季節の記憶 (中公文庫 ほ 12-1)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (376ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122034976

作品紹介・あらすじ

ぶらりぶらりと歩きながら、語らいながら、静かにうつらうつらと時間が流れていく。鎌倉・稲村ガ崎を舞台に、父と息子、便利屋の兄と妹の日々…それぞれの時間と移りゆく季節を描く。平林たい子賞、谷崎潤一郎賞受賞の待望の文庫化。

感想・レビュー・書評

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  • 読書仲間から、芥川賞作家なら保坂和志以降読んでいないという。
    著書を眺めていたら谷崎潤一郎賞受賞のこちらが気になり読んでみた。

    360ページで、一文が長くて、当初は読み進めるのに違和感があった。
    いつの間にか慣れてしまい、四人と一緒に散歩している気分。
    鎌倉の自然はきっと美しいのだろうなあ。
    周囲にはいないけどどこかの街にはいそうな皆さん。
    誰かに片思いしているような満たされていないけど不幸ではない。
    特に大きな事件は起きないし、いろんなことが現状維持なのに、日常がそのまま続く感じがなんとも心地よい。鳥のおじさん、無事でありますように。
    「もう一つの季節」が続きらしい。読んでみようかな。

    覚書
    医者は他人という不幸を前提として成立している仕事
    鍋の中のはるさめのような言語の力の流れがあって、それがとりあえず渦になっているところが一人一人の人間だ
    広くて深ーい性欲の海にポツンと意識が浮かんでるのが人間なんだもん

  • 友人に勧められて読み始めました。この小説の面白さは、物語なのに登場人物の考え方と自分の考え方を照らし合わせながら読み進められる所だと思います。
    初めて出会う事柄にどう対処するのか、クイちゃんの感覚を通した物語を自分の経験と重ねたり、松井さんの話す理論的な話が本当にその通りなのか自分の知識と比べてみたり、物語に入り込んだり俯瞰したりしながらゆったりした心地よさがあります。
    どうしてこのタイトルなのかが引っかかりながら読んでいたけれど、言語として還元されない感覚を季節の記憶としたのは、膝を打つ明快さを感じました。ずっと、言語と言語にはないズレについて語るお話だったのだな。と納得しました。
    ナッちゃんが登場したとき、物語が大きく転換したらどうしようと思いながら読みましたが、変わらず彼らのリズムで生活が進んでくれてホッとしました。こんな風に自然に、考えを話し合ったり受け流したりできる人が身近にいるのは豊かだと思います。

  • 一見すると何気ない日常の話のようだけど、世界や人を観察する冷静な視点にハッとさせられる。
    独特の文体は慣れればテンポが心地よく、キャラの濃い登場人物と合わさって、すらすらと気持よく読む事ができる。
    しかし時に読む速度を落として、主人公の周りの景色や音、思い出している過去や、思いを馳せている時間をじっくり想像する事がこの本を楽しむポイントだと思う。
    忘れた頃に読みなおすとその度に新たな発見がある小説。

  • この小説には、僕がいいなあーと思う人々の会話があり、思考のプロセスの記述がある。

    例えば、ある物事を見たり考えるときに、「Aかもしれないし、Bかもしれないし、でも本当のところはわからない」とか平気で言ったりする。でも、これって僕らの日常でよくあること。全てをはっきりさせないというか、はっきりできないものがあるというか、客観的にしまいこめようとすると実はしまえなくって、そこにある種の寛容を見出したりする。

    「なぜこうなっているのだろう」、とか「あなたの考え方っていつもそう・・・」といった会話の中で、お互いの理解を深めたり、そして自分への理解を深めたりする。ちょっと理屈っぽくもあるが、そんな時間を過ごすのも良いだろう。

    この小説はおおよそそういう会話で成り立っている。逆に、それ以外のストーリーはあまりないと言ってもいいくらい。大事件が起きる訳でもなく、・・・でも日常の中での考えが綴られていく・・・。

    言葉について面白いことが書いてあった。「言語の機能とは何かといえば抽象化とか象徴化とかのことで・・・」「だから文字をもった人間は次々に抽象と抽象を結び合わせて膨大の情報を処理して保存していくわけで、そうして文字によって強化された言語の脳はとても強くなって、他の視覚、聴覚、嗅覚、触覚なんかの生の感覚を抑圧する」(以上、抜粋)などとある。

    僕は、「人は言語を上手く使わないとコミュニケーションできない」と思っているけれど、人が五感を通じて得た感情を口に出すことの重要さ、も同時に考えてみた。確かに動物などに比べたら、人の五感って鈍いことが多いのだろうけど、一方で、抽象でも何でも「人に伝えたい」と思う気持ちから五感を働かせたりするのではないか。そして、五感だけでなく、考えを巡らすことができるのも人間だ。

    詳しくは僕のブログ:http://d.hatena.ne.jp/ninja_hattorikun/20071117/1256349229

  • この話には、猫は登場しない。なのに、なんでカテゴリーが猫なのかっていうと、保坂さんの小説には、猫が登場してもしなくても、首をかしげながら、きょとん?とみつめてる猫の眼差しの存在を、勝手に感じるから。

  • ふむ

  • 二、三回ほど挫折してようやく完読。
    語り口は嫌いではないけど、どうも主人公がよく会う女の子と結婚したらだとか、ゲイに襲われたら嫌だから嫌な返答するとか、女の子の顔が可愛いとかそうでもないとか、変な顔の男と結婚したらしいが意外と長く持ってるとか、妙に人を計りたがるタイプで、哲学的な話もいまいち納得できない話も多くて、高平くんとかナッちゃんというキャラクターに対しての視点も微妙で、文体は嫌いじゃないのに辟易することが幾たびもあって、何年かぶりに読んだけど毎回なぜ読み終わることが出来なかったのか妙に納得したのでした。

  • 全然店頭で見つけられずにいたら、ちいさい古本市で見つけて購入!
    なんで読みたいと思ったんやっけと思い返したら、『読書の日記 / 阿久津隆』きっかけやと思い出し、該当箇所を読み返したくなったが、こんな分厚い本の中から探し出せへん……あっでも索引あるわありがとう!!!
    で、肝心のこの本はかなりおもしろかったし好きやった。作中で、友人の会社の従業員のビデオをみたときの感慨のような、きっと似たようなものを感じた。息子への接し方を筆頭に、他人への距離感を保ちつつ、尊重しているように感じられるところが好きなのかもしれん。こういう距離感を私は好ましいと思ってるんやろうな。夜中の野菜スープ作り

  • カオスだな、と思う。奇想天外なことが起こるという意味ではなくむしろ地味な日々を描いた「日常系(?)」の作品なのだけれど、その中にふんだんに哲学的思弁が重ねられ人々の会話が闊達に展開し、風景や人物を見つめる主人公/著者の観察眼が実に丁寧に事物を捉えている。だが、そうした豊満な情報に基づくドラマは起承転結式に展開せず、むしろずらずらと無造作とすら言える手付きで羅列されていく。今回の読書で私はこの作品が阿部昭『単純な生活』に似ているなと思った。書くことそれ自体がそのまま著者の生き方と重なるがゆえの説得力を感じる

  •  時間って何?文字って何?ちきゅうってなに?鎌倉で暮らす大人たちとクイちゃん(五歳)の日常。次々と飛び出すクイちゃんの疑問に、大人たちは丁寧に、時間をかけて向き合っていく。今私たちに必要なのは、こういう「丁寧な」会話なのかも知れない。
    ーN.S.先生

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著者プロフィール

1956年、山梨県に生まれる。小説家。早稲田大学政経学部卒業。1990年『プレーンソング』でデビュー。1993年『草の上の朝食』で野間文芸新人賞、1995年『この人の閾(いき)』で芥川賞、1997年『季節の記憶』で平林たい子文学賞、谷崎潤一郎賞、2018年『ハレルヤ』所収の「こことよそ」で川端康成文学賞を受賞。主な著書に、『生きる歓び』『カンバセイション・ピース』『書きあぐねている人のための小説入門』『小説の自由』『小説の誕生』ほか。

「2022年 『DEATHか裸(ら)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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