イスラーム生誕 改版 (中公文庫 B 2-10 BIBLIO)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (245ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122042230

作品紹介・あらすじ

イスラーム教及び創始者ムハンマド(マホメット)の誕生と歴史は、キリスト教のように知り尽くされたとは言い難い。イスラームとは、ムハンマドとは何か。シリア、エジプト、メソポタミア、ペルシア…と瞬くまに宗教的軍事的一大勢力となってキリスト教を席捲した新宗教イスラームの預言者ムハンマドの軌跡を辿る若き日の労作に、イスラーム誕生以前のジャーヒリーヤ時代(無道時代)との関連の歴史的解明と、さらにはコーランの意味論的分析を通じてイスラーム教の思想を叙述する独創的研究を加えた名著。

感想・レビュー・書評

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  • イスラムへの情熱が窺える一冊。

    セム的一神教がどのようにしてアラビア民族に浸透していったかを説く。40歳のとき初めて啓示をうけた、預言者ムハンマドは当初はセム的一神教であるユダヤ教・キリスト教に友好的な態度だったとは知らなかった(当初はエルサレムの方向に礼拝しようとしていたんだとか)。しかし神学的理由から、どちらの宗教にも反発にあいイスラムとして独立を歩むようになった。アラビア内部では血統意識や個人意識が強く、多神教であるジャーヒリーヤから反発にあった。元々メディナではユダヤ色が強かったし、周辺はキリスト教文明圏ということもあり、ジャーヒリーヤの伝統である詩歌には唯一神教的な素地が既に存在していた。多神教でありながら沙漠の古い神”アッラー”が天と地の創造主であることを既に信じており、またアッラーの言語用法の変質(部族神 → 唯一神)からジャーヒリーヤはイスラームに染まっていく。イスラムは新しい宗教ではなく、古い宗教であること(アブラハムが永遠の宗教理念の創始者=史上初のムスリム)を主張した。

  • 井筒俊彦 「 イスラーム生誕 」

    ムハンマドの出現=イスラーム生誕 として、ムハンマドは何者か、イスラームとは何か を問うた本。イスラームが世界宗教化した原因を 終末論 としている。コーラン82 裂ける章にある終末論の描写は ダンテ地獄篇より凄い

    ムハンマドとは何者か
    *コーラン=終末論への警告、導き とした
    *血統や部族社会からの脱却→信仰の深さを説く
    *無道時代の無信仰者を変えようとした

    イスラームとは何か=イスラームの統一性とは何か
    *自分を神に任せる→神が主人、ムスリムは奴隷
    *信仰の対象は アッラー→神への感謝と怖れ→神を信じる=神に感謝する
    *宗教共同体

    ムハンマド出現前の世界(無道時代)も 魅力ある
    *無常感
    *アナファ(鼻を天に向けて 人生を生きる)

  • とにかく情熱的!熱のこもった文章は読んでいて楽しい。
    イスラーム以前のジャーヒリーヤの世界について、この本で初めて知った。無道時代と言われるが、彼らの素晴らしい詩や美学についても語られている。
    学者が好きなムハンマドやイスラームのなりたちについて語っているので、読みやすくてオススメです。

  • 本書で示されていたクルアーンの節の箇所と、実際のクルアーンの一説の箇所が一致していなかったのが気になったが、本当に面白かった!ムスリムの内的状況の分析と、それの表現がとても分かりやすくて素晴らしかったし、イスラームで使われている、アスラマ、タクワ、ジャーヒリーヤなどの言葉がジャーヒリーヤ時代にも使われていて、それがイスラムのどのような違いで使われていたのか知ったのも面白かった。アッラーはジャーヒリーヤ時代にも存在していた神様で、その時代の、それぞれの部族の神々をいわゆる統括するような、最高神のような存在であった。日々の小さなお願い事などは、アッラーの下の部族の中で信仰されている神様に祈るが、命の危機など、重大なときにアラブのベドウィンたちはアッラーに祈っていたみたい。
    5行のうちの一つであるイスラームのハッジの巡礼も、ジャーヒリーヤ時代にも存在していて、巡礼月になると、全ての部族がカアバ神殿へ集まっていたそう。当時は、そこにそれぞれの部族の神々が集結していて、巡礼月になると周辺の諸部族が集まり、祈りを捧げ、その時は、普段の戦いも禁止された。そして、人々が集まることによって、メッカはその時も一大商業都市だった。

    そしてイスラムが広がる当初、メディナでは、ユダヤ教徒でもありキリスト教徒でもある、または、ユダヤ教徒でもなくキリスト教徒でもない、純正な何も歪曲のないイブラヒームの宗教を辛抱する人もいた。ムハンマドは、このイブラヒームの教え完全なる一神の復活を望んでいた。

  • 第一部 ムハンマドとは何者か

     預言者 ナビー
     神から特に選ばれて、聖なる召命を受けて人類の魂を救うために遣わされた人のこと。啓典とセット。モーセとトーラー。キリストとインジール。ムハンマドとコーラン。
     ムハンマドはキリストの神性を否定し、人性は肯定。神性やら三位一体などは唯一神教を多神教に貶めるとして忌避。

     砂漠の騎士道
     無道時代の騎士道的精神。遊牧の民ベドウィン。過去の積み重なりを今よりも重要視。その蓄積を「慣行」スンナという。
     ムハンマドはこれを否定。人の高貴さは生まれや血統ではなく、敬神の念の深さから来る。人は全て個人として、神に向き合う。

     慣行
     部族がすべて。善悪の区別なく、その人の倫理も価値もすべて部族の慣行によって決まる。部族の誇り、華になること、これが何にも勝る喜び。
     カリーム(高貴な人)=底抜けのお人好し。絶対に物惜しみしない人
     しかし部族外の人間に対しては非常に冷たい。残忍な意志や獰悪な行為を遂行する勇気だけが讃えられる。
     有名なのはシャンファラーとサービト・イブン・ジャービル
     異部族に親族が殺された時、復讐は義務。相手の血を以って償わせる。それまでは夜も眠れず、食は喉も通らない。復讐しないとハーマ鳥が死体から出て、不気味に鳴き続ける。

     享楽と苦渋
     全て史上の大改革には、前時代との断絶面と連続面がある。
     砂漠で暮らすため、感覚は鋭い。が細かく見るだけで、論理は通っていない。実際に感じる感覚だけで生きる現実主義者であって、夢想や形而上学は乏しい。だが、そんな彼らは感覚的現実に満足出来なくなっていた。限りある命、定められた死を思うと憂いが多い、永生に思いを馳せずにはいられない。
     だから若者は現世での永生を求めるが、不可能だとわかった時、刹那的快楽へ走る。酒と女と闘争へ。
     若者が精神的救済を求めている時に、まさにムハンマドは現れた。

     ムハンマドの出現
     初期ムハンマド。慣行は徹底的に否定するが、人生の無常観、死生観は根本的に一致。その結論は異なる。刹那的快楽ではなく、最期の審判を畏れる。
     この時期の説教には、最期の審判の日、世界終末への緊張感、峻厳な正義の人格神への畏れが濃厚。信仰とは恐怖のこと。タクワー。
     ムハンマド=第一義的には、放埒な欲望を警告しに遣わされた警告者。

     預言者召命 
     ムハンマドの伝記で最古のものはイブン・イスハークの『神の使徒の生涯』
     父アブドゥッラー、母はアミーナ。両親は早くに亡くなり祖父アブド・ル・ムッタリブに育てられる。その後は叔父アブー・ターリブの元へ。命名アフマドあるいはムハンマド(褒め讃えられるべき者)
     第一の結婚。ハディージャからの告白。その後、生涯9人と結婚する。
     40歳の時に召命体験。この記念すべき夜を「威力の夜(ライラト・アル・カドル)」という。
     ムハンマドは悪霊(→聖霊→ガブリエル)に取り憑かれたと思って真青になり、妻の下に駆け込んだ。何度も自殺を試みた。

     メッカの預言者
     布教活動は捗らなかったが、アブー・バクルが入った。彼は市民から慕われており、商業も成功していたので教団資金がたんまり入った。その後ウマルが入信。
     偶像崇拝は多少認めた。三女神マナート、アッラート、アル・ウッザー。
     アッラーとは古い砂漠の神。偶像崇拝の一つであり、その中で至高神だった。人々が日常の小さな願い事にかまけて忘れてしまったアッラーを「聖殿の主」として思い出して欲しかった。
     しかし時が経つとセム的一神教が濃厚になり、一切の妥協をしなくなる。これを見たクライシュ族は激怒。
     ムハンマドは血の繋がりを切って、族を捨てて、メディナに逃亡。慣行に背く人は今までいた試しがない。クライシュ族は唖然とする。

     メディナの預言者
     ムハンマドは宗教家であり、かつ政治家でもあった。セム教では、政治と宗教は切り離して考えることはない。
     メッカではコーランは警告だった。メディナにおいては導き、すなわち宗教組織における立法だった。ジハードを主張。
     最初、ムハンマドは自身をユダヤ教、キリスト教と同じだと考えていた。だから啓典の民。同じ神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神を信じる。
     第一の敵はクライシュ族だった。メディナに来て最初は親しくしていたが、やがて第二、第三の敵はユダヤ教、キリスト教となった。
     二大先輩と袂を分かち、祈祷の方向をメッカに定めた(キブラ)。この時初めてイスラームが誕生。
     堕落したユダヤ教やキリスト教と区別して、歴史を越えた宗教を作る。そうした永遠の宗教として、アブラハムの宗教を目指す。永劫不変の宗教の象徴として、アブラハムの宗教を見出す。その信者をハニーフと呼ぶ。

    第二部 宗教としてのイスラ厶の性格とは何か?

     イスラムとジャーヒリーヤ
     イスラム=宗教的人間としての内的態度
     ジャーヒリーヤ=イスラムから見て非宗教的な人間のあり方。
     このように最初はジャーヒリーヤに対抗していたが、やがて無信仰と対立するようになる(クフル)

     イスラムー実存的飛躍
     イスラム 自分の意志、意欲を完全に放棄して、神に絶対無条件に依嘱すること。それを行う人をムスリムと言う。
     一旦ムスリムになると、今の世が現世(ドンヤー)というイスラム的な、特殊な意味合いで捉えられ、来世(アーヒラ)という別の存在様式と対立し、それに基づいてこの世の事象すべてが象徴性を帯びてくる。
     
     イスラム精神とジャーヒリーヤ精神
     不羈奔放で、部族以外の何物にも従わない、権威を認めないジャーヒリーヤ達は、イスラムの主人ー奴隷的関係が気に食わない

     イスラム的信仰
     およそ全ての宗教は、何かに対する信仰がある。信仰の対象を人がどのようなものとして受け取るかで、信仰の性格は変わる。
     アッラーの人格が論点。アッラーは倫理的性格を有しているから、宗教も倫理的になる。
     イスラムの信仰、敬虔とは怖れのこと。ただ怖れてビクビクするのではなく、主体的に怖れ積極的に防御する。終末論的な怒りの神を怖れ、神罰を防ぐために絶対帰依としてのイスラームで防御する。
     一方でアッラーは愛の神でもある。敬虔者には不断に、時々刻々として恵みを与えてくれる。それは徴(アーヤ)として現れる。人間の意識と、外界の現象はすべて徴。だから世界は神の恵みに満ちている。
     その慈愛に対して人が取るべき態度は「感謝」。故に感謝する人=信仰する人である。逆に、忘恩=無信仰
     メディナ移住後、一人一人の心のあり方としてのイスラムは、共同体を形成し、一つのシステム、組織(物)になった。(物化)
     宗教の物化に伴って、信仰も物化する。それは信仰箇条や教理、典礼として現れる。つまり信仰箇条化した宗教。

     宗教共同体の成立
     信仰の主体が個人から共同体に移る。今までは一人だったのが、複数で絶対帰依を実践する。
     イスラム共同体(ウンマ)からあらゆるイスラム文化が生まれてきた。
     共同体が成長すると共に、コーランの性格が終末論的緊張から現世への関心に変わる。
     現世は2種類。神の意志が濃厚で、人には知覚できない「玄界(ガイブ)」と神の意志が徴として現れる「可視界(シャハーダ)」
     この玄界と来世との関連において現世を捉え、現実生活を(立法などで)より良いものにしていくという意味で現実主義。 

     アブラハムの宗教
     共同体の条件=啓典を受けた民族であること。ユダヤ、キリスト、サバ人、ゾロアスター教徒など。
     問題は彼らとどう区別するかという自己認定(セルフ・アイデンティティ)=ウンマの特徴は何か??
     「アブラハムの宗教」を持ち出して解決。
     「アブラハムの宗教」とは。セム人種特有の人格的一神教。
     「永遠の宗教」=父祖アダム以来、連綿と続く預言者の系列によって成り立ってきた人格的絶対一神教の伝統。人類の歴史の流れに底流。しかしユダヤ教、キリスト教を経て歪曲されてしまった。最も理想的な形で具現したのはアブラハム。アブラハムこそ最初の絶対帰依者(ムスリム)。ムハンマドはアブラハムの宗教の復活を目指す。
     ムハンマドに影響を与えたハニーフたち。詩人ウマイヤ・イブン・アビー・アッサルト


     アッラーという神
     Allāhはal-ilāhが詰まってできた音。ilāhは「神」という意味の普通名詞。
     イスラム教誕生以前より存在。ジャーヒリーヤの中でよく知られていた!
    天と地の創造主、生命を護持する慈愛の神!カーバ神殿の主神(メッカの主、家の主)だった。
     以前の相対的高さではなく、絶対的高さをアッラーに求める。対峙する全てのものを否定!
     だからアッラーを他の神と並べることは大罪。(シルク)
     ジャーヒリーヤの言葉遣いにおいて、神の固有名詞とは別にアッラーを一般名詞として使っていたので、やがて抽象的に「神」を意味する言葉となり、一神へ移行。


     イスラムの預言者
     当時の詩人やカーヒン(巫者)と勘違いされた。ムハンマドは徹底的に否定。そもそもジンはサタンの手下である。一方でムハンマドはアッラーとその言葉(聖霊ガブリエル)の文言を預かっている。
     人は神の代わりに意志を代行する代理人ハリーファ(カリフ)。
     神と人は垂直的に断絶している。故にこそアッラーは真の超越者、絶対者。けれどアッラーの方から人に積極的に働きかける場合がある。それが啓示=神から人への言語的コミュニケーション。
     啓示は特殊な意識の人にしか与えられない=「預言者」。預言者の中で、啓示を人々に伝える使命を帯びた者を「使徒」という。
     コミュニケーションの条件=話し手と聞き手が同レベル。でも神と人間は垂直的。神の人に対する語りかけが可能になるために2つの異常な事態が起こる。
    ①聴者の側が、話者の接近によって精神的・肉体的苦痛を経験し、実存的に変貌すること
    ②話者が聴者のレベルまで降りてきて、聴者自身の性質を帯びること。
     

  • 新書文庫

  • 岩波文庫の『イスラーム文化』と並ぶ井筒俊彦による格好のイスラーム入門書。本書はイスラームの宗教が立ち昇る瞬間に焦点を当て、その当事者について情熱的とすら言える口調で描かれる「ムハンマド伝」と、無道時代(ジャーヒリーヤ)と言われる部族社会的、貴族的価値観を反転させるものとして生まれたその宗教性を時代私的に、意味論的に考察していく「イスラームとは何か」の二部構成。日本が誇る知の巨人、井筒俊彦の著作はどれも本当に面白く、所々で引用されるコーランの翻訳文もその重要な要素である詩情性に溢れているのが素晴らしい。

  • イスラム教生誕の経緯がテーマだけに、それ以前の「無道時代」との比較に焦点が当てられている点が参考になる。また、既存のユダヤ教やキリスト教との連続性を見る事は、一神教に馴染みのない日本人にとってイスラム教を少しでも理解するのに有意義で、本書はその一助になると思う。

  • 長い間の積ん読状態だったが、読み始めたら一気だった。ムハンマドが生きていた当時のアラブ社会の状況からいかにイスラム教が生まれてきたか語られておりとても興味深い。

  • 血筋以上に大きなコミュニティを作るという点で、宗教はある意味凄い発明なのかもしれないなんてことを考えながら読んだ。

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著者プロフィール

1914年、東京都生まれ。1949年、慶應義塾大学文学部で講義「言語学概論」を開始、他にもギリシャ語、ギリシャ哲学、ロシア文学などの授業を担当した。『アラビア思想史』『神秘哲学』や『コーラン』の翻訳、英文処女著作Language and Magic などを発表。
 1959年から海外に拠点を移しマギル大学やイラン王立哲学アカデミーで研究に従事、エラノス会議などで精力的に講演活動も行った。この時期は英文で研究書の執筆に専念し、God and Man in the Koran, The Concept of Belief in Islamic Theology, Sufism and Taoism などを刊行。
 1979年、日本に帰国してからは、日本語による著作や論文の執筆に勤しみ、『イスラーム文化』『意識と本質』などの代表作を発表した。93年、死去。『井筒俊彦全集』(全12巻、別巻1、2013年-2016年)。

「2019年 『スーフィズムと老荘思想 下』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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