「隔離」という病い: 近代日本の医療空間 (中公文庫 た 70-1)
- 中央公論新社 (2005年2月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (276ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122044920
感想・レビュー・書評
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(後で書きます。参考文献一覧あり)
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日本のハンセン病政策を振り返る一冊。大した根拠もなく、その時代で声の大きかった人に流されるかのようにして、恐ろしく、また恥ずべき政策が長年にわたり幅を利かせた裏側を検証している。ここで糾弾されるべきは、隔離医療を主張した光田健輔だけではない。それに便乗したり妄信したり、何も言わずにするがままにさせておいた誰もが背負うべきものだろう。読めば、光田健輔だって隔離を主張した裏側には、ユートピア的世界で患者たちが気兼ねなく暮らせるようにしたいという思いがあったようにも思えるし、事実、光田は並みの人ではできないくらい献身的にハンセン病患者と向き合いもした人なのだから。
そして、善意がまた、こういう悪しき政策を悪いものでないように見せてしまうこともまた危険だということを知った。『生きがいについて』の神谷美恵子や『小島の春』の小川正子、キリスト教系の奉仕団体など、よかれと思っていることはわかるが、それが本当に患者のため、世のためになったかというと……というところに疑問を提起している点はこの本の価値ある一点だと思う。もちろん、多くの人が神谷や小川の作品を賛美することで隔離医療を間接的に支持してしまったことも忘れてはならないこと。
とはいえ、患者たちのなかには、「隔離医療は是。なぜなら自分の周りにうつしたくない、迷惑かけたくないと思うだろうから」という声も少なくない。つまり当の被害者たちは意外と達観しているようなこともあるわけで、周りがとやかく言えるものではないこともある。結局どちらかの極に寄れるものではなく、このあたりのバランスのとり方、落としどころを慎重に、慎重に探ることが大事なのだと思う。
こういうことは日本のあらゆるところに巣食っているやり方。まさしく「くさいモノにはふたをしろ」なわけで、こんなことわざがまかり通っているところが日本の病いというわけだ。著者が言う通り、これをハンセン病の話としてだけ読んではいけない。思考することをやめ、主張する人に任せるがために恐ろしい世の中に向かいつつあること、大阪市で、あるいは福島とか現代だって限りなくある。 -
近代史が始まる少し前の1907年、法律第11号「らい予防法」が制定され、1931年モダニズムの風が吹き荒れるなか国立ハンセン病療養所「長島愛生園」が竣工した。
この本はハンセン病(旧らい病)について書かれたレポートだ。そしてハンセン病という「病気」を通して僕らが暮らしの中にある「病い」を捕らえ、それを導き出す論理的証明だ。全体を貫く大きな論考を補うかのように多様な史実や考察が引用される。間延びしそうな感じだが、ポイントごとに全体へ引き戻してくれて思考が途切れることはない。隔離と差別の話では終わらない豊かさがこの本にはある。
前に永江郎が隔離施設をユートピアとして捕らえる考え方に危機感を示していたが、著者はそれを十分自覚しており、さらに思考を飛躍させる。全くいらぬ心配だったのだ。
とりあえず読むべし。そして思考するべし -
ハンセン病をめぐる隔離政策を中心に、「感染病の患者は隔離されて当然」という「隔離という病」がいかに我々の心を侵食しているかについて暴いた本です。ハンセン病の歴史や実情、隔離政策の問題点を学ぶには格好の本なのではないでしょうか。
ただ、筆者が隔離という病に対して、「義理と人情」で対応しようとするのはいかがなものでしょうか。隔離を端的に人権侵害である(ただ必要悪でもある)として、隔離された方の人権保障をいかに考えていくか、というのが現実的なのではないでしょうか。 -
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