作品はそうそう無いのではなかろうか。

    兵士とは決してヒーローなどでは無く、元々が知識人であっても仏僧であっても尋常でない環境下ではとても’正常’ではいられず、「笠原伍長にとって一人の敵兵を殺すことは一匹の鮒を殺すと同じ」「殺戮は全く彼の感情を動かすことなしに行われ」 (どちらもp67)るのである。
    しかも、あまつさえ「彼の感情を無惨にゆすぶるものは戦友に対するほとんど本能的な愛情」(p67)により戦闘は遂行されていた。

    天皇制イデオロギーや軍国精神に突き動かされた崇高な精神などどこにもなく、自分達が次にどこに何をしに行くのかすら知りもしなかったのであった。

    これは即発禁でしょうね…。

    占領地の人々に対する無意味かつ発作的な狼藉・暴力の描写は読むに堪えない。


    16刷
    2021.5.5

  • 第一回芥川賞受賞作家【石川達三】が、中央公論特派員として日本軍の南京攻略直後の中国戦線を取材して書き上げた本作は、反軍的内容をもつ時局柄不穏当な作品として発禁処分になりました。筆者自身は禁固4ヵ月、執行猶予3年の判決を言い渡されています。そんな言論弾圧の時代にあって、人間性を見失った前線の兵士による殺戮、掠奪、強姦など非人間的行為をありのままに描き、戦争に必然的に伴う罪悪行為というタブ-に触れたことで、反骨作家の執念を強く感じさせる作品です。

  • 戦争を題材に、お涙頂戴を描く小説ではない。
    もちろんノンフィクションというわけでもない。

    『生きている兵隊』がそのルポルタージュ的な手法によって描いているのは、日中戦争の戦場やそこで日本兵が行った暴虐の有り様ではない。したがって、読者はそこに、歴史的な事実として語られていることを当てはめるべきではない。

    この作品の価値は、戦争について、しばしば皇国・日本にまつわる不都合な事柄を含む形で描いている点ばかりでなく、戦場で人の生命がいかに軽蔑されるかということや、そのように生命を軽蔑することで人がいかに戦争になれていくかということを描いている点にあるのではない。

    当然のことながら、当時新聞などに発表された他の作品や記事が、あまりにも「画一的な戦争」を描くことに反発し、検閲の対象となることが明らかな内容であるにもかかわらず果敢に描いたことは、それだけでも評価に値する。
    しかし、今ここで重要なのはそうしたチャレンジングスピリットではなく、そのような動機から描かれた作品が、戦争の全体というよりは細部を、“記録的”、“典型/類型的”に描写しているということである。

    そもそも、小説とは言葉という間接的なものによって描かれるわけであるから、どれほど事実に忠実に描いたところで、真実を直に描くことは出来ない。
    したがって、小説に可能なのは、「真実らしく」描くことでしかない。
    その手段として、石川はルポルタージュ的に、細部を扱うことを選んだのである。

    登場人物達はいかにも類型的に描かれており、その心情もあくまで類型の内側で展開される。
    誰かを殺すことが淡々と描かれ、誰かが殺されることはそれ以上に簡単に描かれる。
    「生命が軽蔑されている」と書かれていることよりも、はるかに明瞭に作品の描写は人の生命を軽蔑している。

    多くの伏字箇所がある(現在は復元されている)が、それらの部分をいくら伏せたところで、この作品の描写のありかたを覆い隠し尽くせるはずはない。
    その意味で、この作品は発禁にされるしかなかったと言えるであろう。

  • ・昭和13年に発表され、即座に発禁にされたといういわくつきの小説。
    ・上のように聞くと、軍国主義に反対して弾圧された作品、のように思えるし、そういう風に読もうと思えば読めるかもしれない。けどきっと作者は純粋に戦場の生の姿を浮かれた銃後に対して伝えようとしただけだと思った。
    ・この作品に感じた意義は大きく2つあって、戦中にこのような作品が存在したと言う事実、伏字にされた部分から当時の空気が読み取れる事、だと思う。
    ・これをベトナム戦争に当てはめると、「ディア・ハンター」だったり「7月4日に生まれて」だったりするわけですよ。こう聞くと、とても納得が行く。けどベトナム戦争のアメリカと日中戦争の日本じゃ世情がまるで違うわけで、その点からも凄い作品だ。
    ・火野葦平の陸軍シリーズと読み比べるのも凄く興味深い。それは兵隊の視点と作家の視点の違いなのか。
    ・兵隊をいくつかのパターンに分類して、戦争中の兵隊心理を深く掘り下げて分析している点はとても秀逸。ベトナム以後の映画なんかじゃ当たり前かもしれないけど、これ、昭和13年の作品ですよ。
    ・戦争中の命の軽さが繰り返し論じられる。自分の命を軽くしなければ、とても兵隊なんてやれないよな。そういうことが良くわかる。
    ・支那人に対する残虐行為の描写も多く、目を背けそうになる。戦争の現実とは別に、日本兵の軍紀は完璧に厳粛だった、という幻想を信じたい自分もいるんだよな。
    ・この作品を読んで、日本人はやっぱり中国大陸で残虐行為を!とかそんな読み方する人はきっと多い。本質はそこじゃないのに、誤解されやすい危うい作品。


  • 戦争が良いとか悪いとかメッセージを含むものではなく、南京侵攻のありのままをそれぞれの日本兵の心情と会話に焦点を当てる小説の形で映し取っている。このような出来事は氷山の一角で、背後には同様の掠奪、理由なき殺害、女性への性被害が大量に行われていたように思う。一方で彼らにも近藤、平尾という名前があり日本で医学生、記者という職を持ち飯を食べ会話をする個があり生きている。これが日本人により書かれ戦時中に発行され発禁となる、その記録を残していきたい。


    p63 それは本能的に平和を愛する人間がその平和を失っているこの戦場にあることの侘しさの中で、ただひとつ抱いていた平和な夢が崩れて行く場合であった。西沢部隊長は国境を越えて行くほどの力と大いさとをもった宗教の存在を希望していたのであった。

    p133 彼等は斃れた戦友と並んでその死体を守りながら眠った。一枚の外套をぬいで二人でかけて寝るのだ。この場合、生もなく死もなかった。死んだ戦友も同じであり、自分と死体との間に何の差別もなかった。

  • 南京侵攻する日本兵のルポタージュ小説。前線の日本兵の行動や心のゆらぎを見事に描写した渾身の作品。これを読むと昭和初期の日本軍に従軍した兵士の気持ちが痛いほどにわかる気になってくる。
    貴重な一冊だ。

  • 2019.01―読了

  • 第二次世界大戦中の兵士の状況、残酷性が忠実で酷いが、これに戦争が悪いものだという感想を考えて持つかなという風に考えていた。兵士の残酷な気持ちに共感する自分の嬉しさと悲しさがある。

  • 3.86/305
    内容(「BOOK」データベースより)
    『虐殺があったと言われる南京攻略戦を描いたルポルタージュ文学の傑作。四分の一ほど伏字削除されて、昭和十三年『中央公論』に発表されたが、即日発売禁止となる。戦後刊行された完全復元版と一字一句対照し、傍線をつけて伏字部分を明示した伏字復元版。』

    『生きている兵隊』
    著者:石川達三
    出版社 ‏: ‎中央公論新社
    文庫 ‏: ‎214ページ

    外国語訳:
    English『Soldiers Alive』
    Chinese『活著的兵士』

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