完璧な病室 (中公文庫 お 51-4)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (244ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122044432

感想・レビュー・書評

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  • 医療技術が発達した現代社会。かつて不治の病とされてきた多くの病気が年を経るごとに治癒されるようにもなってきた現代社会。その一方で新たな病気の存在にスポットライトが当てられ、また古の世から未だ治療方法が見出せないままの病気も存在します。そんな中では、

    『どれくらい、生きられるでしょうか』。

    という患者の身内からの問いに、

    『十三から、十六カ月でしょうか』。

    そんな答えが医師からなされる可能性は十分にあるのだと思います。しかし、

    『十三カ月で人は何ができるのだろう』。

    余命を知らされたからこそ人は余計にそんな数字が意味するところを考えてしまうところもあるのだと思います。『赤ん坊なら立って歩くことを覚える。浪人生は大学生になり、恋人同士は夫婦になる』。『十三カ月』とは長いようでいて、極めて短い時の流れとも言えます。人はそれだけの時間があればさまざまなことを成すことができる、それが『十三カ月』という時間の意味するところだと思います。しかし、それは健康あってのことです。病室に閉じ込められその時を待つ、こればかりは経験したことのない者が安易に語れるものではないと思います。

    さて、ここに余命『十三から、十六カ月でしょうか』と宣告された弟を看る姉が主人公となる物語があります。『かわいそうで、絶望的で、遣り切れなくて、淋しくて、これらが全部混じり合って…』と複雑な感情の中にある女性の姿が描かれるこの作品。それでいて、そんな女性が『残飯もない、油の染みもない、埃を吸い込んだカーテンもない。当然、腐りかけたきゅうりや、黴のはえたオレンジもない』という『生活がな』い病室を好きになっていく様が描かれるこの作品。そしてそれは、”モノ”にこだわる執拗な描写が魅力の小川洋子さんのデビュー作を含む短編集です。

    『弟のことを考える時、わたしの胸は石榴が割けたような痛みを感じる』と思う主人公の『わたし』。『二人きりの姉弟で、両親の愛情にあまり恵まれなかった』という『わたし』は、『弟が』『二十一』という『信じられないくらいの若さで、死んでしまった』ことをそんな痛みの原因だと思います。『瀬戸内の小さな町の大学に行』ってしまった弟から『救いの電話』を受けた『わたし』。『近所の医者が、大きい病院で治療したほうがいいって言うんだ。姉さんの勤めてる大学病院、紹介してもらえないかなあ』と話す弟。そして、『文句のつけようがないほどの秋晴れ』の日に帰ってきた弟。『瀬戸内の小さな町の病院で受けた診察のデータ』は、事前に『わたしのボスである消化器外科の教授』、『血液内科の教授』、そして『主治医となるS医師の元へ送られてい』ました。このことによって、『さまざまな特別な検査の予約がなされ、十五階西病棟の個室が用意された』という展開。『弟の病気を受け入れる準備は、完璧すぎるほど整ってい』ました。『久しぶりだね、姉さん』、『う、うん。元気そうね』という姉弟の再会。少し不安げな弟に『きっとうまくいくわ。まず慣れることが大切よ… 病気とか病院とか』と声をかける姉に、弟は、『うん』と、『子供のようにうなず』きました。『その時初めて』『自分の中に、いとおしいという種類の気持ちがあることを知った』という『わたし』。すぐに診察に出て行った弟を見送り、病室に一人残された『わたし』は、『この病室の清潔さは、わたしを安らかな気分にした』と感じます。そしてそれは、『母親との薄汚れた雑然とした生活のせいだと気づ』きます。『偶然に立ち寄った銀行で強盗事件に巻き込まれて、犯人に射殺された』という母親のことを思い出す『わたし』。そして、数日後、『弟の病状を説明する必要がある』と『わたし』を呼んだS医師は、『弟さんは… 困難な状況にあります』と語ります。『どれくらい、生きられるでしょうか』と訊くとS医師は『十三から、十六カ月でしょうか』と説明しました。『胸の中で、熟れすぎた果肉がべちゃべちゃと潰れていくように気持ち悪く息苦しくな』る『わたし』に、『まず、生きることから考えましょう。彼のためにもあなたのためにも…』と続けるS医師。そんな残り少ない弟の人生と向き合いながら、病室に通う『わたし』のそれからが描かれていきます…という表題作でもある冒頭の短編〈完璧な病室〉。小川洋子さんらしい”モノ”にこだわる硬質な表現が、終始ひっそりとした独特な空気感の中に描かれていく好編でした。

    1991年に「妊娠カレンダー」で第104回芥川賞を受賞した小川洋子さん。この作品はそんな起点の年からわずか二年前、1989年に発表されたデビュー作「揚羽蝶が壊れる時」を含んだ最初期の短編四編から構成されています。短編間に緩やかな繋がりを感じさせはしますが、基本的には独立した短編となっています。そして、驚くのはその作風がその後発表された数々の名作同様に小川さんらしさをすでに十二分に醸し出されている点です。そんな小川さんらしさを感じさせるポイントを三つ抜き出してみたいと思います。

    まずは、”美しい日本語表現”です。私にとって小川さんの作品を読み始めて16冊目になるのがこの作品です。刊行年ランダムに読んでいるために厳密な比較はできませんが、一般的な意味でいう、”美しい日本語表現”、その中でも比喩表現は初期の作品の方が多いような印象があります。この作品でもこんな感じでサラッと使われていきます。

    ・『家族とか家庭とかいう言葉を耳にした時、それだけが特別仕立ての言葉のように思え』るという主人公の『わたし』は、そんな言葉を『どうしてもさらりと聞き流せない』という中に生きています。そんな『わたし』が、行動に移したらどうなるか、それをこんな風に表現します。
    →『けれど実際手にとってみると、言葉の中身は空洞で、空缶のようにカラカラとわたしの足元を転がってゆく』。

    まさかの『空缶』の例えが登場します。これは見事です。他にも『空缶』を使ってこんな表現も登場します。

    ・サトウの行動に『迷惑してうんざり』する『わたし』ですが、『本当に不快にさせたのは、ごめんなさいという文字だ』と彼が残した黒板の伝言を読む『わたし』。その理由をこんな風に説明します。
    → 『わたしは、空缶を転がすようないい加減さで、ごめんなさいとか頑張ってとか言われるのが嫌いなのだ』。

    同じ『空缶』を用いた比喩表現ですが、その比喩から感じられる『空缶』の印象は全く異なります。同じ”モノ”を比喩に使ってもこんなにも見えてくる世界観を変化させることができるのは流石だと思いました。

    次に、二つ目は”モノにこだわる表現”です。小川さんの作品では、ある場面を描写する際に、その空間に存在する”モノ”を無機的なまでに淡々と並べて表現する場合が多々あります。慣れないうちは、なんなんだ!とイラつく方もいらっしゃるかもしれませんがこれこそが小川さんの小説をしばらく読まないと禁断症状が出そうに病みつきになるものでもあります。今回、デビュー作〈揚羽蝶が壊れる時〉にそんな表現がなされているのを見つけて思わず、おおーっと声を出してしまいました。

    ・『わたしは部屋にあるすべての物の影を目で追いながら、自分の正常さを数え上げていた』という場面。
    → 『蛍光灯、冷蔵庫、蛇口、三面鏡、乳房、眠り、ミコト、血液』。

    さらに、再度順番に見渡す『わたし』。

    → 『蛍光灯、冷蔵庫、蛇口、三面鏡、ハンガー、バターケース、ラジオ』。

    いろんな”モノ”、目に見える”モノ”をただただ並べていくこの表現。そんな表現二つは最初と二つ目で微妙に異なります。作品では、その差異に『最初からやり直さないではいられなくなる』と『わたし』の感情が綴られます。『わたし』がさまざまな”モノ”に囚われていく一種の狂気とも言える描写。”モノ”にこだわる表現はその後の小川さんの作品には定番となりますが、こんな風にあっさりと終えない描写はこのデビュー作ならではのものではないか、そんな風にも思いました。

    最後に三つ目は、”ハッとするような表現”が唐突に埋め込まれているところです。

    ・『誰かが死ぬと、残された人たちはみんな、その人にまつわるいろんな後悔を背負って生きていかなくちゃいけないんだね』。

    ・『一緒にいる楽しさよりも、いないつらさでその人の大切さが胸にしみる時、わたしはその人を特別に愛することができる』。

    いずれも何かの教訓のような一文ですが、上記した”モノ”の羅列が目立つ分、このような”ハッとするような表現”がいきなり登場する不思議感はあります。四つの短編は書かれた時期も同じくらいで、いずれの短編にも上記のような特徴を垣間見ることができます。小川さんの作品は読んでいる時に作品の雰囲気感に没入できるかどうかで読後の印象が大きく変わってくるように思います。これから読まれる方には上記した特徴を頭の片隅に置いていただけると、”小川洋子ワールド”をより楽しめるのではないかと思いました。

    そんなこの作品では、それぞれに登場する主人公たちがどこか危ういラインのギリギリにいるような描写が心をざわつかせます。そんな中でも表題作〈完璧な病室〉の主人公『わたし』は印象的です。『二人きりの姉弟で、両親の愛情にあまり恵まれなかった』という姉弟が登場するこの作品では、作品冒頭に『弟が、信じられないくらいの若さで、死んでしまった』ことが記されます。しかも『誰だって、二十一の青年の死を容易に想像することなんてできないだろう』と続く一文を読むと、その若すぎる死に、一気に沈鬱な気分に晒されます。そんな気分の中に『弟はわたしにとってあまりにもいとおしい存在なのだ』と心情を吐露する主人公の『わたし』。物語は、そんな前提を読者に提示した上で、弟が生きていた時代を描いていきます。そこに描かれていくのは、『弟の病気を受け入れる準備は、完璧すぎるほど整っていた』という書名の「完璧な病室」に繋がっていく表現の数々です。『きっとうまくいくわ』という姉の言葉を『うん』と『子供のようにうなづいた』弟。そんな弟の余命を『十三から、十六カ月でしょうか』と姉に説明するS医師。このような前提に近い小説は他にもありそうです。しかし、そういった小説群は、悲壮感に溢れ、読者の心を激しく揺さぶるいかにも”ドラマ”な物語が多いように思います。しかし、小川さんのこの作品からそのような熱量は一切感じられません。ただただ静謐に、硬質に、温度を全く感じさせない雰囲気感に終始包まれたままに展開していきます。後半にえっ!と思う展開に驚かされますが、そんな展開さえ、物語の雰囲気感を崩すまでにはいたりませんが、『病室を好き』になっていくという主人公の『わたし』の危うさは逆に極まってもいきます。う〜ん、これぞ小川洋子さんの作品世界。最初期の作品を読んでも唯一無二の”小川洋子ワールド”がそこにあることを強く感じました。

    二十一歳で亡くなった弟の最期の時の記憶を描く〈完璧な病室〉、呆けてしまった祖母に逆に自身を見つめる主人公を描く〈揚羽蝶が壊れる時〉、中学の同級生の死をきっかけに死というものに囚われだす〈冷めない紅茶〉、そして、孤児である純の飛び込み姿と同じく孤児のリエの泣く姿を見る主人公の歪んだ感覚を見る〈ダイヴィング・プール〉という四つの短編が収録されたこの作品。そこには、今に繋がる小川さんの個性がすでに顔を覗かせていました。”モノ”にこだわる小川さんらしさに安堵するこの作品。静謐で、硬質感ある表現にうっとりもするこの作品。

    デビュー作から小川さんは小川さんだったという、なるほど感をとても感じた、そんな作品でした。

  • 「完璧な病室」と「揚羽蝶が壊れる時」の二篇、著者がまだ二十代後半の頃の作品だけど特徴がしっかり現れていて興味深い。
    丁寧な日本語遣いと静謐な表現、癖になる偏執的な展開などこれぞ作者ならでは♪
    まだ後ろにバーコードの無い旧い本で読みましたが作者の原点を読めてよかった。
    でもやっぱり「博士の愛した数式」の印象が鮮烈に残っていて、わたしにはベストです。

  • 個人的な好みで言うと、『冷めない紅茶>>>>>完璧な病室>>>ダイヴィング・プール>=揚羽蝶が壊れる時』という感じ。特に、『冷めない紅茶』を読んだのは二度目だったのだけれど、静かで、狂おしくて、さみしくて、うつくしい話だなあと思った。
    小川さんのお話を読んでいると、何だか拷問道具を眺めているような気分になる。残酷で、とてもうつくしい。

  • 柔らかい文章と切ない表現の中にゾッとする感情
    初期の小川洋子作品の特徴のように僕は思っている
    それがとても心地よくて、切なくて温かい

  • 小川洋子さんの書く文章は、生の臭いが強い。口臭の臭い。しかし、クセになる臭いだ。
    完璧な病室とダイヴィング・プールという、2つの姉妹的な短編に挟まれた揚羽蝶が壊れる時、冷めない紅茶の不穏感。読者をザワザワさせて、物語を終わらせる感覚。しかし、4つの話に出てくる男の共通した諦観さは、私を不穏にさせた。

  • 表題作の「完璧な病室」での姉と弟の永遠に近いような場面場面が印象的でするりと喉の粘膜に張り付いて溢れないでいるようで素敵だった。そうしてこれは短編集なのだが「ダイヴィング・プール」の主人公の奥底にある不可思議な悪意のような悪戯が最後の瞬間に崩れる時に、主人公は純に対する想いの入り口のなさを悟る。どの短編集も優れていた。個人的に傑作な作品集。

  • 2008年11月14日~15日。
    「完璧な病室」「冷めない紅茶」は面白かった。「ダイヴィングプール」はいまひとつ。「揚羽蝶が壊れる時」はちょっと冗長に感じた。

  • 短編集,2編
    死に向って透明な感じになっていく弟を,静かに見つめる姉の不思議な感覚がこの世に生きてないかのようだ..そして,吃音のあるS医師の孤児として実の親に育てられたというエピソードに,なんという残酷なことかと,心が締め付けられるようだった.

  • 言葉が不気味で美しい。

  • 小川洋子さんの初期作品です。
    静謐な文章と称される通り、常にどこかこの世の一切から身を引いたような雰囲気を感じます。
    執拗にすら感じられる細やかな表現は、人によってはしつこく感じるかもしれません。
    小川さんの感受性の豊かさそのものである風に感じます。
    ストーリーというより、その表現を楽しむお話たちだと捉えました。

    私は小説を書いています。
    最近、溢れ出る言葉をそのまま書いているが、もっと伝わりやすく書くべきかと悩んでいました。
    しかし、技量はどうであれ、感じたそのままを表す事に改め惹かれるような文章でした。

著者プロフィール

1962年、岡山市生まれ。88年、「揚羽蝶が壊れる時」により海燕新人文学賞、91年、「妊娠カレンダー」により芥川賞を受賞。『博士の愛した数式』で読売文学賞及び本屋大賞、『ブラフマンの埋葬』で泉鏡花文学賞、『ミーナの行進』で谷崎潤一郎賞、『ことり』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。その他の小説作品に『猫を抱いて象と泳ぐ』『琥珀のまたたき』『約束された移動』などがある。

「2023年 『川端康成の話をしようじゃないか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

小川洋子の作品

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