戦争論〈上〉 (中公文庫)

  • 中央公論新社
3.66
  • (11)
  • (22)
  • (27)
  • (1)
  • (1)
本棚登録 : 608
感想 : 17
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (607ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122039391

作品紹介・あらすじ

比類なき戦略家としてナポレオンを撃破したプロイセンの名参謀クラウゼヴィッツ。その思想の精華たる本書は、ミリタリズムの域を超えて、あらゆる組織における決断とリーダーシップの永遠のバイブルである。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 戦争の定義、戦略と戦術の違いについて参考になった。
    特に精神論の重要性については、その意味を日本人が完全に取り違えていることも含めて多いに参考になったし、最高司令官に求められる資質についても参考になった。

    日本は平和国家なので、戦争論を読んでも意味がないのかというと、そうでもなく、国家間の政治の衝突を考える上では役にたつというのが訳者の見解である。そうはいっても、3兵種の配分とか、ありうる陣形とかいったことはさすがに役にもたたないかと思う。

    現在でも政治について語る際に戦略論で語る人がいるが、確かにクラウゼヴィッツの戦争論がそのような文脈において役にたつのは理解できる。ただ、人と人とのぶつかり合いでもないのになぜそれが役にたつのかは不思議に思われる。

  • 19世紀プロイセンの軍事学者、クラウゼヴィッツによる、戦争と軍事戦略に関する本。
    彼自身も従軍した対ナポレオン戦争を中心に、中世〜紀元前に遡る各戦闘を行き来しながら、戦争に含まれる各要素について言及される。
    それぞれの戦史や登場人物が詳細に述べられるので、歴史も学べて勉強になる。

    専ら戦争における戦略について述べられるが(作者は「戦略」と「戦術」の定義に厳しく、戦術については触れないとたびたび言及する)、戦争に限らず、現代の仕事や職務についても役立つものであると感じた。

    例えば、「戦争におけるすべてのものは非常に単純であるが、それが累積され、戦争を見たこともない者には想像だに出来ない障害となる」というフレーズ。
    戦争に限らず、企業活動やそれに伴う各職務には、このような事態が多かれ少なかれ発生する。
    事態が予断を許さない中、勝利に向かって迷い無く進む司令官の精神力についてたびたび言及されるところも興味深い。

    或いは、前衛をどの距離に位置させるか、軍行はどの程度の期間を要するか、糧食や交通についてなど、数値計算に基づいた戦略立案に、緻密な計画の面白さを改めて見出した。
    自分の仕事に対して向き合う、良い契機であった。

    また、戦争は勝利が決した後の戦闘で初めて果実を得られる、というところは、敵方の徹底的な殲滅を主張したマキャヴェリの考えと同じだと感じた。
    最近戦略書をまとめて読んでいるので、このような類似性や相違点を発見するのも、また楽しみである。

    さらに、本書巻末の訳者解説は秀逸である。
    戦史を改めて振り返り、それに伴う戦争の変遷を、古代〜21世紀の現代に至るまで、非常にわかりやすくまとめてくれてある。

    その中で特に印象的だったのは2点。
    1つは、クラウゼヴィッツが封建的思想が根強いプロイセンの軍人でありながら、如何にフランス革命後のナポレオンの戦略に感銘を受けているか、というところ。
    もう1つは、フランス革命、封建社会の崩壊、それに対する反動主義、産業革命とそれに伴う資本主義台頭、さらには資本主義の高度発展段階としての帝国主義、という18世紀〜19世紀の出来事が、如何に戦争のあり方とそれに伴う戦略に影響を与えたか、ということであった。
    中世までの、貴族層に限定した「戦場での決闘」としての戦争が、市民革命の進捗とともに都市と市民全体を巻き込み、次第に国を挙げた総力戦に至るまでの過程がわかりやすく腹に落ちた。

    最後に、これから読む方へは、1つ注意を促したい。
    著者のカール・フォン・クラウゼヴィッツは貴族であるため、この書はその階級に相応しい文体で書かれているらしい。
    日本語訳も、日常では使うことのない言い回しが見られた。

    「格調の高い文章」を読む心地よさは確かに感じられ、単純に読むことの楽しみがあることはわかる。
    しかしながら、非常に回りくどかったり、言葉の定義にこだわり何度も念を押したりするところは、やや過剰にも感じられる。
    例えば、「火器が発達すれば騎兵の影響力は弱まる」という至極わかりやすい事実が詳細に長きに渡り論じられるが、無論その必要性はあまり感じられないのである。
    日本では、16世紀に既に信長・秀吉が証明済みだ。

    当時のドイツ貴族の雰囲気を感じつつ、優雅に読むもよし。
    自身の仕事に生かせるヒントを探すもよし。
    ヨーロッパの戦史を学ぶもよし。
    様々に読める本だが、人様におすすめするとすれば、このように冗長な文章を勧めるのはやや気が引けるので、解説本などのほうが手に取りやすいかもしれない。

  • ミリタリー界隈ではよく名前が通っている戦術の大家クラウゼビッツだが、詳しい履歴は知らなかった。
    日本語では名字の前の爵位や前置詞を省略してしまう誤記が多いので「クラウゼヴィッツ」で通っているが、実際は「フォン=クラウゼヴィッツ」と呼ぶべきだというのも本書の扉を開いたときに知った。その程度に何も知らない。

    読み始めてすぐに、本書の内容はタイトルに反して単純に戦争に関するものだけではないと感じた。
    著者の深い教養を感じさせ、研究者としての資質も本書の随所で感じられる。著者は18〜19世紀の人であるが、現代の科学・人文科学系の知識を理解しているかのような戦争・軍隊組織の考察や、それら優れた内容を論理的かつ系統的に記述していることから著者がたぐいまれな人物であったことがわかる。

    下級士官として成果を上げた人物が階級の上昇とともに無能になっていく様の考察は現代の組織の中でも十分に通用するし、教育とそれを実際の場で運用(応用)することについての考察は生活の様々な場所で役に立つ内容であり、深く心に残った。
    "実例を通して真理を実証しようとするならば、真理と関係する部分を正確かつ詳細に記述するか、不十分な記述しか出来ないのであれば実例の数を増やすしかない(pp. 238)" のような記述は今日の人文科学のみならず科学分野全般で非常に重要な、データの取り扱い方(というより、過去がいい加減に扱いすぎたから近年は統計を用いて厳しくしてるくらい)で、「本当に200年前の人か?」と思ってしまう。

    また、1部1章はウクライナ戦争の趨勢にまるっきり当てはまる部分がいくつもあり、同時代人としてこの危機を端から見ている身としては、19世紀にこれほど明瞭に戦争論を考え、そして、その考えが現代の戦争にも適用できるということに大いに驚いた。
    戦術の古典のつもりで読んでいたのだが、ただの古典ではなく"基本"であったようだ。

    序文などによれば10年以上をかけて執筆したこの戦争論だが、絶筆に近い形であり、著者が亡くなる直前の時点でも加筆・修正する部分(1部1章以外はどれも未完)の注意書きを書き残していることから、この完成度でも気に入らなかったのかと驚かされる。
    それと共に、50代で亡くなった著者が、10年、20年長く生きて本書を納得のいく形に練り上げた場合にはどうなったのだろうと思わされる。

    1966年の訳ということもあり、訳者の序文の文語体が固く、一部意味がとりづらい部分もあったので中身を読むのが心配だった(上巻だけで500ページを超えるうえ、訳者が序文の中でフォン=クラウゼヴィッツの貴族っぽさを上手く表現できたことを誇っているのも心配だった)が、予想に反して中身の文は読みやすく、訳者の地の文が最も読みにくいという意外な結果になった。


    <<ここまでが1部を読み切って感動と興奮で書いた部分>>


    何度も筆を入れて書き直しているのは2部途中までなのだろうか。
    3部に入る前後からは短い内容の章が多く羅列されるようになって、内容が掴みやすい反面中身が薄く、記述が練りきれていない(ややわかりにくい表現や記述が尽くされていないと感じる部分が散見される)ように感じる。

    後半の戦闘に関する項目では、序盤の印象と一転して「古いなぁ」と思う箇所も多く見られる。
    第一次大戦の100年前なので仕方がないが、会戦を戦闘の主要部分と位置づけているのは現代には適用できない古い考えだ。
    また、(3部以降か?)兵站を軽視しているような記述も所々に見られ、これも"古さ"を感じさせる。糧食の確保についてはかなりのページを割いている(ここも中世の略奪と同じ方法も大きく載せており古い内容ではある)が、弾薬の補給についてはほぼ触れていないと言っていい。
    ファン・クレフェルトの「補給戦」で述べられているが、近代以降の戦争は弾薬消費が飛躍的に増えていく傾向があり、やがて食料よりも弾薬の輸送量が問題になっていく。
    いかにクラウゼヴィッツといえど、近代戦に頭を突っ込んだばかりのナポレオン戦争期の人では、その後の戦争の趨勢までは読み切れなかったか。

    ただし、古いばかりでなく、他の書籍では触れられていないが納得できる内容もいくつもある。
    中世や歴史小説などでよく見られる夜戦だが、近代以降有効ではなくなった(大きな戦争で戦果が見られない)ことを疑問に思っていたが、それに対する回答が明瞭に述べられていた。
    また、行軍による消耗については多くのページを割いて強い調子で述べている。行軍で兵員が落伍していくことはイメージしていなかったのでかなり参考になった。
    一度落伍してしまえば長期的な休みがなければ回復することはなく、兵員は減り続けるというのは理にかなっているし説明も明快でわかりやすい。
    ナポレオンのロシア遠征についてもこの長距離の行軍の弊害を強調しており、物資輸送の失敗(というより最初から充分量が供給不能だった)とするファン・クレフェルトとは違った見方で面白い。


    訳者は哲学者だが、巻末の解説はなかなか良くまとまっていたと思った。巻末の解説は再版時の文書なので序文のような読みにくさが無く、クラウゼヴィッツ前後の時代について把握できた。
    特に世界大戦期までの、(クラウゼヴィッツが著書の中で何度も古い、無意味と否定していた)旧兵術の流行とクラウゼヴィッツの再評価の流れはよくわかった。


    中断していたわけでもないのに、この上巻を読むのに半年くらいかかってしまったので、内容は面白かったのだがとても重く、下巻に行くのを躊躇している。

  •  孫子の兵法とともに有名な戦術本。孫子の兵法が抽象的、普遍的な内容が記述されるのに対して、本書はこれまで起きた個々の戦争を、著者のクラウゼヴィッツが実証して見解を述べる形式となっている。ゆえに、本書は孫子の兵法と比べて膨大な内容となる。
     上巻の冒頭で、クラウゼヴィッツは戦争の本質を説く。それは、敵を自分たちの意志に屈服させるための暴力行為であると。また、戦争と政治の関係についても繰り返し言及している。政治において、戦争も政治のための手段として用いられる、つまり不可分の関係にあることが読んでいくうちに理解できるであろう。

  • すべてを読んだわけではなく、前半を読みましたが、

    「戦争における戦略一般について」という章は秀逸です。

    昨今、「戦略」と「実行」が部署レベルで分離されていて、それぞれを担う担当者がいますが、戦略ー戦術ー戦闘は、一体不可分であるため、そのすべてを見通せないと、その戦略は失敗するとあります。

    普段の仕事のなかでもよく見られる状況で、肝に銘ずべきだと思いました。

  • フランス革命-ナポレオン戦争の軍人による戦争論
    古典的名著だが時代背景やジョミニの知識が必要で
    クラウゼヴィッツ自身も不完全な著作を認めている難しい本

  • 戦争は政治の延長である。
    戦略と戦術の違い

  • 19世紀前半に出現したこの兵学の書は、その筋ではかなり重要な古典的名著とみなされているようだ。
    当時の戦争における戦力は主に歩兵、騎兵、砲兵であり、マキャヴェリの時代より少し進み、「近代戦」になってきていた。
    本書でのクラウゼヴィッツの、分析・記述はかなり詳細である。ひとつひとつの概念の規定をも慎重に行おうと細心の注意が払われており、まるで哲学者の著作のようだ。
    とはいえ、「国家とは何か」「国家の戦略のために見知らぬ他者を殺し殺されるとはどういうことか」というようなラジカルな問いにまでは到達しないので、やはり哲学書ではない。
    戦争を政治の延長であり、政治の一部でもあるとするクラウゼヴィッツの見方はクールだ。
    兵学そのものに関しては私は何も知らない人間なので、今回はクラウゼヴィッツの論の運び方を見て楽しむくらいだったが、地上戦に関しては、ある程度、本書はまだ軍事学上参考とすべき点があるのだろうか?
    本書はナポレオンの時代に書かれたが、その後、テクノロジーは急速に発展し、第1・2次世界大戦では爆撃機が飛び、戦車が走り、さらには核兵器の出現と、戦争の様相は明らかに新次元に突入した。
    さらにその後の現在は、無人機等のリモート・コントロールや各種のレーダーなどなど、最新のテクノロジーが駆使される場面ではクラウゼヴィッツなど大昔の話でしかないだろう。
    ヨーロッパ大陸では国家が互いに近接しあい、繰り返される侵略や戦争を経て国が消滅したり新しく生まれたりという歴史が作られてきた。従って、戦争が「必然的な、回避不能なものである」という認識はヨーロッパの伝統であり、その辺が、日本人だと感覚が異なる。たいして資源も持たないこの島国の歴史には、他国との争闘が近代に至るまで、本格的には出現しないのだからムリもない。
    さてクラウゼヴィッツよりも断然新しい、20世紀以降の兵学(軍事学)の古典的名著ってなにかないだろうか。でも最新の情況については、明かされることはないのか。そのへんのミリオタくんが詳しいのだろう。

  • カール・フォン・クラウゼヴィッツは、いまから230年まえの1780年7月1日に生まれたプロインセン王国の軍人・軍事学者。

    ナポレオン戦争の経験を元に書かれたものですから、現代の私たちからすればだいぶ古くさいという感覚があって、こういう方面の著作でまず最初に私が手にしたのは、憧れのフランス五月革命というのも手伝って、アンドレ・グリュックスマンの『戦争論』(上下巻・岩津洋二訳・雄渾社・1971年)でしたが、これはいかにも哲学者が書いたというふうなバロック的な暗喩と黙示に富んだ文章だったような記憶がありますが、それに比べてクラウゼヴィッツのこの本は、例の有名な「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」が象徴するように、もっと本質的な具体的な考察に満ちた本で、戦争の当事者・専門家でない私たちが読んでも様々に示唆に富んだ含蓄のある記述がいっぱいある本です。

    全体を8編に分けて、戦争の本質について、理論について、戦略一般について、戦闘、戦闘力、防御、攻撃、作戦計画というふうに戦争について細かく徹底した分析をした内容ですが、日本での需要はもちろん軍人中心に決まっていますが、なんと後に軍医にもなったあの文豪・森鴎外が独逸留学の際に読んでいたといいますから面白いですね。

    この本を読んで堪能して、こうなると次は世界中の戦争論や革命論に興味が向いたのも不思議はないのかもしれません。

    私はゲーマーではありませんが、純粋に空想・理論の産物として、もしくは現実の忠実なドキュメントとしての醍醐味にただ惹かれるだけですが。

    エンゲルスの『ポー川とライン川』やレーニンの『国家と革命』『帝国主義論』、ゲバラの『ゲリラ戦争』やトロツキーの『永続革命論』や『裏切られた革命』や『赤軍の形成』、毛沢東の『持久戦論』『戦争と戦略の問題』やボー・グエン・ザップの『人民の戦争、人民の軍隊』、北一輝の『国体論及び純正社会主義』や石原莞爾の『最終戦争論』、ロレンスの『知恵の七柱』やバタイユの『呪われた部分』やレヴィナスの著作など、すべて興味津々と熱狂的に読んだのでした。

    いやあ、戦争論ってなんて興味尽きないものなんでしょうか。早くこんなもの読まなくて済む世界に、なってほしいものですね。

  • 簡約で文庫は嬉しい!
    訳も読みやすいです。
    …内容自体の理解が難しいのですが…
    下巻の解説が非常に親切です!

全17件中 1 - 10件を表示

カール・フォンクラウゼヴィッツの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×