蕭々館日録 (中公文庫 く 11-4)

著者 :
  • 中央公論新社
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感想 : 14
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  • Amazon.co.jp ・本 (457ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122043756

感想・レビュー・書評

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  • 十年以上ぶりに再読。
    とても匂いの強い小説。もちろん、強く感じるか、好ましいかは好みによる。
    物語の構造、登場人物の諳んじる引用や文体模写など、色々な相でオマージュがちりばめられている。
    オマージュが重なり、一つの時代の終わりのオマージュになっているように感じた。
    物語の中で終わる時代は大正だけど、文章から感じたのは昭和歌謡の雰囲気。
    作者が生きた時代にとっての前の時代が大正で、自分にとっての前の時代が昭和だからだろうか。
    昭和の良いところを思って感じる空気と、この小説から感じる空気は少し似ている気がする。
    もやっとした色気があって、甘いような悲しいような。

    もう一つ描かれる時代の終わりが、一人称である女の子が6歳(小児)になることで終わる、5歳までの幼児時代。
    「ませている」では済まないめちゃくちゃ成熟した精神と感受性の女の子が自覚する自分の一つの時代の終わり。これも甘いような悲しいような。

    各章、物語の舞台となる嘯々館の或る一日の様子が描かれている(終章だけ一日ではない)。
    どの日もたいしたことは起こらない。主に、好きなものが近いおじさんたちが人んちに集まり、酒を飲み楽しんでいるだけ。
    本当は、楽しんでいるだけに見えて、みんなが一人の人を心配し、それぞれのスタイルで愛を送っている。
    愛とかいうと大げさに聞こえるけど、言い換えれば、関係してるということ。
    登場人物たちのそれぞれの関係のしかた(愛し方)は様々で、おおらかだったり意地っ張りだったり極端に憧れすぎていたりだけど、そんな色んな人が集まった様子は清々しく、その様子がまた愛おしい。

    「眼中の人」(目に入れても痛くないほど愛しい人)という言葉がたびたび出てくる。
    嘯々館の主、小島政二郎の実在の作品名でもあり、「眼中の人」である菊池寛や芥川龍之介への思いが書かれているエッセイ。
    これも昔読んでずいぶん熱い気持ちになった記憶がある。続けて再読してみようと思う。

  • 久世流 〝吾輩は猫である〝 的作品。
    主人公である幼女麗子から見た視点 実在をモデルした文豪たちをシニカルに、時にコミカルな情景で語られる。
    迫りくる不吉な影はある一つの時代と一人の小説家の終わり。怪しく艶っぽく描かれる、おそらく芥川龍之介こと九鬼が兎に角魅力的である。久世光彦氏の長編小説の最高傑作だと思う。

  • 101:オンノベ作家のTさまにお勧め頂いた歳の差もの。こちらの方面にも教養がない私は、最後の最後まで7月24日という日付に意味を見出せなかったのが悔しいです。はじめときめいていたのが、章が進むごとに妖しい美しさと恐ろしさを帯びていくのが、日本文学的で素敵でした。麗子ちゃんが(あまり一般的でない)五歳だという設定ゆえでしょうか。面白かったです。

  • 2014/06/10

  • 久世さんはやはりロマンを感じる。ゴシックな風味がおいしい。主人公がかわいいです。若者は、懐古に目を向けろ!大正ばんざい!

  • 読書日記。

    芥川龍之介に近しい、そこそこの作家の、いろいろと奇妙な文士たちとの交流や、暮らしをその娘の目を通して描く。

    うまくて、ゆたかな小説。
    他愛なく楽しい雰囲気と不吉な雰囲気の同居。

    (2009年07月05日読了)

  • 猫ならぬ五歳の女の子の目を通して紡がれる、久世版「吾輩は猫である」。
    五歳児設定は無理がある。無理があると思うが、面白いのでまあいいか。偽名で登場する著名人の行動や会話ににやにやしてしまいます。
    大正から昭和へ移り変わる慌ただしい時代の、それでものんびりと過ぎゆく日常。
    つっこみいれたり笑ったりしながら読んでいたのに、読み終わったあとはなんとなくほろ苦い。過ぎた時代への郷愁と、物語の裏にあるちりばめられた死の気配のせいだろう。

  • 蕭々館に集う作家たちと、小さな女の子麗子の日々。だらしがなくて弱っちょろいけど常に女の人が放っておかない九鬼さんと麗子の関係がうらやましい・・・

  • 久世光彦の長編は初めて読んだが、面白かった。小島政二郎の家に集まった芥川龍之介、菊池寛などの作家、文化人達の行状録。語り手の少女麗子が魅力的にして不気味。モデルはあるものの、殆どはフィクションだろう。大正から昭和にかけての文壇の様子や雰囲気が覗える。

  • 芥川龍之介、菊池寛、小島政二郎などをモデルにした登場人物らが、夜ごと「蕭々館」に集まり文学談義などを繰り広げる様を、蕭々館の主人・児島(小島政二郎)の娘・麗子の視線から描いた物語。
    大正の終わりを、芥川龍之介がモデルになっている九鬼を、印象的に描いてある。

    登場人物のモデルになった作家を知っていればとても楽しめると思う。
    正直、俺には難しすぎたので感想は適当に。

    読む前は蕭々館がメインなのだとばかり思っていたが、実際に読んでみると麗子と九鬼の交流を描いた作品だった。大正が終わることを恐れ、死んだ母を思い傷付き、狂うことを恐れ、病んでいく九鬼。その九鬼を大人の女性のように、また母のように、時には歳相応に恋し、見守る麗子。
    麗子は5歳という設定にも関わらず妙齢の女性のような色気を持つ。大人のような知識もある。だけど時折見せる子供らしい振る舞いがその違和感をなくしている。麗子の口で語られる九鬼の描写もまた色っぽい。彼のやること成すことにハラハラもドキドキもさせられる。

    難しいことは解らない。昔の文壇もワカラン。
    ただ九鬼さんがカッコ良くて仕方ない。

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著者プロフィール

久世光彦

一九三五(昭和十)年、東京生まれ。東京大学文学部美術史学科卒。TBSを経て、テレビ番組制作会社を設立、ドラマの演出を手がける。九三年『蝶とヒットラー』でドゥマゴ文学賞、九四年『一九三四年冬――乱歩』で山本周五郎賞、九七年『聖なる春』で芸術選奨文部大臣賞、二〇〇〇年『蕭々館日録』で泉鏡花賞を受賞。一九九八年紫綬褒章受章。他の著書に『早く昔になればいい』『卑弥呼』『謎の母』『曠吉の恋――昭和人情馬鹿物語』など多数。二〇〇六年(平成十八)三月、死去。

「2022年 『蕭々館日録 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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