無冠の王妃マントノン夫人―ルイ十四世正室の回想〈上〉 (中公文庫BIBLIO)

制作 : Francoise Chandernagor  二宮 フサ 
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (401ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122048652

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  • マントノン夫人ことフランソワーズ・ドービエは、ルイ14世紀の最後の寵姫であり、王が逝去するまでの晩年約30年を王と共に過ごした。

    「L'état, c'est moi(朕は国家なり)」と言い給い、太陽王と呼ばれたフランス王ルイ14世は、フランスの王のなかでも際立った存在の君主である。

    ベルサイユ宮殿の正面の門を入った中央には、ルイ14世の騎馬像が、当時の栄光を纏ったままで我々を迎えてくれる。

    ルイ13世が「狩猟の館」としてパリから少し離れたベルサイユに建てた建物を王位継承した14世が、贅を尽くした外装内装の増改築を行い、ル・ノートルが見事な庭園を作り上げたベルサイユ宮殿は、ルイ14世の絶対王政の象徴であり、フランス王室の栄華の権化である。

    ルイ14世の正式王妃は、スペイン王の娘であるマリー・テレーズだが、フランスは公妾制度が認められており、何人かの寵姫が存在する。
    わずか5歳でフランス王になった14世は、正式寵姫のほかにも数々の女性と浮名を流した。

    ルイ14世の寵姫の中で一番有名なのは、モンテスパン侯爵夫人だろう。
    彼女は、王との間に7人の子をなした。
    モンテスパン侯爵夫人は、次々子どもは産むが、育児に関しては無関心で、その養育及び教育は、スカロン夫人にまかされた。

    ポール・スカロンは、身体に障害は持つものの当時パリ随一の才人といわれ、大人気の作家であった。
    フランソワーズ・ドービエは、16歳で中年のスカロンと結婚した。

    スカロンとの結婚生活は、スカロンの死により8年で終焉を迎える。
    この結婚生活で、フランソワーズ・ドービエは、若い妻の才気を育てたようだ。

    そもそもフランソワーズ・ドービエが、スカロンと結婚したのは、耐え難い貧困から逃れるためだった。

    フランソワーズ・ドービエの祖父は、カルヴァン派の代表的な勇将で詩人であるアグリッパ・ドービニェである。
    しかし、その息子のコンスタン・ドービニェは、前妻を刺し殺しただけでなくほかの犯罪も犯し、生涯ほぼ20年を獄中で過ごした。
    フランソワーズ・ドービエは、父の入獄中生まれた。
    当時、受刑者の妻は裁判所構内の牢番小屋に寄宿するらしく、受刑者との行き来にあまり規制がなかったのだろう。
    フランソワーズ・ドービエの母はドービエのほかに男児を二人生んでいる。

    このヤクザな父親は、60歳で恩赦で釈放されたのち、植民地政策に浮かされ、妻子をつれて西インド諸島に渡るが、妻子を置き去りにしたまま行方をくらませてしまう。
    夫を待ちきれなくなった母は3人の子どもと共に、フランスに戻るも極貧の生活を余儀なくされ、フランソワーズ・ドービエは乞食をもして飢えを凌いだという。

    やがて、父親筋の親戚にひきとられ養育されるが、スカロンとの結婚は、不幸を絵に描いたような自分の境遇をかえる契機として受け入れたのだった。

    スカロンは金持ちではなかったし、病気の夫との日々は看病に多く費やされたが、文人であったスカロンの元には、貴族たちが集い、若き新妻スカロン夫人は着々と人脈を広げていった。

    フランソワーズ・ドービエという名は消え、不動なるスカロン夫人となった彼女は、その人脈の由縁で、未亡人になったあと、ルイ14世とモンテスパン侯爵夫人の子どもの面倒をみるようになる。

    わがまま放題でありながら、長年寵姫の座に座り続けたモンテスパン侯爵夫人だったが、黒ミサ事件で決定的に王の信頼は消え去ってしまう。

    モンテスパン侯爵夫人が完全に失脚したのち、王妃も亡くなり、国益になりそうな再婚話が持ち上がっていた王であったが、彼が選んだのはスカロン夫人すなわち王がマントノンに領地を与えた養育係のフランソワーズ・ドービエだった。

    人殺しの父親を持ち牢屋で生まれ、乞食をした少女は、王の正室までのしあがったのだ。

    本書は、20%がマントノン夫人の文章、40%を同時代人の回想録から採り、著者シャンデルナゴール女史がマントノン夫人の文体を模倣しつつ一人称で語らせる擬似回想記である。

    本書は1981年に刊行され、本国で複数の賞を授賞し驚異的なベストセラーになったそうだ。

    18世紀初頭、フランス革命の埋火はすでに燻り始めており、晩年の治世は太陽王といえども翳りがみえはじめていた。

    女好きで意気盛んな14世もさすがに寵姫の醜聞に(モンテスパン夫人の黒ミサ事件関与)疲れ果て、精神的疲弊の頃頼りにしたのが、マントノン夫人だったわけだが、彼女はこの本で読む限りは、単なる心優しい純粋な人と印象は受けない。
    才気があり、したたかで欺瞞的である。
    したたかでなければ、彼女の出自でこの地位まで登りつめられはしないであろう。
    しかし、彼女は世間的節度をよくわきまえた女性であったと思う。

    ベルサイユ宮殿にはさまざまな歴史が眠っている。
    マントノン夫人はベルサイユで湯水のように血税を使ったわけではない。

    しかし、太陽王ルイ14世が晩年正室にした女性は、人殺しの父を持つどの寵姫よりも王よりも年上の人物で、王が死してのち5年後に死んだ。83歳の生涯であった。

  • 歴史小説はダメなこともありますが、これはなかなかいけました。史料も駆使しているようです。

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