夜の果てへの旅 下 改版 (中公文庫 い 87-5)

  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (427ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122043053

感想・レビュー・書評

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  • 扉を開けると、有名なエピグラムが現れる。「旅に出るのは有益だ、想像力を働かせる。それ以外はすべて失望と疲労をあたえるのみだ。・・・目を閉じさえすればよい。すると人生の向こう側だ」。
    そしていきなり、言葉の奔流に投げ込まれる。生田耕作の独特な訳文も預かっていると思われるが、この、貧しく愚かな人々を食って膨れ上がる狂気と貪欲に満ちた世界に対して語り手が投げつける呪詛と罵倒は圧倒的である。
    「犬より始末が悪いことに、奴には自分の死が想像できんのだ!・・・こんなやつらと一緒では、この地獄のばか騒ぎは永久に続きかねない・・・するとおれはこの世でたった一人の臆病者なのか?・・・英雄気取りの、猛り狂った、ものものしく武装した二百万の人間の仲間に迷いこんじまったのか?・・・戦争の真っただ中に実際に飛び込むまでは、人間どもの勇敢で無精で穢れた根性の中に潜んでいるものを、誰が見抜けるだろう?今や僕は、大量殺戮と戦火目指しての総退却の中に巻き込まれてしまったのだ・・・こいつは根深いところからやってくるものだ、そしてそいつはついにやってきたのだ。」
    こうして、感激しやすい二十歳の医学生だったバルダミュは、夜の果てをのぞきこむ旅へと出発する。英雄気取りの将軍たちの気まぐれで兵士たちが肉塊へと変えられる第一次世界大戦の前線へ、その狂気を娘たちが賞賛し煽り立てる後方へ。この最初の移動を通して、青年は世界の真の顔に気づき始める。貧乏人に許される死に方は、平和時に同胞の完全な冷たさによって殺されるか、戦争の到来とともに同じ連中の殺人熱によって殺されるか。大きな手に生殺与奪をつかまれたちっぽけな人間たちは、にもかかわらず、教育をたたきこまれ、まだ終わりではないかのようにふるまい続けなくてはならない。
    この絶望的なヴィジョンは、自分たちの方が黒人よりましだと信じる下層白人たちが資本家のために半奴隷労働に従事するアフリカの植民地へ、金さえあれば夢のように美しい資本主義の聖地アメリカへと、バルダミュが移動をくりかえすごとにむしろ明確になり、そして後篇、バルダミュが物理的移動をやめた時から、より暗く深い夜の底へと、重さを増していくことになる。
    開業医となって落ちついたかのように見えるバルダミュが貧民窟の底でのぞきこむのは、弱い者がさらに弱い者を食い物にし、いがみ合い殺し合う人間たちの醜悪さであった。犠牲になるのはこのような世界の中でも笑いを見出そうとする子どもたちであり、そんな子どもたちを救えないバルダミュ自身もまた、弱い者たちから盗み取る卑劣漢のひとりに過ぎないことを、いやむしろ、そんなふうに意地悪な彼らよりも、なお魂を腐敗させた者であることを、彼は今や感傷なく呑み込んで夜の果てへと逃亡を続ける。彼の人生に舞い戻ってきたロバンソンを道案内にしながら。
    それにしても、このロバンソンとはいったい何者なのだろう。初めて戦場で会った彼はバルダミュよりもたしかに年上だったはずなのに、最後に「国民射的場」に戻ってきたバルダミュは、自分が彼より「十以上も年上なんだぜ」と話しかけて、まじまじと見つめ返されている。旅の先々で彼を夜の果てへと誘い続けたこの謎の男が、ついに彼を置き去りにしてこの世から走り去るとき、バルダミュは、いつのまにか、自分が彼よりもはるかに老けこんでしまったこと、もう自分の彷徨の旅が果てに行きついてしまい、自分には死ぬために必要なものさえ何一つ残されていないことに気づくのである。
    本書が発表されたとき、セリーヌを反戦主義者、社会主義者とみなす向きも多かったというが、この絶望の書は、社会などよりも人間へ、自分自身へと向けられているからこそ、なお恐ろしい。しかしこの恐怖と絶望の言葉の中には、まぎれもない真実とともに、謎めいた余白があって、それが人を引きつけずにおかないように思われるのだ。バルダミュは、なぜロバンソンを必要とし、彼を創りあげたのだろう。夜の果ては闇に包まれているが、その闇はおそらくただ一色ではない。

  • 世界を巡る放浪の旅からパリに戻り、開業医として新たなスタートを切ったバルダミュの人生。彼のそばを離れない男ロバンソン。意外な結末…。

  • <10年ぶりに下巻に手をつけて決着へ!>


     上巻があまりにも汚らしくて愚かじみて暗く、以後10年ほど放置していた『夜の果てへの旅』! ようやく下巻にたどりつきました★

     その後のバルダミュは、しばし異国を転がり歩きます。アフリカへの旅では「人間が怖い」と感じ、アメリカ暮らしでは「文明都市が怖い」と感じ、どこでも不快な体験をしては病んだ反応を繰り返す……。バルダミュのクズ男ぶりは健在でした★ いちいち屁理屈と言い訳が多くて、面倒くさい奴なのです。一方で、翻訳の影響もありそうですが、不思議とリズミカルな名調子で畳みかけてくるから、妙に面白く読めちゃったりする★
     ただ、この文明社会とかいうのは、おかしなところに違いありません。社会に適応し切れる人間のほうが怖いよな~というのが、至極まっとうな見方だと思うのです。そうは言っても、文明社会の出身者にとっては、今そこにある社会に適応しようとしない人間というのもまた、恐ろしげで野蛮に見えることが多いわけですが……

     下巻で、バルダミュはパリに戻って真面目な医者となります。しかも、自ら進んで困窮者を診療するのです。けれども心の奥底は変わらず、社会も人間も信じられない。ゆえに、またしても面倒くさい文句をぶつくさ宣います★ 彼は、どこで何してても何がしかを嫌悪する達人なのですね!
     さて、これほどバルダミュがあちこち移ってきたのに、ずっと彼につきまとい続けてきた悪友・ロバンソンなる存在がいるのです。善行と言えるような行為をしながらも人間不信のバルダミュと、ためらうことなく悪事を目論むロバンソンの腐れ縁★ この二人に別れの刻がやってきます。
     バルダミュその人が世に絶望して破滅するのではなく、彼の影のようだったロバンソンが自ら過失を犯して消えていった。そんなにすっきりするような終わり方ではなかったけれど、この終幕は、バルダミュの病んだ部分がとれたことを意味しているのでしょうか……?

  • 「僕らが一生を通じてさがし求めるものは…生命の実感を味わうための身を切るような悲しみ」
    医師、軍人、国連職員そして文壇の寵児として名声を浴びながらも、その過激な思想から戦犯となり貧困の末に死に、死後教会から葬儀を拒まれ、未だ作品集の公刊を阻まれ続けているというセリーヌの自伝的小説。この小説は絶望に満ち、怒りと糾弾に溢れている。重く、ストレスの溜まった話だ。喜びや幸福を求めない「僕」の素直でない歪んだ解釈に、現代の我々がどこまで感情移入できるのか。出来たら出来たで怖いのだが。キツイ本です

  • あんまりこういう文体が得意じゃない、だが仕事がいやになった昼休憩に読むととてもよかった。

  • 「人生は登り道じゃない、下り道だ」
    『夜の果てへの旅』

  • 文学

  • 作品としての良し悪しよりも、これが評価される状況というのはちょっとわかりにくい

  • 戦争や価値観の変化に翻弄される人々。おおざっぱにいえば、前者は上巻、後者は下巻に記載されている。筆者自身が主人公として形式的には記載されているが、彼が描こうとしているのは当時の最下層の人々の姿であったに違いないと思う。

  • 目まぐるしく情景の変わる上巻とは趣を異にして、付かず離れずの友人関係や近隣関係をダークに描写している。上巻でセリーヌ節に慣れたニヒリストには気持ちのいい文体。読後はなぜか爽やか。

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著者プロフィール

Luis-Ferdinand Celineは筆名。一八九四年、パリ西北部の都市クールブヴァに生まれ、貧しさのなかで独学で医師免状を得る。第一次世界大戦で武勲をたて、復員後、国連事務局につとめ、各国を遍歴。のちパリの場末で医師を開業。一九三二年、『夜の果てへの旅』で一挙に作家としての名声を確立したが、反資本、反ユダヤ主義の立場からフランスを批判し、第二次世界大戦後戦犯にとわれ、亡命先のデンマークで投獄された。特赦で帰国するも、六一年不遇と貧困のうちに没す。

「2021年 『夜の果てへの旅(下) 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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