敗戦日記 (中公文庫BIBLIO)

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  • 中央公論新社
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レビュー : 7
  • Amazon.co.jp ・本 (472ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122045606

作品紹介・あらすじ

「書け、病のごとく書け」と、自らを追いつめるほどに創作の意味を問い続けた"最後の文士"高見順が遺した戦中日記。そこには貸本屋「鎌倉文庫」設立の経緯、文学報国会の活動などが詳細に記録されており、戦時下に成し得ることを模索し、文学と格闘した作家の姿がうかがえる。膨大な量の日記から昭和二十年の一年間を抜粋収録。

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  • 『書け、病のごとく書け、業のごとくに書け、痴のごとくに書け。』

    文筆家の高見順は学生の頃から日記をつけていた。
    その膨大な日記から、終戦の年である昭和二十年の一年間の日記を「敗戦日記」として出版したもの。
    高見順自身が潔癖症に近い性質を持っているようで、思考の方向は決して明るくはないのですが、当時の一般市民の様子、文化人たちの様子が見られて非常に興味深い。

    まずは終戦前後の一般市民の生活の様子を窺い知ることができる。
    空爆のニュースが流れるが疎開して生活するには金がないので空爆されたら死ぬしかないのだろうという日々。日本の報道は勇ましいことばかり言うが劣勢は明らかなのだからむしろそれを認めたうえで覚悟を謳いかけて欲しいという思い。
    しかしいざ望んでいた終戦を迎えても静かに他人事のように受け止める日本人の様子。
    アメリカの統治によりアメリカによってもたらされた自由、マッカーサーに「四等国民」と言われたが言い返すことのできないような醜態を晒す日本人の様子。
    それらを日本を愛する者として、日本を憂う者として、恥ずかしくも思い、新たな日本人の道徳を望んでもいる。

    そして終戦前後で出版の自由が妨げられた状況での文学者たちの日常や交流。
    鎌倉を住居としていた高見順は、「鎌倉文士」の川端康成や小林秀雄や里見惇たち他の文学者たちと貸本屋の「鎌倉文庫」を開いたら思いのほか大盛況だったという様相、文化人たちが政治思想による表現の抑制に対して抵抗しようとした様子としかし全く力が及ばないことへの嘆きなど。

    さらには高見順が「このような状況でも自分は文士でいたい」という想い。
    日記の最中に小品や詩のメモを記録し、しかしこの膨大な資料は戦火に失われるのかという思い、そもそも文学というものはどこまで残るのか…などという心の動き。

    実際の地名や企業名で「○○社が空襲で焼け落ちた」「どこからどこまで焼け野原になった」と記録されているので、現在に当てはめて考えてみた。


    以下書き出し
    **********

    高射砲の音が爆弾のように聞こえる。前線ではキュンキュンと言った鋭い甲高い音に聞こえるのだが、東京ではズンズンという鈍い音。(一月五日 P9)

    その暗さとは、どこの人間のでもない、日本人の暗さだ。そうしみじみ思った。そうしてその暗さに切ないいとうしさを覚えた。
    こんないとしい日本人が、日本が、戦いに負けようとしている。(一月十二日 P24)

    芸とはかのごときものなのだ。空しいところに芸はある。
    (…)
    なまじ、あとに残る文学芸術などに従っているものの、空しさにきびしく直面できぬ不幸、空しいきびしさに鍛えられぬ不幸。
    後世に結局残りもしないのに、残るかもしれぬとうぬぼれて何か書いているものの不幸。その醜さが後に残るのに、何か書きちらしている者の不幸。
    だが、
    書け、
    病のごとく書け。
    菊五郎の踊りを見て、心に誓ったことは、
    かくのごとく、業のごとくに書け。(一月十六日 P35)

    病いのごとく書け
    痴のごとくに書け
    日記においても然り、
    自己反省のため、自己鍛錬のため(否、実際は、自己慰楽か)の日記、―かように考えていたが、目的などいらぬ。作用を考えるに及ばぬ。病のごとくに書け。(一月十八日 P36)

    ○もっと、どしどし、敵を作ること。
    自分を育てるために、敵を作ること。
    (…)
    自分の方では敵意を持たず、愛を示しつつ、しかも向こうからは敵意を持たれる。その敵意によって自分が育てられる。(二月十二日 P67)

    庶民とともにあった芸人は、庶民とともに死んだのである。
    文士は今のところまだ死んでいない。だがそのうち、犠牲者はきっと出てくる。
    そうして上層の政治家、富豪などは最後まで死なない。(四月五日 P151)

    小説と同じだ。事実だけ書くのが、小説の究極の姿だろうと考えられるが、若いうちはなかなかそれができない、そのきびしさにたえられない。そこで「こう思ったとか、ああ思ったということ」が入ってくる。そそこに小説を書く面白味、小説の面白味を求める。ところが、その「面白味」が小説の弱点になってくるのだ。一番腐りやすい部分になってくる。(…)
    鴎外などの日記は、事実だけなので腐らない。
    私の日記は、―腐ってもいい。いや、腐っていい。(四月七日 P153)

    ○焼け出された当座は、さっぱりしたなどと言っていても、やがて気持ちがひねくれ荒んでくる人が多いという。なかには、国のために焼かれて、無一文になったのだと言って知らない人の家でもどんどん入って行って、国のための偽性者、罹災者なんだから泊めてくれとういのもあるとか。ひどいのになると、焼け残った家からいろんな物を堂々と持ち出していく。
    「焼かれるより、焼け残される方が、こわくなりそうだ」
    と某君は言っていた。(四月二十四日 P181)

    人はなぜ小説を読むのか。
    人間の運命を、人間の生き方を、―人間を知ろうという気持ちが、人間をして小説を読ませるのだ。(四月二十九日 P184)

    (※新聞の日本優位の戦況報道を見て)
    なんともいえない口惜しさ、腹立たしさ、いら立たしさを覚えさせられた。
    敵に明らかに押されているのだ。敗けているのだ。なぜそれが率直に書けないのだ。なぜ、率直に書いて、国民に訴えることができないのだ。
    (…)国民は、こういう気休めの、ごまかしの記事に騙されはしない。裏を読むことに慣れさせられた。すると、何の必要があって、こういう記事でなければならないのだ。
    (…)
    こんなことで、この苛烈な戦争が切り抜けられるだろうか。(五月十一日 P192)

    ああ、己を吐露した仕事がしたい。否、せねばならぬ。(五月十八日 P198)

    (※日本を鼓舞する新聞に対するの読者の投書欄)
    報道陣や指導者にお願ひがある。「神機来る」「鉄壁の要塞」(…)かかる負け惜しみは止めてもらいひたい。(…)俺達はどんな最悪の場面でも動ぜぬ決意を持って日々やつている。もはや俺たちを安心させるやうな言葉は止めてくれ。
    敵に押されてきたら素直にそれをそれとして表現してもらいひたい。その方が日本国民をどんなに奮起さすかわからない。狭い日本のことだ、老若男女多少の差はあつてもみんなとことんまでぶつかる覚悟だから、見えすいた歯の浮くやうないひかたはやめた方がいい。(…)(七月二十二日 P249~)

    折口信夫氏がこれまた国学者らしい静かな声で「安心して死ねるようにしてほしい」と言った。すると上村氏が「安心とは何事だ、かかる精神で…」とやりはじめた。折口氏は低いが強い声で「おのれを正しゅうせんがために人を陥れるようなことをいうのはいけません」と言った。立派な言葉だった。こういう静かな声、意見が通らないで、気違いじみた大声、自分だけ愛国者で、他人はみな売国奴だといわんばかりの馬鹿な意見が天下に横行したので、日本はいまこの状態になったのだ。似而非(※えせ)愛国者のために真の愛国者が殴打追放され沈黙無為を強いられた。今となってもまだそのことに対する反省が行われない。(七月二十六日 P259)

    (※広島に“新型爆弾”が落とされたという噂と報道を接した東京の様子)
    街の様子、人の様子は、いつもと少しも変わっていない。オソロシイ原子爆弾が東京の私たちの頭上にもいつ炸裂するかわかないというのに、(…)人々は、のんびりした、ぼんやりした顔をしている。(八月八日 P278)

    毎日に、アメリカの戦時情報局の組織が出ている。長官をはじめ、海外部長、政策部長いずれも文芸家だ。文化人を戦争から締め出している日本とは、まるで違う。すべて、まるで違うの感が深い。(八月八日 P282)

    避難の話になった。もうこうなったら避難すべき時だということは分かっているのだが、誰もしかし逃げる気がしない。億劫でありまた破れかぶれだ。
    「仕方がない。死ぬんだな」(八月九日 P287)

    「休戦、ふーん。戦争はおしまいですか」
    「おしまいですね」
    と川端さんはいう。
    あんなに戦争終結を望んでいたのに、いざとなると、なんだかポカンとした気分だった。どんなに嬉しいだろとかねて思っていたのに、別に湧き立つ感情はなかった。(八月十日 P290)

    なるほど言論の銃のために死んだ文化人は一人もないことを恥じねばならぬ。
    「執筆禁止」におびやかされながらしかし私は執筆を禁止されなかった。妥協的なものを書いてべんべんとして今日に至ったのである。恥じねばならぬ。他を咎める資格はないのであった。しかし…。(八月十二日 P298)

    監視飛行の敵機が低空で頭上を通り過ぎた。口惜しさが胸にこみ上げた。わが日本の空に、わが日本の飛行機はもう飛んでいないのである。もう見られないのである。(八月二十五日 P331)

    (※トルーマンが演説でアメリカを「原子爆弾を発明し得る自由な民衆」に対して)
    「原子爆弾を発明し得る自由な民衆…」これは我々の心を打つ。まことに私達には左様な「自由」が奪われていた。自由の精神が剥奪されていた。(九月四日 P346)

    (※アメリカの、日本占領人事発令に対して)
    日本でのことながら、こういう正式発表は日本に対してなされない。外電によって知らされる。特記しておかねばならぬ。敗戦の現実の一つである。(九月十日 P350)

    (※マッカーサーが新聞並びに言論の自由を発令したことに)
    自国の政府により当然国民に与えられるべきであった自由が与えられずに、自国を占拠した他国の軍隊によって初めて自由が与えられるとは。
    (…)
    日本を愛する者として、日本のために恥ずかしい。戦に負け、占領軍が入ってきたので自由が束縛されたというのならわかるが、逆に自由を保障されたのである。なんという恥ずかしいことだろう。(九月三十日 P366)

    (※高見順は、ビルマや中国に報道班として赴いていた)
    日本人はある点、去勢されているのだ。恐怖政治ですっかり小羊の如く大人しい。怒りを言葉や行動に積極的に表しえない、無気力、無力の人間にさせられているところもあるのだ。
    (…)
    日本人だって残虐だ。だって、というより日本人こそといった方が正しいくらい、支那の戦線で日本の兵隊は残虐行為をほしいままにした。権力を持つと日本人は残虐になるのだ。権力を持たせられないと、小羊の如く従順、卑屈。ああなんという卑怯さだ。(十月五日 P371)

    女史選挙権が付与された。
    (十月十四日 P376)

  • 山田風太郎の戦中日記を読んだときは、その旺盛な食い意地に笑ってしまった。
    何しろ若かったから、食べることだけが楽しみだというその文章に、実に説得力があったのだ。

    けれどこの日記を書いたとき、高見順は39歳。
    それなりの大人なのである。
    鎌倉に住みながら、仕事のためにしょっちゅう東京に出てきては、戦時下の東京を記録する。

    灯火管制の下、配給品以外(つまり闇)の酒を飲むために店を探し、伝手を手繰る。
    かと思えば、芝居小屋や映画館に並ぶ人々の様子が描かれる。
    死ぬか生きるかの瀬戸際でも、人は楽しみを求めるのだなあということがわかる。

    文学報国会に属し、従軍記者として記事を書いたこともある高見順は、しかし決して戦争を賛美してはいない。
    日本の主張をどうして他国は理解してくれようとしないのか?
    日本はもっとやれるはずじゃなかったのか?
    マスコミの煽りのひどさに国民はとっくに冷め切っているのだから、マスコミももっと正直な記事を書かねばならないのではないか。
    作家というよりは、一般の国民としての感想であろう。

    そもそもなぜ文学報国会なるものに参加しているのかというと、参加しないと『執筆禁止』とされてしまうかもしれないから。
    書くことの自由はそこにはない。
    だから活動が嫌で嫌で、毎回しぶしぶ会合に出ていくのである。

    作家としての自分に対するプライドが高く、例えば鎌倉在住の作家たちで貸本屋を設立した時、「番頭役」を受け持つのだけど、作家から番頭に成り下がったと愚痴る。
    奉仕作業の役に立てない非力な自分を自覚しつつ、決して自分はルンペンではない作家なのだと言い募る。

    東京が空襲で焼け野原になり、本土決戦が行われるとしたら鎌倉も危ないのではないかと心配する。
    しかしお金がないから疎開ができない。
    金持ちはいつもいい目を見て、庶民はいつも何もできないと愚痴る。

    身体は一人の国民としてそこにあるのに、意識はいつも一段上にいてイライラしているような、そんな文章。(中二病?)

    沖縄に出兵して亡くなった友人を偲ぶけれど、住んでいた場所が戦場になった沖縄の人について思いをいたすことはない。
    本土決戦に心配をするだけだ。

    敗戦にあたって、日本人が中国で現地の人たちにしたことを考えると、どれだけひどいことを進駐軍にされるかと怯えていたが、ふたを開けたら、日本政府が自国民から奪った数々の自由と権利を進駐軍が日本人に返してくれたことに感謝をしてる。

    ”南樺太、千島がソ連に取られる。それはいい。それは仕方ない”
    本州に住む人の、これは本音なんだろうなあと思う。
    樺太の、真岡郵便局の電話交換手の少女たちが、迫りくるソ連兵に怯えながらも職務を遂行し、最後まで任務を遂行した後自決した、なんて事実は現代どころか当時も全然ニュースになってはいなかったんだという衝撃。

    自分たちが行ってしまったことの大きな過ちを、被害を書きながら、反省の弁はほとんどない。
    あまりに正直に書かれた日記であるがゆえに、読んでいて非常にイライラした。

  • 作家高見順が昭和20年1月1日から12月31日まで書き綴った日記。鎌倉と東京を往復する日々が綴られる。
    銃後の生活の実態が垣間見られたり、空襲の焼け跡の悲惨さ。本土決戦への覚悟。一方で愛国精神を声高に叫ぶ者への冷ややかな目。真実を発表しない軍部や報道への怒り。敗戦後の日本人のみすぼらしさへの憤りとそれへの慣れ。アメリカ兵におもねる人々への怒りと諦観。自らの創作活動への焦燥と覚悟。
    急激な戦況の悪化と敗戦と占領という激動の1年を赤裸々に綴った文書で、非常に興味深く読める。川端や大佛といった作家たちも登場し、鎌倉を拠点とした文化人たちの行動も述べられる。

  • 作家の高見順が執拗に書き続けた日記のうち、1945年1月から12月までの一年間を編纂した日記集。

    居住地のある鎌倉での空襲警報に怯えながら、銀座や浅草など、空襲で焼けた都市部の様子や、そこでの生活の模様が余すことなく描かれ、敗戦直前・直後の東京がどのような状況下を把握する上で1級のドキュメント。

    自らも含む多数の作家の蔵書を貸文庫として提供した「鎌倉文庫」設立の背景やその模様、また、そうした事業と平行して自らの作品を書かなければいけないと思いながらも筆が進まない苦しさも伝わってくる。

  •  
    ── 高見 順《敗戦日記 1959‥‥ 文芸春秋新社 198108‥ 文春文庫 20050726 中公文庫》
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4122045606
     
    (20151017)
     

  • 090316 by 『戦争の世紀を超えて』
    終戦後早々の価値観のがらりと変容の様

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著者プロフィール

1907年、福井県に生まれ、1965年、千葉県に没する。小説家、詩人。
本名、高間芳雄。
高校時代にダダイズムの影響を受け、東京帝国大学文学部時代にはプロレタリア文学運動に加わる。
1935年、『故旧忘れ得べき』で第1回芥川賞候補。1941年、陸軍報道班員としてビルマに徴用。戦後も、小説、エッセイ、詩とジャンルを問わず活躍した。
主な作品に、『如何なる星の下に』(人民社、1936)、『昭和文学盛衰史』(文藝春秋新社、1958)、『激流』(第一部、岩波書店、1963)をはじめ多数。
ほかに『高見順日記』(正続17巻)、『高見順全集』(全20巻)がある。

「2019年 『いやな感じ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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