モダン都市東京: 日本の一九二〇年代 (中公文庫 う 17-8)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (351ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122048607

感想・レビュー・書評

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  • ここで語られる東京の20年代は、なぜこうも《苦い》のだろう。

    大学生のとき夢中で読んで以来、ひさびさの再読。あらためて読んでも、やっぱり十分に刺激的な論考だ。明治期の画家のしごとから日本の世紀末を探った『日本のアールヌーヴォー』、おなじく大正デモクラシーの胎動期といえる1910年代を論じた『東京風景史の人々』とくらべると、この『モダン都市東京』は少しばかり読みにくい。小説や詩といった文学作品における都市表現から《20年代》(著者の定義によれば大正7、8年から昭和7年くらい)の東京を読み解くという試みのため、どうしても観念的にならざるをえないせいもあるだろうけれど、それ以上にやはりそれは《20年代》という時代のとらえどころのなさによるところが大きいのではないか。

    「日本の《20年代》は失われている。それはまるで、存在しなかったかのように、切りとられ、前後がそれをはずして縫い合わされてしまっている」と海野弘は言う。多くの作家たちが東京という都市にあこがれ、東京を描こうと格闘しながらも、結果的に彼らは十分に都市を表現することでその時代を描き出す技法を編み出せないまま《都市》に別れを告げてゆく。その原因は、「ファシズムへと傾斜してゆく国家権力の弾圧による沈黙という外的なものであると同時に、都市表現の未成熟と行き詰まりという内的なもの」でもあった。じっさい、テクノロジーやメディアの進歩により東京は20年代、いまだかつてないスピードで変転していたし、作家たちにとっては影法師のようにするするとその手から逃れていってしまうような感覚だったにちがいない。そのあたりは、20年代を象徴する都市である「銀座」の特徴を、郡司次郎正、上司小剣、貴司山治らの作品から「すべてのものを出会わせ、混ぜ合わせ、媒介する」という空間性にあるとする第5章、第6章にくわしい。また、「雨の降る品川駅」という中野重治の詩に鋭い解釈をほどこした第11章は、「詩」を文学という局面からだけでなく、川柳や盛り場案内記、ルポルタージュなどをふくむ「都市表現」のひとつとしてとらえるべきと主張する海野弘の真骨頂で、全体の中でももっとも読み応えのある一章であった。

    個人的な関心はこれまで、大正デモクラシーをつくった世代/大正デモクラシーを享受した世代にあったのだが、ここで取り上げられているのはいわば「大正デモクラシーを懸命に生きた世代」である。その多くは19世紀末に生まれた地方出身者であり、東京にあこがれ、その理想と現実のはざまで揺れ動きながら20年代に創作に打ち込み、30年代には失敗や挫折を経験する芸術家たち。この本は、彼らの格闘と挫折の痕跡に東京の《失われた20年代》を発見しようという試みであり、読みながら通奏低音のようにつきまとう《苦さ》の理由もまた、そこにある。その中では、雑草のように新宿に根っこをおろししたたかに生き抜こうとする林芙美子や平林たい子の姿は印象的で、一服の清涼剤となっている。

  • 東京の都市の様子がつかめた。

  • いやいやびっくり。海野弘って、こんなにわかりやすくて面白いんだ。文学とともに、20年代の東京の幻影を歩く都市ガイド。

  • 未読

  • 一週間ぶりに書店に行ったら、新刊の中公文庫でこの本が出ているのを発見。なつかしさのあまり手にとって思わず抱きしめてしまった。文庫になってもう二十年とは知りませんでした(・・・本屋に一週間ぶりなんて信じられない。以前は日に二度三度と訪れていたのに。家中に溢れる本のせいで、なるべく買わないようにという禁欲的な生活は、やはりそうとうきついですね)

    私は、小さい時から絵画や版画やデザインなどの美術や建築とか文学・音楽をはじめあらゆる芸術に強い興味を持ってきました。
    それは、好きだということもありましたが、人間に生まれて来た自らの権利と使命において、壮大な人類の到達点=遺産を知って見て体現しなきゃ損だ、という欲望に突き動かされてのものでした。

    その中で、特に芸術論として最も私を魅了したのは、ウイリアム・モリスと柳宗悦でした。二人を通してフォークロア=民芸という考え方に深く共鳴しました。

    要するに、芸術は美術館に飾ってあるものを眺めるものではなく、日常生活の中で現実的に使い消費することに意味があるという考え方です。
    否、二人の思想はそれだけにとどまらず、既製品を消費するだけの人生に対するアンチ・テーゼとして、自らが作るものこそが、つまり芸術的生活が最もすばらしい生き方だという究極の地平まで追求されるのですが。

    アンリー・ルフェーブルの日常生活批判論とか、ブレヒトやベンヤミン、アドルノやグラムシ、ボードリヤールやハバマス、イリイチやエンツエンスベルガーなどなどを貪り読んで来ましたが、その後、彼らを受け継いだ日本の三人の思想家を見つけました。

    都市革命論・メディア論の粉川哲夫、デザイン論・日常生活論の柏木博、そして都市論・環境論・芸術論の海野弘の三人です。私は勝手に三人を私の主任教授に任命しました。彼らの本を古本屋で見つけるたびに狂喜し、新刊が出るごとにワクワクして読みました。

    う~ん、はっきり言って、小説でこんなものすごい興奮を味わったことはありません。驚愕のミステリーはもとより、凡俗の想像力によるどんな小説よりも面白いのです。

    中でも海野弘は、私が好きだったアール・デコやアール・ヌーボーの歴史や理論を教授して下さって、趣味の範疇から抜け出させて今や実作を製作するに到っています。

    この本はその彼が、大正・昭和初期の東京を舞台にした川端康成や林芙美子や江戸川乱歩らの諸作品を通して都市の憂鬱(暗い時代にもかかわらず何故かどこかポッと明るい)を活写したハラハラ・ドキドキの物語です。高校生以来の三度目の再読でしたが、やっぱりスゴイ・面白い。文庫にしては1,300yenとちょっと高いけれど、その数倍の価値がある本です。

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著者プロフィール

美術評論家。1976年から平凡社『太陽』の編集長を務めた後、独立。幅広い分野で執筆を行う。

「2023年 『アジア・中東の装飾と文様』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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