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Amazon.co.jp ・本 (240ページ) / ISBN・EAN: 9784122043176
みんなの感想まとめ
音楽と文学の巨匠による対談は、個としての存在を重視しつつ、公共性や他者への「伝達」を真剣に考える姿勢が特徴です。大江健三郎と小澤征爾は、閉鎖的な日本社会の現状を批判しながら、互いの分野での探求を通じて...
感想・レビュー・書評
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ハーバード大学から同時に博士号を授与されたのを機に実現した、大江健三郎と小澤征爾の対談。
2000年前後の対談だそうだけれど、
社益、ひいては国益という語彙を頻繁に口にするようなシステムに隷属する人間ではなく、まずは個として立ち、同時に公共性も考えていけるような、大江氏のいう「新しい人」たちはまだこの日本にはそれほど現れていない。
同時に、この当時に2人が憂えている以上に、移民や他文化に対する鎖国的状況や分断はすすんでいる。この状況を見て彼らはどう発言するだろうと想像しながら読んだ。対談当時はまだ根拠のない希望が感じられるものの。
とはいえ、クラシック音楽界に限っていえば、本書で小澤氏が実現したいと願っていた状況に少しずつ近づいているのではないかとも思う。海外の大物たちを招いたコンサートをする一方で、日本人演奏家だけの内輪の演奏会が行われているという、いずれにしても排他的状況。この日本特有のダブルスタンダードはじょじょに改善されつつある気がする。
どちらかといえば小澤氏のいかに音楽を作り上げていくかに関する情熱的な話が面白いのだけれど、大江氏は大江氏で独特のユーモアがあって、両者ともについ聞き耳を立てたくなる。
両者ともに共通しているのは、いかに他者に「伝える」かを文学、音楽を通じて真剣に考えていること。その、彼らなりの方法論というのはさすがに長年の経験に裏打ちされていて読み(聞き)応えがある。
また、世代をこえて、長い目で見て、彼らが発見したものを伝えていくことにもどちらもかなり関心を抱いていて、これには敬服する。この、自分たちが死んだあとのことをどれほど具体的に考えられるかどうかという点にこそ、真の知性のあかしがあると実感。
でなくてコスト・パフォーマンスの向上に知的コストの大半を注ぎこむということがいかに愚行であるかを思い知らされてちょっと反省。
(大江氏が音楽について言及するさいによく参照する、エドワード・サイードの音楽論を読んでみたくなり、対談を読了後に購入) -
大江健三郎と小澤征爾という、ボクにとっては一世代上の、文学にしろ、音楽にしろ、それぞれの作品や演奏を、時に指標として、時に励ましとして受け取ってきた二人が、同じ年に生まれ、2023年3月、2024年2月、ほぼ同じ年に、同じ年数を生きてなくなったことは、「われらの時代」の終わりを、イヤもオウもなく実感させられてショックでした。
今となっては古い本ですが、それぞれの語り口に、それぞれの人柄を感じながら思い出にふけりました。
ブログにもあれこれ書きました。
https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202402170000/ -
メッセージ性が高い、良い本
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2019/06/10 読み終わった。
バイオリンの先生が小澤征爾好きで、文庫を3冊いっぺんに貸してもらった。じっくり読んだ。小澤征爾は、音楽にとことん真摯であった。
3冊の中では、この、大江健三郎との対談が一番面白かった。文豪は話すのも上手いのかしら。音楽の普遍性と文学の普遍じゃない話が印象に残った。 -
面白かったと思う。小澤征爾さんのナチュラルな感性みたいなのが何か大切なものを貫いているのがわかる。大江健三郎さんについても、対談の話を聴く範囲では、ひとりの文学者として面白いと思う。現実でやってる政治的な発言は支持せず聞こえて来るのはろくな話でないものばかりだったが率直な大江健三郎について知るいいきっかけになったかもしれない。ひとつ思ったことは特殊な人だということかもしれない。
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ともに1935年生まれの二人が、音楽や日本といったテーマをめぐって交わした対談を収録しています。
それぞれ音楽と文学の世界で世界に認められることになった二人は、随所で日本人の閉鎖的な性格を批判しています。しかしながら、みずからの人生を、「中国生まれの東洋人で、日本語しかできなかった男が、どうやって西洋の音楽を、死ぬまでにどこまで分かるようになるか、どこまでいけるか、という実験」と語る小澤と、「僕は、親父から伝わってきたものをいま持っている、それをみがいて、もっといいものにして子供に伝えてやろう」と語る大江という二人の生きかたを「デラシネ」と呼ぶのは、すこし当たらないように思います。というのは、明確には述べられていないものの、音楽と文学が「開かれた共同性」を実現する可能性をはらんでいることに両者ともに気づいているからです。このことが、本書のかくれたテーマになっているのではないかという気がします。 -
様々な議論。固いのかと思っていたらけっこうざっくばらんに分かりやすく色々なお話をしている。光くんのお話とか。音楽のお話もおおい。読んでいるときにひたすら考えていたのは、わたしの人生とこのひとたちの人生は何が違うのだろう、ということ。文学に選ばれ、音楽に選ばれ、天才と呼ばれてきたお二人だけれども、最初から自分がそうなれるという確信はそんなになかったようで、そしたら何が彼らを芸術にかりたてたのだろうか、とひとしきり考えて、でもわたしは芸術にかりたてられることもなく、なんとなくふわふわと生きるのかとか、リスクとか人生の決断とかそういうレベルではなく、何か見えない手みたいなものに導かれ、こういう人たちはやらざるを得なかったのかとか、なんかそういう、色々考えていたらけっこう悲しい気持ちになってきて、涙でた。
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2000年台に入ったばかりの時の対談ではあるが、今の時代に照らしても問題点として考えられないといけないと感じられることがかなりあった。
師弟関係について、子どもとの関係について、日本人の鎖国性と国益という考え方についてなど、とても素敵な対談であると感じた。 -
坂書房で購入して、実家で読む。読みやすい対談でした。完全に、かみ合う対談ではありませんでした。僕が興味を持ったのは、バーンスタインの予言です。交響楽は滅びると予言したそうです。そのため、現在、交響曲を作曲する人はあまりいないそうです。多くの作曲家は室内楽にシフトしているそうです。僕も、バーンスタインの予言に同感です。オーケストラは、経済的に大変です。米国の有力オーケストラは、日本と比較して、経済的に恵まれています。これは、有力オーケストラが、豊富な寄付金に支えられていることを意味します。全収入のうち、入場料収入の占める比率は、20%だそうです。その他の大部分は、民間を中心とした寄附に依存します。つまり、経済的には、ペイしていないのです。室内楽は、寄附なしで、どうにかやっています。寄附が集まらなくなると、恐竜のように、オーケストラは滅びるかもしれません。
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再読必須
新しい人、Mediator、Oneness、Passion、個人>Institution
日本は閉じては決してダメだ。
ダブルスタンダードではダメだ。 -
村上春樹との対談本と比較できて良かった。しかし私が大江健三郎を読んだことがないのが残念。
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おもしろい。
大勢で創る音楽と、個人で創る文学と、その違いはあれども、それぞれの作業で考えていることは同じ。
(音楽だって個人でする作業はあるし、文学だって他者との繋がりかたの形の一つだと考えているから)
引用したのは序の、過去のこの本の対談の40年前の対談の部分。 -
インタープリター
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(2004.06.18読了)(2004.06.04購入)
副題「音楽、文学が僕らをつくった」
二人とも1935年の生まれ。2000年6月におそろいで、ハーバード大学の名誉博士号を受けられた。それを機会に対談してもらった。
大江健三郎さんの息子さんの光君が、音楽をやっているので、大江さんが小澤さんの音楽についての話を聞くという形で対話が進められている。
小澤さん「僕は子供が二人できたときに、この子供たちのためならば、音楽なんかやめちゃってもいいと思った。子供たちにちゃんと食い物が与えられたら、あちこち世界中を回らなければいけない指揮者なんかやめちゃってもいいと思った。人間というのは本当のエネルギーになるものは、案外すごい身近にあるんじゃないかなあと思っているんです。」
(大リーグに挑戦した佐々木投手も子供たちのために日本に戻ってしまった。)
大江さん「僕は、最初一つ日本にない小説を作ってやろう、というふうに始めたんですけど、人生のあるときから、身近にある、生まれてきた障害のある子供が、生きることと仕事とのエネルギーのもとになりました。」
大江さん「光が音楽の法則に反することを書くことがあります。ピアノを弾く場合の指の使い方、どの指がどこを叩くか、あるいはヴァイオリンなら指の押さえ方が普通と違った順序になるように書く場合があって、演奏しにくい言われることがあります」
(純粋に出したい音をもとに作曲するのだろうから、・・・。作曲家というのは、楽器の演奏方法についても気を配らないといけないとは、知らなかった。)
小澤さん「僕は、言葉に関しては全く下手ですが、親父はもっとひどい人手ね。ヨーロッパへ行くときに僕は全然フランス語が出来なかったの。ドイツ語も出来ないし、英語も出来なかった。「お前、どうするんだ」って兄貴たちが訊いたら、親父が「征爾な、話したい奴の目を近くで見ろ。それで自分が思ったことを、日本語しかお前は出来ないんだったら日本語で言ってみろ」と、そしたら何割か必ず通じるというんですよ。」
大江さん「現在のテレビは完全に消費文化で、テレビが映っている間だけ消費されるものです。バラエティー・タレントという連中が集まって、面白おかしい話をする。それも昔の言い方なら「楽屋落ち」で一貫して。」
(何らかの芸で、笑わせているのではなく、個人の馬鹿さ加減やくだらなさ加減を笑われているだけ。)
【目次】
僕らは同じ年に生まれた 大江健三郎
若いころのこと、そして今、僕らが考えること
芸術が人間を支える
〝新しい日本人〟を育てるために
語り合えてよかった 小澤征爾
解説 尾崎真理子
著者 大江 健三郎
1935年 愛媛県生まれ
東京大学仏文科
1958年 「飼育」で芥川賞受賞
1967年 「万延元年のフットボール」で谷崎潤一郎賞受賞
1973年 「洪水はわが魂に及び」で野間文芸賞受賞
1982年 「「雨の木」を聴く女たち」で読売文学賞受賞
1994年 ノーベル文学賞受賞
著者 小澤 征爾
1935年 中国・奉天生まれ
桐朋学園短期大学卒業
1959年 フランス・ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝
1973年 ボストン交響楽団音楽監督
2002年 ウィーン国立歌劇場音楽監督 -
お二方が同い年ってこと知って何となく購入しただけの対談集
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二人の偉人の対談。大江の考えには深く共感。
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