君主論 改版: 新訳 (中公文庫 マ 2-3 BIBLIO S)

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  • Amazon.co.jp ・本 (244ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122040120

感想・レビュー・書評

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  • マキャベリの生きた時代は群雄割拠の時代と思われる。
    ぼやぼやしていると、あっという間に滅ぼされてしまう。
    第一に攻撃の姿勢を挙げるのはしょうがないと言えるが、領民の生活を守るという考え方で統一しているのは、国の基礎を人に求める彼なりの治め方なのだろう。

  • 共感できない部分も多いが、生き抜くための、きれいごとではない生々しい示唆が得られる
    ・ほかの誰かをえらくする原因をつくる人は自滅する
    ・加害行為は一気にやってしまわなければいけない。恩恵は、小出しにやらなければいけない
    ・君主は、愛されなくてもいいが、人から怨みを受けることがなく、しかも怖れられる存在でなければならない
    ・君主は、慈悲深いとか、信義に厚いとか、表裏がないとかという良い気質を、なにからなにまで現実に備えている必要はないが、備えているように見せかけることがが大切である
    ・気が変わりやすく、軽薄で、女性的で、臆病で、決断力がないというように見られることは、厳に慎むべき
    ・恩恵を与える役はすすんで引き受け、憎まれ役は他人に請け負わせればいい
    ・秘書官は自分のことなど考えず、常に君主の身を思う。君主は、秘書官に忠誠心を持たせるために、身に余る栄誉を与える
    ・人は、慎重よりも果断にすすむほうがよい。なぜならば、運命は女神であり、女はそういう人のいいなりになる

  • 立憲君主制ならいざしらず民主的なプロセスを経ないで武力を統率するものが国を率いる場合の合理的な当然の帰結が書かれてある。現代において、いかに文民統制が重要か再認識させられる。シビアな状況から考えれば合理的に思えることが暗い気持ちを呼び起こす。このような体制の国家にどう対処するのか平和を希求すると同時によく考えないといけないと思った。

  • 前近代的な思想の中にも、現代に通ずるエッセンスが。

    ▼メモ

    "ともかく心得なくてはいけないのは 、新しい制度を独り率先してもちこむことほど 、この世でむずかしい企てはないのだ"

    "すべて国の重要な土台となるのは 、よい法律としっかりした武力である 。"

    "見くびられるのは 、あとで (第一五 、一九章 )論じるとおり 、君主が厳に戒めなくてはいけない汚名の一つである 。"

    "君主は歴史書に親しみ 、読書をとおして 、英傑のしとげた行いを 、考察することが肝心である 。戦争にさいして 、彼らがどういう指揮をしたかを知り 、勝ち負けの原因がどこにあったかを検討して 、勝者の例を鑑とし 、敗者の例を避けねばならない 。"

    "君主たる者は 、自分の領民を結束させ 、忠誠を誓わすためには 、冷酷だなどの悪評をなんら気にかけるべきではない"

    "全面的に運命に依存してしまう君主は 、運命が変われば滅びるということ 。また 、時勢とともに 、自分のやり方を一致させた人は成功し 、逆に 、時代と自分の行き方がかみ合わない者は不幸になるということ 、そこにある 。"

  • チェーザレ関連読書。高校倫理以来の偶然の再会で、まさかマキャヴェリの『君主論』を読むことになろうとは。当時はマキャヴェリの坊主頭にしか興味はなかったのに。
    『君主論』は容赦なく次々とイタリア史上の人物の名を挙げていく。ヴァレンティーノ公(チェーザレ・ボルジア)はじめ、ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ(ユリウス2世)、アレクサンデル6世(ロドリーゴ・ボルジア)、サヴォナローラ、ルドヴィーゴ・スフォルツァ(イル・モーロ)らと彼らの支配域については、惣領氏の『チェーザレ 破壊の創造者』で得た前知識が大いに読書を助けてくれた。
    本書は1516年、ウルビーノ公ロレンツォ(1492-1519)へ献上するために書かれたもので、「歴史上の様々な君主および君主国を分析し、君主はどうあるものか、君主として権力を獲得し、また保持し続けるにはどのような力量が必要か」などが論じられている。まず、第1章の冒頭から違和感に気付くのだ。自分がこれを読んで一体何の意味があるのか、と。しかし、次々に繰り広げられるマキャヴェリの思い切りの良い主張に引き込まれていく。そして、例え君主にならずとも上に立つ人間のあるべき姿として応用すれば、次第に500年も前に書かれたものとは思えなくなる。下手に『君主論』の解釈本に手を出すより、頭の中で自分なりの解釈で現代版にしていく作業が面白かった。非常に読みやすい和訳であり、文中の「現代においては〜」と続く内容が、16世紀の出来事であることをついつい忘れてしまう。君主のあるべき姿を論ずる上で、人間の本質を冷静に分析しようとした著者だが、「目的のためには手段を選ばない」="マキャベリズム"が何故生まれたのかどうしてもピンと来ない。
    さて、マキャヴェリが理想の君主として、チェーザレ・ボルジアを挙げたということで興味を持った本書だが、思いのほか詳しくは書かれていなかった。より深めるために、塩野七生氏の『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』へと続きたい。そして、読みながらふと"兵法とは?"と思い付いたので、『孫子』へも近いうちに手を伸ばしたいと思う。もちろんただの原典訳本だ。

  • マキアヴェリの「君主論」とマルクスの「君主論」は、その題名と歴史的背景から避けられがちだが、一度は読むべきだろう。この新訳は非常に読み易い。

    マルクスが言うように「一度目は悲劇として二度目は喜劇として」歴史は繰り返す。古代から人間の本質は変わらないことを痛感する。と同時にマキアヴェリの洞察力に驚嘆させられる。

    中世の書物にも関わらず一切の古臭さも感じない。「君主論」というタイトルから権謀術数の負のイメージを持たれがちだが、事例分析による国を治める者の手法と心構えを説いている。威厳を保ちつつ恨みは買わない、愛されることと恐れられることどちらがいいか、など帝王学に特化した秀でた見識を得られる。

    民主主義が求められる現代国家への適用は難しいかもしれないが、強いリーダーが求められる企業へはむしろ君主論を忠実に実行することが強さに繋がるのかもしれない。

  • マキャヴェリの君主論というと「目的のためなら手段を選ばず」という印象が強い。
    しかし、彼はむしろ目的を達成するために手段をよくよく考えて選ぶべきだと主張しているように受け取った

    それにしても、やっぱりこういった古典を読むときには、
    書かれた当時の時代背景が頭に入っている必要があると毎回思うのである。
    本書にしても群有割拠であった当時のイタリア情勢や、
    中世社会の世相を多少なりとも知っておきたい。

    その辺も踏まえてみると、
    このような君主の出現によるこの地方の統一と平穏を望む
    マキャヴェリの願望の書とも思える。

    あと、巻末の索引が地味にありがたい。

  • 政治とはリアリズム。「職業としての政治」と同じ考え方。ただし、より本書な方がダーティー。これは、書かれた当時、領土の死守と拡大が政治(君主)にとっての最重要課題の一つが故。

    君主を社長やボードと置き換えて読んでいた。同様の読まれ方はよくされているようで、著作もあるみたい。

    成果に焦点を当てており、ドラッガーも同様の主張していると言える。愛されるよりも恐れられよ。しかし、決して恨まれるな。至極納得がいく。

  • 権謀術数とのイメージが強いが国の平和と繁栄を望んでいるための手段として書かれている。理想論ではなくまさにステークホルダーの繁栄を求めるリアリズム。
    イタリアの歴史の知識があるともう少しすんなり頭に入ってくる。

  • 初めは、中国の儒家のように、徳をもって国を治める的な事を論じているのかと思いきや、まったく違いました。君主論と言うくらいだから、君主のために書かれたもので、いかに効率的に、領民を統治し、家臣の離反を防ぎ、他国からの侵略に対抗するかを具体的な解説書です。
     ただ、その内容は、生々しいものです。たとえば、君主が自分の金や、領民の物を使うときは、出し惜しみするべきだが、他人の物を使う場合は、大盤振る舞いすればむしろ君主の評判を高める、のような事が述べられています。確かに、おっしゃる通りだと思います。
     これを読んだ中世イタリアの君主たちは、領民から絞り上げていたんでしょうね。

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